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短編ごちゃまぜ

王国双剣物語 〜前世の夫は今世も夫〜

作者: しきみ彰

 キン、キンッという甲高い音を立てながら、細身の剣同士がぶつかり合う。


 それを扱うのは、どちらも少女。


 ふたりの少女は、裾の長い学園服を美しく翻しながら決闘をおこなっていた。

 激しく動いても足が引っかからないようにとの配慮がされたスカートが、少女とともに踊る。編み上げブーツがリズム良く床を叩き、鳴った。


 明らかに技量が上だと分かるのは、カナリアのように色鮮やかなくせっ毛をした少女である。

 エルミシアはコバルトブルーの瞳で相手の動きを把握しながら、剣を振るっていた。


 魔力配給が上手くないのか相手はだいぶ消耗してきているが、こちらには余裕が残っている。魔力が尽きることはまずないだろう。しかし油断する理由にはならない。


 なんせこの決闘の勝敗には、エルミシアの婚約者が賭けられているのだ。何がなんでも負けるわけにはいかなかった。


 まったく。決闘制度に決闘を申し込まれた者は、理由なく申し入れを断ることは許さじ」などという一文を付けたのは、どこの誰だろうか。そう考え、エルミシアは気づく。


(……前世のわたくしですわね)


 我ながら、アホなことをしたものだと思う。

 ただあの頃の決闘というのはどちらにしても命懸けのもので、私闘が禁じられていた兵士や騎士たちなどがおこなうことがほとんどであった。いわゆる、時代の流れというやつである。それが百年経った今でも続いているというのだから、おかしな話だ。


(百年前は「女が戦うなど言語道断。引っ込んでろ」と言われた時代でしたのに……今となっては必須事項となったというのですから、世の中どうなるか分からないものです)


 剣を構え直しながら、エルミシアはそう思う。思考している間も何度か剣を交わしたが、彼女はもう疲れ切っていた。それは、滴り落ちる汗の量と呼吸で分かる。


 まったく。相手に手加減せねばならぬというのは、難しいものだ。特に相手がプライドの高いものだと、一瞬で終わらせれば逆に噛みつかれるというから困ったものである。


 エルミシアがわざわざ慣れない持久戦に持ち込んだのも、そのためである。本当ならば一瞬でカタをつけたかったのだが、こればかりは仕方ない。相手の体面を保つためである。特に彼女は上級生であるため、いつもより配慮が必要だった。


(そもそも、人の婚約者を奪おうとしている時点で、かなりどうしようもないと思うのですけど……決闘って、いつからこんな面倒臭いものになったんですの?)


 そう辟易しながら。

 エルミシアは確認も兼ねて、相手の女子生徒に問いかける。


「覚悟はよろしくて?」

「……くっ、ああああああ!!!」

「まぁ、」


 なんてはしたない。


 優雅さとはかけ離れた叫び声と剣術に、エルミシアはそうつぶやく。

 相手がその気ならば仕方ない。ならばエルミシアは、それ相応の対応をするまでだ。


 彼女は剣を握り締め、ブーツで床を蹴る。


 キンッという音とともに、剣が空を舞った。

 空中で弧を描いていたそれは、限界まで上ると落ちてくる。剣の切っ先は見事床に突き刺さった。


 剣を手放したのは、相手の女生徒である。

 立会人のひとりである教師が、鋭く声を上げた。


「勝負あり! 此度の勝負、エルミシア・フォルティーラ公爵令嬢の勝利!!」


 それに湧き立ったのは、今回の決闘を静かに見守っていた生徒たちだった。

 たかが決闘で、観客席にこれだけの人が集まるのは異例である。しかしそれはそれだけ、学園内でエルミシアが注目されていることでもあった。


 湧き立つ拍手の中、エルミシアは剣を腰にぶら下げた鞘に納めてからスカートの裾をつまむ。

 そして緩やかに淑女の礼を取った。


「御機嫌よう、お姉様。お約束通り、金輪際わたくしの婚約者にお近づきにならないよう、お願いいたしますね。――それではわたくし、これにて失礼させていただきます」


 そう言い残し。

 エルミシアは会場を颯爽と立ち去ったのだった――








 ウィルテンティウス王国。

 昔から戦争が絶えなかったこの土地が落ち着いたのは、百年前の話である。


 戦争をおさめたのは、ひとりの王妃だった。

 彼女はこの国の第一王女である。男児は残念ながら生まれず、どうするか考えている間に王は戦争で死んでしまった。ゆえに、公爵家から婿を入れたのである。


 しかしその王が、戦争の最中女に毒を盛られて死に、王妃はひとりで国を支えていかなくてはならなくなった。


 周囲は直ぐにでも王に相応しい者を婿にするべきだと言ったが、王妃は違ったのだ。女王となり、国を治めると言い出したのである。彼女は女の身にしては珍しく、剣術に長けていた。魔力量は絶大。身体強化をしてしまえば、そこらへんにいる男など素手で倒せるだけの技量だった。

 その上、男を従わせるほどのカリスマ性も持ち合わせていたのだ。

 女王は、周囲の反対を押し切り女の身にして王位を継承した。


 そんな彼女の活躍により、ウィルテンティウス王国は各国と平和条約を結び、今日こんにちのように穏やかに暮らせるようになったのである。


 女王は今でも英雄視されており、「剣の女王」と呼ばれ親しまれていた。


 そんな女王がいた名残りからなのか、この国では百年ほど前から、女児にも魔術のみならず剣術や武術を教えるようになったのである。

 特に貴族の娘は「淑女の嗜み」「貴族令嬢ならば、誰しもが持つべき当然のスペック」として浸透するようになっていた。


「まさか、あのときの行動がこんなふうに影響するなんて。世の中恐ろしいものですわ」


 背後で大歓声が響く中そうつぶやき、エルミシアはげんなりした。まったく、自分がしでかしたこととはいえ腹立たしいものである。

 そんなことを思いながらヒールを鳴らしていると、壁にもたれかかるひとりの青年が見えてきた。

 エルミシアはその姿を認め、ぱっと表情をほころばせる。


「リクス! お待たせしました! 此度もしっかりと勝利をおさめましたわ!」

「お疲れ様、エルミシア。君ならば心配ないと、僕は思っていたよ」


 そう微笑むのは、エルミシアの婚約者であるリクスだった。

 色素の薄い金髪に空色の瞳をした美青年ゆえに、リクスはこうして良く女子生徒から絡まれる。それはそうだ。何を隠そう彼は、エルミシアの前世の旦那であり、今世の婚約者でもあるのだから。


 まあ、リクス自身には前世の記憶はない。しかし見た目も名前も性格も同じな以上、彼を守らない選択肢はエルミシアにはなかったのである。


 彼の隣りに並びながら、エルミシアは腰の剣に触れる。自身の愛剣だ。今回もお世話になったので、帰ったらしっかりケアしなくてはならない。


 決闘場から出れば、ちらほらと人影が見えた。どうやら彼らも、これから帰るつもりらしい。


 学園内での決闘は基本放課後におこなわれる。そのためこうして彼らも立ち寄れるのだ。決闘の勝敗が賭け事に使われていることなど、誰もが知っている。


 人が増える前に帰ろうとリクスに言われ、エルミシアは頷いた。屋敷の馬車を待たせているのだ。終わった後は帰る者も増えるため、急がねばなるまい。


(そもそも、決闘制度が改悪されているのが悪いのですわ。婚約者を決闘で奪い合うなど、趣味が悪い文化ですのに)


 エルミシアは内心そう怒りながら、学園の広大な土地を歩いた。

 夏の時期の学園はとても爽やかだ。木々がたくさん立ち並んでいる中に作られたような学園なため、建物から少し外れれば森になっているのである。

 森の中はもちろん舗装されてなどいないが、時間短縮になるためそのまま突っ切ってしまう。小鳥の鳴く声が、どこからともなく聞こえてきた。


 現在の決闘文化は主に貴族間でおこなわれている、一種の娯楽であった。使えるのは剣技のみ。身体強化の魔術を使うことは認められているが、それ以外での行使はなしとなっていた。


