最高な朝
ロッコがその熱と蒸気を駆使して作る朝食は、いつも幸せな香りと味がする。
新鮮な季節の生野菜と蒸し野菜がたっぷりの賑やかなサラダに、火加減完璧なスクランブルエッグ、そして焼きたてホカホカふかふかの各種パン。中でも僕はドイツ式の、麦がつぶつぶ入ってるパンが好きだ。重くて黒くて酸味があったりで独特のクセが強いんだけど、いかにも穀物を嚙み締めてるって感じがいい。少量でも満足感が得られる。
そしてこの、ミルクに負けない焙煎香の利いたラテも……。
カップを傾けて、一口。
「はあ……最高」
思わず息が漏れる。
木材の魅力そのものといったログハウスの一室を、小鳥のさえずりと朝のみずみずしい光が彩っている。
引き寄せられるように、椅子から離れて、光源へ数歩。
床伝いにデッキへ続く大きな一面の窓からは、山々の新緑と澄みきった青空が遠くまで見渡せた。
「んぅー……っ」
伸びをする姿が淡い影となってガラスに映る。髪の短い、だぶだぶのルームウェアを着たシルエットが、すとんと両腕を下ろして面積を減らした。
「ふぅうー……」
さらに体積まで萎ませる、長い吐息。
ふと一瞬、限りある春休みをこの上なく有意義に過ごせている充実感と、新学期が始まったらまたしばらくここには来られないという迫り来る現実の寂しさが、胸中で混じり合う。
「ああ、だめだめ……」
頭を振って、気持ちを切り替える。
「ええと今日は……あ、ロッコと二人だけか」
でもそう言えばロッコは何か用事があるんだっけ……? さっき、ふらふらと食卓についた時にそんなことを言われた記憶がうっすらある。
順を追って思い出す。ラテを出してくれて、パンを切ってくれて……その最中に言ってたかな。それですぐ自室に行っちゃったような……。
けど下手をすると、全て夢だった可能性もある。
「いいや、部屋行って直接聞こっと」
歩きかけて止まり、テーブルへと方向転換する。
苺を摘んで口に入れ、ナプキンで押さえるように唇を拭う。合掌して歩き出した。
いつもながらスリッパはベッド脇で履き忘れているので、一足調達して履いた。
ゆるくカーブした壁際にある、階段の降り口へ。カーブに沿った階段をぱたぱた降りながら、苺を口の中いっぱいに楽しむ。その行儀の悪さが後ろめたいのか、無意識に片手で口元を隠してしまう。
比較的、一階は薄暗い。先導する暖色光のセンサーライトが無垢の床材に生気を与える。
廊下というほどもない。階段から数歩でもう着いてしまう。
メタリックで重厚な耐火ドアの前で、足を止めた。厳重な安全対策の施されたロッコの部屋……ドアひとつとっても威圧感が相変わらずすごい。
「ロッコー、ロッコいるー?」
ロッコと自分の手を気遣って、ノックはしない。
と、ドアが、ほんの少しだけ奥へ開く。密封されていた室内の空気が流れ出て、すこし温かかった。……次の夏休みにこのログハウスに来るのは、ちょっと考えものかもしれない。
『はい、います』
声と共に、かすかに衣擦れの音も聞こえてきた。
「あ、もしかして着替え中だった?」
『はい。なのでお入りになるなら、お目汚しです。すみません』
「や、いいよここで」
『助かります』
「あれ今日ロッコさ、出掛ける?」
『ええ、およそ半径五キロ圏内をくまなくパトロールします』
ん……そっか、定期的に運動したほうがいいって整備士の人も言ってたっけ。
「あぁ、お散歩するんだ?」
『ええ、パトロールです』
ややハッキリさが増した発声。ロッコは、譲らないところは絶対に譲らない。
「パトロールねえ……」
散歩なら一緒に行けるかな、と思っていたけど、パトロールと言われると何となくついて行きづらい。と言うか、そもそも散歩できそうな道は一本しかないし、そこ以外の山中を歩き回るなんてアスレチックすぎる。もしロッコとはぐれたら遭難か滑落死の恐れがある。
『お昼には戻ります。御用があればそちらを優先しますが……だいじょぶですか?』
「うん、だいじょぶ、気をつけていってらっしゃい」
大人しく留守番することにした。僕は大自然には逆らわないスタイルだ。
見送りの挨拶を言い置いて、ロッコの返事を待たず歩き出す。
『了解しました。気をつけます』
背後に受けたその声は、なぜか少し籠っていた。マスクでも着けたのかもしれない。
なんでだろう……あれでも精密機械なので、厚着して防護する必要があるのか。それとも海外セレブみたいに顔でも隠そうという意図なのか……衆目なんて絶無だけど。
それか、まさか花粉症なんてことは……。
「ま、いっか。帰ってから聞こっと」
考えていても仕方ないので、とりあえず来た通りに戻って、二階の自室で準備しよう。
と、まずはテーブルの上の食器類を片付ける。キッチンのシンクに運んで、洗うのは……やめとく。その代わり、
「――あむ」
苺をもうひとつ口に押し込んだ。