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蒸気機関少女  作者: コスミ
エピローグ
35/35

最低な朝


 鳥の声に目を開く。

 夜が明けつつあった。

「ぅ――寒ぅ……!」

 青白い、まだ淡い光量の中で身体を見下ろすと、自分の服にサンダルという格好だった。靴下を左足にしか履いていないのが哀愁と恥じらいを感じさせる。にしても、

「うぁ、俺汚ね……」

 壮絶な汚れっぷりを見て、昨夜は山中のどのあたりで眠ったっけか――と見当違いの記憶を探りかける。現実は、滑らかな惰性の先ではなく、もっと悪夢っぽい奈落の方向にあった。

 そうだ……ここは人の家だ。

 正確には、人とは言い切れないような存在――魔が潜むログハウスだ。

 道具棚にもたれかかって、座ったまま眠っていたらしい。

 ……どうやら、掃除が一段落して後は拭き掃除だけだ、さてその道具は――っと探す前に、ちょっと座って一息入れよう――としたつもりが……ということらしい。

 ため息が、ほんのり白く流れた。

「切ねぇな…………っつ、う」

 立ち上がるのも大義なほど、もう背中やら腕やら腰やら全てがバッキバキに筋肉痛だ。そこに打撲などのダメージも大量に紛れ込んでいるだろう。幸い、でかい骨折などはない――はず。あまり詳しく探ると、ヒビとか小さいのなら見つけてしまいそうだから止めとく。

 うっすら霜の張ったパンダの平面ガラス。

「寒……よく寝てられたな俺……」

 ちらとドアミラーで顔を確かめる。元気があれば笑いたいくらいにやつれていた。

 パンダには今は誰も乗っていないし、きっと夜中に動いたりもしなかっただろう。ならたぶん、御苑生姉妹も泊まったんだろうな。

 父上の事はあまり思い出さないようにしながら、静かに裏口から、

「あ……詰んだ」

 鍵がかかっていた。

 な、なぜだ……片付けMVPであるこの俺を、なぜ閉め出したんだ……ロッコ!

 自然と犯人がわかってしまう。名探偵どころの騒ぎではない。が、しかし当該事件を解決する能力は微塵も持ち合わせていないのでまったく無意味である。

 ガシャァン――とその時、派手な脳内効果音とともに閃く、名探偵俺氏。

「いや……! もしかしたらあの手が――」


 二階のデッキへよじ登る。

 朝も明けきらない内からストイックな運動量。トレーニングハイのあまり意識が遠くなる。

「はぁ……きつ――」

 ごろんと腰を落としてへたりこんだ。息を整え視界にかかる霧と星々が落ち着くのを待つ。

 窓ガラスが一枚破れて開いていたのは、下から見上げて確認済みだ。今は白いカーテンがドア代わりの、極めてオープンスタイルな出入り口となっている。

『……何やってんの竜』

 とそこからロッコが現れた。

「ひぃい――っ!」

『ちょと、怖がりすぎでしょ……』

「はぁ――心臓に悪いわ、こんなクソ朝っぱらから……」

『だから、そんな時間に何侵入しようとしてんの』

「侵入って、お前……」

『お前じゃない。六子。それで竜、侵入してどうするつもりだったの?』

「ふぁあ……いや、あれだよ、その、片付けの確認」

『嘘つくと蹴るよ。あくびしてるし――寝る気だったろ。もう朝なのに……』

「いや、ほんとだって……」

『チッ、片付けも途中だったしよ……。もう六子がやっといたから、いいよ』

「あ、そうなの? いやぁ……申し訳ないなぁ」

『ではあとは、壁の修理と――あ、先にあっちの柵の修理やってもらおう。よろしく』

「え、…………今?」

『うん』

 ゆっくりと、機械のように首を振る。

『早く降りて、やって』

 もうすこし、小刻みにぶるぶる降る。

『……蹴り落としてあげようか?』



 そしてこの世は強制労働。

 ……一時間ほどで、まずは壊れて散った木材を片付け、次に損傷箇所をのこぎりで切り落として整形する行程にまで着手していた。そこまで大きい音は出ててなかったと思うが、

「竜さん、早いですねー」

 と二階のデッキから周に声をかけられた。

「あ、おはよう。もしかして起こしちゃった?」

「え……。やぁ、今気づきました……。おはようございます……」

 と眠そうな感じが、いっそうガーリーさを引き立てる。

 こんな早起きの強制労働も悪い事ばかりじゃないな……。と周はなにやらハッとして、

「あの、もしかして――まだお風呂入ってないんですか?」

 なんとなく……こいつ汚ねぇなー、とか思われてないかと不安になるような言い回し。しかし当然そういう口撃ではなく、純粋なお気遣いによる発言だ。冷えた胸にじわりと染みる。

