第15章 【演目:出会い】
朱夏と紗理奈が主役を務める記憶劇場は、出演者の意図とは関係なく勝手に進行していった。開幕の踊りが終わると第一章が幕を開ける。
『むかし、むかしあるところに。田舎町と言う小さな町がありました。今では都市開発されて綺麗な街並みのこの町も、17年前は空き地が目立つ田舎町と言う名にふさわしい町でした』
先程、客に向けて意気揚々と話をしていた時とは違い、男の子の声は静かにナレーションを始めた。
『そこには昔から早乙女家が暮らしていました。由緒正しいその家に念願の子供が生まれたのはその頃の事です。名前は朱夏と名付けられました。』
(え? わ、私の話です。どうして私の名前を、生誕を、知ってるのでしょうか?)
朱夏は自分の生誕をナレーションされて心底驚いた。生まれも育ちも確かにこの田舎町だった。けれどもこの声の主にそんな話をした覚えは無い。更に言うとこの声の主に心当たりさえなかった。
『そして、その少女の家の3軒隣に引っ越してきた家族がいました。都市開発に当たり、土木関係の仕事をする父の勤め先がこの田舎町に決まったからでした。その家には当時2才の少女が居ました。名前を紗理奈と言いました。』
今度は紗理奈の話がナレーションで響き渡る。
(しかも、紗理奈の事まで。もう、訳がわかりません!)
吊り下げられたまま、朱夏の頭は混乱する。
『狭い田舎町。数年後、年齢の近い少女達が友達になるのは必然だったのかもしれません。』
ナレーションが終わると、背景の絵が勝手に公園の絵に変わる。朱夏の体が勝手に動き出すと、体は紗理奈の方を向いた。先に声を出したのは紗理奈だ。
「ねぇ、ねぇ? あなた、お名前なぁに?」
紗理奈は子供のような口調で朱夏に聞いてきた。
きっと自分の意思とは関係の無い「セリフ」なのだろう。現在とのギャップが激しくて内心で朱夏はクスリと笑った。
けれども、笑ってなどいられない事をすぐに思い知らされる。
「しゅかちゃんだよ! おねぇたんは?」
紗理奈が子供言葉だと言う事は朱夏もまた子供言葉だ。しかも、紗理奈より朱夏は2歳年下。紗理奈よりも幼い話し言葉に朱夏の顔から火が出る。
(や、や、やめてください!! は、恥ずかしいです! 誰ですか、こんな事をさせるのは!!)
心の中で慌てふためくが、陶器の人形は表情一つ変わらない。人形たちは何喰わない顔で劇を続けている。
「わたしは紗理奈! すぐそこの家なの!」
「しゅかちゃんはあっち!」
「わぁ! 近いね! 友達になろう?」
「うん! いいよ!」
その言葉を口にして朱夏の心は締め付けられた。
(友達……)
そう。朱夏と紗理奈はとても仲の良い幼馴染みだった。その事を思い出して、朱夏は悲しい気持ちになった。
【死んで……】
脳裏には、つい先日紗理奈に言われた言葉がよぎった。
(どうしてこんな事になってしまったのかしら……)
目の前で笑っている紗理奈の本心はまるで分からない。事件当日の紗理奈からはただただ剥き出しの殺意しか感じ取れなかった。そんな事を考えているとふと上の方から海馬が降りてきた。ステージの端で座っているような恰好をさせられている。
再びナレーションが入った。
『ある日、そんな2人は年の近い男の子を見かけます。男の子はいつもいつも本を読んでばかりでした。』
紗理奈が一歩前へ出ると、カチャカチャと球体の関節が音を立てた。
朱夏も紗理奈に続いて海馬の方へ向かう。
「あの子、もしかして、友達いないのかな?」
「可哀想。声をかけよう!」
そう言うと、朱夏と紗理奈は海馬へと近づいていく。
「あなたはだぁれ?」
「……」
「どこから来たの?」
「……」
「何をしてるの??」
「……」
けれども、海馬は無視を決め込んでいる。
何一つ返事をしてくれなくて、紗理奈と朱夏は顔を見合わせる。
「もう! あの子何も話をしてくれない!」
紗理奈は憤慨した様子で朱夏に言う。
「あの、おにいたん、感じ悪い!」
朱夏も不満げにセリフを口にする。
(ふふっ……そうでした。最初の頃、海馬お兄ちゃんは全く話をしてくれない男の子でした)
朱夏は自分でさえ記憶にないような懐かしい思い出に、優しい気持ちになった。
(でも……そう言えばどうやって仲良くなったんでしたっけ?)
ふとそんな疑問が沸き起こる。
『しばらくそうやって月日が経過しました。毎日のように公園にいる女の子二人と男の子はそれでも、話をしたことがありませんでした。けれども、ある日、ちょっとした事件が起こります。』
ナレーションが辺りに響くと、意外な事にキングが降りてきた。
(え……? キング……!?)