 婚約者を賭けることはもはや一般化しており、むしろそれを推奨する側のほうが多い始末。

 家としても、魔力や武術が強い者が婚約者にいたほうがいいという考えが定着しているため、それに異を唱えるものは少なかった。


 おかげで最近は、強ければ平民とくっつくこともある。相思相愛ならばそれでもいいのではないかと、エルミシアは思っているが、賭けでやるのはどうなのやら。


 エルミシアとリクスの親たちはその中でも、血統と伝統を重んじ貴族同士が繋がるべきと考えた。ゆえにふたりは婚約者として、幼い日から切磋琢磨してきたわけなのだが。


 それにしたって鬱陶しい。鬱陶し過ぎる。


 エルミシアは辟易した。リクスがそれだけ人気のある、何もかも完璧な公爵令息であるのだということは分かるが、こう何度もふっかけられると、過去の自分を殴りに行きたくなる。


(いえ。殴るべきなのは、わたくしの子孫かしら……これを公的に認めているのは、王家なのだから)


 公的に認めている理由が「好いた平民の娘と結婚したいから」「母親としてそれを支えたい」「王妃に言われたなら仕方ない」というものなのだから、頭の痛い話だ。

 我が子孫ながら、アホだと思う。決闘制度を歪めた挙句、恋愛脳の王子に親馬鹿な王妃、尻に敷かれる王。


 戦争中なら間違いなく、謀反にあっていたはずだ。あのバカ王子を王に据えたら、国が傾く。そう本気で思う。


 子孫とは言ったが、エルミシアは子どもを産んでいない。跡を継いだのは、妹が生んだ子だ。ただ、子孫であることに変わりはないだろう。


 周囲に誰もいないことをいいことに、エルミシアは思わずぼやいてしまった。


「どうにかしませんと、国が傾きますわ……」

「ん? あのバカ王子のことかい? 確かにどうにかしないと、大変なことになりそうだね」


 エルミシアの言葉を、リクスは器用に拾い頷く。ものすごく毒舌だが、リクスは前世からこんな感じだ。事実のみを言う。

 それで火がついたエルミシアは、くどくどと文句を垂れた。


「わたくしは別に、平民と結婚することに対し文句を言っているわけではないのです。ただ、絶対王政を主張する国家でこんな貴族本位の横暴を繰り返せば、民たちからの反抗が必ずくると言いたいだけなのですわ。次代があのバカ王子ですから、お父様もお母様も既に見限っておりますし、何を言っても無視無視無視。あんなのと婚約者にさせられたカルミナが可哀想ですわ」

「そうだね。ただカルミナ嬢としては、嬉しかったんじゃないかな? わざと負けたおかげで、お幼馴染の公爵令息と婚約を結べたんだから」


 リクスからそう言われ、エルミシアは頬を膨らませた。


「そこは喜ばしいことですけど……問題はあの誇り高いカルミナが、負けたということですわ。公爵令嬢として強くあろうとしたあの方が、わざと負けるほど、あの王子は愚かだったということです。そんなのがこの学園でともに勉学を学んでいるなど、嘆かわしい」


 エルミシアの親友たるカルミナは、王子に婚約譲渡を条件に決闘を申し込まれわざと負けた。それは相当な苦行だったろう。

 しかもその王子は王子で、カルミナに勝ったことを周囲に自慢する始末。そんな事情を知っているエルミシアは、カルミナが不憫でならなかった。


 そう怒るエルミシアに、リクスは苦笑する。


「確かに、カルミナ嬢にとっては苦痛だろう。顔も見たくないだろうし。ただ、ほらエルミシア。少し落ち着こう。周囲に誰もいないとはいえ、学園の敷地内だからねここ」


 エルミシアはむくれながらも、声を抑えた。


「あのバカ王子、公爵家が結束し始めていることに気づいているのかしら。うちのお父様なんて潰す気満々ですのに」

「王とその側近辺りは気づいてるんじゃないかな? でも婚約結んだら、決闘以外での方法で取り消せない制度を作ったのは王自身だし。近親者はもう諦めてこっちの勢力に加わっているらしいし、自業自得だと思うよ」


 リクスは笑顔でばっさりとそう言い切った。どうやら、情けなどないようだ。その姿は前世から何も変わらない。

 彼は優秀な王であったが、見限りときは躊躇いなくいくタチなのである。その点をカバーしてきたのがエルミシアだ。


(さすがリクス様。でもわたくしとしても、今回の件はカバーしきれませんわ)


 相手が自身と少なからず関係があるとしても。

 否。少なからず関係しているからこそ、エルミシアは声を上げねばならなかった。身内の恥は、所持する全権力を結してでもそそがなければならない。


 そんな話をしていたらどうやら、馬車が置いてある場所にまできていたようだ。

 貴族の子どもが多く通うここには、馬車置き場が存在する。昼間は何も置いていないが、通学時間帯はここに多くの馬車が並ぶのだ。既に並び始めている中から、ふたりは馬車を見つけ出す。従者が外に出て、ふたりの帰りを待っていた。


 エルミシアは従者に「お待たせしました」という労いの言葉をかけ、馬車に乗り込む。帯剣していた剣はベルトから抜き、車内の足元に置いた。


 ふたりは屋敷も近いため、ともに通学していた。

 馬車が動き出して少しすると、エルミシアの溜飲もだいぶ下がってきた。同時に不安が頭をもたげる。それは言葉となって口からこぼれ落ちる。


「……どうなるでしょう。やるならば、民たちに迷惑のかからないやり方にしてもらいたいのですが」

「そこは大丈夫でしょう。僕たちの両親は、そこまで愚かではない。その上四大公爵家全てが結集して、秘密裏に王家を潰すことを目論んでいるんだ。王家に存続はないよ。きっと一番安全な方法で、すべてをおさめてくれる」

「……そうですね、わたくしたちの両親ですもの。きっと大丈夫です」


 エルミシアはここにきてようやく、笑みを見せた。すると、リクスはホッとした顔を見せる。それを見て、エルミシアは気づいた。


(いやですわわたくし、もしかしなくともリクス様に心配されていた?)


 エルミシアは自身の短絡さを恥じる。

 そういえばここ最近決闘の数も多く、王子の無能さに苛立っていた。それもあり、どうやら笑顔が減っていたらしい。

 リクスにそれを心配されるなど、彼の婚約者あるまじきことだ。


「申し訳ありません、リクス様。わたくしったら、自分のことばかり……」

「いいんだよ、エルミシア。君が怒る理由も分かる。今の王家は、それだけのことをしているからね」


 でも、僕と一緒にいるときは僕のことを考えてほしいな。

 そうつなげ、リクスはエルミシアの肩を抱く。一気に距離が近くなり、彼女は肩を跳ね上げた。

 見上げればそこにリクスの顔があり、頬が赤くなる。ゆっくりと近づいてくる顔を見て、エルミシアは自然と目をつむっていた。


 唇に柔らかい感触が広がり、胸が温かいもので満たされる。

 唇が重なっている時間はそう長くはなかったが、エルミシアにはそれで十分だった。


「エルミシア、顔真っ赤。かわいいよ、すごく」

「恥ずかしいので、見ないでくださいまし……」

「かわいいからもっと見たいな。ダメ?」

「……ダメじゃないです」


 リクスの肩にもたれかかりながら、エルミシアはつぶやく。

 前世では夫婦だったはずなのに、恥じらいが未だ抜けないのはどうしてだろうか。思えば前世でも、こんな感じだった気がする。

 おそらくそれは、どれだけの月日が経とうとも愛を囁くことをやめないリクスの態度が原因だった。


 どちらからともなく手を繋ぎ、身を寄せ合う。

 目をつむれば、リクスも寄りかかってきた。その温度が心地良くて、エルミシアの顔に笑みが浮かぶ。


(今世こそ……今世こそは絶対に、手放しはしませんわ)


 ふわふわした頭を抱えたまま。

 エルミシアはゆっくりと意識を飛ばした。



 ***



 エルミシアは夢を見ていた。それは、前世の夢だ。


 夏にしては珍しく、雨が降った夜のことだった。

 エルミシアはリクスとともに、寝る前の談笑をしていたのだ。


(これは……リクス様が亡くなったときの)