「あ、うん……そうです」

 と聞いた周は、みるみる哀れむ目になった――なんか、どこかで見たような……。

「そんな……! あの、まさか、もしかしてまだ寝てない――なんてことは……」

「いや、寝たよ、うん……けっこう良く寝られた」

 その場所については、絶対言えないな……。

「そうですか……あっ、じゃあとにかくお風呂、朝ご飯できる前に、良かったらどうぞ」

「あぁ……! ありがとう……!」

 不覚にも、ちょっと泣いた。


 肉体疲労が劇的に緩和したわけではないが、ほわん――と心地良いだけでも充分に心理的には回復できた気になれる。そうしてシャワーやお湯の神々との謁見を終えた後、命の恩人である周にお礼を言うべく、ひとまずダイニングへ上がることにする。

 ……思えば、この階段を上がるのはわずかに二回目なのか。

 と、いい香りが――

「……これは、ベーコンか……!」

 もう、この香りの段階で恍惚としてしまう……。そしてもちろん食べたい。

 身体が軽くなった。素早く階段を上り終え、キッチンを見る。

「あれ、誰も居ない……?」

 食卓に誰も居ないのはいいとして、キッチンまで無人ってダメだろ! けしからん!

「まったくもう……うふふふ」

 焦げたりしたら大変だよね、と大義名分を掲げてるんるんとキッチンへ、

 ジュウゥ――と、世にもシズルフルな音。

 ガカン――と、フライパンを揺する音。

 カシ――と、フライ返しでベーコンをひっくり返す音。

 ロッコが、そこに居た。

 低い台に寝そべり、お腹の上にフライパンを乗せ、片手にはフライ返しを持って。

「えぇぇー……」

 一体――どういう調理スタイルなんですか……。

『おい――』

 とその時、アイアンシェフが蘇る。

『――何見てんだよ』 

 そして素早く鮮やかな手際で包丁へと持ち替える。

「すみませんシェフ!」

 ギュルっと回れ右して退避した。

 ……とりあえず、一番座っても怒られなさそうなソファで、完成を待つことにする。

「うぅ……腹減った……」

 鳴り止まぬ腹。胃酸との闘いは、熾烈を極めた。

 目の前のローテーブルには、携帯の他、弓などの武器が置かれていた。それらを点検して時間を潰す。

「――鉈とか、むしろ前よりも綺麗になってるな……」

 ちらっと一見無人っぽいキッチンへ視線を送る。金属製品の手入れといえば、あのシェフの仕業だろうか。やっぱあれか、金属とか機械には優しいっていうことか……。

 そしてローテーブルには、なぜか、干し柿っぽい石も置かれていた。

 昨日、山中でなぜか拾って来てしまっていたものだ。本当に、なぜか、の塊だ。

「似てないこともない、か……?」

 わりと見ていて飽きない物体だが、胃酸との闘いが激化するので、ほどほどにしておいた。

『周ぇー、できましたよー』

 とここでロッコシェフが完成のコール。脳内キッチンコロシアムが一斉に沸く。待望!