朱夏は心底驚いた。朱夏は一度だって狼に出くわしたことは無いと思っていた。
「くぅぅぅん……」
犬の人形のキングは切ない声で鳴いた。
「おねえたん! 来て! このわんちゃん……怪我してるの」
「本当だ! 足の裏にガラスが刺さってる!」
朱夏はその言葉に驚いた。このシーンは記憶にうっすらと残っている。
(ま……まさか……あの時にいた子犬って……キングだったのですか? ……確か、この子犬は紗理奈の家で飼う事になったんですよね。)
白い毛並みの耳が尖った子犬だ。確かに言われてみれば、体格も普通の子犬よりも大きかったのかもしれないが、子供の頃にはそんなことは分からない。紗理奈と朱夏は小さなキングを抱きかかえた。
「くぅぅん……」
「可哀そう……」
「血が出てるよ」
すると、数週間沈黙を続けていた海馬がその様子に気が付いて近づいてきた。
「……見せて」
それだけを言うと海馬は手を伸ばす。
「え?」
「犬の怪我、見せて?」
「……うん」
紗理奈と朱夏は顔を見合わせてキングを海馬に渡した。
(そうだ、思い出しました! あの日、海馬君が鞄から救急セットを出してきてテキパキと怪我の手当てをしてくれたんです。)
人形劇では救急セットなどの小道具は無いが、朱夏は鮮明にその時を思い出していた。鞄から、小さな子供用の救急セットを開いたと思ったらピンセットでガラスを抜き取り、消毒液を掛けて包帯を巻いた。
朱夏は素直にすごいと感心した……と思う。本当の所はよく覚えてはいないのだ。
(どうして、私の覚えていない事まで劇にできるのでしょう?)
もし仮に他の人に話を聞いて作った劇だとしてもここまで詳しく再現できるとは思えなかった。
(だれかの『記憶』を再現している『劇場』……。だから『記憶劇場』というのかもしれませんね)
朱夏がそんな事を考えていると海馬が手当てを終えて立ち上がる。
「はい。治療完了」
ボソッとだけそう言うと、海馬は元の場所に戻ろうとする。
けれども、それを紗理奈が引き留めた。
「ありがとう!! ねぇ、名前くらい教えてよ?」
手を引っ張られて男の子はちょっとだけ振り向いた。
「……海馬」
ぼそりとそっぽを向きながら海馬はようやく自分の名前を教えてくれる。
「かいば……おにいたん? ふふっ! かいばおにいたん!」
「お兄ちゃんじゃないし。本読むのに邪魔だから向こうに行ってよ」
海馬の声は鬱陶しそうだった。けれども、朱夏も紗理奈も気にせずに海馬に付きまとったのだ。
「本? 何の本読んでるの?」
紗理奈がベンチの隣に勝手に座る。
「今日は……シートン動物記って本」
海馬もしぶしぶとだが、教えてくれる。その手には分厚い本が握られていた。
「難しいの読んでるんだね」
「ちょっと、難しすぎたかな……図書室にあったから借りてきたんだけど。難しすぎてわかんない」
口をとがらせて海馬がそう言う。紗理奈と朱夏は顔を見合わせてにやりと笑った。
「あはは! 何それ! じゃぁさ、今日は本読むのやめて一緒に遊ぼうよ!」
「え!?」
紗理奈に手を引かれて半ば強引にベンチから立たされる。海馬を逃がさないようにもう片方の手を朱夏が握った。
「かいばおにいたん遊ぼ! しゅかちゃん、かくれんぼがいい!」
「えぇ!?」
「海馬ちゃんが鬼ね! 私達隠れるから! 10数えてね!」
驚く海馬を余所にどんどん強引な女の子たちは話を進めた。
「ちょ、ちょっと!? 誰もやるって言ってないんだけど!」
「おにいたん……かくれんぼ……きらい?」
「い、いや……そもそもそういうの、やった事ない……」
海馬は困った顔で二人を見る。友人と遊ぶことをひたすら拒否していた本の虫は、同世代の友達と当たり前にやる遊びでさえほとんどしたことがなかった。
「え!? 絶対楽しいよ! やってみようよ!」
「……うーん。わかった。つまらなかったら止めればいいっか」
強引な二人に根負けしてとうとう海馬が折れた。
(でも、この時の海馬君、決して嫌な顔はしていなかったんですよね)
朱夏は心の中でにっこりとほほ笑んだ。
今なら素直になれなかっただけの小さな男の子の気持ちが分かる。
きっと毎日遊びに来る紗理奈と朱夏の事を横目で見ていたに違いない。
「決まりだね! じゃぁ、目を隠して10秒数えてね? 私達は公園のどこかに隠れるよ!」
「ルールは解るって。参加しようと思ったことがなかっただけだ」
「え!? ……やっぱり友達いないんだ!」
「う、うるさいなぁ……」
唇とをがらせてむくれる海馬を紗理奈は今と変わらない調子でからかう。
それから一息ついてからこう言った。
「じゃぁ、私たちが友達になってあげるよ!」
「かいばおにいたん友達!」
「え……?」
今まで海馬の周りにいた同世代の子は「あっちいけ」をするとすぐに去って行った。それからは海馬など見向きもしなくなる。けれども、この女の子たちはしつこく付きまとって来るのだ。それから、ちょっとだけ笑って見せた。
「……まぁ……勝手にそう思っててくれてもいいよ」
「うっわ! 素直じゃない!」
「すなおじゃない」
肩をすくめて海馬は歩き出す。向かう先は朱夏と紗理奈がいつもかくれんぼをする時に顔を隠す大きな樹だ。その様子に二人はクスッと笑った。二人の様子を普段から見ていなければ、どこで数を数えているかなんて分かるはずがないからだ。
「いいから! ほら、10秒数えるんだよね?隠れて隠れて!」
「うん! 負けないぞ!!」
「しゅかちゃんもがんばぅ!」
「ワン!」
4人が元気な声を上げるとステージの幕はゆっくりと閉じていく。
『こうして3人と一匹は出会い、仲のいい幼少期を過ごすのであった。』
最後にナレーションが一声響くと幕は完全に閉まり切るのだった。