 エルミシアはそれをじいっと眺め、目を伏せる。


 ふたりが笑って話している最中、侍女が紅茶を運んできた。その紅茶に、リクスは手を取る。


(ダメ)


 ダメだと、エルミシアは叫ぶ。しかしその願い叶わず、リクスは紅茶を飲んでしまった。

 彼の手から、紅茶の入ったカップがこぼれ落ちる。夢の中にいるエルミシアの喉から、甲高い悲鳴が漏れた。


 リクスに毒を盛ったのは、エルミシアの侍女だった。いや、正しくはエルミシアに毒を盛ろうとしたのだという。彼女は、王家に復讐がしたかったそうだ。


 しかしそれはどういうわけか、リクスの手に渡った。何故なのか、今でも分からない。

 処刑される手前まで、侍女は呪詛のように同じ言葉を繰り返し吐いていた。


『お前はこれからも独りぼっちのままだ。独り孤独を抱えて生きていくんだ』


 その言葉は、当時のエルミシアを蝕む鎖となった。

 側に置き続けるほど信頼していたのも、要因のひとつだろう。

 しかしそれよりも彼女の心に影を落としたのは、自分の代わりに死んでしまったリクスへの罪悪感だった。


 そのことに対する贖罪しょくざいに、エルミシアは自分が女王となり、戦争に臨むことを選んだのである。


 本当は、戦争で死にたかった。死んでリクスのところへ行きたかった。でもそれは、王女として与えられた役割に反する。だから必死で生きて、変えようとしたのだ。


 結果戦争は終わり、国は平和を取り戻したが、疲れ切っていたエルミシアは気づけば倒れており、それから目覚めることはなかった。

 眠るように死んだな、と今思い返しても思う。


 にもかかわらず、その記憶を抱え転生したのは何故なのだろうか。

 しかも元夫が婚約者なのは、なんの因果なのだろうか。


「贖罪がまだ足りていない」のだと、神様が告げているような気がした。ゆえに、リクスを守っていると言うのもある。


 しかしそれ以上に、リクスと過ごす日々が楽しくて楽しくて仕方ないのだ。あの日の幸せが戻ってきたような。そんな幸福感に、自分の罪も忘れてしまう。

 そんな彼を亡くした痛みは、今でも忘れられない。彼が手放せないのは、それもあった。いや、それが本音だ。


(わたくしは、とても醜い)


 贖罪と言いながら、リクスから離れられない自分に自嘲する。


 リクスの幸せをただ願って、離れる覚悟すらできない。そんな恐ろしいこと、できないのだ。もう二度と、あの喪失は味わいたくなかった。


(リクス様、申し訳ありません。きっと今のわたくしは、あなた様が好きだった頃のわたくしではありませんわ)


 そう思い、固く目を閉じる。

 そしてエルミシアは、過去のすべてから目を背けた。



 ***



 エルミシアは、ぼんやりとした意識を抱えたまま目を開いた。ゆりかごのようにリズミカルな揺れが心地良くて、また眠ってしまいそうになる。彼女はそれを、数回瞬くことで逃れた。

 ぼやけた視界が鮮明になるにつれて、ここがどこなのか理解する。


(わたくしの住む、お屋敷の廊下だわ)


 いつの間にか着いていたらしい。

 しかしそこで、おかしなことに気づいた。

 眠気が一気に覚め、ハッと顔を上げる。見上げればそこには、リクスの顔があった。


「リクス、様?」

「あ、起きたんだ。おはよう、エルミシア。あんまりにも気持ち良さそうに寝ているから、起こすのが忍びなくてね。そろそろ君の部屋に着くところだよ」

「あ……ありがとうございますわ……」


 どうやらエルミシアは、リクスに横抱きにされているらしい。

 それに恥ずかしさを感じながらも、彼女は同時に安堵していた。


(あんな夢を見た後だからか。リクス様がいて、ホッとしている自分がいるわ)


 馬鹿馬鹿しいと、内心嘲笑う。しかし、それを表には出さないように心がけた。

 リクスが好きなエルミシアは、あんな自分ではないのだから。

 そう何度も言い聞かせ、できる限り自然な笑みを浮かべる。


「リクス様。もう下ろしていただいて構いませんわ。わたくし、自分で歩けますので」

「うーん。それはやだなぁ」

「……え、や、やだと言われましても……」


 そんなやり取りを続けている間も、リクスの足は止まらない。そうして彼はエルミシアの部屋に入り、彼女をそっとソファの上で下ろしてくれた。

 その手つきがあまりにも優しくて。エルミシアの心臓が大きく音を立てる。

 リクスはエルミシアの髪を優しく撫でると、そっと膝をついた。


「ねえ、エルミシア」

「は、はい。なんでしょう、リクス様」

「エルミシアは、何をそんなにも悩んでいるの?」


 リクスにそう言われ、エルミシアは戸惑う。されどそれも一瞬、笑みを浮かべた。


「あら、リクス様。わたくし、悩んでなどおりませんわ」

「……そう」


 事実、悩んではいなかった。ただ自分の醜さを恥じていただけ。リクスが好きで好きでたまらないがゆえに、過去のことなどなかったことにして彼の隣りにいようとしている自分が、哀れに思えてならないのだ。


(ですが、今度は絶対に失ったりはしません。あなた様は、わたくしが守りますの)


 そう決意を新たに、エルミシアは微笑む。先ほどよりも、胸のつかえは取れていた。


「ですが、お気持ちだけ受け取らせていただきます。わたくし、リクス様のような方と婚約ができて、本当に幸せですね」


 これは、心の底から思ったことだった。

 事実、エルミシアは幸せだ。前世愛した人に、今世でも婚約できているのだから。

 リクスはどこまでも優しく、エルミシアを甘やかしてくれる。時々他者に対してとんでもなく心が狭くなり、それを止めるのもエルミシアの役割だが、それはそれで楽しかった。


 本心からそう告げたのもあり、リクスの表情が柔らかくなる。


(本当に、聡い方だわ。どうしたら気づかれないようにできるのかしら……)


 安堵すると同時にそんなことを思い、エルミシアは笑った。

 リクスは彼女の手を恭しく取ると、手の甲にそっと口づけを落とす。


「また明日も、必ず迎えに来るから。じゃあね、エルミシア」

「は、はい。おやすみなさいまし、リクス様」


 そんなやり取りを終え、リクスはエルミシアの元から立ち去った。

 扉が閉まり、足音が遠退いていくのを確かめたエルミシアは、深くため息を吐き出す。


「……リクス様のお側に長くいられるよう、頑張らなくては」


 そうつぶやき、エルミシアはソファから立ち上がった。



 ***



 そして、いつもの朝がやってくる。

 朝の稽古を終え身支度を整えたエルミシアは、今日も今日とてリクスとともに馬車に乗り込んだ。


 学園に着き馬車を下りると、ちょうど良く見知った顔に遭遇する。

 エルミシアはぱあっと表情を明るくし、彼女に駆け寄った。


「おはようございます、カルミナ!」

「あら、おはよう。エルミシア。やっぱりリクスもいるのね」

「当たり前だろう? 僕はエルミシアの婚約者なんだから」

「はいはい。分かった分かった」


 そう言い呆れた顔をするのは、エルミシアの親友であるカルミナだ。赤い巻き毛に榛色の瞳という、その場にいるだけで目立つ彼女は、見た目通りきつい性格をしている。貴族としての自尊心が強いこともあり、王子をよく叱っていた。おそらくあのダメ王子はそれがいやで、カルミナを婚約者から下ろしたかったのだろう。


(本当、意味が分かりませんわ。それを許すならばはじめから、婚約などしなければ良かったのに)


 国王に対する罵倒を内心で述べつつ、エルミシアはスカートをつまみ淑女の礼を取る。その相手は、カルミナの隣りにいる男子生徒だ。


「レフィエル様も、ご機嫌よう」

「うん。エルミシア嬢、ご機嫌よう。今日も良い天気だね」


 そう言いのほほんと笑うのは、カルミナの婚約者であるレフィエルだった。彼はエルミシアよりもひとつ上なのである。上級生だからと言ってあまり区別しないが、彼だけは別だ。カルミナが戻ってくるまで、決して誰とも付き合おうとしなかった純粋な人なのである。ゆえにエルミシアは、彼に敬意を払っていた。


