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蒸気機関少女  作者: コスミ
四章 当ててごらん
28/35

歌と毒

5月16日、2話同時更新分、1話目

 水を二杯飲んで一度トイレを借りて、など……しばらく冷却時間をとらせていただいた。

 御苑生ふたりの、恐る恐るこちらを見る目や表情。堂々たるロッコの不敵さ。

 それらを見る程に、胸の芯がどんどん切なく冷えていくのを感じていた。

 最初は、高熱から解放されるような心地よさが、多少はあった。

 しかし冷却は、適温域に留まらず、過剰に続いた。

 結果、今、もはや感情の一切を失っていた。

 ……俺は、恥にまみれ、恥そのものになり、ついに恥の向こう側へと突き抜けたらしい。

 まっさらな境地だ……実に清々しい。

「あさひねぇ、やっぱりまだ見落としがあるんじゃないかな」

「んー、そだね……なんでだめなのかなぁ。もっかい目ぇ通そうかな」

 御苑生ふたりは、先ほどから、ダイニングテーブルに隣り合わせで座り、控えめな声量で話し合っている。ちなみにロッコも向かい側に座っていた。

 その話す内容の端々から察するに、どうやら例の暗号とやらは解けたらしい。なぜ解けたのか、と訊ねてみて会話へ入る糸口としよう。

「あの……暗号解けたんですか?」

 まだだいぶ腫れ物を見る感じで、ふたりがすぐにこちらを向く。とアサヒは間を置かず、

「そ、あの後ちょっと横になって仮眠とったら、昔、灯が小遣い稼ぎのために暗号を作ったんだけど、ちょうど似た形式のが他で作られて先を越されたからお蔵入りになってさ。そのことを夢というか走馬灯みたいに見て思い出してねー、んで、ずばりそれだったわけ。ははは……体調崩すってのも、たまには悪くないね」

 そう、アサヒは体調を崩したんだ。ちょっと寝ただけでずいぶん元気になったと思ったら、暗号が解けて跳ね起きたんだろう。嬉々として食い入るようにデータを読む姿が想像される。

「――にしても竜くん、急に調子戻ったっていうか……むしろクールになったね」

「ええ、さっきのはちょっとした発作です。すみません心配させて、もう大丈夫です」

「あ、いやいいよいいよ、そんな……大丈夫ならいいんだ。でもなんかすごい……雰囲気が変わったからさ……」

 ――そう、思えば俺は、今日一日で、ずいぶん成長した気がするよ。ふふふふ……。

 と、そんなことより、

「えっと、で――暗号解けて、それで中身はどんなだったんですか?」

「期待通り。六子の詳細なデータがざっくざくでさ、二晩くらい語りたいところだけど、今は記憶の部分についてだけ」

 と前置きして口を結び、こちらを見据えてまたすぐに話し出す。

「音でデータの入出力ができる。と一言じゃわかりにくいけどさ、ほらこれ、レコードプレイヤーあるでしょ? 六子の部屋から持って来たんだけど――」

 ダイニングテーブルに載っているのは、確かにレコードプレイヤーだった。下部はプラスチック製で、ラッパみたいな部分は金属らしい。

「――で、レコードも一枚だけ部屋にあって、それを聞かせれば記憶が戻るよーって感じで書いてあったわけ。でもさっき竜くん寝てる時に、何回か再生したんだけど、だめでさ……」

「音って、どういう音ですか? レコードだから上手くいかないとか……」

「んにゃ、むしろレコードじゃないといけない。ハイレゾ……えっと、CDとかの音源だと、音の細かい成分がカットされててね、レコードだとその細かい聞こえないような音の成分が含まれて、それが重要みたい。ちなみに六子の発声機能もハイレゾだからすごいリアルでしょ? なんて言うか、音というデータだけじゃなく、音の圧の存在感みたいなものがあって――単なる波の照射ってんじゃなく、空間ごと震わせるって感じかなぁ」

「そう言えば――」

 と周が、首を傾げて宙を見ながら言を継ぐ。

「――電話でも、相手がなんて言ってるか聞き取りやすいように、伝達する音域を限定してるって聞いたことあります。だから声がなんとなく違って聞こえるんですって」

 言われてみれば、確かに……そうかな。まあとにかく、音の細かい部分が重要なのか。

「そのレコードって、どんな音が入ってたんですか?」

 頬杖をつくアサヒが横目を飛ばしてくる。

「歌」

「えっ歌……? どんな……誰のです?」

「女の人。なんか聞いたことありそうで、でも知らない人だった。ね」

 と最後は周に確認、

「うん……高い声で綺麗ですよ。もう一回聞いてみますか」

「そだね。百聞は一見に如かずってことで」

 と不適切な事を言いながらアサヒはプレーヤーに手を伸ばした。


 歌……女性の声――確かに高音だ。

 伴奏はない。歌声だけ……アカペラというやつだ。

 独りで歌っているらしい。それにしては上手に聞こえる。最も粗がわかりやすい、ソロでのアカペラでこれだけ自然に聞けるなんて、相当に安定した技量がある証拠だ。プロだろうか。

