序-Beginning-
午前中に片づけておくべき案件を済ませ、さて昼食はどうしようかと菊池信久は思案していた。いつもならば会社のそばにある某有名牛丼チェーン店へ行くところだが、ちょうど今日は毎月3回の奮発していい日だ。牛丼店より少し遠くなるがカレーうどんの美味しい店がある。そこで昼食をとるとしようと信久が決め出て行こうとしたところで声がかかった。
「あ、菊池。ちょっといいか?」
「どうしました部長?何かありましたか?」
昼食時に止められる事があるとすればクライアント側からまた文句があったのだろうか?と昼食抜きを覚悟しながら部長の座る席へ急ぐ。
中年太りの落ち着きのない男性だ。トラブルでもあったのかとひやひやしていると席から立ちあがり信久の横へ来た。
「君、明日から別の部署ね」
「え?ど、どこですか?今担当してる仕事もありますし、誰に引き継ぎをするかとか教えていただきたいのですが」
矢継ぎ早に聞く信久に部長は曖昧に頷きながら机の棚を片手でごそごそと触りながら、胡乱な視線を向け口を開いた。
「ああ、それは気にしなくていいよ」
「そんな、だってまだ受注した仕事はまだ終わって」
「だから、君はもう気にしなくていいんだ。」
ゆっくりとした動きで部長の右腕が動く。軽い衝撃を受け信久の上体が揺れた。
「え?」
自身の身体を見下ろす。部長の握るそれは鳩尾から上へ向けて刺さっている。なんだろうと意識してかそれを認識しようとしない。なぜ部長はこんなことをしているのだろうか?もしかしてこれまでの溜まっていたストレスとかそういったものが溜まりに溜まって爆発してしまったのだろうか?なんてズレたことを考えながら一歩後ろへ下がった。ぬるりと異物が身体から抜けそこから赤い血があふれ出す。
周りは昼食時で人が少なかったが、それでもある程度人はいる。誰かが信久と部長の異変に気付き、部長が握る血の付いた刃物を見た。
悲鳴が上がる。パニックだ。信久はまた数歩下がり尻もちをついた。腹部が熱く呼吸は苦しい。何度も息を吸っているのになんとか立ち上がろうと足に力を入れるのにびくともしない。徐々に体温が奪われる。視界は暗くなり生物が命を巡らせる基は流れを止め、それをただの肉塊とたらしめたのだった。
世界は形を変え流転する。命が芽吹く。脈動を始める。大理石の床に伏した男の胸が大きく膨らみ息を吸った。ひんやりとした空気がゆらゆらと揺蕩う意識を覚醒させた。ゆっくりと目を開く。白い大理石に翠のエメラルドで細かな装飾のなされた円状の台の中央に信久は立っていた。そして彼を囲む様に円周上に12本の剣が突き刺さっている。どの剣にも宝珠がはまっており全てが違いはあれど恐ろしい代物であると直感的に感じる。
「どこだここ?遺跡……?」
そして信久の前、台の上には12の宝石がはまったバングルと手紙が置いてあった。まるで受け取れと言わんばかりの様子に訝しみ周りを見るが彼以外の姿は見当たらない。出入口も見当たらないあたり何かをしない事には、ここから出ることは願わないのだろう。警戒しつつバングルを手に取る。銀色に輝き様々な色の宝石は壁面から生える光る水晶の光を受けキラキラと輝いている。表面や装飾、裏面を確認するもこれといった仕掛けや罠のようなものは見当たらない。少し安心してバングルを腕につける。何かが起こるわけでもなくすんなりとバングルをつけることが出来た。
「特に何も起きないな……?」
信久が呟くのと同じタイミングでそれはおこった。12の剣がふわりと宙を舞った。信久が気づいた時にはもう遅い。切っ先を彼に向け剣は飛来した。12本の剣は信久の身体を易々と貫きその体をずたずたにしたかのように思えた。だが、刀身を突き立てた12本の剣はそのまま溶け込むように信久の身体へ沈んでいくと12の傷跡を残し消えてしまった。驚きというより恐れを覚えた。異質なものが自身の身体の一部となることは恐怖心が湧く。それに一部になる時の現象が非科学的なことも恐怖心を煽る一因となっていた。
