お題『暇・夢』 星ノ宮 紫苑 合同企画
「お暇をもらいとうございます。私は旅に出たいのです」
「はぁ、お前は何も持たぬだろう。私の傍にいれば良いものを。女のお前は弱いのだ。私の加護無しには生きられまい」
女は固く引き結んだ唇をそのままに、首を横に振った。
「それでも私は旅に出とうございます」
男は女の瞳を真っ直ぐに見つめた。美しい澄んだ瞳が男を捉えて離さない。
「―――――どうか」
祈るように、女が頭を垂れる。額を床に擦り付けんばかりに、女は男の許しを乞うた。
男はそんな女の振る舞いを見るのが辛かった。自分から離れることを必死に願う女に懸想をしてしまった。苦しかった。
男には、どうすればよいのかわからなかった。
――――――沈黙。
「……了承した」
男は、ようやく唸るよにそう告げた。
「お鈴、私の瞳を――――最後にもう一度だけ、見て欲しい」
女は冷たい床板にあった自身の頭を持ち上げた。男はその様子を見て安堵のため息をつく。
女は真っ直ぐに男の瞳を見つめた。女は何か大切なものを伝えるように、男の目を見た。けれど、男には女が何を云っているのかがわからなかった。
女は男の顔が苦悩に歪んだのを見て、こう告げた。
「私はあなた様の傍にあれて、まことに幸せでございました。この時が永久に続けばよいと、祈ってもおりました。けれど、私の醜い俗な心が“今”を許さなかったのです。化物になってしまった以上、私は旅に出なければなりませぬ」
「――――お前は美しいよ」
男は困惑した風にそう告げた。女の言うことが、男にはわからなかった。
「いいえ。私は醜うございます」
女は自身の美しい顔を能面のようだと告げた。
依然として、男は困惑するばかりだ。
「実は、私はどこにいても旅に出ることができるのです」
男は女を凝視した。
男は、女の頭が少しおかしくなっていることに気づいた。
先ほどからの女の発言を鑑みるに、それは一本の糸がつながったような事実であった。
男は心配を自身の奥に押し込んで、なるたけ優しい顔を作った。
「その旅は、私の傍でもできるのか」
男は、自身の胸が期待に高鳴るのを感じた。
傍に居てくれさえすれば、旅にでもなんでも出るがよい―――次に、そう告げるつもりで男は口開く。
それを女は遮った。
「あなた様の傍で旅に出ることは可能でございます。私にとって、そのことは史上の喜びでもありましょう。しかしながら、あなた様にとっては決してためになるようなものではありません。不快なお思いをなさることでしょう」
「それでもよい」
男は嬉しそうにそう告げた。
即答だった。
女は男のそんな様子を見ながら目にたっぷりの涙を浮かべ、再び頭を垂れた。
「まことに申し訳ございませぬ」
女の口は、それしか喋らなくなった。
女のそんな様子を見たことで、男の心は、再び身が裂けるように痛んだが、別れの苦しみを思えばなんとも無いように思えた。
男にとって永遠のような時間が流れて、女の口がようやく別のことを発した。
「それでは私は、旅の支度をしてまいります」
「――――そんなものがいるのか」
男は可笑しな気分になりながら少し笑って、女の背中を見送った。
女が再び現れたのは、幾分の時も経たぬうちだった。
女はなにやら右手に小さな小瓶と左手に紙を持って現れた。
「私がすっかり旅に出ましたら、どうか、私の左手にある文をお読みください」
「相分かった」
男はしっかりと頷いた。
女は、あまり気が進まないという風な感じで、その文を男に手渡す。
女は男のすぐ傍に横になると、ひどく苦しそうな顔をして――――そして。
男が今まで見た中で、一番嬉しそうに笑った。
「あなた様。行ってまいります。最期に、私の瞳を見てくださいますか」
男はなぜか、不安な気持ちになった。
――――――それでも。
今までで一番美しい女の姿に酔いしれるように、男は女の瞳を見つめた。
――――刹那。
女は小瓶の蓋を勢いよく開けると、あっという間にそれを己の口へと持っていき、傾けた。
ドロッとした赤い何かが、女の口の中へ入り、――――――――再び戻ってきた。
男の着物が女の血で真っ赤に染まる。
男は冷たくなった女の体を抱きしめながら、この旅は二度と帰ることのない旅だったのだということを感じていた。
See you in your dream, you'll be in mine.See you in your dream, you'll be in mine.See you in your dream, you'll be in mine.
『私の中の化物が、この手紙を書かせたのでございます。そして、あなた様の前から姿を消し、この世を去るつもりが、またしても化け物である私が邪魔をいたしました。
これは、ある醜い意図あってのことでございます。
あなた様の心からけっして私が消えることのないように、そう願ったのは紛れもなく私でございます。
私のような卑しき身分の者があなた様に懸想をすることなどあってはならないことを私は重々承知しておりました。
――――あなた様には愛すべき奥様がいらっしゃることも、私は苦しいほどによく理解していたのです。
それでも。私の中の化物が現状を許しませんでした。
私は己が化物を認める決意をいたしました。その瞬間に、私は能面を付けた人間のような化物へと変わったのでございます。
――――――私はどうしても、あなた様と結ばれたかったのです。
私は夢の中で、あなた様と結ばれようと目論みました。それでも、私の見る夢は、いつかは覚める夢でございました。
あなた様が今、この文を読んでいるということは、私は既に旅に出ているということですね。
私は眠るように、あの世へ行けたのでしょうか。永久に覚めない夢の中で、私はあなた様と結ばれましたでしょうか。
あなた様にこの想いが伝わることを願って。
すず 』
See you in your dream, you'll be in mine.See you in your dream, you'll be in mine.See you in your dream, you'll be in mine.
「鈴、私も旅に出ることとしよう。そなたを追いかけて、夢の中へ。永遠に覚めることのない夢の中で、お前とどうか――――」
男は涙を流しながら、女の後を追って旅に出た。