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第9章 職業見学

 山頂で海馬達がピンチを迎えている頃、心琴はそんなこと知る由もなく街をふらふらとしていた。


「ふあぁぁぁ……悩むって言ってもなぁ」


 朝、心湊に言われて今日一日は将来についてじっくり悩むことにして、とりあえず歩き始めたが行く当てなどない。


「……私……何がしたいのかな?」


 なんとなしに歩いていいると、心琴は駅に到着した。心琴の家から駅までは近い。何も考えずに歩くと必然のように駅に到着してしまうのだ。けれども、そこに到着して心琴の脳裏にある案が閃いた。


「そうだ!! 鷲一は実際働いてるしちょっとだけ仕事してる所をこっそり見てみよう!」


 心琴は名案だと思った。実際に働いている彼を見れば少しは「働く事」に対する興味がわくかもしれない。さらに言うと、大好きな鷲一をこっそりと覗いて良いチャンスだとも思った。


「確か駅の横の2階建てのビルに……」


 そう言って心琴がビルのある建物の入り口まで来てみる。

 関係者以外立ち入り禁止と書かれた看板を見て、心琴はそこで足を止めた。


「そうだった。ここに前勝手に入って鷲一に警察を呼ばれそうになったことがあったな……」


 苦い思い出の一つだった。その時はまだ鷲一は記憶を取り戻していなかった為、心琴を不審者として通報しようとしていた。その経験が心琴の足としっかりと止める。


入ろうかやめようか迷っている心琴の背中に男性がそっと声をかけた。


「あれ? あなたは心琴さんですよね?」


 急に背後から声を掛けられて心琴は小さく飛び跳ねた。


「ふ、不審者じゃないです! ……って……あ! 鷲一のお父さん! おはようございます!」


 驚きでバクバクしている心臓を抑えながら心琴が後ろを振り向くと、鷲一のお父さんがその性格のとおりの穏やかな笑顔で心琴に話けてくれていた。


「どうしたんですか? 何かありましたか?」


 丁寧な言葉遣いの穏やかなお父さんは現在仕事中らしく、普段鷲一が来ているのと同じ作業着に身を包んでいる。


「あ! いえ! 違うんです……その……鷲一が働くところをちょっとだけ見て見たくって……」


 心琴は照れながらそう言った。


「え? ……どうしてだい?」


 鷲一のお父さんには理由が解らなかった。眉を顰めているお父さんに心琴は自分の状況をこう説明する。


「実は私、今進路を決めかねていて……。すでに働いている鷲一をみたら働くってどういう事かなんとなくわかるかなって思ったんです。もし出来るなら見学をさせてもらえませんか?」


 お父さんはそれを聞いてとても困った顔をしながら、頭をぼりぼりと掻いている。困った時にする仕草は鷲一とそっくりで、心琴は返事を待たずして断られることを悟った。その予測通りの言葉がお父さんの口から紡がれる。


「なるほど……なんとなく事情は分かったが、息子は今違う駅に行っている。それに、申し訳ないが近くで見せて上げれるような仕事ではないんだ。会社には顧客情報が沢山あるし、作業は線路の中を通ったり、場合によっては車両の点検もする。部外者は入れてあげられないよ?」


 はっきりと断られてしまい、心琴は残念な顔をした。その表情を見てお父さんも困った顔をしているのが解る。わがままは言えそうにないなと心琴は思った。


「そ……そうなんですか。鷲一、仕事の話とか一切してくれないから私知らなかった」


 心琴は普段、鷲一が何をしているのか知らない。というか、鷲一は仕事の話はなるべく持ち出さないようにしているように思えた。学生である自分たちへの気遣いなのかもしれない。


「今度、ゆっくり息子に話を聞いてみるのはどうかな?」


 鷲一のお父さんは優しく心琴にそう提案する。

 心琴はお父さんに向き直って深々と頭を下げた。


「はい! まずはそうしてみます! ありがとうございました!」


 頭を下げた心琴は本当は残念な顔をしていたが、顔を上げるときにはいつもの笑顔だった。その笑顔を見て、鷲一のお父さんもほっとしたように笑い返してくれる。

心琴は父さんが笑ってくれたのを確認すると背を向け、来た道を真っすぐに引き返し始めた。


「今度、また家に遊びに来てくださいね」


 鷲一のお父さんの声はどこまでも優しかった。

 心琴もその声に応えるように一度だけ振り向いて大きく手を振る。


「えへへ! 是非、行かせてもらいます!」

「楽しみにしてますよ。」


 終始穏やかな鷲一のお父さんに最後にもう一度だけ一礼して、心琴はその場を走り去るのだった。


 ◇◇



「うーん……。見学失敗かぁ」


 心琴は見事に見学を断られ、少し距離を取ってからこれからどうしようかと首をひねる。


「そうだ! 次は働いてる桃たちの所に行ってみよう! あそこなら絶対に見学は出来るはずだ!」


 今日は特売日だと言っていた。今頃、桃と死神と杏は中華屋さんで働いているに違いなかった。駅から徒歩10分。心琴は中華街に来て驚いた。9時開店のその店にはもはや驚くほどの行列ができている。


