《幼少編》
「いや…何でもないんだ。大和…朔也様と遊んでいなさい」
「……?はい…」
へんじを聞いてやさしくわらった男の人は、きた道をもどって行った。
その人のすがたが見えなくなっても、ずっとオモヤ(母屋)のいり口を見つめていた。
「朔也様…?どうかなさいましたか?」
おとながおしえてくれなかったことを、やまとお兄ちゃんがしってるとは思えない。
「……なんでもない。おへやに行く」
「かしこまりました」
自分のおへやに行くだけなのに、いつもより長くかんじる。
だれもいないロウカはさびしくて、つめたかった。
こんな家、なくなればいいのに…
「やまとお兄ちゃん、もし…この家から出られるとしたら、どこに行きたい?」
おかしなことを言ってるのは、わかってる。
行きたい場所を言われても、今のボクがつれて行けないのだから…
「いつか…本当にこの場所から出られる時が来れば、朔也様をお好きな所へお連れ致します」
そんなの、この家から出るイミない…
こまってるボクの頭を、やまとお兄ちゃんのやさしい手がなでる。
「高木の者よ…屋敷内で、そのような話をしてはならん」
とつぜんの声にビックリして声のした方を見ると、きものすがたのオジイさまがゆっくりと歩いてくる。
「もうしわけございません。とがめは、全て私が…」
「ダメ!オジイさま…やまとお兄ちゃんは、ボクが聞いたからこたえただけなの!なにも、わるくない!」
やまとお兄ちゃんのコトバをさいごまで聞かないで、オジイさまのいる場所まではしる。
きもののそでを持ってオジイさまを見ると、そんなボクにこまったようにわらう。
どうして、『はなせ』って言わないの?
お父さまなら…
「朔也…安心しなさい。私は、隆臣とは違う。高木の事も、咎めたりなどせんよ」
「……ッ!ほんと!?」
聞きかえしたボクの頭を、あいていた左手でなでる。
「あぁ、本当だ。高木よ…まだ7歳のお主が、咎めなどと口にしてはならん。お主が教育係の任に就くのは、朔也に子が出来てからだ。その時が来るまでは、朔也と兄弟のように成長してほしい。任せたぞ」
「かしこまりました」
ていねいなオジギをするやまとお兄ちゃんに、オジイさまはこまっていた。
「もっと子供らしく振る舞っても、構わないのだぞ?」
「それは…」
やまとお兄ちゃんにとって、そっちの方がむずかしいと思うんだけど…
―――――――……………
幸せな時間は、あっという間に終わりを告げる。
残酷な運命の歯車が回り始めた事を、この時はまだ誰も知る由もなかった。
――1975年9月10日…
残暑厳しい、蒸し暑い夜。
午後10時…
事件は起こる…