 柔らかそうな栗色の髪に、エメラルドのような瞳をしたレフィエルの雰囲気は、とてもほんわかしている。現に、彼が怒った姿をエルミシアは見たことがなかった。

 いつもだいたい笑っている、温厚な人なのである。


 せっかちで気の強いカルミナと、穏やかで優しいレフィエルは、エルミシアの目から見てもお似合いだ。ふたりがくっついて良かったと、今でも思ってしまう。


 そんなことを思っていると、入り口辺りが騒がしくなり始めた。

 振り返って見てみると、見た目から言って派手な馬車がゆっくりと近づいてくる。ごてごてしたそれは実用性に乏しく、趣味がいいとは言えなかった。

 エルミシアは見るからに趣味の悪い馬車を見て、眉をひそめる。そしてさっさと中に入るよう促した。


 四人は駆け足で中に入り、はあ、とため息を漏らす。


「相変わらず、趣味の悪い馬車だわ。壊したくなる」

「まあまあ、カルミナ。あんな馬車だって、売ったらかなりの値段になるんだから、横暴なことをしたらいけないよ?」

「売れるのなら、売っぱらってやりたいわ。そのほうが民のためになるもの」


 カルミナは嫌悪感を隠そうともせず、そう吐き捨てる。

 馬車に乗っていたのは言わずもがな、王子だ。中には平民の娘もいるだろう。魔力が高いゆえに、入学を認められた少女だ。


(あんなバカ王子に愛されてしまうなんて、可哀想に)


 同意の上での婚約ならば良いが。あのバカ王子ならば、相手の気持ちを無視して強硬手段を取りそうだ。現にカルミナは決闘の際、「わたしが勝てば、婚約を解消してもらう。だが負けたなら、貴様はわたしの婚約者のままだ。どうだ、嬉しかろう!」と決闘にあるまじき論理を展開してきたのだ。


 ここ最近主流の決闘では、相手が欲しいものを提示してきた場合それと同程度の要求を相手にして良いということになっていた。


 しかしそれすら守られず、勝てば婚約続行。負ければ婚約破棄。おかしな話だ。カルミナがわざと負けるわけである。

 そんな彼女に、王子は負けた後も何かと絡んできた。それが鬱陶しいため、エルミシアはさっさと中に入るよう促したのである。


 廊下を歩きながら、エルミシアはため息を漏らす。


「朝から嫌なものを見ましたわ」

「クラスが違うことが唯一の救いね」

「カルミナ、本当に大丈夫なのですか? 会う機会は少ないとは言え、顔を見るのも嫌でしょうに」


 そうカルミナに問うと、彼女はにこりと微笑み首を横に振る。


「何を言っているのよエルミシア。わたし、あいつのおかげで婚約破棄できたのよ? 心の底から感謝しているわ」


 そうは言ったが、カルミナの目は笑っていなかった。「いつか必ず、目にもの見せてやる」という本音が透けて見えるようである。

 エルミシアは苦笑いをした。


(カルミナが怒っておりますわ……恐ろしいですこと)


 カルミナは、怒らせると怖い。一度怒り出すと止まらなくなるのだ。そしてだいたい手が出る。彼女の得意武器である細剣レイピアの、凄まじい突きに見舞われる。できれば今回は、それを見たくはないのだが。


 そう思いながら、エルミシアはカルミナとレフィエルと別れる。上級生たるレフィエルは当然だが、教室が違うのだ。

 リクスとともに自身の教室に入ったエルミシアは、席に着きながらため息を漏らす。


「カルミナの前では言えませんでしたが、そろそろ王家主催の舞踏会がありますわ。何か起こりそうで不安です」

「エルミシアは、不安なことばかりだね」

「リクス様が、ゆったり構えすぎているのです」

「エルミシアが真面目なだけだよ」


 エルミシアの隣りに腰かけたリクスは、そう言って笑う。

 エルミシアはむぅっとした。しかし同時に、自分がかなりの心配性だという自覚も芽生えてくる。


(前世、女王なんてやっていたからかしら。国が良くなるように動かなければならない、という意識が根幹にありますわ)


 前世の記憶のないリクスがゆったり構えているのは、ある意味普通である。エルミシアは反省した。


(もう王妃でも女王でもないのですから、国について深く考えすぎるのはいけませんわ。今のわたくしは公爵令嬢。公爵令嬢らしく……公爵令嬢らしく、何を考えれば良いのかしら?)


 思えば、昔からこんな考えだった。両親もそれを止めたことはない。

 どうしたものかとエルミシアが唸っていると、頬をつつかれる。

 顔を上げれば、リクスの悪戯っぽい顔が見えた。


「エルミシア、また難しい顔してるよ」

「……申し訳ありません」

「別に? エルミシアらしくて良いと思うよ、そういうところ。僕より賢いし、気配りができるし。でもあんまり見てくれないと、悲しくなっちゃうな」

「う……善処いたしますわ」


 顔を逸らしつつ、エルミシアは頷いた。

 そんなエルミシアを見て、リクスは笑い頭を撫でてくる。


「大丈夫だから。僕がいるよ。だから全部問題ない」


 君が守り抜いた平和な世の中を、今度は僕が守るから。


 最後の最後でつぶやかれたその一言に、え、と顔を上げる。

 しかしそれっきり、リクスは何も言わず。

 何か問う前に、学園の鐘が鳴り響いた。


 教師もきたため、エルミシアはしぶしぶ道具の用意をする。

 結局彼の言葉の真意は、分からず終いだった。



 ***



 それが分かるのは、王城でおこなわれる舞踏会の最中である。

 今日のために嫌々ながらも用意したドレスを身にまとい、エルミシアはリクスが待つ玄関へと向かった。

 見ればそこにはすでに、エルミシアとリクスの両親、そしてリクスが待っている。

 エルミシアは駆け下り、ドレスの裾をつまんだ。


「お待たせいたしました! 申し訳ありません、このドレス、少し複雑な形をしておりまして……」

「あらあら。良いのですよエルミシア。素敵なドレスだもの。わざわざ仕立てさせた甲斐がありました」


 母にそう言われ、エルミシアははにかんだ。


 エルミシアが着ているのは、異国風にアレンジされたドレスだ。

 彼女の武術の師が祖国で使われている布を持ってきたため、それを使って作ってもらったのである。異国の師を呼ぶようになったからか、最近のドレスはもっぱらそういったものが多かった。


 鮮やかな瑠璃色の布に、金と銀の糸で刺繍が施されている。花や蝶が描かれたそれは、見るも鮮やかだ。師の祖国では、体のラインにぴったりと沿わせ、深くスリットを入れた形できるのだと言う。スリットが深いため、足技を繰り出しやすいと教えてもらった。まあ今回はそんな機会もないため、普通にドレスだが。


 その布を一部分に用い、純白の布やレース、リボン、フリルがふんだんに使われたドレスは、職人の腕もあってかうまくまとまっていた。髪型もそれに合わせ、花がモチーフになっている簪というものを挿している。


 そんなエルミシアを見て、リクスはぱあっと表情を明るくさせた。彼にしては珍しい変化に、エルミシアも嬉しくなる。


「すごく似合っているよ! エルミシア! こんな君と踊れるなんて、嬉しいな」

「ありがとうございます。リクス様だって綺麗ですわ」


 エルミシアははにかみながらも、リクスの服を褒める。事実、彼はとても美しかった。

 白を基調とした礼装に、金の装飾が施されている。白の衣装を着こなせるものなど、そう多くはないだろう。腰には剣も帯剣されており、騎士のようである。


 そんなふたりのやりとりを楽しげに眺めるのは、ふたりの両親である。その眼差しを見て、エルミシアは恥ずかしくなった。そのため少しばかり大きな声で言う。


「舞踏会に遅れてしまいますわ! 行きましょう!?」

「エルミシア。そのドレス裾が長いから、足元に気をつけて」


 お手をどうぞ、お姫様?

