第30章 【演目:真実】
海馬は未だに暗いステージの上につるされていた。
朱夏の糸が切れて、どうなったかもわからないまま海馬はただただ見えるだけのステージを眺めている。
「……」
この頃には海馬は自問自答を止めて何一つ喋らなくなっていた。
(……無駄……なのかも……)
海馬の心は折れていた。
何を考えても、事実を分析しようとも、体はピクリとも動かない。
(……誰か……助けて……)
プライドの高い海馬が誰かに助けを求める程、海馬の心も朱夏とは別の意味で限界を迎えている。
すると突然あの音がステージに鳴り響いる。
ブーッ!!
開幕の合図だ。
(もう……やめてくれ……)
海馬が嫌々ながらステージに降り立つとまず目に飛び込んできたものがあった。
(……あ……!! あの、観客席にいるの!!)
そこには朱夏が人形ではなく人間の姿で横たわっていた。
(朱夏!! 無事だったのかな? 良かった……それに……)
意識がなさそうな朱夏の頭を膝枕している女性がいる。
その女性は明るい茶髪のロングヘアーの美しい女性。
20歳くらいかと思われる外人風の女性だった。
優しそうな女性は穏やかな表情で朱夏の頭を撫でている。
先ほどまで奥の席に座っていた人影だったが、手前の椅子に移動したために顔がはっきりと見えた。
(……きっと、あの人がマリオネットの言っていた「デジャヴ・ドリーム」さんだ)
先程のマリオネットの話から海馬はそう推測する。
『お待たせいたしました! トラブルがあり申し訳ございません! さぁ……続きをどうぞ!!』
最早ナレーションでも何でもないマリオネットの声がステージに響くと先ほど、紗理奈が崖から落ち、木に刺さってしまったシーンからだった。見ると朱夏の代わりにエキストラと同じような人形が使われている。
(そうだ……僕と朱夏はあの日の事について……ちゃんと話し合うために秘密基地に訪れたんだった……)
海馬はステージの脇でそんな事をぼんやりと思い出す。4人で山を登ったあの時がもう、何年も前のように感じられた。そんな事を考えているうちに劇は進行し始める。
「紗理奈!! 紗理奈!!! 助けを呼ばなくては!!」
その一言を言うと、朱夏は秘密基地を退散して山を下って行った。
それから10秒くらい海馬は何も起こらないステージを眺めていた。
沈黙がしばらく続く。
(ん? なんだ? 劇が止まった?)
けれども、劇は止まったわけではなかった。
「……あーあ。大失敗!!」
喋り始めたのは『木の枝で串刺しになった』紗理奈だった。
(は?どういう事だ……!?!?!)
海馬は串刺しになっている紗理奈が喋ったことに驚いたし、そのセリフが串刺しになっている人が言うとは思えないセリフに困惑する。その上、さらに海馬を混乱させる人形が登場する。
ステージの逆側から出てきたのは……
(え!? 朱夏!? なんで朱夏があっちからでてくるの!?)
今、山を駆け下りて行ったはずの朱夏は右へ行ったが、今出てきた朱夏はがステージ左側の「森の中」から出てきた。
「あ……あの……どうしましょう? これでは『計画』が……」
ぼそぼそと森から出てきた朱夏が串刺しになっている紗理奈に話しかける。
「それに私の『後悔』ももうじき切れちゃいそうっしょ!」
「早く、本物の私を殺さなくちゃ……!! 成り代われませんよ!!」
(成り代わる……? この二つの人形は……一体何なんだ!?)
海馬は劇を凝視した。海馬の知らない現実がそこにはあった。
今ステージに立っている『崖下の紗理奈』と『森から出てきた朱夏』は明らかに普通じゃない。
(というか……成り代わるって事は本人じゃないって事? ……に、偽物がいたって事!?)
海馬の混乱を余所に、劇はどんどんと進んでいく。
「いや! いいっしょ! あの子が山を駆け下りて助けを呼ぶのにまだ時間はある。その間だけでも成りすまして! 何とかその間に『紗理奈』を誘拐するっしょ!」
「ええ!? たった数分で!? む、む、無理ですよ!! 数週間のスパンでやるはずだった任務ですよ!?」
(紗理奈を……誘拐するために、僕らを騙していた人がいるって事だ……道理で、僕と朱夏の会話がかみ合わないわけだ……)
海馬はこの会話を聞いて、今まで感じていた朱夏と記憶違いを思い出す。今朝見た日記に書かれていたメッセージにも『そんなこと言った覚えありません』と書かれていた。そして、さっきの劇中で「紗理奈を信じないで』なんて言う一言は発せられていなかった。
(つまり、朱夏は本当にそんな事を言ったりしていなかったんだ!)
