第29章 犠牲
連覇はカッチに歩かせるわけにもいかず、両手で人形を抱きかかえながら歩いていた。
「ごめん、カッチ。山に戻る前に一カ所だけ寄ってもいいかな?」
カッチは不思議そうに連覇を眺める。
「友達がね、ちょっと僕に聞きたいことがあるみたいでね?」
「え!? 友達がこちらにいらっしゃるんですか!?」
カッチは知らない人に会う事にちょっと抵抗があるようだった。
「大丈夫! 優しいお姉さんだから。ちゃんと紹介するよ!」
連覇が明るくそう言うと、カッチは不安そうにうなずいた。
「連覇君がそうおっしゃるなら……」
そんな話をしながら踏切を越え山の方へ向かって歩いていく。
そこには連覇がいつもラジオ体操をしている公園があった。
「……!! ここ……見たことがあります」
その発言に連覇はちょっと意外そうな顔をした。
「そうなの? カッチって山から出たことあったんだ!」
「い、いえ……私ではなくて……私に罪悪感を供給している人間の記憶だと思います」
カッチは自分でも驚きながらあたりをきょろきょろと見渡している。
「そう……確か……ここのベンチに『海馬お兄ちゃん』が座って……本を読んでいたんです」
そこは、子どもの頃に海馬がよく本を読んでいた公園だった。
「海馬お兄ちゃん? そう言えば、最初に会った時もカッチは海馬お兄ちゃんの事知ってたよね!」
連覇は山で転んだ時、カッチが自分に話しかけてきたときの事を思い出してそう言った。
『いま……海馬お兄ちゃんって言いました?』
あの時、確かに連覇はそう聞こえていた。
「ええ……。私……海馬お兄ちゃんに……酷いことをしてしまったので……」
「カッチが!?」
連覇は今のカッチが何か悪いことをする人形だとは思えなくて驚いた声を上げる。そんな連覇に困った様子でカッチは首を傾げた。
「わざとでは……無かったんです」
そうぽつりとつぶやいて、カッチは空を見上げた。
西日が照ってあたり一面が赤く染まっている。
連覇もつられて夕日を見た。
「東の空に……厚い雲がかかっていますね。明日には雨が降りそうです」
「そうなの!?」
「この辺りの雲の流れは大体わかるようになりました。空を眺めて過ごすことが多いので」
寂しい声に連覇の心にも厚い雲がかかったような気分になった。
そんな時、聞き覚えのある明るい声がこっちに近づいてきた。
「おおーい! 連覇くーん!!」
「あ! 心琴おねえちゃんだ! あれ? 桃お姉ちゃんもいる! やっほー! こっちこっち!」
「!!」
カッチは初めて見る女の子に身構えた。
「こんな時間にごめんね!」
「ちょっとぉ、話が聞きたくってぇ! キャハッ!」
心琴は謝りながら近づいて来てすぐに連覇の手元に視線が向く。
「か、か、可愛い!! 何このお人形!」
「連覇君、良い趣味してるじゃなぁい!」
心琴も桃も可愛いものが大好きだ。すぐ様近づいて、メロメロになった。
「は、初めまして!」
カッチは勇気を出して挨拶した。
「!?」
桃はすぐさま目を見開いて3歩後ずさり戦闘態勢をとった。
「凄い凄い! 話せるんだ! どこから声を出してるの? 背中にスイッチが付いてるの?」
けれども、桃とは違い呑気な心琴は機械仕掛けのお人形か何かと勘違いしてそんなお気楽な返事を返す。
「違うよ、心琴お姉ちゃん。カッチは凄いんだよ! 自分で動けるし話せるんだ!」
「へ?」
心琴は一瞬意味がわからずキョトンとした。連覇は自分の言ったことを証明するためにカッチを地面に立たせた。
「初めまして。その、カッチと呼んで頂いてます」
そう言ってお辞儀をして見せると心琴の顔が一気に凍りついた。
「ひぃえええ!!!」
心琴はようやく目の前で動く人形がおもちゃじゃない事に気がついて尻餅をついた。