 そう言われ、リクスはエルミシアに白手袋をつけた手を差し出す。

 それに余計恥ずかしさを感じつつも、エルミシアはリクスとともに馬車に乗り込んだのだった。


 ドレスはとても美しく気分も上がるのだが、行く場所が行く場所である。馬車の窓から見える城がだんだん近づいてくるのを見て、エルミシアは嫌な気分になった。


(あのバカ王子、カルミナにまた何か言いそうですわ。わざわざ、彼女の元に足を運んで)


 その様がありありと浮かび、エルミシアは眉を寄せる。すると、しわの寄った部分をツンッとつつかれた。

 犯人は言わずもがな、リクスである。

 額を抑えつつじとっとした目を向けると、リクスはくすくすと笑う。


「だって、しわが寄ってたから。僕といるのが楽しくないなんて言う理由で、眉しかめてたわけじゃないでしょう?」

「当たり前ですっ! リクス様といられて、幸せに決まっているではありませんか! ですがその、カルミナがあのバカ王子に絡まれないかが心配で……」

「……もーほんと、エルミシアはかわいいなぁ」

「ど、どこがです!?」


 唐突にかわいいと言われ、エルミシアはたじろいだ。しかしリクスは優しい眼差しをして、エルミシアを抱き締める。彼の髪がさらりと、首筋をくすぐった。


 リクスの匂いがし、エルミシアの心臓がとくりと鳴る。

 彼女の頭を撫でながら、リクスはこう言った。


「大丈夫。すべて丸くおさまるから」

「……リクス様?」

「エルミシアには、笑顔が似合う」


 わけが分からない言葉を言い、リクスは抱き締める力を強くした。

 逞しい腕に抱えられながら、エルミシアはリクスの腰に腕を回す。

 リクスは、かすれた声でつぶやいた。


「ねえ、エルミシア。僕が何をしても、君は味方でいてくれる?」


 エルミシアは、その儚げな声を聞き目を見開いた。されど数秒置いた後、直ぐに答えを出す。


「もしもその選択が間違っていたならば、わたくしがお教えしますわ。昔からそうだったではありませんか。わたくしはこれまでも、これから先も。リクス様の味方です」


 そう。その答えは、前世から何も変わっていない。

 ゆえにエルミシアは、少し考えた後そう答えた。なぜ考えたかと言うと、ただ味方でいると言うだけでは意味がないなと感じたからである。


 間違っていることがあれば止める。

 それは、エルミシアの仕事だ。ゆえにその一文を考えるために、少しだけ時間を使ったのである。


 すると、リクスの体から力が抜けた。そしてゆっくりと離れていく。

 そのとき見た彼の顔は、なんとも言えず儚くて。

 でもとても、美しい笑みを浮かべていた。


「……そっか。そうだよね。エルミシアだもの。心配する必要なんか、なかった」

「……なんだかんだ言って、リクス様も心配性ですのね?」

「ふふ、僕はエルミシアと違って、周りを心配しているわけじゃないんだ」


 僕が心配するのはいつだって、君だけだから。


 そう言われ、エルミシアは瞬いた。二つほど間を置き、どういうことを言われたのか気づく。自分でも分かるほど、顔が熱くなった。ぶわりと、熱が立ちのぼる。


(なんでこういうときに、こういう不意打ちを言ってくるのですかこの方は……!!)


 エルミシアは自身の頬を抑え、そう思った。

 その言葉で、エルミシアはすっかりリクスの意味ありげな言葉を忘れてしまう。

 そうこうしているうちに馬車は城の前に付き、止まる。

 エルミシアはリクスにエスコートされながら、光り輝く城へと足を踏み入れたのだった。


 大広間に入り、エルミシアは早速カルミナのもとへ向かった。

 心配だったということもある。ただそれ以上に、彼女は目立っていたのだ。

 探すまでもない。それほどまでに、目立っている。


 カルミナは、目にも鮮やかな真紅のドレスを着ていた。


 彼女も自身の師からもらったのか、師の祖国で織られる布を使っている。東の端にある国で、真紅の布地いっぱいに色とりどりの花が描かれていた。さくら、という花だったか。それがいっぱいに広がっており、とても美しかった。


 赤い巻き髪ということもあり、ひときわ目立つ。隣に佇むレフィエルは漆黒の燕尾服を着ており、ふたりはとても仲睦まじく見える。


 エルミシアはリクスの手に引かれながら、ドレスの裾をつまみあげた。


「ご機嫌よう、カルミナ。美しいドレスですわね!」

「あら、ご機嫌ようエルミシア。あなたも美しくてよ!」


 そんなやり取りをしつつ談笑していると、知り合いの令嬢たちが挨拶をしてきた。

 舞踏会では別に、上位の貴族に挨拶する決まりはない。ただ知り合いに挨拶をすると言う暗黙の決まりがあった。

 そうしてひと通りの挨拶を終えてカルミナと話をしようとすると、会場内が騒がしくなる。


 嫌な予感がしつつも視線を動かすと、案の定。そこには王子たるクロヴィウスと、その婚約者であるルミナシルがいた。


 相変わらず顔だけは良いな、とエルミシアはクロヴィウスを冷ややかな目で見る。


 栗色の髪に青い瞳をしたその姿は、整っているのだ。しかし中身がアホなため、ほとんどの令嬢たちが寄り付かなくなっている。その隣りにルミナシルもいるため、利益がないのもあるだろう。


 ルミナシルは相変わらず縮こまり、俯いている。金色の髪の下に隠された黒い瞳は、不安そうに揺れていた。

 カルミナはそれを見て、複雑そうな顔をした。


「お可哀想に」

「……怒っていないのですか? カルミナ」

「怒るわけないじゃない。むしろ彼女は被害者だもの。調べさせたけど、学園に通うためのお金を負担する代わりに、あんなことをしているらしいわ。どうしても、城付きの魔術師になりたいのですって。お母様、体が弱くて寝たきりだからじゃないかしら」

「まあ……」


 城付きの魔術師とはその名の通り、城に雇われて働く魔術師のことだ。給金も良く、扱いも上等。男爵位ももらえ、安定した生活を送れるようになるらしい。

 しかしそれと同時に、それ相応の実力が必要になる役職だった。勉学から一般教養の試験まで、様々なものがあるのだと言う。


 ゆえにルミナシルは、学園に入りたかったのだろう。しかし平民が気軽に入れるような金額ではなかった。

 魔力は高いがお金がない中、成り上がりたい者は多い。それゆえに彼女らは権力者に体を支払い、援助を求めるのだと言う。


(平民でも魔力が高い者に対する、なんらかの制度を取ったほうが良いのではないでしょうか……)


 エルミシアはそう思ったが、今の彼女は女王ではない。口出ししても、実現は不可能だろう。

 しかし今の王はあまり、そちらに対する関心が薄かった。王妃にベタ惚れし、しかしそれ以外は見えていない。

 王妃がわがままになり始めてから、それはさらに悪化したと言う。どうしようもない話だ。


(そんな国王でも一応、即位する前は讃えられていたのですから、おかしな話ですわ)


 人は変わるものだということが、良く分かる話だ。

 エルミシアはそれを感じ取り、自分自身も気をつけなくてはと思い直す。

 為政者は決して、権力に驕ってはいけないのだから。


 そうしていると、やはりというべきか。王子がカルミナのもとへやってくる。

 エルミシアは彼女の前に立ち牽制しようとしたが、カルミナに止められてしまった。


「エルミシア、良いわ。あなたが関わる必要はないもの」

「ですが……」

「それにこれは、わたしの戦いでもあるのよ、エルミシア」


 だから大丈夫だと、カルミナは笑う。その笑顔は、貴族としての矜持に満ち溢れていた。

 それを見て、エルミシアは目を見開く。すると手を取っていたリクスが、彼女の腕を引いた。


 顔を上げれば、リクスが首を横に振っている。エルミシアはそれを見て、唇を噛み締めた。


(そうですわね……これは、カルミナの戦いなのですわ)