「う……うわ。凄い人!」


 そこには、味が確かな中華屋さんの一カ月に一回の特売日を楽しみにしている客がたくさん居た。心琴は食べないのに並ぶのもなんだかなと思い、その行列から離れた所で開店を待った。


(特売日は遊べないって言ってたけど、こんなに混むんだここのお店)


 行列は店をぐるっと囲むように人が取り囲んでいた。中華屋さんはそこまで大きな店じゃないので、きっと一度に全員が入ることはできないだろう。となると、今並んでいる人が中華屋に入れるのは9時ではなく、もっともっと後の事だ。


(これは……見学はできないかもなぁ)


 そんな事を考えていると、9時になった。ひょっこり三角巾に頭を包み、髪色を隠しつつ働く桃が現れる。


「開店ですー! キャハッ!」


 今日も今日とて何もなくても楽しそうに桃はお客様にそう言った。桃が店のドアを開けると客はなだれ込むように入っていく。桃は心琴に気が付くことなくそのまま仕事に戻っていった。


「いらっしゃいませ!! 2名さまですね! こちらにどうぞ! キャハッ!」


 桃が接客をしている声が店の前まで響いてくる。普段とは違ってきちんと敬語を話す桃は大人びて見える。


「オーダーはいるぜぇ!」

「3番、炒飯3つだよ!」


 死神と杏の声も元気よく響いている。それは普段とは全く違う真剣な声だった。


「桃たち、すごいなぁ。テキパキ働いて……。私なんかよりしっかりしてるんだ……」


 心琴はそれを見て目線を下に逸らした。


「だんだん……自分が嫌になってきた」


 実際に年下の3人がせっせと働いている状況を見て、心琴は能天気な自分が嫌になった。


 進路で悩めるのは両親が居て、学校に通わせてもらっているからだと実感してしまった。それなのに、自分自身が何をしたいのかわからないとか、勉強が嫌で抜け出したいとか思っている自分が贅沢で、懸命に働いている3人には絶対に言えないなと思うと心の奥が沈んでいく。


 それでも、心琴は将来なりたい職業の目星がつかない。

 どこに向かって進めばいいのか分からない。

 このままじゃ後悔することになりそうなのに、勉強はやりたくないとおろそかにし続けている。


 心琴は自分が情けなくて仕方がなくなった。


「……私、本当に、何がしたいんだろう?」


 心琴は通りすがった公園のベンチでため息をついた。

 そこにはいつもいる連覇やエリでさえいない。

 自分だけが世間に置いて行かれる気分に自然と心琴の表情から笑顔は消えていた。


「あら……?」


 その時、ベンチでため息をつく心琴に近づいてきた女性が居た。

 女性は黒い髪をさらりと風になびかせると、心琴の目線に会うようにしゃがみ込んでくる。


「あ……三上。 おはよう。こんな所で会うなんて珍しいね」


 朱夏のボディーガードの三上だった。


 昨日焼き肉パーティーで会ったばかりだ。思えば、朱夏が居ない時に偶然会ったのはこれが初めての事かもしれない。


「おはようございます。その……どういたしましたか?」


 三上は不思議そうに目をぱちぱちとさせながら心琴を覗き込んだ。


「え!? ど、どうしたって?」


 そう言われて心琴は首を傾げる。むしろ、何も出来なくてここに佇んでいる節はある。けれども、三上は眉を下げて心琴をじっと見つめている。


「……元気、ありませんよね?」

「え!?」

「何かありましたか?」


 三上は、昨日、自分に見せてくれた眩しい笑顔が曇っている事が気になり、心琴に声をかけたのだった。

 心琴はその言葉に驚いた。まさか三上に心配されるとは思ってもみなかったからだ。けれども、せっかく声をかけてくれた三上に心琴は素直な気持ちをぶつけることにした。


「あ……はい。そうなの。今、悩みがあって」

「悩みですか?」


 三上は驚いて聞き返す。三上は、この少女は悩まないタイプの人間だと思っていた。それくらい、笑顔を絶やすことがほとんどない明るいのが心琴の長所だ。けれども、その笑顔は今、ここに無い。三上はどんな悩みが心琴の表情を曇らせているのか興味がわいて、さらに話を促した。


「あの、どんな悩みですか?」

「実は私、自分が将来何になりたいのか分からないの」


 心琴が寂しそうな顔で笑う。

 三上は、先日朱夏が持ち帰ってきたプリントの事を思い出して納得した。そのプリントには『進路調査』と書かれていたからだ。朱夏と同じ学校の同じ学年である心琴の元にもそれが届いていることは容易に想像ができる。


