第12章 親と子
商店街から駅に向かう道を心琴と三上はたくさんの買い物袋を抱えながら、朱夏の家に帰るために歩いていた。
「商店街にあんな雑貨店があるなんて知らなかった!」
三上御用達の雑貨店にはガラスで出来た実験道具が置かれている場所があり、三上はそれらを一つ一つ丁寧に新聞紙で包んでから袋へ詰めた。その山盛りの荷物を大事そうに抱えながら心琴は笑っている。
「ええ。珍しいですよね。直ぐに購入出来るので助かっています」
「ネットだと数日かかるもんね。田舎だし」
笑いながら心琴がそう言う。
手には理科の実験でしか使ったことが無いような道具が沢山あった。
「それにしても、心琴さん? 『ビーカー』と『メスシリンダー』の違いも分からないとはちょっと勉強を蔑ろにし過ぎじゃないですか?」
「あ……あはは。だって値札に名前が書いてなかったんだもん」
先程、『ビーカー』を探してと言われて『メスシリンダー』を持って来た心琴に、三上は苦言を呈した。
「ですが、流石にビーカーは小学生でも知っていますよ? 社会人になれば、義務教育で習ったことは当たり前の知識として扱われます。どの仕事に就くにしろ勉強はしておく事をお勧めします」
「あ……あはは。頑張ってみるよ」
先程の進路相談の続きがてら指摘を受けた心琴は苦笑いしながらそう答えた。
そんな2人が駅の横の踏切を渡ろうと歩みを進めていると、正面から女性が駆け寄ってきた。
30代後半くらいのその女性に心琴は見覚えがある。
女性はすがるような目でこちらを見ると息を切らせて近づいてきた。
「あ、あなたは! 確か、連覇と仲がいい高校生の……」
「私、心琴です。連覇君のママさん……でしたよね?」
心琴は驚きながら聞き返した。普段、身なりのしっかりとしているその女性とは思えないほど取り乱し慌てふためいている。
「あの、連覇を……連覇を見ませんでしたか?」
「え?」
心琴は思わず三上の方を見る。けれども、三上も困った顔で首を左右に振った。
「連覇君、いないんですか?」
「ええ。今朝、ラジオ体操があるって言って聞かなくて……。朝早くに出て行ったっきり帰ってこないんです」
連覇のママは心配そうにそう言った。自分の息子がいなくなれば誰だって心配になるだろう。
「そういえば……今朝方、エリ様が走って外へ出ていく姿を見かけました。もしかしたら遊びに行っているのかもしれません」
三上は今朝、急いで外へ飛び出して行ったエリの姿を思い描く。エリもラジオ体操と同じくらいの時間に外に出て行った。昼前の今なら公園で遊んでいても不思議な時間帯ではなかった。
けれども連覇のママはそれでも左右に首を振る。
「いえ、それでも、今日は日曜日です。だから、8時には一度帰ってくるはずなんです」
「どうしてですか?」
随分と断言をする連覇ママの発言に心琴が首をかしげた。
「今日は……あの子が大好きな五芒星レンジャーの日なんです。8時には絶対に帰るって連覇も言っていました。今まで一度だって見逃したこと無いのに」
心琴が腕時計を見るともはや10時を過ぎていた。あのレンジャー大好き少年が五芒星レンジャーを見逃すなんて心琴も信じられない気持ちになる。
「……心配ですね」
「うん、どこに行ったのかな?」
心琴も三上も眉を顰めた。けれども、助力したくても残念ながら情報が何一つない。
「私たちも見かけたら帰るように伝えておきます」
「ええ。お願いします」
連覇ママは一礼してそう言うと別の場所を探しに駆けていくのだった。
「連覇君は心配だけど、まずはこの荷物を置きに行こう」
「ええ。探すにしてもそれからですね」
走り去る連覇ママの背中を見届けてから二人は再び歩き始めた。
踏切からまっすぐに山の方へ歩いていくと、そこは朱夏のお屋敷だ。
「今、鍵を開けますね。少々お待ちください」
三上が荷物を降ろして鍵をポケットから探っていると後ろから大きな声がした。
「あ!! 心琴お姉ちゃん!!!」
後ろを振り返ると全身泥だらけで膝から血を流している連覇がいた。明らかに何かがあったのが分かる風貌に心琴も三上も慌てて駆け寄った。
「連覇君!? どうしたの!?」
「助けて!! お願い!! エリたちを助けて!!」
心琴を見るなり連覇は声の限り叫んだ。その言葉にとても嫌な予感しかせずに心琴は嫌な汗が背中に流れるのを感じた。
「何があったの!?」
連覇は心琴に抱きついて助けを求めた。
「エリが! エリが倒れて動かないんだ!」
「何ですって!? エリ様が!?」
三上は口に手を当てて驚いた。けれども、事態はもっともっと深刻だ。
「エリだけじゃない。海馬お兄ちゃんと朱夏お姉ちゃん……それに知らない三つ編みのお姉ちゃんと白い狼も。皆倒れて動かなくなっちゃったんだ!! ふぇぇぇん!!」
とうとう堪えきれなくなった涙がボロボロと連覇の目からこぼれ落ちた。その言葉の意味を心琴と三上は瞬時に理解する。
エリと海馬と朱夏が紗理奈とキングに襲われたのだと。
心琴が三上を見ると絶望に満ちた青ざめた顔をしている。目の前には泣きじゃくる連覇。心琴は手が震えそうになるのをぐっとこらえて連覇をギュッと抱きしめる。
