《中学1年生編》
楓ちゃんが持ってきた濡れた手拭いで、桐生君の汗を拭って団扇で体温を冷ます。
心なしか桐生君の表情が穏やかになったように見えて、ホッと胸を撫で下ろした。
「朔也よ…いつまでも、このような茶番を見せるつもりなら…」
「……力付くで、捩じ伏せますか?襖の向こう側にいるお祖父様の手下に総掛かりで来られたら、たった5人しかいない俺達は一溜まりもないでしょうね」
朔也様の言葉に、ご隠居様が薄く笑った。
『たった5人』と朔也様は仰ったけど、実質闘えるのは僕と大和の2人だけだ。
楓ちゃんは女の子だし、桐生君はお客さん…朔也様は、何があってもお護りすべき御方…
その御方を闘わせるなんて、絶対に出来ない。
僕と大和の2人で、3人を護りながらどこまで闘えるのか…
今日の朝までは僕だけで何とかしようとしてたから、この状況については何の作戦も練れていない。
今はただ、闘う事にならないように祈るばかりだ。
「分かっておるのなら、何故私に刃向かうのだ?力の差は歴然であろうに、反抗するお主の真意が理解出来ぬわ」
伏し目がちにご隠居様の言葉を聞かれていた朔也様が、強い意思を持った瞳で目前のご隠居様を見据えた。
「……俺は、これまで言い付けを守ってきました。でも…それは、あなたを信じていた訳ではありません。何も考えない事が、楽だったからです」
『楽だった』…溢れ落ちたそれは、嘘偽りのない本心なのだろう…
それでもまだ、朔也様は全てをご隠居様へ打ち明けてはいない。
「そう思うのならば、これより先もそのようにすればよいのではないか?心配などせずとも、私や隆臣がお主を立派な《当主》へと育て上げて見せよう」
要するに《当主》になる為に、自分達の言う事を聞けと…?
「……先達の命令通りにしなければなれない《当主》など、こちらから願い下げです。傀儡となってまで、こんな家を守りたくはありません」
朔也様がご自分の意思をはっきり伝えるなんて、初めての事かもしれない。
もしかしたら、アメリカにおられた時には仰って…いや、それはないな…
"わがままを言わない、聞き分けのいい子供"
"当主と成るべくして産まれてきた、神に選ばれた幸せ者"
周囲の何も知らない者達は、朔也様をそんな風に評価する。
『幸せ者』…?笑わせてくれる。
愛情の欠片も感じられないこの家庭のどこに、幸せなんか見い出だせるんだ?