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蒸気機関少女  作者: コスミ
五章 もういいよ
34/35

理解に時間をいただきたい

 あぁ、これで今日気を失うの四回目かな……と、どこか他人事のように思っていた。

 そして身体は宙を行く。球状になった涙の水滴と共に……。

 ――なんだろう……今、どういうことなんだろう……。

 すげぇ重い蹴りを食らったけど、ものすげぇ痛いんだけど、

 なんか、嬉しいような……。

 ――うわ、やばいこれ――変な扉が開きかけてるんじゃないか……? 度重なるロッコの暴虐が、ついに未知なる扉をぶち破ったんじゃ――

 って、んなわけあるか!

「ばかロッコぉぉぉ――――――ぉぶしっ」

 受け身を取ろうとしたら思いのほか早く着地――そうか、ここ二階のデッキか……。

「うぐぅぅ痛ぇ……どんだけ飛んでんだよ……」

 しかし放物線の頂点付近だったため、落下の衝撃は少なく済んだ。もし地面まで落ちてたら絶対四回目だったろうな……。

「うわ、デジャヴ!」 

「あれ? 竜さん!」

 ダイニングに入って来た御苑生姉妹が口々に声を上げる。って、普通に歩いて近寄って来るけどそのあたりにはガラスが……あ、良かった片付いてる。

「大丈夫ですか!?」

「ははは……六子にやられたの?」

「う、はい……」

 笑い事じゃない……よな。少なくとも笑うなら俺が笑いたい……なんだよこれ。

「ってあの――なんでロッコ?」

 うずくまったまま下を指をさし短く訊ねる。アサヒの返事は、

「あぁ、早く着たいって言うから」

「すごく気に入ったみたいです」

 という周の補足も含めて、納得いかないこと夥しい。

「てかなんで、あんな黙って……くそ――闘った意味ねぇじゃんか……」

「それは私らも不思議で……なんか黙っててってジェスチャーされたから。ごめんね、つい」

 とアサヒは、口元の前で指を立てる。

「あぁ……」

 そうか、さっき玄関から飛び出す直前に一瞬蜂合わせた時……そのポーズをしていたのか。

「ね、それより竜くん見て欲しいんだけどさ、六子が捕まえた人」

「え? 捕まえた……?」

「そ! すごかったんだよー、こう……ドンと抱きついて一緒に跳んで――サマーソルトっていうの? 二階くらいの高さでぐるんぐるんして、それで着地したと思ったらもうジャイアントスイング!」

「あれほんと、すごい回転速かったよね……」

 周が怯えながら回想している。よほど恐ろしい光景だったらしい……。

「ははは……ちょっと危険なほど完全なレッドアウトだったねー。あれ脳とか視力に影響残らないといいけど……」

 う……笑った直後に怖いこと言いますね……。

「んで六子ったら、気絶した中の人をこっちに投げてパスしたんだよ――ちょうど今みたく」

 ――ええっ! そ、そ、そういうことか! あの吹っ飛ばされたのって……あぁ……。

 もうめちゃくちゃだ。めちゃくちゃすぎるよ。……っていうか、

「いや、ちょっと待って――あの、こういうこと? ロッコが着ぐるみの相手を倒して、すぐ脱がせて、それでロッコが着た、っていう……?」

 口にしながら、あまりのクレイジーさに自分の脳のダメージを心配してしまう。

「そっそ、まさしくそういう流れ」

 とアサヒがすぐ目を大きくして、良く出来ましたと褒めるような白々しさで頷く。

 はははは――もう、いいや……。

「それで……その着ぐるみ中身野郎は今どこに――どんな奴なんですか?」

 と、御苑生姉妹が意味ありげに顔を見合わせた。そしてアサヒがどこか哀れむように言う。

「ちょっと言いにくいからさ、まず見てみて」




 左のブーツと右の汚れた靴下を脱ぐ。その状態でスリッパを履いて上がらせてもらう。

 案内されたのは、先ほど二人と一緒に入った部屋の隣だった。

「じゃ開けるよ、驚かないでね……」

 とアサヒがちょっと憂鬱そうな顔でドアを引き開けて、

「――きゃあぁあっ!」

 ホラー的に完璧な悲鳴を上げた。ぶるぶる振動しながら尻餅をつく動きもまた、同じようにホラーの真髄といったアクションだった。

「わっ――!」

 当然こちらも心底ビックリしている。が絶叫することはなく、身体が硬直して視線がドア枠の中の室内へと向かって――

 室内は、無かった。

 ただ、ドアを開けたすぐ先に、白い壁に縛りつけられた男が居た。

 ――いや、よく見ると壁ではない。ベッドだ。

 そして縛りつけられている、黒一色の服装の、引き締まった身体の中年男性は、

「ち――父上!」

「おう、竜」

 これは――しばらく理解に時間をいただきたい親子の再会だった。

 間。

「いや――ええっ!? なんで父上が! いつからここに!?」

 皆の視線を受けて、父上は痛々しく充血した眼をキョロキョロさせた。

「……えっと、さっき?」

「どうやって来たの!?」

「え……途中まで徒歩で、あとは――くまっしー?」

「くま……っ!」

 な、な、なんて事だ……! ああ、そうか!