「なるほど、進路が決まらないのですね?」

「うん」


 心琴はしょんぼりとそう答える。心琴の悩みはごくごく一般的な物だ。誰しもが一回は悩む自分の将来の事。三上にも解るような気がして心琴に微笑みながらこう言った。


「私で良ければ相談に乗りますよ?」

「いいの!?」


 心琴はとても嬉しそうに顔を上げる。このままでは解決できない問題を救ってくれる救世主のようだった。


「ええ。今日私は非番なので。……何か聞いてみたいことはありますか?」


 三上は心琴の座っているベンチの隣に腰を掛けた。心琴はそう言われて三上にこんな質問を投げかける。


「三上はどうして大学に行ったの?」

「そうですね……私はおじいちゃんっ子だったので、一緒に研究をしたかっただけなんです」


 三上は間を置かないで、すこし懐かしそうに笑いながら答えてくれた。


「おじいちゃんっ子?」

「はい。三上博士と呼ばれた私の祖父は夢の研究者としては第一人者でした。夢に関する論文はいくつも賞を取っているんですよ」

「そっかぁ、すごい人だったんだ!」

「ええ。自慢の祖父……でした」


 その語尾は過去形だ。

 三上の祖父は、鷲一の叔父によって殺害されている。

 エリがそれを阻止しようと三上を何度もデジャヴ・ドリームへ誘った。

 その結果、三上は当初エリの能力で祖父が殺されると勘違いし、エリ殺害を企てた『殺意人未遂犯』に他ならない。今となっては勘違いだったことが解り、2つも事件を共に解決した三上は心琴からすれば、すっかり仲間だった。

 

「そう言えば、エリが……その……『三上のおじいちゃんが森の研究施設にいた』って言ってたけど……」


 思い出したかのように心琴が三上にそう言うと、三上は寂しそうな顔をする。


「そんなのあり得ませんよ。私の目の前で死んだのです。しかも何度も何度も……。ですので、それはエリの見間違いだと思います。見た場所も遠かったのでしょう? 他人の空似ですよ」

「そっかぁ……」


 二人の間にしんみりをした空気が流れた。

 なんとなく気まずさを感じたのか、三上は勤めて明るく心琴に話を切りだした。


「そうだ! 心琴さん。時間があるなら私の研究室へ来ませんか?」


 重い空気を払拭しようと出てきた提案に心琴は目を輝かせる。


「研究室!? 行きたいです!」


 その目は理科の実験を始めてする子供のような輝きを取り戻していた。


「パラサイトの研究室です。実は一部屋お借りして研究を始めるんですよ」


 三上は例のD達を元に戻すための研究に手を付ける事にしたのだ。


「行きます! 私も手伝えることありますか?」

「えぇ、いっぱい! これから、買い出しへ行くので付き合っていただけますか?」


 三上が笑顔でそう言うと心琴は張り切って立ち上がる。三上に向かってガッツポーズをして見せながら心琴は意気込んだ。


「本当!? 行きます! 手伝いたい!」


 意気込む心琴に三上はクスッと笑う。


「ふふっ……心琴さん? それが働くって事なんじゃないですか?」

「え?」

「あなたにできる、役に立つことで労働力を支払う事。それが働くと言う事です。難しく考えなくてもいいんですよ」


 心琴はそう言われてハッとした。


「……そ……そっかぁ!!」


 目から鱗が落ちたような気がした。

 心琴はいつの間にか、働くことはすごい事で自分にはできないような気分になっていた。

 けれども、三上は新しい可能性を示唆してくれている。


「そっか……。自分が好きで楽しい事なら……・働く事って楽しいのかな?」

「ええ。私はこの仕事に満足しています。もちろん大変な側面はどの仕事にもありますが。……心琴さん。あなたは何をしている時楽しいですか?」


 そう聞かれて心琴は少しだけ悩んだ。


 海馬や朱夏のように医者になって人を救う……すごいけど、憧れていない。

 心湊のようにテニスをするのは……そもそも好きではない。

 三上のように共に研究したい祖父……もちろんいない。

 けれども、それぞれの夢はそれぞれにある。

 それはきっと、その人の中に「好き」や「楽しい」や「憧れ」があるからだ。


(じゃぁ……私は……?)


 そう思ったとき、心琴の中で浮かんだもの。

 それは友達の笑顔だった。

 皆が楽しそうに笑う、昨日の焼き肉パーティーのような笑顔。


「……私……人が笑顔になるのが……好きかも!!」


 心琴は飛び切りの笑顔で三上にそう言った。


「いいですね! 夢の一歩目がわかりましたね」


 三上も心琴にそう言って笑いかけた。


「うん! ありがとう三上! ……人を笑顔にする職業……考えてみるね!」


 心琴もなんとなく一歩前進出来た気がして嬉しくなった。


「では、買い物へ行きましょうか!」

「うん! 商品探すのでも、荷物持ちでも何でも言って! 労働力になるぞぉー!」

「……まぁ、私が出せる報酬って言ったらジュースくらいになりますけどいいですか?」


 張り切る心琴を相手に、研究材料を買うのにお金を切り崩している三上は少し困った顔で笑った。


「あはは! 最高! ありがとう、三上!!」


 そんな三上に心琴は太陽のように微笑み返すのだった。

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