「ひっく……ううぅ……ぐすっ!! ふえええん!!」
連覇は優しく抱きしめられてさらに泣いた。恐怖と戦って、助けを求めてここまで来た、勇敢な小さなヒーローを心琴はそっと撫でてあげた。
「連覇君、頑張ったね。ここまで助けを呼びに来てくれてありがとう」
心琴は優しい声を出す。それから、そっと抱きしめるのを止めてしゃがむと、心琴の目線は連覇と同じ目線になる。心琴の穏やかな笑顔に連覇も徐々に落ち着きを取り戻していった。落ち着いた頃合いを見て、心琴は連覇に話を切り出した。
「連覇君。お話を聞かせてくれる?」
「連覇様、皆んなはどこで倒れているのですか?」
手遅れでないことを祈りながら三上は真剣な面持ちで連覇を凝視している。
「ひっく……海馬お兄ちゃんと……朱夏お姉ちゃんの……秘密基地……」
泣いて真っ赤な目をこすりながら連覇は山の方を指さした。
「秘密基地? ……そう言えば、昨日秘密基地に行くって言ってたけど……そこなの?」
「ひっく……うん。立ち入り禁止の看板が立ってる場所からロープをくぐって上に向かっていくの」
「……三上……どうしたらいい?」
心琴は事態の重さに三上の指示を仰ぎたかった。
真剣な眼差しに応えるように、三上は心琴にこうお願いする。
「心琴様は連覇君をお母様の元へ連れて行ってください。私は色々と準備を済ませます」
心琴は一瞬首を横に振ろうかと思った。
エリも海馬も朱夏も大事な友達だ。
一刻も早く助けに行きたい気持ちが強かった。
けれども、隣の小学生は身心ズタボロで、とても山道にもう一度連れて行けるような状態ではない。
加えて、先ほど連覇のママが探していたことも、連覇の保護を優先すべきだという結論に至る要因となった。
「わかった。連覇君。行こう? ママが心配していたよ」
「ヒック……でも……エリが……!」
「大丈夫。私に任せてください」
三上はしっかりと連覇の心配を受け取った。
眉をくしゃくしゃにしながら連覇は三上をじっと見つめている。
そんな連覇を安心させるために心琴はスマホを取り出す。
「状況が解ったら連覇君にもちゃんとLIVEで状況を伝えるからね」
心琴もなるべく優しい声で連覇にそう言った。
「……ひっく……わかった……」
連覇はようやく納得して、心琴と共に歩き始めるのだった。
◇
心琴は連覇と共に連覇の家へと続く踏切を渡る。
丁度、公園を探し終えても連覇を見つけることが出来ずに肩を落としながら帰っていく連覇ママを心琴は大声で呼び止めた。
「連覇君のママさーん!! 連覇君いました!!」
ママは顔を上げ、連覇を見るなりすぐに駆け寄ってきた。
連覇もママに手を広げながら駆け寄っていく。
二人は道のど真ん中で抱きしめあった。
「良かった……」
「ママ!! ママ!!」
連覇ママは本当に強く強く連覇を抱きしめた。
心琴はその様子を見て心がじんわりと温かくなった。
感動の再開に、思わず涙がこぼれそうになる。
「連覇、大丈夫? 怪我してるじゃない!」
連覇ママは連覇の膝を見ると心配そうな目をした。
「ひっく……思いっきり転んで……」
連覇は泣きながらママにそう言った。山道で足元が崩れて坂を転がったことを連覇は言っているが、ママは公園で転んだくらいにしか思っていないだろう。
「それで帰ってこれなかったの? 心配したのよ!? あんまりわんぱくな事しちゃダメって言ったじゃないの」
「ごめんなさい」
しょんぼりとする連覇をそのまましばらく抱きしめてから、連覇のママは心琴に向き直った。
「心琴さん……どうもありがとうございました」
「いえいえ! 見つかって本当に良かったです」
深々と頭を下げる連覇のママに心琴は笑顔で応える。
それから、心琴は連覇に向かってしっかりとこう言った。
「連覇君、怪我お大事にね? 連絡はLIVEでするからね! ……またね!」
「ひっく……うん! 心琴お姉ちゃん……またね……!」
連覇が最後に笑顔で受け答えしてくれたのを確認すると心琴は踵を返す。
真剣な表情で山を眺めながら、今渡ったばかりの踏切を戻ろうとした。
カーンカーンカーン……
不意に踏切が降りてきて心琴はその場で制止する。
不安に駆られながらも、心琴は電車が通り過ぎるのをじっと待った。
ガタンゴトンガタンゴトンと電車の音が近づいてくる。
物の数分だったのにとても長い時をそこで過ごしたような錯覚を覚える。
(早く……早くしてよ! エリが……それに朱夏ちゃんと海馬さんも……!! 早く!!)
一分でも一秒でも早く、心琴は山を登りたかった。
(……3人の命が危ないのに!!)
焦燥感とは無縁の電車がガタンゴトンとマイペースに心琴の前を通り過ぎていく。
その間、心琴は思いつめた顔をしていたに違いなかった。
カーンカーンカーン……
やがて、踏切が上がって行くと心琴はロケットが発射したように駆け出した。
もちろん向かう先は三上がいる朱夏の屋敷だ。
「……待っててね、皆!!」
心琴は祈りながら朱夏の屋敷へ走っていくのだった。