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蒸気機関少女  作者: コスミ
二章 君に出会いたくなかった
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天界の如き


 シャワーを浴びると、あまりの気持ちよさに、お湯の神が見えた気がした。

 そうした身体的な快適さと、精神的な屈辱を思い返して混ぜ合わせ、存分に堪能した。

 脱衣所へ上がり、新品のトランクスと、グレーのルームウェアに袖を通す。ちょっとタンスというか木の匂いがした。

 ドラム式洗濯機の中にも同じルームウェアがあるようだ。ロッコが着ていたのか、それとも誰か居たのか……。

「――わ」

 戸を開けると、ピンクのゴム手袋をしたロッコが立っていた。スキャンするように全身をじろじろ見られる。

『……まあ、いいでしょう。できればもっとしっかり滅菌したいけど』

 いちいちなんとなく語彙が怖い。

「あー、服、ありがとう……」

『それは周に言うべき。その服は周の所有物ですから』

「え? そうなの。……あとその、俺の服のことも」

『ああ。いや、大したことじゃない』

 シャワーを借りる前、ロッコは衛生的な観点から俺の着ていた服を洗うと言い出して譲らなかった。その際ずっと汚染物みたいに言われ続け、しまいには『できれば今すぐ焼却したい』と真顔でつぶやかれ、傷ついた。もはや、洗わせろ、さもなくば燃やす、という意味にしか聞こえなかった。半ば脅迫だ。

 確かに汚れきっていたのは認める。この二週間ほど、身体は川で水浴びしていたのだが、衣服はそう気軽に洗えず、たまに下着を水洗いするだけだった。乾くまで待つのが億劫なのだ。しかしさすがに、そろそろ暖かい日を選んで洗おうとは思っていた。

「あれ、まだ洗濯しないの?」

『いや。もう始めてる』

「え? でも、そこの洗濯機動いてないし……」

『はあ? そんなことしたら洗濯機が致命的に汚れるでしょうが。外でやってるよ』

 すごい虐げられている……あの服にそこまでの罪と汚れはあるのか。

『今、炭酸水素ナトリウム水溶液に浸け置き中』

「うわ、なに大丈夫その液体。服溶けない?」 

『溶けない。……あ、溶かしていいの?』

「絶対ダメだろ。そこでいいよって誰が言うんだ」

『リュウが今』

「言うかよ」

『なんだ、期待したのに……』

 最低な期待だな。

「いや、ほんと心配なんだけど服……」

『心配性だね。炭酸水素ナトリウムって、重曹だよ』

「……へえ、あそう」

 渾身のスルー。突き刺さる視線からは、ちょっと顔をそらして逃げる。しかしこいつって、瞬き全然しないな……。

「――で、乾くまでは、どれくらいかかるかな?」

『普通に干すから日没頃。六子が着ていれば短時間で乾くけど、それは嫌なのでしません』

 どういう世界観なんだ……。けど、こうして近くに居ると熱を感じるのは確かだな。大丈夫なのかな中の人……熱中症とか。

「じゃあ、それまでこの服お借りします……って、あの子に言った方がいいか」

『周です』

「アマネ、さん、ね……」

『さん付け、良い心がけです。今二階にいますよ』

 と生意気なことを言いながら、顎で階段のほうを示した。こんないい所に住んでるのに、どうしてこんな仕上がりなんだこいつは……。見た目だけはいい、という共通性があるのか。

『では、六子は絞って吊るして干して来ます』

 主語を言え。なんか怖いから。

「ああ……ども」

 生返事を送るが、もう重い足音が始まっていてかき消される。鍛冶屋の金床かなとこが歩いているみたいな音だ。屋内だと反響して余計に木と金属の素材感が伝わる。

 思わず床を心配して表面を注視するが、傷や凹みはないようだった。

 少なくとも俺の心身よりは無事らしい。



 ――深呼吸。

 意を決して、一段目を踏みしめる。ラスボス直前の階段かよ、というくらい度胸が要った。

 壁沿いに、やや右にカーブしている。上がっていくと、前方に明るいデッキが見えた。

 ……あの女の子が居たところだろう。

「あ……どうも」

 右手側から声。テーブルの向こうのアマネが、椅子の座面に手を置き腰を上げていた。

 こっちの緊張を倍増させるような、いかにも萎縮した声と表情だった。

「どうも……」

 会釈に乗じて目をそらす。

 ちょっと直視していられないくらい、彼女は相変わらず完全武装な女の子ファッションだった。このあとデートにでも出掛けるのだろうか。薄く化粧をしているし、困るほどスカートが短い。

 顔立ちはそうした甘めの服装とは違い、なんというか、キッとしていた。頭が良さそうで、すこし何を考えているかわからないような感じだ。歳はだいたい二つ下くらいか。

 それにしても髪型がすごい。恐らくウィッグであろう、オレンジっぽい金髪のツインテール……いや、テールというよりボンボンと言いたいような形状だった。細い両肩の上で、ほわほわと滞空していた。