 彼女の戦いに、エルミシアが口を挟むのは良くないことだ。むしろそれは、カルミナの誇りに傷をつけることになる。

 そのためエルミシアは歯がゆく思いながらも、リクスの手を握り締めた。


 バカ王子は一直線にカルミナのもとへ行き、品のない笑い声をあげる。


「カルミナ、久しいな」

「……ご機嫌よう、殿下。相変わらず、お元気なようで」

「ふん。当たり前だろう? このわたしに何かあれば、国家が困るからな」

「うふふ。随分とまあ、ご大層なことを」

「本当にお前は、相変わらず愛想のない女だな。ルミナシルとは大違いだ」


 そう言い、王子はルミナシルの肩を抱き締める。彼女は一瞬肩を震わせ、俯いた。どうやら、自身に話題が向くとは思わなかったらしい。申し訳なさそうにカルミナを一瞥し、さっと目を逸らした。

 平民には、居心地が悪かろう。そう、エルミシアは思う。


 そして王子はカルミナにのみ絡んでいるならまだしも、婚約者であるレフィエルにまで暴言を吐いた。


「お前も、わたしのお下がりをもらえて嬉しかろう? カルミナはうるさいやつだが、お前は大丈夫か。嫌な思いをしていないか? まあもし嫌ならば、決闘でもして好きな女を奪うと良いさ」


 失礼極まりない言葉に、エルミシアは歯をくいしばる。リクスが手を握っていてくれなければ、殴り飛ばしていたところだ。それほどまでに許しがたい暴言だったのである。


 一方のレフィエルはそれを聞き、カルミナの手を取る。そしてもう片方の手を腰に添えた。


「何を勘違いしているのかは知りませんが、カルミナは昔からわたしの愛する女性ですよ? ええ、昔も今も、それは変わりません。むしろありがとうございました、殿下。カルミナを返してくださり、感謝しています」


 レフィエルは笑っていたが、その目は暗い色を灯している。今にも王子を殺しそうだ。視線だけで相手を射殺すことができるのであれば、王子は今死んでいるだろう。

 エルミシアの目から見ても、今のレフィエルは明らかにキレていた。それはそうだろう。自身の愛する人を侮辱されて、気分が良くなる者はいない。


 その様子にたじろいだ王子だが、どうやらレフィエルの言葉が気に入らなかったらしい。顔を真っ赤にし、唇をわななかせている。短気なことである。


「お前、このわたしを侮辱したな!?」


 そう言い放ち、王子はルミナシルを横に突き飛ばした。もちろん、ルミナシルがそれを予測していたはずもない。彼女は床に倒れ込み、小さく悲鳴をあげた。

 エルミシアはそれを見て動こうと思ったが、状況が状況なため迂闊な行動ができない。

 しかしこれで、王子がルミナシルをどう思っているのかがよく分かった。


(バカ王子にとってルミナシルさんは、物珍しいお人形なのですね)


 どんなに叩いても殴っても、文句などひとつたりともこぼさない、ていのいい人形だ。カルミナならば反撃する。しかしルミナシルはただ殴られ、俯くだけだ。それが王子にとってはひどく新鮮で、楽しいことなのだろう。


(救いようのないクズですこと)


 エルミシアは内心そう吐き捨て、王子に冷めた目を向けた。周囲からの視線も同様である。会場の空気が凍りついていることに気づかないなんて、おめでたい頭をしていることだ。


 そう思っている間にも、王子の横暴は止まらない。


「わたしは王族だぞ!? 非礼を詫びろ! この無礼者!!」

「おやおや。わたしは何か、失言をしましたか? 感謝の言葉を述べたはずなのですが」

「うるさいうるさいうるさい黙れ!」


(公爵家とて一応、王族の血が流れている由緒正しき家柄なのですが)


 エルミシアは内心そうつっこんでしまう。

 王族としての血の濃さのみで順序をつけるならば、リクスの家が一番上にくるだろう。なんせリクスの母は、現王の妹なのだから。


 圧倒的な温度差に気づかないまま喚き散らす王子に、辟易していたときだ。リクスがふいに、エルミシアの手を離したのである。


(え?)


 そう思った頃には、リクスはすでに王子の眼前に佇んでいた。

 彼は満面の笑みで微笑むと、愉快そうに言う。




「ならば殿下。此度の件、決闘にて決着をつけませんか?」




 その笑顔を見たエルミシアは、背筋に冷たいものが流れ落ちるのを感じた。


(あの笑みは……リクス様が、怒っていらっしゃるときの笑みですわ……)


 それと同時に、相手を完全に見限ったとき見せる笑顔だった。

 前世。一体何人の家臣が、あの笑みとともにクビを言い渡されてきただろう。


 しかしエルミシアが止める間もなく、リクスは言葉を続けた。


「ルールは至極簡単。勝ったほうが負けたほうの言うことを、なんでも聞く、と言うものです。どうです?

 とても簡単だと思うのですが」

「……ふ。なるほど。つまりわたしは、そいつらを跪かせて踏みつけることもできるのだな?」

「いえ。僕が相手をしますので、それはご遠慮願いたいかと」

「……何?」


 エルミシアはハラハラする。ちらりとカルミナのほうを見たが、彼女はリクスを見つめていた。

 その視線を辿り、エルミシアは再びリクスのほうを見つめる。リクスはにこにこと笑っていた。


「お前に一体何を期待しろと言うのだ。馬鹿馬鹿しい」

「ですが決闘のルールにのっとるのであれば、一度申し込まれたら最後。必ず受けなければならないと言う決まりがあると思うのですが。それとも殿下は公衆の面前で、それを破ると言うのでしょうか?」

「……くっ」

「それに、僕は殿下にとって忌まわしい情報を持ち得ているのです」


 そう言い、リクスは王子の耳に口を寄せ、何やら話す。

 はじめのうちは澄ました顔をしていた王子は、それを聞き顔色を青くし始めた。


「お、お前、それを一体どこで……!!」

「ふふ。殿下が勝利をおさめた暁には、僕が持ち得る殿下に関するすべての情報を口外しないことを、約束いたしますよ?」

「くそっ……分かった、やろうではないか!」


 リクスはどうやら、王子をうまく誘導したようだ。

 決闘をおこなう流れになったのを知った周囲は、ざわめいた。舞踏会でこんなことになろうとは、思いもしなかったのだろう。エルミシアとて同感だ。


 されど、王子はやる気満々。リクスも同様である。レフィエルはというと「じゃあわたしが、判定員をつとめるね」と言い笑っている。カルミナは呆れてはいるものの、口を挟む気はないようだ。


(え、え……舞踏会、ですわよね?)


 舞踏会が武闘会になってしまった。

 が、決闘は申し込まれたら最後。受け取らなければならない。それを公認した王家が、それに背くわけにはいかないだろう。

 そしてなんだかんだ言いつつ、周囲もノリノリだった。早速決闘の準備を始めている。


(この国の貴族とは、いつから戦闘狂の集まりになったのでしたっけ? それとも賭博ギャンブル狂いかしら……)


 エルミシアはため息を漏らしつつも、ルミナシルのもとへ近づいた。

 彼女は未だに床に倒れている。立つ気力もないようだ。

 エルミシアはそんな彼女に手を差し出し、声をかけた。


「ルミナシルさん。お手をどうぞ」

「……え?」


 ルミナシルは、そんな声を出し上を向いた。そこにいるのがエルミシアだったことに気づき、余計に驚いている。

 それに構うことなく、エルミシアは再度手を伸ばした。


「せっかくのドレスが汚れてしまいますわ。さあ、お立ちになって?」

「あ……ありがとう、ございます……」


 ルミナシルはビクビクしながらも、エルミシアの言葉に従った。断ったらいけないと思ったのだろう。

 エルミシアは苦笑しながらも、彼女の手を引っ張った。

 ルミナシルをエスコートしつつ、エルミシアは言う。


「心配せずとも、大丈夫ですわ。ルミナシルさん」

「……え?」

「わたくしの婚約者様は、あなたのような方を見捨てるような人ではありませんの」


 エルミシアはそう言い切り、できる限り柔らかく見えるように笑った。

 それを見たルミナシルは、困った顔をしている。おそらく、エルミシアが何を思ってそう言っているのか分からないのだろう。

 しかしエルミシアから言えるのは、一言だった。


「さあ。最高の娯楽(決闘)を楽しみましょうか?」









 舞踏会が一変し、武闘会と化した。

 しかしそんな具合になっても、国王も王妃も来ない。エルミシアはそれを見て「裏で何か工作がされているのでは?」と思ったが、知らないふりをした。リクスが「決闘をする」と言い始めたあたりからおかしいとは思っていたので、いまさらだろう。大人たちがいるにもかかわらず、一向に関わって来ないのも気にかかる。


