野営-Camp-
シャ・リザールの申し出に信久は困惑していた。
「なんでまた、いきなり?」
「貴方は私を助けてくれました。里の皆にも親切にしてくれた。私には出来ないことを貴方はやってくれた。だから私は貴方に恩返しがしたいんです」
心からそう思っていると表情から分かるシャ・リザールに信久は困ったように頭を掻いた。確かに色々と基本的なことを教えては貰ったが一人で冒険の真似事をするとなると心許ない。ただ短絡的に考えるのであれば諸手を振ってシャ・リザールを歓迎すべき事なのだろう。しかし、それで良いのだろうかと心のどこかでついつい思ってしまっている。
きっと元の世界であるのならば後者の考え方は美的だろう。今の世界ではそれは自分を追い詰めることでしかない。信久は両目を閉じしばらく考え込むと握り拳を作りながら口を開いた。
「うん分かった。シャ・リザールさんがそれでいいのならこちらからもよろしく頼むよ。こっちの事は知っての通り疎いから誰かが一緒に居るのは心強いよ」
そっと手を差し出し握手を求めた。最初は何のことか気づいていない様子だったシャ・リザールだが察して信久の手を握った。中々握手に答えてくれなかった事に内心緊張していた信久だったが握り返された硬い手のひらの感触に心強さを感じていた。人型とはいえ変温動物のトカゲだからなのか、その体温はひんやりと冷たい。
握った手を離し互いに出立の準備をする。とはいうものの信久に荷物と言えるような物などなくシャ・リザールの荷物をいくつか持つだけだ。それだけでも相当な量になった。
「こんなにも持っていくのか。あーでもそうか。色々と入用なんだろ……う?」
鉄鍋を袋へ詰め込もうとしているシャ・リザールの姿に信久は言葉を失いかけた。だが最後まで言い切ったところで不思議そうにシャ・リザールが振り向き言った。
「ええ、私も旅自体は初めてですが用意しておくに越したことはないでしょう。鍋と調味料があれば野営での料理も完璧ですし皮があればマントを手に入れるまでの繋ぎにはなるでしょう」
「なるほど……理にかなってる。流石だな!やっぱりついてきてもらうことにして良かったよ」
感心し信久は手伝う手を早めた。流石は現地人だ知識量が違うなと勝手に尊敬の眼差しを送っているが、シャ・リザール自身も旅自体が初めてでとりあえず必要そうなものは全部持っていくかといったスタンスで荷造りをしている。つまり信久の勘違いで少しズレた知識を持つこととなってしまっていた。
結構な量の荷物が目の前に出来上がり、少しだけ二人はこの量は本当に必要なのだろうかと葛藤することとなったが背に腹は代えられないと思い体格にあった量の荷物を背負い2人は歩き出した。
里を出る前に信久は用を思い出しヒュ・プランの元を訪れた。信久の突然の来訪に少し面食らったヒュ・プランであったが気を取り直して中へ入るよう勧めたが信久は断り本題に入ることにした。
「この指輪なんだけれど持ち主を探しているんです。何か知りませんか?」
懐から取り出したのはエルセフィーナと共にあった紫の石がはまった指輪だ。ヒュ・プランは断りを入れ手に取ると様々な角度で眺めた。そして、残念そうに首をふる。
「すまんが、知らないのぅ。力になれず申し訳ない」
頭を下げるヒュ・プランに慌てて信久は止める。何度かそんなやり取りを繰り返しなんとか収まりがついたヒュ・プランを残し信久はシャ・リザールと共に里を出た。
前を歩くシャ・リザールの首元では鈍い光をたたえた鉄の輪が嫌に目立つ。彼が首につけているのは奴隷階級を表すものだ。シャ・リザールが信久の奴隷となったわけではない。蜥蜴人族をはじめとする獣人族はどうしても人族が多い地域では不当な扱いを受けてしまう可能性が高い。そのためヒュ・プランから信久に同行するのであれば付けるよう言われ装着している。