バクバクと心臓が落ち着かない。なんとか冷静さを取り戻そうと深呼吸を繰り返す。幾分か落ち着いたところで破けたスーツの上半身を脱いだ。全身のいたるところに様々な傷があった。へその横数センチに刺傷。二の腕上腕二頭筋側に裂傷による傷跡。他にも右肩から鳩尾にかけての切傷などなど、傷だらけの身体はなんだかフランケンシュタインの改造人間のような様でなんだか笑いがこぼれた。先ほどから起こっている事に認識が追い付いていない。それでも、もっと違うことを考えるべきだ。もっと別の今どうにかすべきことだ。
「あー……くそ、わけわかんねえ」
愚痴り頭を抱える。部長に刺されたことも分からない。腕に巻いたバングルも分からないし、刺さって消えた剣やこの空間も訳が分からない。謎だ。中学生の頃に数学の日常生活での必要性について熱心にしつこく教師に問いただしていた頃の自分と同じくらい謎だ。
頭を抱えているだけではどうしようもない。ふとバングルと一緒に置かれていた封筒を思い出し手に取った。少し重さを感じ封を切り口を逆さにした。ぽとりとひんやりしたものが手のひらに落ちてきた。それは紫の宝石が飾られた銀の指輪だった。控えめな装飾で一つだけ宝石が台座に収まっている。指輪と一緒に出てきた便箋は一枚で、そこには簡素に助けてほしいとだけ記されていた。宛名や差出人の名前などは一切ない。手がかりはきっとこの指輪だけだろう。だが正直なところ別にこの手紙に答える必要性はない。しかし、それでも何かが気になる。何かが引っかかる。
どうしたものだろうと考え込む。ここから出ることが出来るのかすら分かっていない。ともあれ、まずはこのよく分からない部屋から脱出する方法を探るべきだろう。のろのろと立ち上がり壁沿いに仕掛けがないかと探りながら歩く。滑らかな表面は所々が崩れザラザラとした感触が手に伝わる。数分の間壁を探っていると小さな凹みに指が引っかかった。
(これか……?)
そっと押し込むと低くゆっくりとした駆動音が響き重々しく通路が目の前に現れた。ある程度までは先を見ることは出来るがその先は闇に包まれていて見通すことが難しい。壁に手を当てゆっくりと進むと四畳半ほどの大きさの部屋があった。その中央には大仰な椅子が鎮座している。
「椅子……?」
近づくと信久の持つバングルと似た装飾のされたものだった。バングルを見つめながら椅子を撫でる。材質は木材かはたまた石材か、いまいちよくわからない材質に首をかしげる。
正面へ回り込むとその装飾の素晴らしさが分かった。やはり似たものなのだろう。バングルとは違い12の剣のレリーフが掘られ周りをオリーブの葉が囲っていた。きょろきょろと見回してから素早く座った。見た目に反して座り心地はよく深く腰掛け一つ息をついた。
尻や背中、足、肩、頭。全てがまるで自分の為に存在するかのような身体に適した座り心地だ。
だが、何故だろう。何かが離れろと信久に告げている。それは本当に小さくかすかな感覚だ。確かに感じた違和感に慌てて椅子から離れようとした。それも遅すぎた。身動きが取れなくなり背骨から脳へ痛みが駆け上る。痛みのあまり体を丸めようとしたり弓なりに逸らせて痛みを逃がそうとするがそれすら許されずただ痛みに身を飲まれるのみだ。しばらくしてすんなりと痛みは引いた。だからと言ってすぐに動けるわけはなく、鈍痛が響く頭に全身の引き攣りを感じた。
結局動けるようになったのはそれから1時間ほど経ってからだった。未だに痛む体を引きずり椅子から離れる。
荒い呼吸をなんとか整えた。壁にもたれかかり腕にはめられたバングルを触ろうとして、そのまま触れず手首に触れた。
「あれ?」
そこにあるべきバングルは姿を消し代わりにバングルに似た形の痣が手首に残っていた。馬鹿なと痣に触れた。それが鍵となったのか目が霞む。
視界がぶれ虚像がそこに形を結んだ。それは誰かの記憶だろうか。
幻として映るは過去の傑物たちの最後だ。
黒ずくめの影が炎剣の傭兵の胸へ死撃を打ち込んだ。
柱に縛られ水姫は怨火に焼かれた。
背後で震える子らを守り緑の神殿騎士は兵に嬲り殺された。
鋼の王は燃える祖国と共に侵略の炎にその身を滅ぼした。
土泥の冒険者は嫉妬した友に嵌められ首を刎ねられた。
(やめてくれ……)
風刃の使徒は教えに従い身を切り裂かれた。
氷の女帝は恐れた夫に臓を抉られた。
雷光の剣客は病に身を侵され無念に伏した。
(やめろ。気持ちが悪い。そんなものはいらない!)
