第17章 電話
一方、田舎町の踏切を越えた先。
心琴は朱夏の豪邸へ全力で走っていた。
「三上!!」
心琴が朱夏の家に着くと、三上は角田と共に車に乗り込むところだった。
「あ! お団子頭!!」
「角田さん!! 三上、私も連れて行ってください!!」
心琴は頭を下げた。けれども三上はゆっくりとドアを閉める。
そして窓だけ開けてこう告げた。
「だめです。連覇様の話から察するにキングや紗理奈もいます」
「ああ。絶対お嬢様を連れてくる。だから、心配すんな」
運転席の角田も心琴を安心させようと力強くそう言った。けれども、心琴の気は収まるはずがなく真剣な顔でさらに頼み込んだ。
「でも! ……微力かも知れないけど私も手伝わせて下さい!」
心琴は自分のお腹が見えるほど誠心誠意頭を下げる。
それでも、三上が車に心琴を迎え入れてくれることは無かった。
「無理です。あなたを守りながら戦える相手ではありません。それに、この車には今、私と角田が乗っています。後ろのシートを倒して、倒れている人を寝かせるつもりなので。人数的にも厳しいです」
「そう言うこった。大人しくお留守番しとけ!」
心琴は、大人二人、しかもプロのボディーガードからすると足手まといにしかならない事を察知して、これ以上食い下がるのを止めた。車から二歩下がると心琴は悔しそうな表情のまま顔を上げた。
「じゃ……じゃぁ、私ここで待ってます! 絶対に無事に帰ってきてください!」
三上もこの間の事件でキングと戦い負傷しているはずだった。それでも、三上はそんな様子を微塵も見せないまま心琴に笑いかける。
「……ええ! 行ってきます」
「じゃぁ、またな!」
それだけ言い残すと白いワゴン車は山道への入口に向かって走っていくのだった。
心琴は何もできない事に唇をかみしめてその車を見守る。車が見えなくなると、ゆっくりと入り口の柵に寄り掛かった。
「皆んな、無事だと良いんだけど」
ポツリとそう呟いた途端に心琴の心は冷え切った。お腹に重たい物がのしかかるような気持ちに思わずその場でうずくまる。
「……何も出来ないなんて悔しいよ」
三上たちの乗った車はもう見えない。
「……私……。今の三上のようになりたいな」
強く、賢く、そして勇敢に守るべきものを守るために怪我した体でも全く怯まずに戦地へとおもむいていった。
(人って変われるんだな)
心琴は忘れもしないあの日の三上と今の三上を比べてそう思った。あの時、自分達を撃ち殺そうとした三上を最後まで許せずにいたのは心琴だ。しかし、悔い改めて自分のすべきことを一生懸命にこなしている。
「皆を笑顔にする……そして……皆を守れる仕事……」
心琴の頭にはまだはっきりとした職業の名前などない。
「ボディーガード……は私にはちょっと無理かな?強くないし……」
自分の駄肉が揺れる二の腕を見て心琴はふぅっと息をついた。
「じゃぁ……どうやって皆を守ればいいのかなぁ?そもそも、強くないのに守れるのかな?」
だんだん自分には何もできないような気持ちになっていく。自分一人だけなんの取柄も長所もないような気分だ。気が付くと心琴の心は不安で埋め尽くされてしまっていた。
「……あ……あれ?」
気が付くと心琴の目から涙が出ていた。
涙は頬を伝ってアスファルトにぽたりと落ちる。
涙の落ちたアスファルトは濡れて黒い丸の跡を残した。
次第にその黒い丸は増えていく。
心琴は膝を抱え込んでその場に座り込んだ。
「……また……鷲一に泣き虫って笑われちゃうね……」
今日は日曜日だというのに、鷲一にまだ一度も会えてもいないし連絡も取れていない。
事情は聞いていて、会えないのも忙しいのも知っていた。
だから、我慢をしようと思っていたのに……。
「鷲一に……会いたいな……」
ポツリとそうつぶやいた。
当然のことながら、辺りには誰一人いない。
けれども、そんな時に、いつものあの音が鳴り響いて心琴はハッと顔を上げた。
―ペポンペポン
それは心琴のスマホからだった。
「うそ……!? 鷲一……? 電話だ……」
心琴の思いが通じたのか、鷲一からの電話が鳴り響く。心琴は慌てて涙をぬぐってから電話に出た。
「も……もしもし……?」
なるべく普通を装いながら電話に出る。
「よぉ。どうした?」
電話口から急にそう聞かれて心琴は慌てた。ピンポイントな鷲一の発言に自分が見られているのではないかと思い、あたりを見回してみるが周りにはやはり誰もいない。
「え!? えっと……な、何が?」
「いや……その。事務所来たって聞いたから」
鷲一は心琴を踏切で見かけたことは言えずにそう言った。本音を言うと思いつめていた心琴の顔が頭から離れずに心配になり昼休み電話をかけてきたのだ。
「あ、ああ!! そうそう! 鷲一が働いている所を見て見たかったの……」
「??」
ぎこちない様子の心琴に鷲一は首を傾げた。やはり、いつもよりも元気がないような気がしてならない。
「……なぁ」
「へ?」