だからと言って信久からすれば首輪の存在は視界に入れたくないものだった。
「どうかしましたか?」
「あ、いや、やっぱりその奴隷ってのが嫌で。俺は貴方の事を尊敬してるし、対等ってのじゃダメかな?」
ぽりぽりと頭を掻きながら言う信久にシャ・リザールは笑みを零し人差し指を立てながら言った。
「では、友人として私を助けると思って主人ということにしてくださいませんか。獣人である私はきっと街へ入る時などに貴方に迷惑をかけるでしょう。それの予防策です」
茶目っ気を込めてシャ・リザールがニッと笑うと信久の表情は崩れた。
先ほどまでよりは幾分か和んだ雰囲気になった。代わりと言ってはなんだが荷物の重さを思い出しげんなりとした気分になったいた。辺りの風景へ視線を移し変化の乏しい森の風景にどれだけの距離を移動したのかは今一つかみ切れない。心情的にはそんなに歩いていない気もする。
しかしながら、里を出た時点で太陽は東の空から登った時だった。そして今は西の空に太陽は沈みつつある。
「そろそろ野営の準備をしましょう」
ある程度視界の通る場所を確保し夕食の準備をする。里を出た直後だ。備蓄はあるためそれなりに豪華なものとなるだろう。ただ肉はあるものの野菜などはなく、どうしても現地調達となってしまう。
しかしながら信久にそういった知識はなくここでもまたシャ・リザールに任せるしかないのである。シャ・リザールに付き添いを頼み、野草の種類や採取方法などのレクチャーを受けつつ手早く摘んでいく。一食分と乾燥させて保存可能な種類を分け手を加えていく。
食事の用意はシャ・リザールが行い。香草の下処理は信久が行う。始めたばかりで作業自体の速度は遅いが丁寧に処理を進めている為、どの香草も綺麗な状態で出来ている。
夕飯の調理より早く終わり手持ち無沙汰になってしまった。信久は何とはなしにエルセフィーナを出すと学生の頃、体育で少しだけかじった程度の記憶を元に素振りを始めた。小難しい型や仮想の敵を相手取ったなどと言った高等なものではないが筋力トレーニングくらいにはなるだろう。
十数分ほど素振りをして腕の筋肉が震え始めた頃、シャ・リザールに呼ばれ夕食となった。
「さて、ノブヒサ殿。あと2日で程で近くの街に到着予定です。その前に少しばかり復習としましょう」
「あー……っと貨幣とか地理だっけ?」
食事中に突然振られ信久は困ったように鼻を掻いた。暗記系の科目はあまり得意ではなかったし覚えきれていないところもある。硬貨などの貨幣に関してはこれから重要だろうと考えて必死に覚えはした。
「貨幣ってどの国までのを言えばいいんだ?地理は後回しでお願いします。あと時間ください」
眉間にしわを寄せ唸る信久の姿にシャ・リザールは苦笑した。
「貨幣については現在私たちがいるファルマール帝国だけで構いません。地理は里から帝都までの動線付近と首都周辺までで今回は良しとします」
「えーと現物がないから詳しくは説明できないのは許してほしいんだけども、銅製で小指の爪くらいのサイズのが帝国銅貨。一番価値が低くい。次に銅貨より少し大きいのが銀貨、その上に小指の第一関節までくらいのサイズの金貨がある。他にプラチナがあるけど、プラチナは魔術の触媒として扱われることが多くて、それ以外に価値が低いから銀貨の偽物にもなる…………んだよね?」
「はい、正解です。帝国の貨幣に関しては特に問題はなさそうですね。次は地理的な事ですが、大丈夫ですか?」
「あぁ……まあ頑張ってみるよ」