(もしかしなくともこれが、リクス様がおっしゃっていた平和的解決というやつなのかしら)


 そう考えつつ、エルミシアはリクスを見つめる。

 いつの間に所持していたのか。彼は自身の愛剣を腰にぶら下げていた。やる気満々である。礼服に帯剣姿という珍しいものを見れたので、エルミシアは満足した。眼福である。


 王子のほうも準備は万全な様子で、腰に手を当てて格好つけていた。

 規定通り礼を交わしたふたりは、剣を抜き構える。

 審判をつとめるレフィエルが、手を挙げた。


「それではこれより、決闘を始めます。――始め!」


 レフィエルが掛け声とともに手を振り下ろすと同時に、決闘が開始された。


 はじめに勝負を仕掛けてきたのは、王子だ。彼は剣を床と平行に保ちながら、大きく前に出る。いわゆるところの突きである。どこか気取った態度が鼻についた。剣技にも苛立つことがあると知り、エルミシアは違った意味で感心する。


 リクスはその一撃を難なく避け、距離を置いた。

 王子はその間にも追撃を続ける。キンッキンッと、剣が合わさる甲高い音が響き渡った。


「おら、どうした! 逃げ腰になっているぞ!?」


 安っぽい挑発に乗ることなく、リクスは剣を弾いていく。その足運びは、まるでダンスを踊っているかのようだった。

 一見防戦に見えるが、あくまで演出だろう。リクスは、性格が悪いのだ。嫌いな相手は、心もろとも徹底的に叩き潰す。そのための舞台作りには力を入れるのが、リクスという人だ。その証拠に、彼の息は切れていなかった。


 一方で、早くも汗をかいているのは王子である。身体強化の魔力運用が悪いのかなんなのか。残念なことである。


 リクスはそれを見て、攻撃に移ることにしたらしい。今までは王子の剣戟を流すだけだったが、自らも仕掛け始めた。


 リクスの攻撃は、一撃一撃がとても重たい。その上彼はタチが悪いことに、重たいのと軽いのを両方繰り出し、相手を混乱させるのが好きなのだ。おかげで相手は、重たい一撃が来ることを想定して構えなければならない。それは心理的にも負担になる。


 なめらかな剣さばきを眺めつつ、エルミシアは感嘆の声をもらした。


(やはりリクス様は、とてもお美しいわ……)


 ひとつひとつの動作に、まったく無駄がない。そのため、剣舞を踊っているかのような美しさがあった。剣が重なり合う音は軽やかで、それが剣舞を彩る音楽になっている。


 はじめのうちは余裕の表情を見せていた王子だが、その顔にだんだんと焦りが滲み始めているのを、エルミシアは見ていた。遠目から見ても分かる変化を、リクスが見逃すわけもない。彼は王子の剣を絡め取るようにすくい上げた。


 王子の手を離れた剣が宙を舞う。

 剣が床に転げ落ちる音を待たず、リクスは王子の首に剣を突きつけていた。

 レフィエルが鋭く告げる。


「勝負あり! 此度の決闘、リクス・アルファールスの勝利!」


 呆気なく終わってしまった勝負に、周囲は色めき立った。

 しかしそれは、エルミシアにとって当然の結果である。リクスが負けるはずないのだ。

 王子が屈辱に顔を歪める中、リクスは高らかに言い放つ。


「リクス・アルファールスは此度の決闘の報酬として、クロヴィウス・ファルン・ウィルテンティウスの王位継承権放棄を望む!!」


 それを聞いたエルミシアは、ぽかーんとした。周囲もぽかーんとしている。

 しかしそれも一瞬。

 先ほどとは比べものにならない歓声が、大広間に響き渡った。


 王子は何を言われたのか理解できず、固まっている。

 エルミシアはルミナシルの手を引きながら、リクスのもとへ駆け寄った。


「どういうことですの、リクス様!?」

「どういうことも何も。僕は王位継承権を放棄しろと言っただけだよ?」


 実に平和的な解決でしょう? とリクスは笑う。


(確かに平和的解決ですけど……)


 そう思ったが、どこか釈然としない気持ちでいっぱいだった。

 すると彼はこっそり教えてくれる。


「父上たちと決めたことなんだ。提案したのは僕だけど」

「どうしてそんなことを……」

「どうしてだろうね?」


 リクスは首を傾けながら、そんなことを言った。

 すると、だんだんと状況を判断し始めた王子が癇癪を起こし出す。


「そんなアホみたいな提案、聞き入れられるか!! こんな決闘、無効だ!!」

「おや。こんな決闘のルールを決めたのは、君でしょう? 普通ではあり得ない、アホみたいな要求が通ってしまう。そんなルールを作ったのは自分なのだから、せいぜい苦しめばいいと思うよ?」

「ふざけるな!」

「残念なことに、ふざけてこんなこと言うほど暇じゃないんだよね。僕」


 リクスはそう笑いながら、剣を突きつけた。王子はそれにたじろぎ、一歩下がる。それを見たリクスは、一歩踏み込んだ。


「君は、貴族を軽んじすぎた。民を軽んじすぎた。制度を改変しすぎた。その結果が今、こうして返ってきている。それだけだよ?」

「そ、んな……」

「王位継承権がなくなった君には一体、どれくらいの価値があるんだろうね」


 そう言うと、王子は床に膝をついた。

 しかし何を思ったのか、ルミナシルを見る。ルミナシルはびくりと肩を震わせた。


「ルミナシル。お前はわたしを見捨てないよな? わたしがこんなにも愛しているのだから、それはないよな?」

「それ、は、」

「わたしからの支援がなければ、お前みたいな平民が学園に通うことなどできなかったのだぞ? 恩を仇で返すのか!?」

「っっっ!!」


 怯えて今にも泣き出しそうなルミナシルの前に、エルミシアは立った。そして冷めた目を送る。


「殿下、ご安心を。ルミナシルさんはわたくしが支援いたしますわ。彼女ほどの魔力を持った実力者が、権力者の横暴でつぶれてしまう様など見たくありませんもの」

「なっ……」

「ご機嫌よう、殿下。――さようなら」


 その言葉が、すべての答えだった。





 事実これから、王子・クロヴィウスは王子としての地位すらなくし、牢屋に入れられることとなる。


 しかし首を切られる前日。今までの報いを受けるかのように、何者かによって殺されてしまうのだ。


 その死体を発見した兵士は「この世のものとは思えない惨状だった」と話していたと言う。



 ***



 王家が主催した舞踏会当日に、貴族たちは改革運動を開始した。その中には城の住人たちも多く関わり、特に殺し合いが起こるわけでもなく、改革運動は平穏に集結する。


 この舞踏会を機に、この国は変わった。

 王家は上位貴族たちによって解体され、元凶たる王と王妃は揃って首を切られたのである。


 それは、貴族たちによる大革命だった。彼らは今までの悪法を王家もろとも解体し、正しく作り変えていった。


 それから数ヶ月後、新たな王が生まれる。


 リクス・アルファールス。


 彼は改革の中心人物として働いた功績と、王家の血が一番濃い男児であることを理由に、王冠をいただいたのである。








 リクスの戴冠式が終わってから、三月ほどが経った。

 明日に迫るのは、エルミシアとリクスの結婚式である。


 式前日の夜。エルミシアは夜風に当たっていた。季節はすっかり巡り、春先前の冷たい風が吹いている。

 彼女が今いるのは公爵家ではなく、王城だった。

 数百年前と変わらない光景を見て、エルミシアは不思議な気持ちになる。


(まさか、またここで住むことになろうとは。思いもしませんでしたわ)