 あの森で襲って来たのは父上だったのか! だから着ぐるみでもあんなに強い――って、

「ぅおい! じゃ父上さっき俺のこと絞めただろ! 森で!」

「あ、うん、ごめん……」

 すごいプレーンに謝ってきた。

 蹴り飛ばしたい気持ちは、ぶん殴りたい気持ちにまで治まった。

 パン――と、平手打ちでここは我慢しておく。

「痛――なんだいきなり!」

「こっちのセリフだ! なんでいきなり絞め落としてくんだよ!」

「いや、絞め落とせそうだったから。竜、ああいう暗い時は片目閉じておけって教えたろ」

「う……」

 二の句を継げない。そう――片目を閉じておけばあの目眩ましの後も対応できたはずだ。実際は、まんまと両目に光を食らった上に慌ててしまい、大した反応もできずに陥落……。

「オレが真面目な敵だったら、竜、オマエ死んでたな。はっはっは!」

 ベッドに縛られている分際で高らかに笑う父上。と、ようやく立ち上がったアサヒが、

「こんな早く起きるなんて……。であの、なんでこんなドアの近くまで……?」

 主に物理現象について問う。そしてじりじりと距離を空けようとこちらへ後ずさってくる。

 父上は、ちょっと緊張気味の面持ちですぐに答えた。

「あ、この縄が外せなかったからひとまずベッドごと起きてみて、まぁここで立ち往生です」

「なんでそんな……」

「とりあえず行けるとこまで行ってみて、そのうち縄も解けるかなーと思ったんですね。それで、このドアちょうど通り抜けられるかなーって大きさだったから来てみたんですけど……まぁご覧の通りダメでした。にしても何ですか、この縄。この容赦のない縛りっぷり……」

 確かに、これは――二度と解けなくてもいい、という決意と無慈悲さがひしひしと伝わってくるような縛りっぷりだ。がんじがらめの二乗、といった具合。

「でも父上相手なら、これくらいで正解だ……」

「だからって――こんなの、人の縛り方じゃありませんよ……!」

 妙に艶かしい敬語で訴える父上。なんかそれ……やめて!

「ね竜くん、ほんとにこの人が……?」

 と側まで避難してきたアサヒが小声で聞いた。

「あ……はい。俺の父親です。これでも一線級の里守だそうです」

「ですです。名前は、イズル。いづくんと呼んでください、いづくんぞ――げふっ」

 会釈しようと首を動かし縄が締まってむせる父上。充血した眼といい、存在全てが切ない。

「父上……はぁ……一体何から聞けばいいのか……」

 一瞬、もしかして俺を迎えに来たのか? と思いかけたが、それならさすがに絞め落としてはこないだろう。

「なんだ竜、まだ何も知らないのか?」

 と父上はこちらの三人の様子を見比べ、皮肉な表情でちらと下の歯を見せた。

「随分歓待されてるんだな……さすが! じゃ、オレがざっくり説明するけど、いいかな?」

 御苑生姉妹を見ると、二人は見合って少し萎縮した頷きを交わしていた。と父上は、

「あー、やっぱその前に、この縄解いてもらえないかな?」

「あ、説明先にして」

 ごく自然に却下する。

「え……いや、いいけどさ。えーと――そうだな、今日オレがここに来たのは、依頼でもあり私情でもある」

「依頼……?」

 それってまさか、ロッコをどうにかしようっていうような依頼か……?

