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蒸気機関少女  作者: コスミ
三章 ところでなんなんだ君は
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魔王

 すごい運転技術だった。

 さもなければ、一瞬で樹木の幹に深々とメリ込んで終わってしまうだろう。

 それくらい、スリリングな速度だった。

 ヘビの背のようにうねうねした道は細く、今にもミラーが持っていかれてしまいそうなほど木々がビュンビュンすぐ側をかすめていく。

 そうした空気を裂く音が――死! 死! 死! と耳元で繰り返しているような錯覚。

 クラッチオフ、ギア操作、吹き上がるエンジン、加速、減速、右カーブ、左カーブ――これらがひっきりなしに入り乱れる。

 一瞬浮き上がり――ギア操作、タイヤが鳴って着地と同時に急加速、かと思えばカーブ、真横へ落ちていくような強烈で一定したG。曲がりきってようやく解放される。

 すぐ昇り坂で今度は下向きのG、首が重くなる。

 ふわっ――とまた浮遊、減速、クランク、その出口で加速……。

 ――クレームを言う暇もない。悲鳴さえ、喉元を掴まれたみたいに詰まってろくに出ない。

 心臓が、ここから出してくれ出してくれと、鎖骨のあたりをドクドク叩いている。

 我が心臓ながら、それは同感だった。悲痛な連帯感だった。

「やっぱり後ろに二人乗ってると挙動の重量感だいぶ違いますねー」

 と饒舌な周が、ギアレバーを激しく弄びながら笑顔でチラッと振り向く。

「周――前見て前だけ見て!」

「あ、すみません、でも大丈夫ですよもう道覚えてますから」

 ここまでずっと一本道だ。なのでおそらく、カーブの形状やタイミングなど、コースレイアウトとして記憶している、という意味で言ったのだろう。色々恐ろしい……!

『おい竜このやろう――』

 ロッコを見ると、窓の上にあるグリップを掴んでいるだけで、普通に座っている。

『呼び捨てすんな、さんを付けろデコ助野郎』

 どんどんナチュラルに怖いやつになってきたな……。あと俺そんなデコ出てないのに……ほんのり髪のびたし。と、またチラッと周が振り向き、

「ちょっとロッコいいの、ボク年下だし」

『えー?』

「それにそのほうが楽だし……なんか、いいから、うん……」

 最後のほうは口ごもっていた。なんだ……無理して言ってるのか?

『わかりました、周が言うならしかたないですね。――竜を灰燼に帰しせしめる口実をひとつ失ったのは惜しいですが……』

 父上、父上、魔王の独り言が聞こえたよ……。

 と急カーブ――の連続! スラロームか!

「――うぅっ」

『このクルマ、運動性能いいですね』

 のほほんと褒めた。なんだこいつ……。こっちは脱水される洗濯物の気分だってのに……。 

「でしょ? こう見えて意外と、くいっと曲がるんだよね――」

 嬉々として言い、痙攣したようにステアリングを動かした。直進路で無意味にキュキュッと車体が左右に揺れる。

「――ほらっ」

 満面の笑みがバックミラー越しに一瞬だけ見えた。冷や汗が噴き出す。

「ひぃ……――!」

『なるほど、パンダって機敏なのですね』

「あ、そうか……ロッコ大丈夫? ラテ」

 何の心配ですか運転手さん。

『ラップを二重にしてあるのでだいじょぶです』

 二重じゃ足りないと思う。

「てか! さすがに危ないからもちょっと減速――これ動物とか出たらアウトだよ!」

 そう――イノシシクラス以上の大きさだったら、お互いに完全アウトだ。ウサギ以下なら、まあタイヤがしばらくぬるっとするだけだろうが……それも嫌すぎるし充分危険だ。

「あ、そうでした。昨日ここ走っててシカを見ましたよ」

「げえっ!」

 ほら、だから危ないって!