 エルミシアにとって城は、自身が生まれ育った場所であり最期を迎えた場所だ。思い入れは強い。

 しかし懐かしいような。でもどこか寂しいような。そんな気持ちを感じてしまうのは、どうしてだろうか。


 そんなことを思いながら目を閉じると、肩にふわりと何かがかけられた。

 目を開けて見て見ると、それはショールだ。振り返ればそこには、リクスがいる。


「リクス様」

「夜風に当たるのもいいけど、ほどほどにね?」


 そう言い、リクスは片目をつむる。そしてエルミシアの肩を抱き、中へ入るように促した。エルミシアは逆らうことなく部屋に戻る。


 ふたりはそれから、同じソファに隣り合って腰掛けた。リクスは首を回しながら笑う。


「いやあ。王位につく前なのに、忙しいねほんと」

「当たり前ですわ。リクス様は、英雄なのですから」

「僕は、自分の役目を果たしただけなんだけどね。困ったなあ。血が濃いから選ばれただけな気がするし」


 リクスはそう笑った。が、エルミシアからしてみたら違う。エルミシアの中で、王はリクスだけなのだ。そのため、今の状況が一番しっくりくる。

 そう思っていると、リクスは唐突に真面目な顔をした。


「ねえ、エルミシア」

「なんでしょうか、リクス様」

「……前世では、本当にごめんね」

「…………え?」


 思ってもみなかった答えを聞き、エルミシアは瞠目する。てっきり、リクスは何も覚えていないのかと思っていた。思っていたからこそ、驚きを隠せない。

 そんなエルミシアに苦笑しつつ、リクスは続けた。


「はじめのうちは特に覚えていなかったのだけど、だんだんと思い出してね。それと同時に、前世の君がどれだけ頑張ったのかを知ったよ。どんな死を遂げたかも」

「それ、は、」

「それに気づいたとき、僕は思ったんだ。君の隣りにいるためには、君の苦労を知らなければならないって。だから色々と頑張ってみたのだけど……面倒臭いね、ほんと」


 リクスは肩をすくめる。

 エルミシアはようやく、言葉を紡げた。


「……わたくしは別に、すごくありません。リクス様がいない中、国を守ろうと必死だっただけなのです。ただがむしゃらに走った結果、上手くいってしまっただけですわ」

「うん、だとしても。僕は君とまた、おんなじ形でスタートを切りたかったんだ」


 君と似た苦労を味わって、そして国の為政者として頂点に立つ。


 それが願望だったのだと、リクスはつぶやいた。


「後悔したんだよ。すごく。だから、王としてやり直したかった。公爵でも良かったのかもしれないけど、エルミシアはきっと満足できないでしょう? いつだって周囲を思い続ける姿を見て、ほんとそう思ったよ。結局、ルミナシル嬢も助けちゃうし」

「それは……優秀な人材を、あのまま放っておくのは惜しいと思ったからですわ。百年前よりも今のほうが、魔術師の人口が増えていますもの」

「でもそれと同時に、おんなじ立場にいる他の民草のことを考えたでしょう? どうにかならないものかって思ったでしょう?」

「それは……思いましたけども……」


 口をもごつかせていると、リクスはぎゅっとエルミシアを抱き締めた。突然の抱擁に、エルミシアの心臓が早鐘を打ち始める。


「僕ほんと、エルミシアのそういうところ好き! 前世のときと、何も変わらないもの。そういう可愛い反応も変わらないし」

「これはリクス様が突然抱き締めてきたせいで……!」

「それにしたって、驚きすぎだよ。エルミシア。前世ではそれよりももっとすごいことしたでしょう?」

「リクス様っっ!!!」

「あはは。顔真っ赤」


 ほんと、食べちゃいたいくらい可愛い。


 そんなとんでもないことを言いながら、リクスはエルミシアを膝の上に乗せた。

 小動物にでもなった気分である。エルミシアはいろんな感情がごちゃ混ぜになった結果、そっぽを向いた。


 そんなエルミシアの腹部に腕を回しながら、リクスは言う。


「あと、割と真面目に後悔してることがもうひとつあって」

「なんですの!」

「……エルミシアとの子どもを、作れなかったこと。それが一番悔しかった。君の心の拠り所になる存在を授けることも、君と僕が生きた証を繋げることもできなかったからさ」


 エルミシアはそれを聞き、唇を噛んだ。

 確かに、ふたりの間に子どもはできなかった。しかしリクスがそこまで悔やんでいるとは、知らなかったのである。

 リクスは「過去を悔やんだって、仕方ないんだけど」と言い、エルミシアを抱き締める力を強くする。


「リクス様が悪いわけではありませんわ……」

「そうなんだけど、なんか悲しくなったんだよ」

「ならば……今回は、子どもをたくさん産みますわ! 前世で産めなかった分も合わせて!」

「……ふふふ。それは楽しみだな」


 勢いでそう言ってから、エルミシアは自分がかなり恥ずかしいことを言ったことに気づいた。顔が赤くなり頭がぐるぐるするが、撤回できない。


(だ、だって、リクス様との子どもがたくさん欲しいのは本心ですし……っ)


 ただそのせいなのか。腹部に回された腕を、嫌が応でも意識してしまうのだ。なんだかぞわぞわして、落ち着かない。

 彼女がひとりそわそわしていると、リクスはくすくすと笑った。


「そんなにビクビクしなくても、初夜は明日以降だよ?」

「し、知っておりますっ!」


 勢い良く振り返りリクスを見下ろせば、思いの外優しい視線とかち合った。

 彼は穏やかに微笑むと、エルミシアの髪をそっと撫でる。顔が近づいていくのを感じ取り、エルミシアは無意識のうちに瞼を閉じた。


 いつもより長く甘い口づけに、頭がくらくらしてくる。

 唇が離れた後のリクスの表情が艶っぽくて。エルミシアは無言のまま悶えてしまった。


「今世では、末長くよろしくね? 僕の愛おしい人」

「こちらこそ……よろしくお願いいたしますわ。わたくしの最愛のお方」


 そんな誓いの言葉を口にし、どちらからともなく口づけを交わす。

 エルミシアはとろけるほど甘い接吻の感触に身を震わせながら、甘い感覚に溺れていった。











 リクスが王になった時代は、色々な意味で特別なものとなった。

 教育制度が幾度となく変わり、すべての民に教育がなされるようになったのである。


 周囲がそのように変化したのには、ひとりの魔術師の存在も大きく影響した。


 彼女の名前はルミナシル・ペンスリー。

 男爵位のみならず子爵位すら賜った彼女の実力は、貴族たち以上のものだったのである。現に彼女はそれから、王妃付きの魔術師の地位にまでのぼりつめた。


 それにより、今までの教育制度は大幅に変更され、その改変が国に大きな利益をもたらすこととなるが、それはまだ先の話だ。


 変化はまだまだ続く。

 カルミナ・リブラータは武術の道を極め、国の軍事面強化に大きく貢献した。

 その夫たるレフィエル・リブラータは魔術学者として様々な研究を重ね、魔力がない者でもある程度の魔術を使うことができる「触媒」なるものを発明。これにより、生活水準は大幅に上がったのである。




 それとは別に、ふたりは五人もの子どもを授かった。

 王子が三人に、王女がふたり。

 どの子にも等しく愛情を注いで育てた結果、彼らは王族としての矜持を保ちながら民草を思える、立派な王族へと成長を遂げた。


 それと同時にエルミシアとリクスは、こんなふうに呼ばれるようになる。


「剣の王」。

「剣の王妃」。

 ――二人合わせて「双剣の国王夫妻」。


 民曰くその名には「ありとあらゆる悪を切り、国を発展させていったこと」に対する、感謝の意が込められているのだという――

今作は「女の子たちがスカートを翻しながら戦う世界が見たい!」「前世でやれなかったことを今世で果たすというストーリーの作品が書きたい!」と言う思いを元に書き上げたものでした。

王子から解放されたルミナシルが、エルミシアとのやり取りを経て立ち直ったり。エルミシアから、魔術師になるということはどういうことなのかを教えられたり。

また、カルミナが王子をひっぱたく場面も思い浮かんだのですが、まあ、うん。話の都合上割愛しました。残念。

楽しめたのならば幸いです。

今作をお読みいただき、ありがとうございます!

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