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プロローグ

 ホームセンターで買いそろえたシンプルな木目のテーブルと座椅子、友人に譲ってもらった冷蔵庫や炊飯器。必要最低限のものしか置いていないこの10畳一間のこの部屋で、橘咲夜(たちばなさくや)はめでたく人生20回目の誕生日を迎えた。まだ夏の暑さが残り、近くの小学校からやたらと運動会の競技用BGMが鳴り響く、そんな9月10日。

例年通りならば、朝起きるところから家族や友人に盛大に祝ってもらえるのだが、今朝は咲夜一人きりであった。

 安物のカーテンが、開けっ放しの窓から入ってきた心地よい風に揺れる。その隙間から差し込むあたたかな、しかしどこか秋の予兆を感じさせる弱々しい朝の光に顔面を直撃され、咲夜は布団の上でうなっていた。

 

 (あー……ついに俺も20歳になるのか。まったく、気分はもうおっさんだよ)

 

 ―――3か月前、咲夜は実家を飛び出して、いまの安アパートに引っ越してきた。誤解のないように言っておくと、親から勘当されたわけではない。置手紙だけ自室の机の上に置いて黙って出てきたのである。


 「拝啓 

   皆さま、私、咲夜は本日をもちましてこの家を出ていくことにいたしました。どうぞ探さないでくだ  さい。探しに来たあかつきには、一人ずつこの黒帯の腕をもって粛清いたします。 敬具」


 親に宛てる初めての手紙がまさか家での報告になるとは咲夜にも予想外のことであった。予想内であることのほうが珍しいだろうが。

 あの日、すべてをあの家に置いてきた。

 そのかわりに今まで手に入れたくても手にすることができなかった”自由”をやっと手に入れた。

 咲夜は初めて独りで迎えた誕生日が不思議と寂しくはなかった。ここでは口うるさいお手伝いさんもいなければ時間にうるさい両親もいない。いつまで布団に入っていても怒られないのは最高だ。ちなみに現在の時刻は、そろそろどの家庭でもお昼ご飯の準備をしだすころだ。


「もうこんな時間か。そろそろ仕度しねぇと、な」


 のそのそと布団から出るその様子は、まるで冬眠から覚めた大熊が久しぶりに外の空気を水に起き上がってくるようである。

 しかし、咲夜が大熊と違う唯一|(?)違う点は、その肉体である。

 動きは熊そっくりなのに身体はいえばひょろひょろ。なまじ運動から遠ざかった生活を送ってきたためか筋肉という筋肉がほぼないといってもいい。顔はそれなりに整っている方であるのにモテないのは、それゆえである。女子というのは賢いもので、いくらかっこよくても鈍足で体力もなくただただ長い手足を持て余しているような男には引っかからないのだ。

 

 さて、喜ばしい20歳の誕生日に昼近くまで起き上がってこなかったこの若者がこれから何をするのか。

 大学生の特権である長い夏休みを最初から最後まで娯楽で埋めるのはどんなラッキーボーイでも難しい話である。友達が少ない引きこもりならなおさら、だ。

 後者に属してしまう咲夜も例にもれず夏休みを持て余していた。

 そこで、半月前あたりからとあるツテを頼りにいわゆるアルバイトを始めたのである。


 寝る用のジャージから出かける用のジャージに着替えた咲夜は十畳一間の部屋を出た。


「さて、今日も変わらず頑張りますかー、っと……ん?なんだこれ」


 鍵を閉めた咲夜の目には床に落ちたハンカチが映っていた。女子高生が持つようなかわいい花柄モチーフのものだ。


「これ、誰のだろう。ていうか、やっぱここって俺以外にも人住んでたんだな」


 ここで驚くべき事実を一つ。

 咲夜はまだ、このアパートに住む人と会ったことがないのだ。三か月という間に誰とも会わないのはいささかおかしすぎやしないか。夜遅くにアパートに戻り、昼過ぎから活動を開始する不規則な生活を送っているといえど、会わなさすぎる。そう思って時々インターホンを鳴らして応答を待ったりするのだが、誰かが出てくるという気配すらない。

  そんなわけで、実際のところアパートに一人で暮らしているような感覚なのだ。部屋でも一人なら、アパートという建物の中でも一人なのか。


 ハンカチを拾い、ついている埃を払い落としながら階段を下りる。

 咲夜の部屋は二階の一番手前である。

 このアパートは二階建ての部屋は六部屋。それぞれの階に三部屋ずつある。外壁は白を基調としたおしゃれな造りになっており、螺旋階段がついている。安アパートとは思えない立派な外見だ。それ故に、部屋が十畳一間というさっぱりしたものであるところに違和感がぬぐえない。見た目に気合が入りすぎて疲れてしまったのだろうか。

 なぜこのアパートに住むことになったかは、また別の話である……。

 

 このハンカチは外の塀にでもひっかけておこう。

 そんなことを考えながら今にも崩れ落ちそうな音がする階段を下りているとき、アパートの前で何やら男女の言い争う声が聞こえてきた。

 

 「誰だよ、こんな真昼間から。痴話げんかはよそでやれってのに」


 この後、咲夜は初めて誕生日補正の偉大さを知ることとなる。

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