七食目3皿
箱内の空間に入り、機器からコードを引っ張り出す。項と後頭部が交わるぐらいのところにあるプラグの差込口にセット。
「ふッ……」
ピクリと体が跳ね、漏れそうになる声を手で抑えた。
次の瞬間、接続を容認するかどうかを問う文が表示された。娘にしか見えない文字列。
セキュリティ・健康上の危険や可能性を示唆しているものの、幼い彼女はそれを完全に理解はしない。
『はい』『いいえ』(はい)
当然ながら楽しみを優先した。
「はい」
ついつい口に出してしまう。
ネットワークの海に揺蕩う情報を得ることを許諾し、いくつかのアプリケーションから地球を模したアイコンを選択する。
「えーと……」
少女の眼の前にはインターネットブラウザが表示された。
学校の授業で少しだけ弄ったことはあるものの、まだ少女にはその使い方は難しかったのだろう。そもそも、接続はしたものの具体的な目標などありはしなかった。
甲虫機動隊という作品の主人公のようなこと、要はハッキング行為など微塵の知識すらもない。それを未熟ながらできるようになったのは、それから数年後のことである。
「甲虫機動隊!」
またしても声に出しながら、検索するワードを設定した。
これでは音声入力と何ら違いがない。慣れていないことを自覚しつつ、娘は空間に浮かぶ画面を下へ、下へと眺めていく。それから数十分ほど、古い作品のプロモーション映像を探しては観る。
MADムービーも中には混じっていたことだろうし、もしかしたら違法アップロードされたものも無邪気に視聴したかもしれない。
「……」
時間が経ち、少しずつ頭が熱くなってくるのを感じ取った。
それは単純に気温と室温による体温の上昇でしかないのだが、観ている作品が作品だ。電脳が焼けるという映像は、少なからず幼い心に恐怖を与える。
I.Eを消し、ネットワークから電脳を遮断させた。
(ふぅ。あれ?)
箱型空間の外を見ると、近所の子供達であろう集団がいた。
一人の小太りな少年を中心に、他の子供達が騒いでいる感じだろうか。
「……て! ……ねがい!」
聞こえてくるはずの声はプラスチックの戸に阻まれた。
扉を開けばセミの大合唱と共に、少年達の会話が聞こえてくる。
「返してよ!」
「ヤダよ! 男のクセに『プリティー・キュアー』の本とか、恥ずかしくないのかよッ?」
「そ、それは妹の……」
「は? 聞こえねぇよ。はっきり喋れ!」
小太りの子が、やんちゃ坊主な少年から漫画の本を取り返そうとしていた。
漫画のタイトルは、本来であれば少女向けなので彼女も知っている。可愛らしいキャラクターなども含めて大変人気がある。
小太りの子は何か言い訳を口にしようとしたが、言葉を途中で区切った態度などを見ても嘘だとわかる。娘にも、そういう経験があったからだ。
「パス、パスッ」
別の細っこい少年が手を出して言うものだから、そちらに本が投げ渡された。
「か、返して!」
小太り少年はそっちへ向かうも、またまた別の少年へと渡った。これを三人くらいで回すと、身体能力に余程の差がなければ取り返せないのだ。
娘はその輪の方へ近づいて行って、次に飛んだ間に割り込んだ。
「あッ」
やんちゃっぽい少年Aが声を出した。
娘が漫画を見事にキャッチしたからだ。
「そういう嫌がらせ止めなさいよ! 何が好きでも、あんた達が口を出すことじゃないでしょッ?」
「な、何だオメェ! 学校のやつじゃなよなッ?」
この辺りに住んでいる小学生は、多分集団登下校などの都合で顔を知っているのだろう。彼女が余所者であることなど直ぐにわかる。
しかし、だからといって娘の正義が失せるわけでもない。
「旅行中よ。私だって『甲虫機動隊』が好きだから、ヘンケンでそんなことしちゃダメ」
「こうちゅ……? まぁ、何だって良いさ! 関係ない奴が口出すなよ!」
ひょろ長の少年Bが、全く正論ではない理由で排除にかかってきた。
組織同士の争いならば通じる論だが、今は個人的な嫌がらせの範囲ではないか。しかし、それを話して大人しく引くなら争いなど起こらない。
「眼の前で困っている人がいるなら、私は助けるわ。なんで、そんなことをするの? この子が何か、あんた達に迷惑をかけたの?」
「理由なんてないさ。ただ、女の子みたいなさ、その」