海馬は今までの記憶違いに納得した。
「朱夏っち!! やるっしょ!! それが私達『リグレット・ドールズ』の作られた意味。それだけが価値なんだ。あの方の役に立たないと……生まれてきた意味がない!」
(『あの方?』、『リグレット・ドールズ』?……ってパラサイトの名前? それに、これは……一体……誰の何の記憶なんだ?!)
海馬は一部始終のセリフを聞いて分からないことだらけで混乱している。
(じゃぁ、僕の知っている現実は……!?)
その時、体が勝手に動き出す。
(……!? こ……この後に……僕が来たのか!!)
海馬は勝手に心の中で納得した。
海馬と一緒に紗理奈の人形も動き始める。
(こちらの人形が動いたと言う事は、これが本物の紗理奈って事か。僕は本物の紗理奈と共に、偽物の朱夏に会っていたんだ)
海馬はこの後の劇の流れを知っている。
(って事は、まさか……!!?)
海馬は嫌な予感した。
そして、その予感は的中する。
森から出てきた朱夏は崖に突き刺さった紗理奈との会話に夢中で紗理奈と海馬が近づいてきたことに気が付かない。
「あ……あれ! 朱夏っち!?」
紗理奈は壊れた柵の所で崖下を覗き込んでいる朱夏を見つけて駆け寄った。
「何してるの!? 危ないよ!?」
「わっ!!!」
朱夏は驚いて振り向きながら立ち上がる。そこには本物の海馬と紗理奈が居た。
「何見てたの?」
普段、崖下を覗き込むなんて危ない行動を朱夏がするわけもなく、紗理奈は不思議に思って崖を覗き込もうとする。けれども、その崖には突き刺さった『紗理奈』がまだそこにいるのだ。
偽物の朱夏は慌てた。
「な、何も見ていませんよ! 柵が壊れていたものでちょっと覗いていただけです!」
慌てて手のひらを体の前でひらひらとさせて見せるがその行動が逆に紗理奈の興味を引いてしまう。
「なにさー! 見せてよー!」
「や、やめましょうよ! 危ないです!」
「さっき朱夏っち、見てたじゃん!」
「さ、紗理奈。だめ! ダメですって!」
崖際でそんなやり取りを始める二人を海馬はため息交じりで見守っていた。
崖下に向かって垂れ下がっている柵は、崖上に残っている杭で落ちないままぶら下がっていた。残った杭の地面もひび割れていてちょっと触れただけでもいつ崩れるか分からない状態になっている。
偽物の朱夏はそれを見て目を細めた。
「じゃぁ、いいですよ! 見たらいいじゃないですか!」
いつもの朱夏なら言わないセリフを言いながら、地面のヒビの上にゆっくりと立つ。
「すねることないっしょ!」
紗理奈が朱夏に笑いかけながら崖の縁に立つと、見計らったように朱夏は壊れた柵に思いっきり寄り掛かった。てこの原理を使うように、紗理奈が立っている地面を根こそぎ崩すように、柵を斜めに倒す。
柵の杭は地面のヒビを大きくえぐった。
パキパキパキ……
「え!? 朱夏……?」
紗理奈は地面のひびがどんどん自分の足元を侵食していくのが見えた。それはまるで、朱夏が罠の稼働スイッチを押したかのように広がっていく。
「紗理奈、危ない!!!」
海馬がその様子に慌てて駆け寄ってくるが距離があり間に合わない。
そして、事態は偽物の朱夏の思惑以上の事が起きてしまった。
-ガコンッ!!!!ゴゴゴゴ……!!!
