早く帰って欲しいじゃないですか
中に入れそうな大きさの振り子時計が、ボーン――ボーンと二回鳴った。
ここに座ってもう三〇分くらい経ったか……なんだかんだで、すっかり寛いでいる。
「そういえば、まだ、お名前聞いてませんでしたね」
と目を大きくして聞くアマネは、脚を揃えてカーペットに座り、ローテーブルの上で両腕をクロスしている。
「名前は、筆柿竜」
すっと彼女は背筋を伸ばした。
「あ、僕は御苑生周です」
「みそのう……なんか珍しそうな名字だけど、どう書くの?」
「えっと、御は、御御御付けでたくさん使われる字で、苑は、御苑の苑で……あの、国構えの園より画数が少ない、草冠の方です。生は普通の生まれるという字で、あ、あと名前の周は、円周率の周です」
「……なるほど」
とてもよくわかった。書いてあるのを見せてもらった方がいいということが。
「でも、ふでがきって名字も珍しいですよね」
「字は、筆に果物の柿。そういう形の柿を育ててる家系なんだよ。大きい四角っぽいやつじゃなくて、細い、どんぐりみたいな形のやつ」
「へえ……ご家族はそういう職業なんですか」
「いや。なんかよく育ててるってだけ。名字っていうか、地名に近い感じだし。あと近所の人とかは音読みで呼ぶことの方が多いよ、特に上の世代の人ほど」
「はあ……そうですか」
これ以上は里のことを喋らない方がいい。ちょうど興味もなさそうだし、話題を変えよう。
「周さんは、歳、一三くらい?」
「いや、一四です。この春で中三です」
「ああ、そうなんだ」
「えと……筆柿さんは」
「竜でいいよ。そっちのはちょっと、呼ばれ慣れてないから。あぁ、ちなみに字は竜田揚げの竜。簡単なやつ」
「じゃあ……竜さんは」
「……ん? ごめん何だっけ」
「あの、良かったらお歳とか……」
「ああ、十五だよ。この前なった」
「じゃあ、高校生ですか、一年生」
「いや、うん……」
だめだ、結局答えにくい方向に来てしまった。里以外の子と話すのは思ったより難しい……というか、そうだよ、まず、里との関係があるかどうかそれとなく探ったほうがいい。もし里の関係者か支援者家族だったらすごく助かる。まったく今さら気づくなんて……頭回ってないのか……。
まあいい、とにかく聞こう。
「あれ、そういや周さん、ここって、自宅……?」
いきなり核心は突かず、流れをつくっていく。
周は、こちらの視線に乗ってちらと部屋を見回しながら、
「いえ、別荘です、かね……一応」
予想通りの答え。とにかく相当お金持ちなのは想像できる。もうなんか貴族っぽいし。
「へぇ……いいとこだね、大きいしさ……あれ、家族で来てるの?」
「いや、えっと今日は、ロッコと僕しかいません。昨日までは、あと姉が居ましたけど」
「そうなんだ。実家は、どのへんなの?」
――目が合った。
周とではない。階段のところから頭だけ出している奴と……。
「実家ですか? 実家は遠いですよ――あ」
と周がそちらへ首を振って気づく。
「ロッコ! ちょっと困るよ居てくれないと……」
小声で零しながらすぐ立ち上がって近寄る。ロッコも階段を上がりきった。
『すみません、蒸気で滅菌するのに時間を食いました』
なんだその行程は。俺と俺の服がかわいそうだろ。
しかし蒸気って……世界観が止まらないな。でも、もしかしたらこいつなら本当にやりかねない……デッキの下のスペースに停めてあった車の奥にいろいろとでかい道具が揃っていたし、あるいは蒸気を吹き出す洗浄機もそこにあって、それを使ったのかもしれない。
そういえば、ほんのかすかにシューっていう音が外から聞こえていたような気がする……。やったな、やはり本当に。
「そうなの? じゃあ蒸気で暖まったから早めに乾くかもね」
と周は平然と返した。観点が独特だ。
ロッコは、そこで改まった調子で切り出す。
『あの……そのことで考えたんですが、生乾きでもいいと思うんです』
えっ。どういうこと……。
「いやっ、そこはちゃんと乾かそうよ……」
周が代弁してくれた。ありがたい。
『だってなるべく早く帰って欲しいじゃないですか。生乾きでも、別に着られますよ』
そういうこと言う? 本人の目の前で……。
「だめだよ……。連絡したら旭も泊めてやればって言ってたし」
『ええーっ?』
うわ、超嫌そうなんですけど。
『そんな泊めるなんて……屋内にですか?』
「……うん」
『では、どこに縛りつけておくんですか?』
「なっ、縛りつけないよ。回復どころか余計疲れちゃうじゃん。まだ布団あるでしょ」
『はぁ……。泊めてもいいとは、旭が許可したんですね?』
「うん。僕も賛成」
『では、仕方ありませんね……』
ちらっと横目で見られた。ほんとに冷酷な目だった。
『最初から存在していなかったことにしてしまえば……』
「はあっ?」
思わず立ち上がる。放たれた殺気は本物だった。目が……光っている。
「ちょっとロッコ、冗談言ってないで……」
『はい』
すぐに殺気と目の光を消した……異常に器用だ。
『旭は、他に何か言ってましたか?』
「そうそう、旭お姉ちゃんは――」
と周は一瞬ここでちらりと視線を振ってきた。俺に対して、アサヒという人が周の姉だと伝えるためだろう。細かい配慮だ。どこかのレイヤーも見習って欲しい。ていうか思えばこいつは周といったいどういう間柄なんだ……?
「――夕方に一応ちょっと結果が出るらしいから、そのあとこっち来るって」
『うーん……興味を持っているんですかね? リュウに』
「興味っていうか、普通に心配なんでしょ……森で倒れてたんだから」
『そうですか……。でもそこまで心配するほどじゃないですよ……ねえ?』
と話をこっちに振られた。お前はどの立場で言ってんだ……。
「や、まぁ……ね。確かにあまり――」
『ほら、だいじょぶなんです。ですから旭にリュウを一通り見せてしまえば、すぐに飽きてくれて、もう森へ返してもいいということになると思うんです』
あぁ……ひどい。一貫してひどいこいつは。
しかし熱心に説得しているが、あからさまに発言をバッサリ遮られたことを俺は忘れない。
『ですので、今から旭のところへリュウを持って行きませんか?』
「えっ、今からは無理じゃないかな……」
『それに旭のところなら、ここよりは医療設備も整っているのでしょう?』
「ああそっか、それを考えると良さそうだね。街にも、ちょっとは近いし――あ、あの」
「はい」
「竜さんは、どちらにお住まいですか? ご実家の方に連絡とか……」
「あ、そうそう、そうだった。連絡したいんだけど、今朝ついに携帯のバッテリー切れちゃって……」
「あっ携帯お持ちなんですか……」
意外そうな顔をされた。まあ……しかたないか。
「そう、あの、なので充電させて貰えると……」
「ええもちろん――えっとコンセントの位置は……」
「あ、そっか充電器持って来てないんだった……。電池で充電するやつならあるんだけど……単四電池って、ありますか?」
「単四ですか?」
周はロッコを見る。ロッコはちらと俺を見て、
『チッ――』
すぐ周へと視線を戻す。
『あります』
無いとウソをつかれるよりはマシ……と、そう自分に言い聞かせるしかなかった。
「あ、良かった」
周は手を合わせてこちらへ頷きを見せた。