第三の少年Cは少し緊張した様子で答えた。これまで、自分達の行為を強気で否定されたことなどなかったのだろう。
同年ぐらいの少女に、三人が押されている。
それよりも彼女が気にしたのは、もっと別の言葉に決まっていた。
「理由があってもイジメはダメよ。理由のないイジメはもっと嫌いだわ」
偏見によるイジメなど、最も酷い苛め行為に一つだと思った。だから、娘はぽっちゃり少年を救うべく言葉を紡いだ。
できれば、言葉だけで事が収まれば良いと思う。同年代と1対1で喧嘩しても、相手が武道など習っていない限りは負けない自信もあった。しかし、旅行中の身で他所の子供を殴ったとなれば厄介な問題になる。
(ほら、暑い中でやることじゃないわ……)
内心では、とても焦りながら引き下がってくれるのを待っていた。
そして、三人から出された提案は意外なものだった。
「じゃあ、そいつと友達になれよ」
「は?」
娘には、少年Bの言うそれの意味を理解しかねた。
追加が無い限り、条件を満たすのは酷く簡単なことのように思える。だからこそ、逆に解釈を間違えているのではないかと疑ってしまう。
聞こえなかったのかと思ったか、もう一度繰り返してくれる。
「だから、そいつの友達になれば何もしないでやるよ」
「友達って……フレンドってこと? この子と?」
小学生でもわかる英語を持ち出して、更に指でぽっちゃり少年を指して語弊や勘違いがないことを確認した。
少年Bは、間違いなく解放も約束している。
「それ以外なんだってぇんだ? それとも、気持ち悪いから嫌なのかぁ?」
少年Aの言葉を聞いて、娘はなんとなく理解ができ始めた。
見た目は、変とまでは言わない。お世辞にも格好良いなどのポジティブな評価も出てこないため、少年達の間では不人気なのだろう。友達になろうなんて人間がいると、少年達は思いもせずそんな条件を出したとわかってきた。
(簡単ではあるけど……。でも……)
だが、彼女の頭に巡ってきた思いはもっと別のことだった。
(私は余所からで……。うなずくのは簡単だけど、それじゃあ嘘っぱちで……!)
例えぽっちゃり少年を助けるためとはいえ、嘘をついて良いのかと自問自答するのであった。
旅行中に偶然立ち寄っただけの自分が、安易に友達になることを約束して良いのだろうか。
「お前の信じる正義はそんなものかよ!」
(それはアンタの言うセリフじゃない!)
思わず娘は突っ込んだ。
悩んでいるところに、役違いの言葉を打ち込まれたのだから。しかし、なんとなくそれで吹っ切れてしまった。
それが嘘か本当かではなく、娘にとっての正義か否かを問われているのである。
「はぁ……。わかったわ。彼と友達になる。それで良いでしょ?」
「チッ……」「あーぁ」「つまらないね」
どうやら期待はずれの答えだったらしく、少年達は玩具に飽きたと言わんばかりの顔をした。
しかし、ちゃんと約束は守ってくれるようだった。それ以上は何も言わず、公園の遊具がある方へと歩いて行ってしまう。
「ふぅ。ありがとうね」
苛めから解放されたことで、ぽっちゃり少年は安堵の息を吐いた。
お礼を言われて嫌な気はしないので、一応は受け取っておくことにする。
「大したことじゃないわ。って、どこへ?」
ぽっちゃり少年は、なぜかその場を離れようとした。娘も止めようとしたが、何をするつもりかわからないためそれ以上は何も言えない。
視線を公園の外にある、彼女の家の車へ向けたところを見ると、ここに留まっている時間を測ったというのは読み取れた。
そのまま歩いて行って、近くにある民家へ着くと同時に駆け込んで行ってしまう。
「……?」
取り残された娘は、ポカ~ンとした表情で立ち尽くした。
5分も待っただろうか。
タッタカ走って戻ってくる太っちょな姿が見え、その手には二つのガラスらしき器を持っている。白い塊とスプーンが一つずつ載せられているのを見ると、食べ物であることは間違いない。
何も言わずにその食べ物を差し出してきたため、ただただ受け取る以外に選択肢がなかった。
器は少しひんやりとしていて、白色の固形物から伝わっているのだとわかった。上り立つ冷気は夏の熱と混ざり合って、輝いているようにさえ見えた。
君は正義感が強いフレンズなんだね!