鷲一の声は普段よりも重たかった。心琴は真剣な様子の鷲一の声にちょっとだけ驚いた。
「隠し事はやめようぜ? 相談、ちゃんとのるからさ?」
「え!? え!? か、隠し事?」
心琴は何も隠しているつもりはない。けれども、自分は今泣いていて、それを隠そうとしているのは隠し事の中に入るのかもしれないと心琴の中で小さな罪悪感が生まれた。
「なんか、悩んでるんだろ? 俺じゃ力になれないかもしれないけど……話くらい聞かせてくれないと俺ちょっと寂しくなるぞ?」
鷲一の優しい言葉に心琴は心が軽くなる。心琴は自分の心を素直に話始めた。
「……そっか。ごめん。隠すつもりは無いんだけど……。今ね、ちょっと挫けそうなの」
しょんぼりとした声が自然と出る。
「挫けそう? どうしてだ?」
「……私ね。自分が何一つできないダメな人間だって感じちゃって……。鷲一みたく絵が上手いわけでもない。海馬さんのように頭がいいわけでもない。朱夏ちゃんのようにしっかりもしていない。私だけ……何の取柄がない」
心琴はありのままの心境を鷲一に話しする。
「……はぁ?」
それを聞いた鷲一からはすこし怒った声色が帰ってきて、心琴は慌てた。
「あ、いや! ……ごめん。今更だよね」
怒られて心琴はしょんぼりとした。鷲一と出会ってからずっと心琴には取り柄がない。いまさらそんなことで落ち込んでいること自体がおかしいのかもしれないと心琴は思った。けれども、鷲一が怒っているのはそんな事ではなかった。
「いや……心琴、それ本気で言ってるのか?」
「……うん」
心琴はしょんぼりとそう答えると鷲一のため息が電話越しに聞こえてきた。
「……お前が居なかったら田舎町の人は全員死んでるんだぞ?」
「……へ?」
「3回も組織からこの町を守ってる。そうだろ……?」
1回目は【脱線事故事件】で事故で死ぬはずだった50人近い人を、2回目は町全体の人間が【幽体離脱事件】で魂を切られそうになったところを、そして3回目は【人類犬化事件】で、人々が犬に食い殺されたり犬になるのを防いだ事を鷲一は言っている。
そう言われても心琴は町の人を守った意識はほとんどない。それに、自分自身の力と言うより周りの人間が助けてくれて何とかなっただけの事だった。
「でも……それは私じゃなくて鷲一や海馬さん、朱夏ちゃんが居たからだし……」
結局は自分に取柄がない事に変わりはなかった。
「それじゃダメなのか?」
「……え?」
思ってもみない言葉に心琴は目をぱちくりさせた。
鷲一の優しい声が心琴を包む。
「俺さ……心琴は人を惹きつける明るさがあるって思ってるんだ。辛い時も笑顔で、誰も傷つけないように人を責めない。まぁ、それが良い時と悪い時があるかもしれないが」
「そ……そんなこと誰でもできるよ」
心琴は褒められて少し照れた様子で言葉を返す。
「心琴は当たり前のようにやってのけるけど、俺にはそんな風にずっと笑ってられない。明るくなんていられないぞ」
「……」
「……その笑顔は心琴が知らないうちに周りの人間を元気にしてるんだ。皆心琴の素直な笑顔に救われてると思う。だから、お前の周りには友達がいっぱいいるだろ?……それって、実はすごい事なんだぞ」
「……鷲一!!」
鷲一の言葉に心琴の胸はポカポカと温かい気持ちになった。こぼれ出ていた涙がようく止まった。
「もっと自信を持てよ! 特技があるだけがすごいって事じゃねぇぞ?」
「……うん! ありがとう!!」
ようやく戻ってきた明るい心琴の声を聴いて鷲一はちょっとだけ息をついた。
「ったく、心配するっての……」
「え?」
心から安堵したような声に心琴はキョトンとしたが鷲一はすぐにいつもの様子に戻った。
「あ、いや。なんでもねぇよ。俺、心琴の事を応援するから元気出せよ?」
「鷲一!! ありがとう! 私、元気出た!」
心琴は鷲一の言葉に笑顔になるのだった。
「じゃぁ、俺もう、仕事戻らなきゃいけないから、またな!」
昼休みの時間が終わりを迎えて鷲一は慌てて電話ん切ろうとすると心琴は慌てた。
まだ鷲一に3人が倒れて目を覚さない事を伝えていない。
「あ、待って! まだ話しが……!!」
「悪りぃ! 時間なんだ! またな!」
そう言って、鷲一は電話をブツっと切った。
気分を沈めていた一番の理由を言いそびれてしまい心琴は困った顔をした。
一瞬、電話をかけなおそうかと思ったが、どう考えても出ることが難しそうな雰囲気に諦めざるを得なかった。
「忙しい中、電話をかけて来てくれたんだよね。我儘は言えないっか……3人の件は、LIVEのチャットに書き残しておくしかないかな?」
ポチポチと心琴はグループチャットに連絡を入れた。
『海馬さん、朱夏ちゃん、エリ、秘密基地で倒れ、現在、三上と角田が救出へ移動中だよ』
そこまで入力して、心琴は大きなため息をついた。
「こう言う時こそ、本当は傍にいて欲しいのにな……」
心琴は寂しく笑って、朱夏の家の前で三上と角田の帰りを待つのだった。