煙草
何もかも嘘っぱちである。何もかも信じられるものなどない。激情が胸につかえる。全てが私を見下しているように嘲笑っている。そうだ。これから先、もっと恐ろしく、無様で、醜い己が待っているんだ。
それが何だと煙草をふかせる。だけれども、心は落ち着かない。風すらも自分を嘲笑っているようだ。だから何なのだ。だから何なのだ。だから何なのだ。
喧嘩を売る。心でいつも相手を刺激している。それだけが本音だ。でも、その激情の奥に何か得体の知れない巨大な悲しみが潜んでいる。その時、心はどこかで人とのつながりを失う。そうして、自分の本心が分からなくなる。
あんなに怒っていたのに、気づけば、なんて惨めな己がいることだろう。そう思ったら、なんて澄んだ湖のように静かな心だ。怒りが去って、私は一人ぼっちだ。
こんな夜は、たった一人が落ち着く。今日ばかりはこの悲しみが癒しなのだ。
落ち着いてきて、自分の書いた文章を読み返した。なんてひどい文章だろう。私は紙を破いて、くず箱に捨ててしまった。
もう一本、煙草を吸う。落ち着いてきた。文章を書くことは癒しだ。
あの時の苦しみを分かってくれていないと思って、途端に悲しくなったのだ。悲しみが、たった一瞬、心を狂わせた。
だから、なんだ。もう一本、煙草を吸おう。
*
夜の町を車で走っていた。破綻の先には讃美するに足る運命が待っている。私には確かにそれが見えていた。それとは何か。孤立の先に待っているであろう崇高な境地だ。
分かっているだろう。人生が破綻してゆけば、心が狂った調子になってゆく。その狂った調子には、悲しみとか怒りとか惨めな気持ちが一杯に駆けめぐっているのだ。
どうしようもなく、胸につかえる。泣き声も出ない。私は殺戮よりももっと残酷なことを欲していた。もはや、善にすがることのできない、悪魔的な自己。それは残酷な精神と共に込み上げてきていた。
人格も破綻してゆく。そうだ。この暗闇の先にもっとも生々しい現実が待っているのだ。
私は車を停めた、真っ暗闇の中で。
ああ、感覚の忘却。生きていることすらも忘れてしまった己が立っている。人を殺すこともできぬ臆病者ならば、自分を殺してしまえ、悪魔のような人格をさらけ出して、ただ孤独の中で!
私はそう叫ぶと、崖に向かって飛び込んでいった。私は真っ逆さまになって、地に吸い込まれてゆく。どこまでも、どこまでも、吸い込まれてゆくのだった。
怖いとかそんなことは忘れてしまった。ただ馬鹿みたいだった。口をあんぐり開けて、これでようやく死ぬのだ、と思っていたら、いつまでたっても地にたどり着かない!
私は永久に空を飛んでいるのか。それとも、もう死んでしまったのか。
星空から沢山の流星の光が降ってきて、私に注ぎ込んできた。綺麗だ。綺麗だけど、私は綺麗なものは嫌いだ! 入ってくるな!
私は惨めになって泣きながら拒んだ。綺麗な星は私を包んでいった。
私は綺麗なものを見ると泣きたくなるんだ! なんて、私の心は醜いんだ。
私は苦しい心で、ただ泣き続けた。そうして、私はいつしか夜空を見上げて泣きはらしていた。
もう、何もかもがどうでもよかった。どうでもよかったけど、死ぬのもどうでも良くなった。なんだか、さっぱりした心だった。
虫が鳴いていた。その声ばかりが生々しくて、そこに生きているものがいるのが分かって、嬉しかった。
分かっている。もう一本、煙草を吸おう。また煙草を吸えば、頭が冴えるだろう。苦しいことはまたその時、考えればいい。
私はぼんやりと夜空を眺めていた。たった一人で。でも今夜ばかりはたった一人ということが、癒しだった。
……煙草を一本吸った。