「こ、こ、こ、これ。機械じゃないの?」
「これじゃない。カッチだってば! そう言う反応しないであげてよ! カッチ可哀想だよ」
連覇に言われて心琴がカッチを見ると確かにしょんぼりとした様子で佇んでいた。
「ご、ごめんね? 傷つけたかな? でも、ちょっと頭を整理させて」
「無理もないですね。私、人形ですから」
寂しそうな声に心琴は自分がどうするべきか悩んだ。けれども、心琴はいつだって可哀想だと思ったら手を差し伸べる。今だってその行動理念に偽りはなかった。
「いや、確かに驚いたよ。でも、すごいね! 私動く人形なんて初めてみたからさ! さっきはコレとか言ってごめんなさい」
心琴はカッチに向かってすっと手を差し出した。
「え!?」
「私、心琴! よろしくの握手だよ!」
笑顔でそう言う心琴にカッチは戸惑いながらも手を握り返した。
「こちらこそ、よろしくお願い申し上げます! 心琴さん!」
すると、その時だった。
今まで事の異常さについていけず、3歩下がったところから見ていた桃はあたりを見渡す。何かドス黒い力が当たりを包み込むように充満し始めている事に桃だけが気づいた。
「ねぇ。心琴ちゃん? なんだろうこの感じ? もしかしてぇ……?」
桃は静かに目を瞑り手を付きだして感覚を研ぎ澄ます。
すると、ボンヤリとパラサイトの力を感じたのだった。ドス黒い力はどんどんとそのパラサイトに引き寄せられているようだった。
目を開くと、パラサイトを感じたそこには、動く奇妙な人形が大事な友達と握手を交わしている。
桃は叫んだ。
「心琴ちゃん!! その人形から離れて!!」
「へ?」
「そいつは……」
その時だった。
「あ……あ……あああああ……あああああ……!!」
突然、カッチが壊れたように叫び始める。
カタカタと心琴と握手を交わしている手の関節が小刻みに音を立てた。
「へ? ……な、なに……?」
「カッチ……? どうしたの!?」
先程まで上品にしていた人形が突然叫び始め、心琴はその様子が怖くてどうしたらいいのか分からなかった。
「心琴ちゃん! 早く手を離して!」
桃が大きな声で心琴に呼びかける。けれども、すでに遅かった。
「う……力が……力が強くて手が離れない!! 痛い!! 離して!!」
「カッチ離してあげて!! ねぇ!!」
連覇が心琴の手とカッチの手を離そうと引っ張るがびくともしない。
その様子を見かねて桃が駆け寄ってきてカッチを抱きかかえた。
「連覇君は心琴ちゃんを引っ張ってぇ! キャハッ!」
「解った!!」
連覇はそう言うと、心琴の腕を握った。心琴も心琴で足を踏ん張る。
「行くよ!! せーのっ!」
「えええええい!!!」
桃と連覇は精一杯引っ張るが心琴の腕からカッチが外れる様子はない。
「痛い!! いたいよ!!」
痛みに耐えかねて心琴が叫び、桃も、連覇も引っ張る手を少し緩めた。
「ああぁぁああぁぁあああぁぁあああああああああああ!!!!」
カッチの叫び声がどんどんと大きくなってきている。
「ねぇ、カッチ!! どうしたの!? ねぇってば!!」
連覇はその間もカッチに呼びかけている。
「こうなったら仕方がない!!」
そう言うと、桃の手から静電気ボールが出てくる。連覇はそれを見て桃が何をしようとしているか察知する。
「だ、ダメ!! カッチを傷つけないで!!」
連覇は桃を一生懸命止めようと立ちはだかった。
「でも、このままじゃ心琴ちゃんがぁ!! ……ごめん! 強行するよぉ!」
「やめてえ!!」
連覇は桃を止めようと突っ込んできたが、桃はそんな連覇をひょいと飛び越えて心琴の手を握っているカッチの手をめがけて静電気ボールを打ち込んだ。
パキッ!!!