「歌手ですかね? プロの」

「んにゃ、音声検索かけたけど、どんぴしゃの人はいなかった。わりと個性的な声だけどね」

 個性的なら特定しやすいのに、という言を飲み込んだのだろう。アサヒは顎に拳をあてて探偵ポーズを決めている。

 プレーヤーのせいだろうか、なんとなく音が不自然な気がする。いや……音質というより、声がなんだか不思議だ。人間の声らしくない……とか、そう思うとロッコの声かとも考えてしまうが、高さが全然違うし、ロッコの声はむしろかなり人間っぽい。

 しかしそれでも、なんとなく似ているような感じもある。それが不思議だ。

「うぅん……じゃあ歌詞に何かメッセージがあるとか、どうですか?」

 思いつくまま聞いてみると、アサヒがテーブルから紙のコースターを持ち上げた。

「それがわからんのよ。書いたのがこれ。見てみ?」

 立って受け取りに行く。白く、ほぼ四角で角が少し切り落とされている形だ。そこに細かい字が並んでいる。

 ……これに隠された意味はなさそうだな、というのが読んでみて最初に感じたことだった。


 せいかつしましょひとしれず

 あさにはあさの ひるにはひるの

 いいことなんてないけれど

 ゆうにはゆうの よるにはよるの

 じょうきをいっしたゆめなかば

 あすになる うまれかわる

 くまにはくまの くまにはくまの

 いのち しずみゆくまえに

 つどえ じょうききかんしょうじょたい

 いそげ ちょうとくべつきゅうこうだ

 ※(繰り返し) くまくまくーまーくーまー くまくまくーまーまー


『くまくまくーまーくーまー――♪』

「おいロッコ」

『く――な、なんだよ……』

「あの熊の着ぐるみ、いつから持ってたんだ?」

「えっ熊の着ぐるみ? ウソ六子そんなの持ってるの?」

 とアサヒが先に声を上げた。周も「へぇ」と感心を示す高い声を漏らした。

『いつからって、起動した時からあったから、特定はできない』

「つまり五日前には、すでにあったのか?」

『……うん』

「ふぇー――六子そんなのどこに仕舞ってたの? あのクローゼット?」

『あ、はい。ずっとそこに入ってました』

「えーすごい、あとでボクらにも見せてよ」

 楽しそうなところ悪いが、ちょっと割り込ませてもらう。

「そうなると、覚えてるか? 前に俺の父上が熊にやられたって話、したと思うけど」

「あ、そっか……」

 アサヒが小さく言って黙り、皆の視線を受けてロッコはただ頷いた。

「だから今、俺としてもロッコの記憶を戻すのはとても重要なことになった。というかそもそも、俺は父上が熊ごときにやられるのは変だと思ってたんだ。だけどもし、中身がロッコの熊だったら……父上もただの熊と思って油断したところをやられたんだろう、と考えられる」

 もう空気は一変していた。しかしレコードのどことなくまぬけな歌と、間を置かないロッコの機敏な返事に救われる。

『うん、なるほど……あの着ぐるみについて言うと、生からあの状態へと加工された時期が、たぶんひと月前くらいだろうと六子は見ているんだけど』

「じゃあ、ちょうど父上が熊と遭遇した時期と……前後関係は微妙なところだな」

『六子の口から言うと疑われそうだけど、だからつまり、竜の父上と遭った時には、まだ熊は生だったかもしれない』

「でも生の熊相手なら父上は――まぁ、お互い主張し合ってもな……。それにそもそも熊っていっても森に一頭しか居ないもんでもないし、だからロッコが記憶を取り戻しても俺に有益な情報が得られるかはわかんない、よな……」

『でももし、六子が竜の父上の仇だったら……?』

 それが核心だ。しかし向こうから言われるとは……虚を突かれた。すこし罪悪感も……。

「もしそうだったら、恨みとかじゃなく、俺はただロッコに勝ちたいと思う」

『勝ちたい……?』

「俺は里の役に立てる、里を守れる人間になりたい。子供の頃からずっと憧れてきた、立派な里守に俺もなりたいと思ってる。だから修行の意味もあって、こうして山に入って来た。昼にクルマで言った仇討ちの話は、実は動機としては半分以下だ」

「え、半分、以下……」

 アサヒが、童話の夢を打ち砕かれたように虚ろな声でつぶやいた。

『……仇というよりも、言わば刀の試し切りの為――みたいな相手を探してたんだね』

 冷たい言い回しだが、ロッコは特に何も感情を持たずに整理しただけだろう。それが余計にこちらの胸を冷やす。

「まあ……そういうこと」

『だからって、森で遭った六子の胸を狙って、いきなり毒矢を撃つなんて……』

 うわ、そんな言い方――語弊しかない!