「依頼ってのは、灯さんからの護衛依頼だ」

「えっ! ……な、なにぃ?」

 思わずアサヒの顔を見て確かめるが、頷きが返ってきてますます驚く。マジか……。

「まぁいいから聞け。まず、六子さんの周辺警護となると、使える人間は限られるだろ?」

「あぁ、まあそうだね……普通のSPとかじゃ情報漏れるしダメだろうな」

「そういう事で、オレに回ってきたわけだ。一月前にこっち来たのは、実はそれが理由だ」

「えっ! ――そうか……なんかすぐ帰って来て、腰痛めて仕事ポシャったって言ってたけど……」

「はっはっは! そう、護衛対象である六子さんにやられたのさ! しかも考えりゃ今もまたこのザマだもんな……ははーっ! ウケるな!」

「うん。一月前は、なんでやられたの?」

「……ああ、記憶は曖昧だが――ここへ向かって森を歩いていたら、ちょうど六子さんと灯さんと出くわしてな。しかも、近くには熊も居たんだ。まさかのトリプルばったりだ」

「ええ……すごいな。熊って本物の?」

「ん? 本物だろそんなの。でまあオレが見つけた時、その熊が六子さんに向かってるところだったんで、危なーいってなもんで、熊にナイフ投げるだろ?」

 うん――と自然に首肯しかけるが、近くの御苑生姉妹はぴくりとも反応しない。まぁ、そりゃそうか……。

「――それでちゃんと喉に突き刺さってまぁ良かったんだけど、その後の記憶が曖昧で……聞いた話だと、どうやら六子さんは熊を見るの初めてだったらしくてな、かわいいーとか言いながら近寄っていったところ、目の前で惨殺されたもんだから、それで激昂したらしいぞ」

 あぁ、いろんな意味で恐ろしいストーリーだな……。

「……それ、灯はトラウマだって言ってた――」

 とアサヒが口を挟む。

「――それで六子は、あまりの辛さに、熊に関連した記憶を一時的に凍結しておきたい、って灯に頼んだんだって」

「え……そんな」

 そんな――そんな理由? 嘘だろ……。

 と、その後を父上が引き継いで話す。

「で、灯さんが言うには、六子さんの運動能力が充分だと見たんで、しばらく護衛なしで大丈夫だと判断して……で、今、オレの方からリベンジを願い出たってわけだ」

「リベンジって父上……そんな真面目だったっけ?」

「む、竜にはバレるか。正直に言うとな、六子さんに惚れたのさ。だから未練がましいとは思いつつも、オレと闘ってもしオレが勝ったらそのまま護衛につけてくれって頼み方をした。それでこうして、手土産兼戦略物資であるくまっしーを引っさげて参上つかまつったわけだ!」

「え…………待って、それ俺とはまったく関係ない闘いじゃん!」

「そうだよ竜。だから邪魔だなーって思ったよ父上は」

「じゃ、邪魔って……」

「なんで邪魔したんだよ!」

「なに怒ってんだよ……俺はだって、ガラスぶち破られて、それでロッコにも言われて見に行って……」

 そう……そうだ! ロッコに担がれてるじゃんこれ! 

 あぁ――ひどい! ロッコのバカ!

「ガラスな……あれは、わかり易いようにぶつけて知らせるくらいのつもりだったんだ――ただの合図だからな。でも投げる時、ちょっと力加減ミスっちゃったんだよ。くまっしーが」

「合図って――なんだよそれ……! てか投げたの父上じゃんか、誰のせいにしてんだ……」

「誰のせいって……。くまっしーは、熊の精だぞ!」

 バタン――と、頃合いだったのでドアを閉めた。

 ため息。もう……とにかく今日は疲れた。

「アサヒさん……なんで俺今日、こんな情報不足で翻弄されたんですか……」

 わけのわからないやるせなさと徒労感のあまり、つい恨みがましく不満を漏らした。

 本当は主に、ロッコとアカリという人に翻弄されたという感じだろうか……。

「ん……そだね。何か色々私も後手に回っちゃってさ……さっきようやく灯から電話で話聞いたばっかなんだ。……ごめんね?」

「そうなんですか……いや、謝らないでください――誰が悪いって言ったら……」

 と、ちょっと聞きたい事を思いついたので、抗議する声が透けて来るドアを開けた。

「おい縄! 解いてくれよ――って、あ、おい竜! なんでいきなり閉めたんだ!」

「父上、今日の昼過ぎに送った、俺からのメール見た?」

「メール? ……あぁ、見たぞ。でも説明は会ってからでいいかと思って、既読スルーだ!」

「父上……」

 バタン――と閉めて振り返る。

「今はもう、話すのこれくらいでいいですか? ……疲れました」

「あぁ、うん、そだね――竜くんも、よく休んだほうがいいよ」

「そうですよ竜さん、無理し過ぎてないか心配です。さっきも森で絞め落とされたとか……」

 と周が悪意なく、まだフレッシュな傷に粗塩を擦り込んでくる。

「う、うん……まあ、ね……」

「んじゃ竜くん、先お風呂使いな?」

「あ、いいですか? ありがとうございます……」

 ほっと息をつきながら、心の底から礼を述べた。ありがたい……。頭の中では、このまますぐにベッドで休みたいという欲求も強かったが、やはりここまで汚れてべたべたして木の粉までまぶされたら、先に身体を流したくなる。どこをどれだけ痛めたかよくわかるし……。


