とり肉コール
疲労はゼロでも脚が重い。恐らく、タンパク質とミネラル分が不足している。つまりどういうことかというと肉が食いたい。肉だ肉肉肉、お肉様! 肉の神よ!
「くっそー……肉ぅぅ……」
しかし願いが肉神様に届くことはなく、小動物を狙った罠は今朝も全て空振りだった。
心を無にして、今朝も山の気まぐれ野草サラダ一品を黙って食べる。もう何度これを食べたか知れない。自分の身体まで野草になっていきそうなほど毎日継続して食べている。咀嚼する音が第二の鼓動と思えるほどだ。夢の中でもしょっちゅう食べている。
こうなると、里を出る時に強がって食料を何も持って来なかったのが悔やまれる。ああ、憎き我が虚勢……「一流の里守を目指すなら、当然、完全サバイバルだ」なんて息巻いてしまったのだ。完全と言っても、弓やらチビ鉈やら飯盒やらと結構な充実装備だから、物資だけはかなりリッチな状況なんだけど。
それでも……ああもう、野草以外の食料! および肉!
ここのところ頭の中は食べ物と食うことばっかりだ。何か食べたいとなったら、ひとしきりそれを食べるシーンを高精細で妄想して、ふと他のメニューに移ってまた妄想、というふうに脳内フルコースを際限なく巡っている。そういや一日の活動内容も、食べられる草を探す時間の比率が日々だんだん増えているような……。
そして時折発作のように、里の食事が熱烈に恋しくなる。
おっ!
……ぁあ、これヤバいな。干し柿落ちてると思ったら石だった。
干し柿かあ……出発の時ばあちゃんの干し柿も受け取ったんだけど、格好つけて「食料は全部現地調達することにしてるから、持っていけないよ」と一度断りかけて、「いや、やっぱ胃袋になら入れて持って行けるかな?」なんてドヤ顔を決めて、その場で食べ尽くしてしまったんだっけ。
くっそ……思い出すと痛いし腹立つな俺の野郎……。腹立つし腹減る、というか胃だけでなく全身が飢えている感じ。何て言うか、精神もガリガリ。もろもろの栄養不足か。ああ、干し柿、干し柿……果糖。
こうして、半月も山中で過ごすと糖の偉大さが身にしみてわかってくる。糖も神なんだ。
ぐっと、唾液を飲み込む。水を一口ぶん節約できた。ため息が気力と共に流出する。
「ひとりで生きるは獣道……」
父上をはじめ、里守たちがたまに口にする言葉だ。なるほど、こういう荒行には皮肉なほどよく似合うもんだ。それがわかっただけでも、この修行の成果と言えるんじゃだろうか。
「ふふ……弱気になってきてるな」
自嘲の笑み。思い出し笑い以外では、頬が緩む感覚は珍しい。
ずっと川沿いに痕跡を探して来たが、ここ数日は、川から離れて軽く遠征する作戦に移っていた。もし山中で湧き水を見つけられれば、そこを中心点にして周囲を探索できるのだけど、まだ一度も見つけられていない。なので二日に一度は川に戻って水を汲む必要がある。
そうか、水分不足か。
水が足りないと、こう、心身ともに急速に絞られていく感じになるんだ。
「つっても、もう川沿いぜんっぜん痕跡皆無だもんなあ……」
天を仰ぎ、ついでに太陽の位置を確認する。
――その時、鳥の声と羽音が降って来た。カケスだ。
姿を捉え、目で追う。すこし離れた小楢の枝に巣があった。ヒナの声も微かに聞こえる。
全身の血が、超満員の客席のウェーブみたいに沸き立っていく。鳥! 鳥肉!