 と、いつの間にか階段を上がりきってしまった。もう下を向いていられる口実がない。

 しかたなしに、黙って広い窓を眺める。

「あの……」

 声に振り向く。彼女は立って、椅子の背に手を掛けていた。

「あ、はい」

「大丈夫……ですか?」

 警戒以上に、心配されているようだ。

「あぁ……」

 自身を見下ろしてみる。そうか、彼女から見れば俺は病人っぽいんだな、今窓とか見て目を細めちゃってたし……。まあ実際、弱り具合で言えば似たようなもんだ。

「――まぁでも、なんとか」

「あのとりあえず、そちら……どこでも座ってください」

 と彼女の手を伸ばして示したのは、窓の手前のリビングエリアにあるソファだろう。白い、柔らかそうなシワのある革張りで、外国製っぽいゆったりしたサイズ感とデザインだ。

「あ、ありがとう……」

 数歩進んで、ふと思い出し、振り返る。

「この服も、ありがとう」

「あ……いえ」

 彼女は小刻みに首を振った。その動きに合わせてボリュームのあるツインテールが震える。そのままぴょんぴょん飛び跳ねたら、チアリーダーに応援されている気分になりそうだ。

 ソファは一人掛けのもあったが、大きい三人掛けの方に座った。

「――はぁ……」

 思わず息が漏れる。

 天界の雲の如きソファに腰を落ちつけて、広い窓からデッキの向こうの景色を眺める。素朴ながらも相当ラグジュアリーな室内を観察した方が面白そうだったが、さすがに遠慮した。

「あの……」

 アマネがキッチンから戻って来て、微妙な距離を残して止まる。

「牛乳、飲みますか……」

 彼女の両手には、牛乳の紙パックとグラス。どちらも高いものに見えた。

「あ……えっと、ありがとうございます……」

 こうして既に持って来てくれている今の段階で断るのは難しかった。それに飲みたすぎる。

 彼女は軽く頷き、目の前のローテーブルの側に膝立ちになった。

「お注ぎします」

 静かにグラスを置き、そこに牛乳を注ぐ。丁寧な所作も相まって、なんだかものすごく高級な液体に見えた。いま財布を持っていないことを思い出してゾッとしてしまった。カネは……とられないよな。

 パコっとパックの口を閉じたアマネは何か気づいたように、

「あっ、ホットにした方が良かったですか?」

 と小首を傾げて聞く。ボンボンが揺れると、空気中に何らかのビタミンが放たれそうだ。

「いや、いいよ。いただきます」

 手間をかけさせたくないし、何より早く飲みたかった。腕を伸ばしてグラスをとる。

「じゃあお菓子を……」

「いやそんな、おかまいなく」

 言って、一口……のつもりがほとんどグラスを空にしてしまった。

 気恥ずかしくなって彼女の方を見ると、キッチンへ向かっていてこちらを見ていなかった。

 やがてキッチンから、

「ええっと……あれ、どこだろ……」

 戸棚などあちこち探す音と戸惑う声が聞こえてくる。何となく、気まずい時間だ。

「……あれぇ……ここも違う……。どうしよう……やっぱロッコじゃないと……」

 と、ようやくキッチンから申し訳なさそうにおずおずと出てくる。ヤクザに取り立てに来られた飲食店の人みたいな勢いだ。

「あの……ロッコって今どこかわかります?」

「あー……」

 そこまでしてお菓子くれるのか……ありがた切ない。しかしどうしよう。お菓子を断るのが先か、ロッコの発言を伝えるのが先か。ここは、その逆の順序で言おうか。

「あの人は外に、俺の服洗濯しに行くって。あと、お菓子ならいいよ。ほんとおかまいなく」

「そうですか……すみません。ロッコがいないと、僕だとちょっと何もお出しできなくて……あ、パンならありましたけど、いかがですか?」

 いかにも、素敵な思いつきだ、といった表情。どうもこの子の提案はいちいち断りにくい。

 パンと聞いた瞬間に、もう断るなどという発想は浮かばなかったけど。

 お菓子が無ければパンを食べればいいじゃない、という言葉が浮かんだが、即、押し殺す。

「ありがとう……」

「いえ」

 彼女はまたキッチンへ戻る。カウンターを挟んで、その中の様子が見えていた。フライパンやお玉などが壁面に掛けられている。ただなぜか、そのお玉やフライ返しなどは、すべて逆さに、つまり持ち手が下に向くように掛けられていた。釘が二本打ってあり、その間に首の部分を引っかけるかたちだ。

 首吊り、という言葉が浮かんで押し殺す。

 二本の釘に支えられてお姫様だっ――押し殺す。

「ちょっと冷めて固いかもしれませんけど……すみません」

「わあ――」

 すごいのが来た。パンの王国、といったバスケットだ。内側に敷かれたワインレッドの布など、いちいち洒落ている。白い重厚な平皿も目の前に置かれた。一流ホテルかここは。

「――いいよぜんぜん、冷たくても。いただきます」

 トースターとかないのか? とは言わず、まずとにかく早くいただく。口に入れないとその存在を信じられないのだ。

 黒っぽくて重いのをとってちぎり、口に入れて嚙み締める。

「うまっ」

 うますぎた。

 一瞬、麦と炭水化物の神が見えた。

「あ、良かった。僕それ好きなんですよ――」

 アマネの妙に嬉しそうな声が聞こえたが、意識はパンを食べることだけに集中していった。



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