 ダイニングまで戻ったところで、周が後ろを気にしながら、

「あの、竜さんのお父さんは、あのままでいいんですか……?」

「あぁ、たぶん大丈夫、あれなら一晩くらいは解けないと思う。ベッドもゴツかったし」

「や、え、そうじゃなくて……」

「あれは六子じゃないと解けないだろうね、それか、それこそチェーンソーとか?」

 とアサヒがからかうような笑みを見せた。

「う……えと、それじゃお風呂またお借りしますんで……」

 とにかくそう言い逃れて、階段を下り始める。



 斬りたて新鮮な木材の香りが、むせ返るほど強烈に出迎えてくる。

「う、そっか――こりゃほとんど戦場だな……」

 足跡だけならまだしも、チェーンソーで一暴れしたのが決定的だった。もはや平和な日常を営む生活空間には一切見えない。せいぜい、ちょっと乱暴な建築途中の現場といった景色。

 すぐスリッパの裏一面に細かな木片が付着して、不愉快な踏み心地になってしまう。

 と――

『やってくれたね、竜……』

 死が、白いエプロンをつけて立っていた。

「わぁあ――っ!」

 飛び退いて壁に張り付く。驚きと恐怖の爆発的二重奏だった。

『せっかく無傷で確保したのに……よりによって喉を引き裂くなんて……!』

 何のことだ? くまっしーのことか! なんて小事! けど……そうか、こいつやたら熊が好きだって言ってたし、目の前で喉にナイフ刺さるとこを見てトラウマだとかなんとか……。

 いや、総合しても取るに足らない小事だろ! アホか!

 こっちは自分がダイレクトに死ぬ思いしてんだぞ! それも何回も……こいつのせいで!

「――ごめんなさい!」

 しかし謝る俺――マジ大人。もうこの瞬間に成人した気がする。

『はぁ……いいですよもう。まぁ六子の判断ミスでもあるし……』

 意気消沈といった様子で前髪と肩を落とすロッコ。

 ……意外な反応だが、とにかく死は免れたか……。

「てかさ……、さっきロッコ、俺が勝てるとか言い切ってたろ。嘘つくなよな……」

『あぁあれ……嘘じゃないよ。ちゃんと闘えば竜が勝つと六子は思ってた』

「ほんとかよ……」

『本当。だからこそ、あの時ちょっと遠赤外線を照射してアツくなってもらったんだよ』

「え……遠赤外線――って」

 ドク――とその時、また一拍、胸が熱くなった。

「これかぁああっ――!」

『うん、それ。それで圧が上がれば、勢いで行って倒して来てくれるかなーって思って』

「ひ、ひでぇ……」

『なんで? それこそ胸が温まる話でしょ?』

「う、うわぁ……」

『でもまさか、六子がくまっしーに着替えてる時、竜があんな圧で突入してくるなんて……あれは誤算だった』

 と、丸太の転がるあたりを見て、事件の目撃者みたいなテンションで言う……。まぁ、目撃者どころか当事者だったわけなんだけども……。

「誤算っていうか、こっちこそ誤解だらけだったからな……でもあの壁は、その、ごめん」

『いいよ、ただ弁償だから。その壁の時さ、遠赤外線は照射してないのに、それ以上にアツくなってたね……なんで?』

「いや……そりゃとにかく夢中で……」

『おかげで反対に六子の圧が上がって、つい闘ってあげちゃったんだから……』

「なんだその感じは……ていうかそうだよ! なんですぐロッコだって正体明かしてくれなかったんだよ……!」

『だって、あの部屋でまた中身が六子だって教えたら、またあの時みたいに竜が……ねえ?』

「な、何の事だよ……」

『また爽やか相撲少年になって暴れられたら嫌だなぁって思ったから』

 爽やかに膝から崩れ落ちた。

「あぁ……嫌な予感はしてたんだ……聞かなきゃ良かった……!」

『それでひとまず屋外へ出て、そしたらまだ竜、真面目に圧が高いままだったから……』

「いや……話聞いとけよ……! その時ロッコどこだって聞きまくってたろ俺!」

『だからなんか……その……言い出しにくくて……よくわからないけど!』

「なんで圧上がってんだよ……湯気やめろ……!」

『六子はいま常圧! 湯気なんて出してない!』

 なんだか――つられてこちらまで圧が上がってきた。たぶん疲労で色々乱れてるな……。

「あ、湯気で思い出した、俺またお風呂借りるから……」

『はぁ? 先にここの片付けやれよ』

「――っ! うぇ……それ、明日じゃダメかな?」

『ダメ』

「……マジで?」

『うん』

「ほんとに? ……なんとかならない?」

『チッ――蹴るよ』

「よぉーし、頑張るぞう!」

 その後の労働の記憶は、あまり残っていない。

 ただ疲労困憊で、胸も身体も寒かった――という体感だけは強く覚えている。



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