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蒸気機関少女  作者: コスミ
四章 当ててごらん
29/35

光、ガラス、煙、有無

5月16日、2話同時更新分、2話目


 なんやかんやでレコードを聞き流してしまったので、もう一度、始めから再生している。

 が、やはりロッコは不愉快なパートをハミングするだけで、マシン的な変化はなかった。

 ハミングの邪魔をするついでに質問する。

「おいロッコさ……自分の記憶戻したいとか思わないわけ?」

『――特には。どういう記憶かわからないから興味という意味で気になるけど、それだけ』

「ドライだな……この記憶の事で色々と絡んでるのにさ……こっちばっかり必死かよ」

 しかし言ってみて、正直ロッコだけでも頓着がなく軽い感じでいてくれるのは、ある意味では救いではないかとも思う。これでたとえば『記憶がないなんて寂しいですぅ、もう死にたいですぅ』くらいのテンションだったら、ちょっと重すぎる。

 まぁ……そんなロッコは絶対、超絶、あり得ないけどな……。

『記憶を戻す機能があるってわかっただけでも安心というか、もともと焦りようがない。消した方がいいから消したんだろうし、今は無いものの価値を知りようもないから、喪失感とか惜しいとか思うこともないし――とにかく、六子はそんなに気にしてない』

「あっそう、もうちょっと気にして協力的になってくれてもいいけどな……」

 沈黙。……歌声だけが、虚しく盛り上がっている。

「……この歌作ったの、たぶん灯だと思う」

 と、アサヒが突然言った。

「えっほんとですか?」

「うん。そんな感じする。歌詞に独特のユーモア全滅感があるから」

「あかりねぇ、メロディーは綺麗なのに……」

 周が残念そうに言う。なんとなく共感と同情をしてしまう。

「そんで、かといって何か隠しメッセージを仕込んだりとかも無いと思う。もしあれば、そういう条件はわかりやすく明示するはず……うぅん、こんなところで手詰まりか」

 と、歌は終わったようだ。しかしレコードは回り続けている。

「あの……こうして歌終わった後に、人間には聞こえない音が入ってたりとか」

「にゃ、それもなさそうだよ。こうして何回か内側まで全部再生してるしさ」

「んー……そうですか……」

 レコードを観察するが、特に変わったものではない。中央のえんじ色のラベル部分にも、何か書かれていたりはしない。

 プレーヤーを観察してみると、側面の下部に並んでいるスイッチ類……と、

「あれ、これ周波数合ってないですよ」

 回転を止めて針を外し、そのスイッチをいじって、また回転スタート。

 思った通り、回るのがやや遅くなっている。針を外側の端にそっと置く。

「わあ竜くん手慣れてるね――つか何したの? 回転遅くない?」

「似たようなプレーヤー見た事があったんで……回転はあれです、東日本の電源用になってたんで、スイッチで戻したんです」

「え、どういうこと……?」

「えっと……新しいプレーヤーだったら自動で対応したりするんですけど、古いのだと、地方ごとの電力周波数に合わせないと、こうして回転速度が変わっちゃうんです」

 つまり先ほどまでは、ずっとこのレコードの適性回転速度ではない、本来よりも早回しの状態――それによって、本来よりも高速・高音で再生されていたのだろう……ということ。

「なるほど……なんかすごいですね」

「へぇっ、竜くんってなにげに色々すごいんだねぇほんとに。ほらクルミも簡単に割っちゃうしさ、その上こういうレトロメカにも詳しいなんて……かなりの男子力」

 御苑生ふたりが感心して声を上げる。

 周はともかく、アサヒがこういうメカ的なうっかりをしているとは意外だった。専門外の機器類には疎かったのかもしれない。レトロとか言ってるし、あまり知らなさそうな距離感……というか、思ったより普通はレコードプレーヤーに接する機会があまりないのかも……。

 ――と、皆が一瞬固まって、すぐに視線をプレーヤーに集める。

 歌が、始まっていた。

 ――低く、優しく、ものすごく美しい声……だが、なんだろう……これ……。

 また皆が一斉に、今度はロッコを見た。

 ……きっと、考えていることまで皆同じだろう――この歌、こいつの声だよな……。

 なんか、いい声だとか思ってしまったのが、ものすごく腹立たしい……!

 とその時――


 キュゥン――と、


『――傾聴アテンド……』

 ロッコの目が、青く煌々と光り出した。

 静止して、もう何も言わない。

 光る瞳の縁は、くるくる回っているようにも見えた。光の歯車が回転しているような……。

 そして、それ以外の動きはない――いや――前髪が、隙間のない櫛みたいな前髪だが、その左端の数本分だけ上がりきっていて、今も、その隣の一本がじわじわ上がりつつあった。