固い陶器がひび割れる音がした。
それと同時に手首の球体関節は外れ、心琴の手にカッチの手がぶら下がったまま解放された。
心琴は自分の手にぶら下がったカッチの手を慌てて外すと地面に投げ捨てる。心琴の腕には人形の手形がくっきりと分かるように赤くはれている。
「い……痛かった……桃、ありがとう」
心琴が自分の腕を見たままお礼を言うと、桃から返ってきた声はいつもの明るいそれではなかった。
「や……ばい……」
「へ?」
慌てて顔を上げると、カッチの壊れた手首からどす黒いモヤのようなものが噴出され、桃とカッチを取り囲んで渦を巻いている。その異常さを感じて心琴は桃に叫んだ。
「桃!? もも! 早くそこから逃げて!!!」
「で……きな……い……何……これぇ……?!」
桃の足はガタガタと震え恐怖に動けなくなっていた。黒いモヤはどんどんと桃を取り囲んでいく。そのモヤは見る見るうちに実体化して黒い壁のようになっていった。
「桃!?」
「桃おねえちゃん!?」
足元から順に桃が覆われていく。心琴は慌てて駆け寄り手を伸ばした。
「捕まって!!!」
桃は心琴が必死で駆け寄ってきている方に手を向けた。
その手を心琴が掴もうとした、その時……。
バチン!!
大きな音を立てて心琴の手に静電気が破裂した。
心琴はあまりの痛さに後ずさってしまった。
「キャッ!!」
「来ちゃ……だめ……! 心琴ちゃんまで……取り込まれる……!!」
必死に桃が声を振り絞っている。桃は心琴が巻き込まれるのを避けるために心琴に静電気を放ったのだった。
「桃!? もも!!!」
心琴は慌てて桃に近寄ろうとするが、あっという間に桃の手は黒い壁に覆われてしまう。もう、引っ張る事は難しそうだった。
「ど、どうしよう!! 手が!!」
心琴はそれでも何とかしようと壁の方に駆け寄って黒い壁をドンドンと叩いた。けれども、その壁はまるでびくともしない。それどころかどんどんと山なりに大きくなっているのが見える。黒いモヤは電柱程の大きな何かを形作ろうとしていた。
「心琴ちゃん……聞いて……!」
「桃!! もも!!!」
胸まで黒いモヤに包まれてしまった桃は、心琴に懸命に話しかけるが心琴は錯乱しながら桃の名前を呼んでいる。桃は声を荒げた。
「心琴ちゃん!! 時間がないのぉ! 落ち着いて聞いてぇ!!!」
「あ……」
その必死な声に心琴は桃の顔を見る。
あっという間に増え続ける黒いモヤのせいで、そこにはもう、首から上が若干見えるだけの桃が居た。
「声が聞こえるのぉ……すぐにぃ……朱夏ちゃんをぉ……たすけに……行ってあげて……! キャハッ!」
最後の最後で桃はいつも通りに笑って見せる。
精一杯の笑顔は、その言葉を最後に黒い壁に覆われて見えなくなってしまった。
「もも!!! ももおおおお!!」
心琴は必死に壁を殴り続ける。
けれども、黒い壁は上に向かって伸び続けるばかりで桃の声はもう、聞こえることは無かった。
「心琴おねえちゃん!!!」
連覇は錯乱する心琴の手を引っ張って黒い壁から引き離す。
「おねえちゃん!! しっかり!!」
「ふえええ……!! だって……もも……ももがぁ……!!!」
目の前で友達が取り込まれていくのを止めることが出来なかった心琴はボロボロと泣いている。
「おねえちゃん!!」
「ふえええええ……!!!」
けれども、心琴は泣きじゃくる。そんな、心琴の目の前に立って連覇は大きな声でこう言った。
「お姉ちゃんがしっかりしなきゃ!! もしかしたらまだ、助かるかもしれないのに諦めるの!?」
「!!」
その言葉に心琴はハッとした。まだ、助かる可能性を心琴は信じずに諦めてしまっていた。
「泣きたいのは……連覇だって……一緒だよぉ!! うわぁぁぁん!!」
そう言うと今度は連覇が泣き出してしまった。
心琴は泣きじゃくる連覇を見て冷静になっていく。
そして、連覇をそっと抱きしめた。
「ごめん……そうだよね……! 私が……助けなきゃ!!」
上を見上げると壁はどんどん大きくなっている。このままでは絶対にまずかった。
「桃が……最後に言ってた。朱夏ちゃんを……助けてって……!! どうしてかは分からないけど……行ってみよう! 朱夏ちゃんの家に皆が寝てるはずだよ!」
心琴は涙をぬぐって泣いている連覇の手を強く握った。
「うん。……カッチ……待っててね!!」
連覇は後ろを一回だけ見ると心琴に手を引かれながら朱夏の家に向かって走っていくのだった。