「でも大丈夫です、見通し悪いところでは安全な速度にしてますから、出くわしても止まるか避けられます」

「ウソ……だろ……」

 少なくともそれ動物が安全でも乗客は安全な速度じゃないって……!

『もし、近くに大きめの動物が居れば、六子が察知してお知らせしますよ』

 は? なんだその便利機能は……レーダー? と、すかさず周が、

「おぉ、ありがとう。じゃ、もすこしイケるね」

 アクセルを親の仇の如く踏み込んだ。




 目を閉じて、丹田を意識しながら深呼吸……。

 少々の体調不良はこれで治まる――はず。

「もう着きますよー」

「おぉ……!」

 生き返った気分で目をカッと開く。

 蛇行が少なくなり、辺りが明るくなっていた。人の手が入った領域が近いのか。

 とまさに、並木の向こうに照り返す草原……その一部にキャンプ場のような施設が見えた。

「このへんでいっか……中入るの面倒だし」

 と、奇跡的に減速していき、周がハンドルを切って木陰に入る。

 並木の反対側の路肩に停車した。

「はい、着きましたー。面白かったでしょ?」

 と周にワクワク顔で聞かれ、スクランブルで返事を探し始める。

「えっ――あー、お、面白かったー……」

 結局、すぐ折れた。

「あぁ、良かったです、ちょっと遅めで退屈だったかもって心配してました」

 あまりの恐ろしさにぷるぷる首を振ると、周は好意的に受け取ったのか息を抜いて笑った。

 目を逸らす。わけがわからない……ここは地獄か?

 魔王に追われてるような速度で動いたりしない、固定された優しい景色を眺め、深呼吸――

「ふぅう――あれ……建物は?」

 草原の方向には、それらしいものは見えない。

「あっちのほうですよ」

「ああ、え……っ――」

 前方に身を乗り出し、フロントガラスから周の示す方を見上げ――絶句。

 ちょっと先の枝道に入って数メートル登ったところに、木々に阻まれながらも金属製のゲート……と監視カメラが見えた。飾りっぽいクラシックなものではなく現代的な、本気のゲートといった威圧感。建ち並ぶ金属棒の一本一本が角材のように太く、バーコードくらいの密度に思えた。不敵に鈍く光を反射している。

 その向こうを目を細めて透かし見ると、なんとか建物の存在を捉えた。二階建てか。

 やや古いが木造ではない、重厚な印象の外壁。あとは窓の端が見えただけ。遠いのと、遮蔽物が多すぎた。

 直線距離でゲートからさらに五〇メートルはあるか。途中に、庭木だろう、野生ではないコンパクトな樹木が数本。それでもだいぶ育ったらしく、密集しているような感じがした。毛色は違うが森に近づきつつあるのだろう。

 なるほど……研究施設という名を冠するに相応しい気配が漂っている。

 ていうか高級感すげぇな……。美術館みたいな……。

 と、運転席から携帯の光が広がった。

「じゃ、呼び出しますね」

 言ってすぐ耳に携帯をあてて固まる周。

 ――う、ちょっと緊張してきたな……。こんな死にかけて生還したばかりのコンディションで大丈夫か俺……。

『では六子は、すこし温め直します』

 ロッコが奇怪なことを言って、そのままじっとしている。

 何をだ?

 あぁ、ラテをか……。

〈はいよー〉

 力の抜けるイントネーションだった。

 これがアサヒさんの声……。澄んでいてやや高く、ほんのり粘性を感じさせる声だ。周のサラサラとパウダー感がある声質とは好対照だった。

「旭ねぇ、今着いたー」

 周もつられたように若干ふにゃっとした発声になった。

〈ゲートの外ねー〉

「そうー」

〈はーい、ちょい出てきまーす〉

 最後の語だけ大きかった。まわりにも聞こえるように言ったのだろう。衣擦れのノイズも多少混じった。

〈そいじゃね〉

「はーい」

 それで通話を終えた。

 ホームシックになりそうなほど家族らしい、簡潔なやりとりだった。



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