変なもの
明るく快適な上に誰も居なかったので、朝食時と同じリビングダイニングを使っていた。
「……はぁーい、それじゃあまた次回……明日の、またお昼でいいかな? じゃあ明日の、お昼十二時くらいの放送でお会いしましょーう。はぁーい。それじゃ、ばいばーい」
ノートPCの前で手を振って、同時にマウスを操作。ネット生配信を終えた。
『ただいまです』
「あ、ロッコお帰り。遅かったね」
階段の登り口からロッコが頭だけを出していた。恐らく階下で待っていて、タイミングを見計らったのだろう。放送中、数分前にロッコが帰ってきていたのは音で気づいていた。
『遅れました。周、ちょっといいですか?』
珍しいことに、ロッコの感情を示す前髪ラインが不安げな〈へ〉の字になっている。
「え、なに?」
『パトロール中、変なものを救命して拾って来ました』
「ええっ?」
周は目を見開き、腰を上げた姿勢で凍りついた。
なんだか不穏な言葉があった。救命って……。しかも、
「変なもの?」
『そうです』
「なに死にかけてたの?」
『まだ気を失っています』
「なになに……え、もしかして、なんかの鳥のヒナでも拾ったの?」
割と自信のある閃きだった。しかしロッコは前髪もそのままに首を振る。
『鳥類ではありません。ひとまずその変なものは玄関先に寝かせてありますので、デッキからご覧になれるかと思います。一度確認してもらえますか?』
「え……鳥じゃないの? ていうか大丈夫なの? なんだろう……タヌキとかかなあ」
首を捻りながら周は窓を開け、デッキへ出た。
手摺に寄って、今度はより速く、より固く、凍りついた。
部屋の振り子時計の秒針が九回鳴った。
と、周はガラス越しに階段のロッコへと視線を送った。そして振り子のようにまた玄関先へと戻す。首だけの機械的な運動だ。
いま周の居る二階のデッキは、建物からせり出した形なので、右手側から玄関先をくまなく見下ろすことができた。
玄関ドアの手前、地面から数段上がった高さで広がるエリア。
その一角には、今は閉じたパラソルと、テーブル。
その隣には、フルフラットにもなるデッキチェア。
その側の床に転がされているの、人物。
破けた死体袋から足と頭だけ出したような姿。
秒針がさらに九回鳴り、そして一〇回目でそこに長針がユニゾンした。
「……人じゃんあれ」
ロッコを見る。軽く頷いたようだ。その前髪ラインは水平に戻っていた。
「人なの!?」
ようやく手摺から離れて叫ぶ。
『人ですね』
「人かあぁ……!」
身体が震え、周は自分の手同士を胸の前で捕まえ合った。祈りのポーズではない。
すこし俯き、また数秒静止。そして盗み見るように、ちらっと手摺の向こうを覗く。
「はあぁぁ……!」
長大なため息。再び俯いて固く目をつむる。
「……だめだやっぱ人だぁ。自分を誤摩化しきれないほど人だった。人すぎるぅ!」
『人ですよ』
「いや、いや……そう! もしかしたら……人形じゃない?」
『人です。細いですが脈もありました』
「人かぁああ……!」
一縷の望みが打ち砕かれた。頭を抱える。
『衰弱していますし、今は武器を持っていませんので、近くで見てもだいじょぶですよ』
「え、え、なにそれ」
『よろしければ、一緒に側へ行きませんか?』
小首を傾げて誘うロッコ。前髪はゆるいアーチ状だった。
「いやいやいいです激しく遠慮しますけど。僕が行っても何も出来ないし」
『いえ、周の手を煩わすつもりはありません。ただ、観察したら面白いかな、と』
「面白いって……本気? 恐ろしいだけだよ」
『そうですか。でも貴重な経験にはなると思います』
「いやいいからロッコ早く行って手当してあげなよ。ボロボロだしあの人、あれでしかも脈細いんでしょ?」
『ええ。たぶん今頃が峠でしょう』
「峠! ちょっ、やばいじゃん早く! ここ救急車呼んでも絶対遅いよ!」
『救急車でしたら、到着まで最短でも一時間ですね』
「ほらぁ! もう呼んであるの? そうだドクターヘリなら間に合うかも……」
『いえ、何も呼ばなくてだいじょぶです』
「嘘なんで!」
『致死性の毒ではありませんし、安静にしていれば彼の免疫力ならすぐ解毒されます。あとちなみにヘリは発着場が遠いので結局時間がかかり過ぎます。最短でもおよそ四〇分です』
「え、待って、なに? 毒? あの人なんか変なの食べちゃったの?」
『変なのは、食べていたと思います』
「うわーそうなんだ……。かわいそう若そうなのに……なんだろ、行き倒れかな……日本兵の霊かとも思ったけど……。それか調査兵団」
『では、六子が行って彼を観察していればいいのですね?』
「あ、うん、お願い。僕もここから見てるから……」
『了解しました』
「――あ、あ、ちょっとロッコ! 今一瞬動いたよあの人!」
指をさしながら周が振り向く。階段を降りかけていたロッコは、首を伸ばして頷きを見せると急いで駆け下りて階下に消えた。重い足音が連続して響き、遠ざかっていった。