偽物の朱夏の思っていた以上の地割れが起こったのだ。
崖の端に立っていた二人の足元がガラリと崩れた。
「きゃぁあぁ!!!」
「うわぁぁぁ!!!」
紗理奈と朱夏は崖から頬りだされた。そして二人は目の前にぶら下がる木の柵にしがみついたのだ。
柵の杭は一番端の部分だけが地上に刺さっているが、紗理奈と朱夏がぶら下がったことでその杭もいつ外れるか分からない。
朱夏は上側に、そして紗理奈は大きく飛ばされたため柵の下側に、何とかしがみついている。
「い、いま! 今助ける!!!」
海馬は青ざめてそう言った。
「海馬……ちゃん!! ……今……朱夏っちが!! 朱夏っちのせいで!!」
紗理奈は朱夏が柵を使って地割れを起こしたのを見ていた。偽物の朱夏はその言葉を遮るようにわざと大きな声を出した。
「海馬……お兄ちゃん!! 助けて!!」
偽物の朱夏は潤んだ瞳で海馬を見上げた。
「海馬ちゃん! 今、朱夏っちがワザと地割れを起こした!!」
「そんなことありません!! わざとじゃないんです! お願いです。紗理奈の言う事を……信じないでください!!」
「……!?」
(やっぱり……やっぱりこの時、僕はこの発言を聞いていた。『普段の朱夏ならこんなこと言わない』と心のどこかで思っていたんだ。)
海馬は演じ続けながら自身の記憶をたどってそう思い、歯を食いしばった。この時、自分が朱夏の違和感に気が付いて偽物だと気づけば、この時どっちを先に助けるべきかは明確だっただろう。
「海馬ちゃん……早く……助けて!!」
「いえ、私の方が近いです……先に私を!!」
(普段ならきっと『紗理奈を先に助けてあげてください』とか言うに違いなかった……それなのに……)
ここまで演技をさせられて、海馬は鮮明に記憶がよみがえっていた。
(でも、この時僕はこう思ったんだ。……紗理奈のいる場所には手が届かない。だから……)
「紗理奈! 先に朱夏を助ける!」
「……え……?」
この時の絶望した紗理奈の顔は思い出すまでもなかった。海馬の脳裏にこびりついて離れない。絶望に満ちた紗理奈の顔。
(『先に朱夏を助けて……腰についている太いリボンを紐代わりにすれば紗理奈に届く』って、そう思ったんだ。偽物だとは知らずに……)
海馬は可能な限り急いで朱夏を引っ張り上げた。
木の柵はメキメキと音を立てていて、今すぐにでも壊れそうだと海馬は焦る。
そして、急いでリボンを奪い取るようにほどいて握れるほどの結び目をつくると海馬は走って崖に戻った。
「紗理奈!! お待たせ!! 今……たすけ……」
そこには、もう、紗理奈の姿は無かった。
「嘘だろ……」
(……っ!!)
この時の絶望は二度と経験したくない絶望だった。
捕まるのに耐えきれなくなったのか、柵が破損したのか……どの道、紗理奈はもう『落ちた後』だったのだ。
「さりなあああああああああああ!!!!」
海馬の悔しさに滲んだ声が辺り一面に木霊した。海馬はそのまま膝から崩れ落ちると頭を抱えた。
「海馬……おにいちゃん……私助けを呼んできます!」
そう言って偽物の朱夏は一目散に山を走り去る。
海馬の出番が終わると、海馬は上方に引っ張り上げられた。
けれども、劇は終わらなかった。
上方から海馬が見た物、それは崖下の川に流され、川下で転がる紗理奈と紗理奈だった。
朱夏を殺そうとしたあの偽物の紗理奈と、今海馬が助けることが出来なかった本物の紗理奈だ。
大きな穴が開いている紗理奈は本物を抱きかかえている。
(……やっぱり……おかしいよ。この劇には紗理奈と、朱夏が二人ずついるんだ。)
「紗理奈!!!」
すると、川のほとりに駆け寄ってくる一匹の狼が現れる。
この声に海馬は聞き覚えがある。
(……キング! もしかして、さっきの会話はキングが聞いてたのか?)
