あたたか~い
「竜さん寒くないですか? このまま窓開けておきますけど」
周はダウンベストを脱ぎはじめていた。
「ああ大丈夫、むしろ俺もちょっと暑い」
言いながら、危うく隣を見そうになった……冷や汗。
「じゃそちらも窓開けといてください。手動なんで」
「あぁ、うん」
そう、ハンドルをくるくる回して開けるタイプだった。やってみた。
軽トラの幌を思い出すような摩擦音を立てながら窓ガラスが下がる。何度見てもフラット。
「あっ、来た来た」
と、周がステアリングに頭を乗せるような体勢になって、手をひらひらさせた。
そわっ――と表皮が身構えるような緊張感。
こちらも首を傾けてフロントガラスの向こうを見通す。すると間もなく、輪っか状の溝だらけの坂を小走りで降りてくる姿が視界に入った。
すらりとした大人の女性だ。
プードルみたいなモコモコの茶色い靴下にサンダル――そのソール部は木製らしく、軽快な音が響いてくる。ハーフパンツは裾が窄まっていて、ほんのりニッカポッカっぽい……ライトブルーで花柄だけど。
襟のついたカーディガンの裾は角が無くゆるやかなカーブを描き、後ろ側だけ尻を覆うようにまるく垂れ下がっている形だった。色はネイビーで、襟と袖口を除いて民族っぽい柄が覆っている。
そのボタンは一切留めておらず、中に着た赤いTシャツの流線型な銀色のプリントと、胸の中心あたりにあるカラータイマーがよく見えた。まだ三分経ってはいないようだった。
と、額になにか……くたっとした王冠みたいな黄色いヘアバンドを巻いている。全周でだらんとしているのは、花びらか……?
……もう、そんな奇異な格好なのでだいぶ見る目が曇ってきたが、しかし顔立ちは、そんな逆境から急速に挽回してくるほど魅力的だった。
視界の明度が上がる――瞳孔が開いたのが自覚できるほど。
うぅむ、と唸りたくなった。
見事に整っている。目が大きく、他のパーツはあまり主張しない。いや、すこし鼻筋が通っているが、それはマイナスにはなっていない。海外でバリバリ活躍している女性、みたいな陽性な印象を受ける。
髪は日差しを受けると茶色だ。長いらしく、後ろで結っている。
――とその時、こちらを覗き込むようにして、ぱっと微笑んだ。
そして両手を低空キラキラ星。
……なんとなく、期待通りのパフォーマンスです。スペシウムな威力があった。
近づいてくると、やはり背は結構高いようだとわかる。一七〇くらいあるかも知れない。
とにかく、大人……大人だぁ。
でもまあ研究とか言ってるくらいだったから、そりゃそうだよね……。
それでも、いざこうして接近してくると緊張だ。
と、早歩きになって、さらに減速。
「乗って」
周がフロントガラス越しに、隣へ向けた指を見せながら言った。
「はーい――どうもっ」
とアサヒは一瞬、横からボンネットに上体を被せるようにして、開いた手を添えつつ笑顔でこちらに挨拶した。反応する間もなくドアの方へフレームアウト。
「姉の旭です」
周がこちらに首を向けて紹介するのと同時に、ドアが開いて、助手席に乗り込んでくる。
一瞬、下げた頭がヒマワリに見えた。結われた髪の長さは、腰に迫るほどだった。
バン――とドアを閉めた。ふわっと、タバコと何か甘い匂い。
「暑くない? クーラーつけなよ」
といきなり言いながらすでに操作している。周も操作板を見て声を上げた。
「あれ、クーラー直ってたの?」
「うん、灯マジック――あ」
くるっと振り向き、肩に顎を乗せながら、
「どうも御苑生旭でーす」
軽く自己紹介してきた。身構える暇もない速攻――ちょっと仰け反った。
「筆柿、竜です……」
「竜くん、初めましてね。具合どう?」
目だけが笑っていないような……こちらの内部を透過しているような眼差し。心臓が怪獣のように爆発しそうだ。
「あ、はい……もうだいぶ」
「そっ、安心。――てゆか六子も来たの? 昨日ぶりー、元気?」
瞬時に困り前髪ラインになったロッコが答える。
『今日は午頃から低調です』
「そなの、なんで?」
『嫌な拾い物のせいで』
薙ぎ払うような横目で見られた……。とアサヒが感嘆の声で、
「へえ! しっつれー何それ!」
何故だか嬉しそうに目を輝かせた。
「ちょっと旭ねぇハイだね、また徹夜でしょ?」
初めて聞く周の茶化すような声。ほぼ真横を向いた、ねじれ上体が柔軟性を感じさせる。
「うん、今が昨日の昼じゃないならそうなる」
アサヒは片頬だけ笑みを浮かべ、シートを大胆にリクライニングした。
思わず、その後ろに座るロッコを見てしまうと、再び横目レーザーで即座に迎撃された。
相変わらず、網膜と心に傷跡が残りそうな貫通力がある――すぐ瞼をきつく閉じても赤い点が残っていそうな……。
「悪いね竜くん来てもらってね」
――とアサヒも、じっとこちらを直視していた。上体をねじりロの字型のヘッドレストに腕を回して、なんとなくシートに抱きつくようなポーズだった。
レーザーの次は、宇宙的光線の照射か……思ったよりハードだ。さらには周の、あどけないだけに透明でむず痒い視線まで加わった。……これ、いぢめられてる?
「……いえ、大丈夫です」
と普通な返しで精一杯だ。すぐさまアサヒが、
「何今日の昼? この子に聞いたんだけどさ君熊に遭ったんだって?」
間も置かず流れるように次々と聞いてくる。
「あ、はい……」
「ほんとぉ! だって時間……さっき? ついさっき熊とばったり? 森ん中で?」
「そうですね――」
言われてみれば、さっきっちゃあ、ついさっきか……すげえな。すげえ一日だな今日。
「――それでちょっと、油断して」
「そう? 油断とかしないっぽい感じするけどね」
微笑んでいる。しかし、口早に喋る隙間隙間に、それだけではないような表情がチラつく。
「そうかでも遭難中? じゃないや山の中にずっと居たんでしょ?」
「あ、はい、だいたいもう半月ほど……」
「はは! さらっとすごいよね。マジ?」
疑っている様子ではない。むしろもう信じていて、感心しているふうだった。見ようによっては、はしゃいでいるようにすら感じられる。
『そんなことより旭』
「ん? どした六子」
ぱっと目を開いたアサヒに向かって、ロッコは真っ直ぐ、
『ラテが、温まりました』
お風呂が沸いたのかな、と思わせるアナウンスをした。