明日を求めた勇者は今に殺された。
平等を欲した魔王は不平等に滅ぼされた。
無貌の暗殺者は掟を破り死に絶えた。
11の死を知り彼ら全てがあのバングルを持っていたことを知った。これではまるで死を運んでいるようではないか。なんと恐ろしい物だろうか。
だが、それだけではない。もう一つ知ることが出来た。マイナスだけではない。良いことも沢山あった。彼らは確かに非業の死を遂げたのだろう。無念さを覚え地に伏したのだろう。しかし、それでも沢山の事を残すことが出来た。大勢を救い確かな一歩として歴史にその行いを刻みつけた。プラスがあればマイナスもあるということだろう。小さなプラスなら小さなマイナスで済むのではないだろうかと信久は思い至り目立たず静かに暮らせば11人の英雄たちと同じ轍を踏むことはないだろうと考えた。
(勝手な考えかもしれないけれど、11人は大きな事を成したからこそ幅寄せが来たのだろうから、静かに暮らせば大丈夫だろう。)
けれど、1つだけ人助けをしなければならない。バングルとともにあった手紙の主。誰とも分からない。ただ助けてほしいとだけ書かれたそれに信久は心動かされたのだ。
うん、と一つ頷き立ち上がった。脱出するための通路探しを再開する。ぺたぺた壁を触りおかしなところがないか探す。
しばらく調べてそれらしきものを見つけた。
「細い縦穴?鍵穴のようなものなのか……?」
縦長のおおよそ指4本分ほどの隙間が壁に刻まれていた。今のところ発見できた出口の手がかりらしきものはこれだけだ。何かなかったかと考え込んではみるものの縦長の穴に収まるような物はこの空間にはなかったはずだ。うーんと悩み、あっと声を漏らした。
「もしかして剣か……?」
だが刺さるであろう剣は全て信久に突き刺さり消えてしまった。最初の大部屋に戻ったところで何の収穫も得られないだろう。剣がなければこの遺跡のような洞窟を抜け出すことは叶わないだろう。ならば剣を見つけなければいけないだろう。
(思い出せ!バングルだ。バングルから記憶や情報が流れ込んできただろう!?思い出すんだ!)
走馬灯の様に過ぎ去っていった記憶、そこに鍵があるはずだ。うっすらと輪郭が定かではないものがゆっくりと像を結ぶ。剣の扱い方を理解した。あとは実践するだけだ。右の手のひらに力を籠め形を思い出す。幅広い長剣に鍔にはめられた宝玉。何色だっただろうか?今思い浮かべるべきは1つ。それはきっと赤だ。命の赤、血の赤、炎の赤。
炎剣の傭兵が持っていた剣。彼の生き方を表す荒々しい猛りの炎。
ふわりと粒子が集まり剣の形を構築していく。柄から刃へ向かって姿を現し形を形成する。柄を握り剣を眺める。とても綺麗な武器だ。そっと縦穴に添え押し込んだ。シャラリと音をたて剣はそこへ収まった。何かが噛み合う音が響き遺跡全体が振動した。風化した脆い部分が剥がれ落ちつつ扉が開いていく。暗い通路を見てまだ続くのかと信久は思いつつも登りの通路を進む。頬を撫でる風を感じた。表情が明るくなる。歩く速度も自然と早くなった。早足が小走りに変わり小走りも全力疾走へ変わった。
前作とか知らないので初投稿ってことにしてください。
<修正>
2019.02.25 1人足らなかったので追加