頷き頭の中で周辺の地図を思い浮かべる。丘の上に建てられた帝都から主要路が南東に1本、東西に1本ずつ伸びており、信久達は現在南東の道を北上している。南東の道は信久たちのいた森を挟み町がある。今回は信久の持つ指輪の手がかりを得るために人の多い場所へ向かわなければならない為、最初から予定されていない。
東西に伸びる道にも町や村はあるが今回は関係ないので省略することとする。おおよその位置や方角を地面に枝で描きどれがどの町かなどをシャ・リザールに説明する。なんだかノってきてしまってかりかりと大雑把だった絵に色々と描きこんでいく。
しばらくして無駄に手の込んだ地図が出来上がったあたりで信久は正気に戻った。飽きれた表情――のように感じる――で見つめるシャ・リザールに気づきいそいそと手で消すと寝るために毛皮を広げた。
2時間ごとに交代で見張りを立てることになった。
何事もなく朝を迎え2人は道具をしまい帝都へ向けて歩き出した。
帝都へ近づくにつれて人通りも多くなり馬車も見かけるようになった。また金属製や革製の防具に身を包み武器を持った男女が見かけられることから定番といえば定番だがハンターや冒険者と言った職業もあるようだ。
しばらく歩き丘を登っていると徐々に帝都が彼らの前へ姿を現した。石造りの城壁に囲まれ中央の一番高い場所に座する白亜の城が一際目を引く。視線を下していくと城門から伸びる列が見えた。指さしうんざりした顔でシャ・リザールへ顔を向ける。対してシャ・リザールは普通の事だろうと肩をすくめる。項垂れる信久はマジかぁと愚痴を漏らし先ほどまでより歩み遅く歩き出した。
列の最後尾に並びノロノロと進む。死んだ魚の様な目で城門を見つめ項垂れる。何を隠そうこの男、並ぶという行為が苦手なのだ。過去には友人に誘われ行列のできるラーメン屋へ行った時など途中で我慢できずに別の店へ行ったことなどざらにあった。
ともあれ、今回は別の街へ行くのは難しく待つしかない。信久たちとは逆方向へ進む人々もいるが、その中に時折項垂れたり怒りながら戻ってくる者たちもいた。そちらへシャ・リザールはちらりと視線を向けた。銀の三角形がその視界を通り過ぎていった。しばらく彼は見つめていたが興味を失ったのか視線を主である信久へ戻した。だるそうに列を見つめる信久にシャ・リザールは内心クスリと笑ったのだった。
延々と続く列が消化され信久達の番となった時に別の問題が発生した。
「許可証??」
「ああ。持っていないのなら1人銀貨4枚で発行するぞ。お前と奴隷の2人で銀貨8枚だ」
どうしたものかとシャ・リザールへ視線を向けるが貨幣など手持ちにない。信久は少し考えて、
「手持ちに換金出来るものがあるんだけれど、後払いじゃダメかな?」
「ダメだ。例外を作るわけにはいかない」
「そこをなんとか頼むよ。村から来て無一文なんだ」
「もう一度言うぞ。ダメだ」
その後も進展のない問答を繰り返し、そろそろ衛兵の我慢も限界に達しようとしていた時だった。
「見たところ冒険者ではないが戦えるようではあるな」
衛兵の後ろからやってきたのは老齢の大男だ。門番をしている衛兵たちよりも質の良い鎧に身を包み腰には金の装飾が施された白鞘の剣を差している。白い髪は撫でつけ首の後ろで1つに括っている。素人の信久から見ても、かなり腕の立つ人物なのだろうということは理解できた。
「まあ、戦えるっちゃ。戦えるよね?」
「そうですね。私は戦闘奴隷ですし、主人も十二分に力はあります」
曖昧な信久の回答をシャ・リザールがしっかりと補足する。ふむと大男は考え込んだ。少しして顎髭を撫でながら大男は告げた。
「よし、ならば依頼をしよう。もし達成したならば帝都へ入れようじゃないか」
「依頼?」
首を傾げる信久に大男は続ける。
「単純な依頼だ。魔物を討伐してもらいたい」
「魔物……色々と居ますが何を?」
閉じられていた瞳を開き大男は言う。
「牛頭の鬼だ」