「えっ竜くん……胸って!」

「そんな……竜さん……!」

 揃って目を見開き口元に手をあてる御苑生ふたり……ああ、即効性の誤解。

「ちがっ……! そん時ロッコは着ぐるみで見た目完全に熊だったんですよ! なんか二足歩行で両手挙げてガオーって感じで、威嚇っぽかったし!」

『あれはホールドアップだったのに……』

「なっ――わかるかそんなもん! 紛らわしすぎるわ!」

『無抵抗の相手を撃つなんて……』

「ロッコ……熊の格好でパトロールしてたんだ……可愛い」

 あ、周……。

「竜くんって、思ったより危険な男だったんだね……」

 うわアサヒさん、その言い方もなんか語弊があります。

 って、ああもう面倒な流れになったな……適当に謝ろう。

「……ロッコ、その……いきなり撃ってごめんなさい」

『うん、絶対許さない』

 うぉぉおお――でもなんか予想通り!

『ていうか竜……旭にも謝って。そして死をもって償って』

「はぁ?」

『あの毒のせいで旭もちょっと痺れちゃったんだから』

「え、痺れ……?」

 うわ、え、え……?

「えっ!」

 アサヒは声を上げるが、後が続かないようだ。周も絶句している。

「おい待って、え、毒……?」

 頭が高速で回り、記憶のシーンを繋ぎ合わせる――。

 放たれた毒矢→熊の着ぐるみを貫通し→中のロッコの胸に当たり凹ませる。

 車内でロッコの胸の凹みを触るアサヒの指先→次にラテのカップを持ってあおる→口元に付いた泡を拭う指先→唇の隙間から舐めとり→口内炎を気にして→血液中にレッツポイズン。


「ふぁああっ……!」

 床に片膝を突き、テーブルに突っ伏す。

 そ、そんな……!

 あぁ、不思議だ――俺はもう、感情を越えたはずなのに……。

 これか……罪悪感の正体は……。どうりで、アサヒに謝られたりすると胸が痛んだわけだ。

 くそったれ――俺はまだ、人間だ……!

「わ、また……竜くん大丈夫?」

「ぅぅうアサヒさんごめんなさい、ごめんなさい本当に……」

 顔を上げることもできない。なんだこの、アホでひどい事態は……。

「あ、そうかあの六子の胸の凹みって――竜くんが撃った矢だったの?」

 とアサヒも、少ない情報だけで真相に辿り着いてしまった。ああ……。

「毒かぁ――へえ! 貴重な体験しちゃったよ」

「……え?」

「……えっ」

 アサヒのあまりの軽さに、顔を上げて周とユニゾンしてしまった。

「ははは……毒ねぇ、たぶん竜くんのとお揃いだよね。どんな毒なの?」

「え、え……っと、神経性の……」

「へえーそうか、だからちょっと身体の感覚鈍ったんだ……なるほどね」

 今度は納得し出した……なんだこの人……。

「あ、そんな竜くん謝らないでいいよ。全然微量だったみたいだし。それにさ、おかげで暗号の走馬灯見れて、それで色々わかったんだから……」

 う……なんだろう、なんか微妙に、言葉のチョイスに圧を感じるぞ……! 声の調子は完璧に傷ひとつなく明るいだけに、余計怖い……。

「――それに六子も私も不注意だったわけでしょ、しかもなに? すごいミラクルで運悪く毒舐めちゃったわけじゃん……ははは。私ついてねーなー」

 うわあ――本当にそれくらいで片付けてくれたら助かりすぎる……女神に迫る勢いです。

『う……バレましたか』

 おいそうだよお前もかなり責任あるだろ……! 毒なんてちゃんと拭いとけよ!

「いやウソ六子、当たり前でしょ……毒ってわかってたんなら言ってよね……」

『すみません。でも口内炎があるなんて計算外だったんですよ……』

「んあー、まぁねー……」

「ふふふ……口内炎恐るべし、ということですね」

 ええ――そんなまとめ方かよ……周こそ恐るべし……。



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