とーりー肉! とーりー肉! ――脳内競技場に木霊する、とり肉コール。
今、矢は五本ともあるのだが、ここでは温存しておきたい。ちゃんと当たれば探さず楽に回収できるが、それでもどのみち破損するリスクはある。
それに正直、単にああいう素早い小物を射止める自信がない。大物を仕留める為の弓術ばかり集中的に習ってここへ来ているのだ。言い訳ではない。客観的な事実だ。
とにかく、こうなったら仕方ない……。
狙うは、ヒナだ。
「ふっふふふふ……」
歩み寄りながら梢を見定め、足場など、大体の木登りプランを思い描く。現在のコンディションでも余裕だと判定。
木の側に着き、胴に袈裟掛けしてある長弓と矢筒を外し、天むすの海苔みたいに全身を包んでいた茶染めのマントと一緒に地面へ下ろした。ブーツと靴下も脱ぐ。
身軽になったところで、ゆっくり肩を回し、伸びをする。
「おーっし」
慎重に、それでもあくまで素早く登る。体力の消耗を抑えるためだ。
あっさりと巣のある枝元に到着。思ったよりイージーな樹形で助かった。
親鳥が戻って来てバタバタ騒いでいる。わずかにある鱗状のブルーが奇麗だ。
「悪い。貰うよ」
ぱっと短く手を合わせた。
巣の中を覗くと、ヒナは二羽孵っていて、あとタマゴが一つ。
んん……悩ましい。タマゴは孵らないこともあるから、それをいただくのがベターか。しかし食べる身としてはちょっと抵抗がある。殻の中ですっかりヒナの姿になっていたとしても、あるいはその途中でも……。
じゃあここは、一番育っているのがいいかな。出る杭は間引かれる、みたいな摂理で。
巣との距離を目測し、腕を伸ばすために体勢を整えていると――幹に回した手に、
突然何か動くものが触れた。
ひやっ――と背筋が震える。
「うわっ……おお!」
見ると、ヘビだった。すぐさま首根っこを押さえて捕獲。
「よっしゃあーっ! 会いたかったぜアオダイショーウ!」
歓喜! ひんやりした細い背中に頬ずり。
「くぅううう……コイツ小骨地獄だしあんま美味くないけど、嬉っしいぃ……」
子供の頃一度食べただけだったし、もしかしたら今は味覚が変わって美味しく感じるかもしれない。まあこの際、味なんか我慢だ我慢。
「あ、そうか、よく騒ぐと思ったらコイツに反応してたのかな」
親鳥は、まだ忙しく顔を傾けて片目でこちらを注視している。
「ごめん邪魔したな、大物サンキュ」
木から降りようとしたその時――遠くに何か異質なものを見つけた。
親鳥が飛び移った枝の向こうに広がる山林の景色の中に、人工的な面と線。
「わ、なんだ……」
静止し、目を凝らす。かなり遠い。ここから数キロはある。
建物……住居?
山の斜面にあり、やや見上げる角度なので、ほとんど木々に隠れている。が、屋根がぼんやり光を反射しているのが確認できた。マットな茶色の屋根材だ。金属製っぽい。
外壁は……明るい色だ。これは……丸太か? ログハウスみたいな。
「まとりあえず、行ってみるか」
位置関係を脳裏に焼きつけ、木を降り始める。本来ならあまり外界との接触はしないほうがいいのだが、あんなところに居を構えるようなら、里のネットワークと通じている可能性は高い。とはいえ、地図的には、もう街と里との中間点くらいの位置だろうか。
「一応、兄貴か父上に聞いといた方がいいかな……っと」
着地。腰の後ろから鉈を抜く。幹をまな板にして、ヘビの首を押し切った。
鉈を葉の裏で拭って鞘に戻し、土をひと掴み掘って、落ちた頭をそこに埋める。
片手を立てて一瞬黙祷。
「まず先に食うか。いったん水も汲まなきゃだし」
身支度して、川へ向かう。食事の時間込みで、ここに戻るまで往復三時間と踏んだ。
それなら午過ぎくらいに、あの建物に着くだろう。