「はーい……」

 声から間もなく、幸せそうな表情で周が入場する。

 周が席につくタイミングに便乗しよう、というのが作戦だった。さもないとロッコのことなので、追い返されるどころか店内出入り禁止にまでされる恐れがある。

 というわけでなるべく自然な動きで、周と向かいの席に座る。

「周、さっきお風呂ありがとう」

「あぁ、いえ……」

「あれ、アサヒさんは?」

 とさりげなく会話を始めるのも作戦であった。周はまだ眠そうだったが、すぐに反応する。

「あさひねぇは朝起きないんですよ。起きてても、ほとんど食べないんで……」

『チッ――』

「へぇ、そうなんだ……」

『チッ――召し上がれ』 

 料理や皿を並べながらも舌打ちを欠かさないロッコシェフです。

「おいしそーありがとねロッコ。いただきまーす」

 と周が夢見心地な表情で手を合わせる。こちらも、

「いただきます……!」

 食べ始めれば食べ終わる。それが世の常、世の儚さ。

「ごちそうさまぁ……」

「え……!」

 まだプチトマトふたつ分くらいしか食べていない周が、驚愕の表情でつぶやく。

「は、速すぎますよ――ちゃんと、嚙みましたか?」

「素早く嚙んだよ」

「味、わかりました……?」

「うん、すげー美味かった。最高……」

 ベーコンの裏側だけ焦げていたり、細かい嫌がらせをいくつか発見して切なくなったけど。

「そうですか……それなら良かったです……」

『竜、食ったらとっとと修理やれよ』

「う……もうちょい休ませてくれよ――て、電話だ」

 ちょうどいいタイミングで携帯が鳴り始めた。ソファへ戻って画面を見る。

「な――父上……どうして?」

 つい部屋の方向を見てしまう。とにかく通話、

〈あ竜か、おいっす〉

 集中して耳を澄ませていた自分がバカらしくなるほど父上だった。

「なんか……声フニャってしてるけど」

〈あ、わかるか……ちょっと歯が欠けちゃってな……〉

「えっ、もしかしてあの後ロッコにやられた?」

〈いやー、干し柿だと思ったら石でさ……〉

「…………ところで、ノイズからすると外だな、いつの間に脱出した?」

〈なんだよ質問矢継ぎ早だな、挨拶くらいしろよな〉

「こっちのセリフだよ、勝手に消えてんじゃんか……」

〈ん? オレは昨日の夜の内に挨拶して帰ったぞ〉

「えっ! ――ちょっとごめん周、父上もう帰ったって……本当?」

 周はカップから口を離しながらうなずく。

「――ええ、はい」

〈ははーっ! 竜って相変わらず情弱ー!〉

「なんで? いつ帰ったんだ……」

〈あぁ、あの後な、粘り強い交渉の末に縄を解いてもらったんだよ。それでそのあとしばらく皆でトランプとかして遊んだ〉

「ト……なんだって?」

 そういや、やけに上から笑い声聞こえるな――なんか父上っぽい声も混ざってんな――って一階を片付けながら不思議に思ってたんだ……。思い出すのも切ない記憶だ。

〈でまぁ、けっこう夜中かな、ポーカーでもうこれ以上六子さんに借金作り過ぎない内に退散させてもらったんだよ。あ、そういや竜、寝てたよな外で。あれ何? 外で寝るの好きなの? ハブられふて寝? ふて野宿? ははーっ!〉

 腹立つ……!

「じゃあ父上は、負けて帰ったってことか、色んな意味で。負け犬の逃げ足って速いなぁ」

〈やめろう……言うな、それは。弁償とかで来月分まで小遣い全滅だぞ。目から血が出るわ〉

「あぁ、ジャイアントスイングの遠心力で? 大丈夫?」

〈竜……知ってるか? レッドアウトはな、気持ちいいんだぞ〉

「おめでとう。末永くお大事に。――で、これなんの電話?」

〈そうそう――おめでとうはこっちのセリフだな、竜、昨日六子さんに勝ったんだろ?〉

「いや……どうなんだろう」

〈まぁ何にせよ、それで掴んだ初仕事だ。白紙一枚、平常心で頑張れ〉

「仕事……って! え、本当!?」

 そうか……一応は、父上を倒したロッコとそれなりに闘えたわけだから、その評価を受けてついに俺にも仕事が回って来た――って嬉しいけどそれ、あまりにもテンポ早くないか?

〈うん、本当だよ、父上ウソつかない〉

「それ自体が嘘じゃん」

〈マジで初仕事だ。良かったな! ちゃんと守れよ!〉

「あーそっかぁマジか……頑張ろ……。――って……え、どこで何を?」

〈どこって、竜、オマエ今まだあのキャピキャピログハウスに居るのか?〉

「どういう呼び方してんだよ……。うん、居るけど」

〈そうか。じゃあそこだ〉

「え……?」

〈そこで六子さんとプラスアルファで御苑生三姉妹も護衛するんだ〉

「え……?」

〈ちなみに任期は今のところ未定……言い換えれば無期限かもな。ぃよっ! 羨ましいぞ! 末永くおめでとう!〉

 電話を切った。

 頭を抱えて俯いた。

「あの……竜さん、どうしました?」

「……あ、周……! 俺さ、その……」

『ほら、コーヒー』

「あ、ありがと……あのさ、ロッコは知ってたのか? その……俺を雇うって」

「はい、皆知ってますよ」

 と周が、悪意無くハブられ感を煽った。

「う――うわぁ……」

『なにその嫌そうな感じ――こちらこその極みだよ』

「いや、嫌とかじゃないよ……。これは、無だよ……」

 そう……虚無だ。まさに、このカップの中のコーヒーみたいな漆黒の……。

 半ば放心したまま、くいっと傾けて口に含むと、まるで――

「あっ竜さん、そのコーヒーもう牛乳なかったみたいで――」

「――にっがぁっはぁ……!」

 ロッコが持つ毒と狂気を象徴しているかのような、濃密な死の味と香りが広がっていった。


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