明らかに海馬でも朱夏でも紗理奈のでもない記憶が中間にあった謎が解けた。
あの日、キングは一部始終を森のどこかから見ていたのだ。
「紗理奈の形をした何かめ!!」
キングはそう言うと穴の開いた方の人形を蹴り捨てた。
「……」
けれども人形は何も話さない。
「その人形はもう……力尽きましたねぇ」
「人形!?」
気味の悪い声だった。
海馬は聞いたこともない初めての声に鳥肌を立てる。
けれども、海馬からはその人形は見えない位置にあったので風貌は解らなかった。
ねちっこいその声は聴いただけで嫌悪感を抱かせる。
「ぐっ……!! 貴様か!! この人形を使ってこんなことをしたのは!」
今にも噛みつきそうなキングはそのねちっこい声の主に牙をむく。
「襲っていいのでしょうか? その娘。もう直死んでしまいそうですよねぇ?」
「なっ!?」
キングは自分では手に負えない怪我を負っている紗理奈を見た。
「普通の病院でも死ぬでしょうねぇ。でも……組織に入れば助けてあげることが出来ますねぇ!!」
「組織……組織とはなんだ?」
キングは怪しい声の主が勧誘する怪しい組織への勧誘を警戒した。
「あなたに今、そんな事を迷っている暇はないはずですねぇ」
「本当に……助かるのだな?」
キングは静かにそう答えた。
「ええ。あなたと、そこのお嬢さん。二人共組織に入ってください。そうすれば、絶対に助けてあげますねぇ」
キングの手にいる紗理奈は息絶え絶えだった。
「紗理奈を……助けてくれ」
キングは頭を下げた。
「交渉……成立ですねぇ。まずは……この杯を飲んでいただきましょう」
「これは……嫌な……嫌なにおいがする」
キングは直感的にこれがヤバいものだと感じた。
「助けて欲しいのでしょう?」
「……ぐっ……。わかった。飲む」
キングは杯をいっきに飲み干した。
「ゴホッ!! ガハッ!!!」
呑んだ瞬間から体中から痛みが駆け巡る。あの強靭な肉体のキングでさえ痛みに悶えて転がった。
「グアアアアアアアアア!!!!!」
絶叫に近いキングの声が響き渡る。
「あなたが今飲んだのは……パラサイトです。よろしくお願いしますね。S-04さん。もう……逃げることはできませんよ。命令に背けば……アナタは死にます」
「アアアアアアア!!!」
「そんな事、聞く余裕などなさそうですね。さぁ、人形たちアジトへ運んでくださいねぇ」
そう言うと森からは大量の人形たちが出てくる。人形のカーペットに連れられて、謎の男と痛みに悶えるキングと怪我を負った紗理奈は運ばれて行くのだった。
(キング……紗理奈を助けるために組織に……)
あの組織はろくな組織ではない。
その後の人生がどれだけ悲惨だったか容易に想像できた。
3日前に命をかけて戦った狼に、海馬は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
(あの日、あの時僕が助けたのは偽物の朱夏だったんだ……。そして本物の紗理奈は落ちて組織に入会させられて……僕は……僕は……何をしているんだ……!?)
海馬は真実を知って愕然とした。
(しかも、そんなこと知らなかった僕はこの後……)
そう思うと海馬は吊るされていたステージ上方から降下を始める。
(……朱夏と大喧嘩をするんだ。)
画面は崖上の秘密基地へと戻っていた。
海馬は愕然としたまま崖の縁で崩れ落ちている。
後方からは朱夏と、朱夏のボディーガード達と海馬の両親だった。
「あ! 海馬お兄ちゃん!! 紗理奈は!?」
「……」
何もしゃべらない海馬に朱夏は駆け寄って崖下を覗いた。
「そんな……」
そこには『木に刺さった紗理奈』はもういない。
「何を白々しい」
海馬はとても冷たい声でそう言った。
「朱夏が落したって紗理奈が言ってたけど?」
紗理奈は柵に捕まりながら【今、朱夏っちがワザと地割れを起こした!!】と言っていた。海馬は朱夏が悪戯を仕掛けた結果大惨事になったと思っていた。取り返しのつかない大惨事になったと。
けれども、言われた朱夏はその言葉を違う風に捉えていた。
紗理奈に襲われて足にしがみつかれ、足を振ってしまった事を紗理奈から聞いたんだと思い込んでいる。
「!?」
だから朱夏はそう言われて俯いて何も言えなくなる。
その沈黙を肯定と海馬は捕えて感情が抑えきれなくなった。
「どうして!! どうしてこんな事に!?」
海馬は朱夏の肩を強く握って揺さぶった。朱夏は今にも泣きだしそうな顔をしている。言い合いは徐々にヒートアップしていった。
「そうです。私が落しました。けど……柵が壊れたのは私のせいじゃありません!」
「自分の過ちを柵のせいにするのか!?」
「そうじゃないけど……!! 私、紗理奈に死んでほしいなんて思っていません!!」
「けど、現実を見ろ!!」
「……」
「紗理奈は……もう……いないんだ……」
「っ……!!!!」
朱夏は海馬に握られている手を振り払った。
「海馬お兄ちゃん……本当に……紗理奈の事ばっかり……! 私の話も少しくらい信じてくれてもいいのに!! もう、大っ嫌い!!!」
本物の朱夏は紗理奈に襲われて、さらに海馬にも責められてもう、心身限界だった。
大声で泣きながら大人たちの脇を通り越して山を駆け下りていく。
「……大嫌い……か……」
海馬はポツリそうつぶやくと幕はゆっくりと閉じていった。
(知らなかった。あの時の朱夏と、もう一人の『人形』の朱夏が居たことなんて……全く知らなかった)
海馬の胸はずきんずきんと熱を帯びる。
「謝らなくちゃなぁ……。紗理奈にも……朱夏にも……」
海馬はポツリと独り言のようにつぶやくのだった。