 その一本もすっかり上がりきると、次の隣の髪が、またじわじわ上がっていく……。

 もしかしたら、メーターの役割を果たしているのだろうか。

 歌は続く。もう、それしか音は無かった。

 動ける者たちは時折、存在を確かめるように、ちらとお互いを見合って、しかしすぐにまたロッコを惚けたように見続ける。

 誰も口をきかなかった。どこか触れ難い、身じろぎすら躊躇われる、澄んだ空気が鋭く張りつめているような――そうした、テーブルを包む狭い空間に囚われていた。

 ロッコの瞳が放つ光が、その届く限りのエリアに浸透し、支配しているかのように。

 そしてまた、響き渡るこの――

 ふざけた歌は美しかった。

 本来の正しい速度で、優しく、しっとりと歌い上げられると、奇跡の如く狂おしい振動を胸の中に程よく滞留させて、なめらかに引き続く。

 情感の波。余韻。それらが消えゆく可憐さを、再び覆う次の声。

 その強さ。

 繰り返し、時空に連なり重なる音。流れ、その痕跡すら輝く。

 まるで甘美な蓄積毒だ。

 胸中が、音に依るものだけではない振動で満たされていく。

 ……やばい、飽和しそうだ。こんな歌詞なのに……。

 ――意識的にぱちぱち瞬きして、リセット。視界を選定しなおす。

 青い光をエッジで弾くロッコの前髪は、左側からちょうど半分ほどまで上がりきっていた。

 かすかに加減速する光の円転は、小さな火のゆらめきに似て心を穏やかにさせた。

 これは、ロッコの瞳なのだろうか。こんなに――じっと見つめていられるのに……。

 曖昧な揺らぎにどこか命の存在を探してしまう、青い光。

 その軌跡を見た。

 それは――残像だった。


 ガッ――


 音――何かが割れ


 ――ガシャァァァァア――――ッッッ!


 窓ガラスが降る光景は見遅れた。

 ロッコがすぐ隣に移動していた。

 テーブルに手を突き、もう片方の手は振り向いた先、背後で窓を指し示すように、何か長い物を掴んでいた。

 その先端の太い部分から一瞬の発火――そして濃い煙が溢れ出した。

「きゃっ――!」

 周の、肺が絞り上げられたような短い悲鳴。

「皆伏せ――って煙!?」

 アサヒは腰を上げて一瞬固まっていた。

 煙の臭い。まだ耳は、ガラスの音の衝撃から立ち直っていない。

 ロッコは動かない。外から飛び込んで来たであろう、その物体を掴んだまま。

 煙がどろどろと下りて床に届いた。

「くっ――」

 もう煙で見えないがロッコの腕を伝いながら、手探りでその発生源に触れた。

「あっつ!」

 袖を引っぱり伸ばして手を包み、再度掴み、ロッコの手から引き抜く。

 すぐ窓の外の闇へ向かって――ぶん投げた。

「竜くんナイス!」

 振り向き様に見たロッコは――相変わらず動かず、青い目、前髪はまだ半分のまま。それほど短い一瞬でこんなことに――にしてもロッコはなぜ、まだ動かない?

 外からガラスを突き破って飛来したであろうさっきの物体を掴んだポーズで静止している。

 そう――あの煙……発煙筒か? 一体……。

 いやしかしまずは生身のふたりへ、

「大丈夫ですかっ?」

 見返してくるふたりの視線。全身を見て――ガラスでの怪我は無さそうだと判断。

「は、はい――」

「まずどこかへ!」

 言ってアサヒを見つめ返答を期待する。果たして期待通り、

「部屋行こう!」

 すぐ頷きながら手で示す。ドアのない、直接通路へ繋がっている方向だ。

 と、そちらへ動きかけた身体を止める――周の姿を見て。

 周は裸足だった。椅子の上で縮こまり、微振動している。床には細かいガラスがちらちらと光っていた。

「アサヒさん案内して――周!」

 一歩で近寄って屈みつつ背中を向ける。

「背負うから乗れ!」

「え――」

「ちょっ急いで!」

「や、おんぶですか……?」

 おんぶだよ! なんだおんぶダメか……なんで? って言ってる場合か!

 くるっと反転して、

「じゃお姫様だっこか!?」

「えっ――?」

 と、見ると周は両腕を上げていた。

 どうやらおんぶで良かったのか、いや、迷っていたのか。とにかく中途半端なポーズで――ほんの少し、お腹と……その下の方に……下着が、見えていた。

 その――フチの感じといい薄さといい色といい、完全無欠に……女性ものだった。

 ものすごく情報が錯綜しているカオスの極致なう。なんで俺はそんな時にたった一瞬とはいえ下着の生地に全意識を持っていかれなければならないのか……! ああ!

 なぜだ、なんで下着にまでリアリズムを追求した……周よ!

 その求道心は、今ここで知りたくはなかった!

 一瞬の硬直――それでもこんな有事では果てしない愚行。

 バカか俺は! こんなことで命取りになったら最悪だ!

 くるっとまた反転、

「よしゴメン! おんぶ!」

 なぜか謝った。でもそれは正解だと本能で感じた。

「あ、はい――」

 素早いライディングではなかったが、頭の混乱を払う時間としては不足だった。立ち上がっても、まだ思考は不明瞭だ。あたかも薄い生地を透かし見るかのように……。

「よっし……」

「あの、なんでおんぶを……?」

 う、周……その説明は後にしよう。今のとこ含め、ヒーロー口調で。

 ってかやっぱ周ありがたいことに軽い、それになんか柔らかい―――

 ―――ふぇ。

「こっちこっち!」

 携帯を持ったアサヒを追う歩行が鈍る。自分も素足なのはともかく、すでに数粒踏んでいる感触はともかく、今、何よりどこよりも神経のパニック地帯なのは――背中の上部。

 あ、周ぇぇ……!

 む……胸のリアリティいい加減にしろ!

 特殊メイクか……? たぶん本物より本物だろそれ! ……繰り返す、いい加減にしろ!

 ふぁああ――――やっぱりお姫様だっこにすれば良かった!

 ――などという生涯においてもはや二度と思わないであろう思考内での絶叫の後、

 パニックの第二波。

 ――これについては、考えるのを全力で止めた。

 ただひとつ――あるべきものがない、とは、どういうことなのか――そういう命題であることは確かだった。

 


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