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夢を見ていた。
僕がまだ『アイ』ではなかった頃の話。地元の公立高校に進学した僕は現在高校二年生。
人生の過渡期と言っても過言ではないこの時期に思い立った事について、別段理由があった訳ではない。虐待を受けていた訳でもなく、虐めにに悩まされている訳でもなく、人生に疲れている訳でもない。僕にはおよそ考えつく自殺の理由が全く見当たらなかった。
そして同時に、生きる理由も全くなかった。
自分で言うのもなんだけど、僕は恵まれた子供ではなかったのかもしれない。
早世の父。事故死した弟。そのせいで僕と心中と図った母。そして何故か、僕だけは生き残った。どういう訳か、僕には死に立ち会う場面が多すぎたのだ。そしてそれは、死に対する現実感や恐怖を喪失させる一つの要因になってしまった。
けど、それを言い訳に使うつもりは毛頭ない。
意味がわからなくなってしまったのだ。自分がどうして生きているのか、生きる必要があるのか。けどそれ自体は別にありふれた話。皆、一度は誰でも悩み得る事だ。
でも、そう思いながらも生きる事ができるのは、きっとその人が強いか、なんだかんだ言っても日常が楽しいからなんだと思う。
前者でもあるし、後者でもあった。
僕は弱い人間だから。諦める事しかできなかった。
でも、そんな事はもうどうでもいい。きっと理由なんていらなかったんだ。
〆
けたたましい電車の騒音が鳴り響く高架下、僕はいつものように学生鞄を肩に掛け、一人で歩いていた。頭に響くような騒音も慣れてしまえばなんて事はない。寧ろ、静寂では自分の音が聞こえてしまう。
自分の鼓動の音。筋肉が軋む音。地面を踏みしめる音。
けれど、もうそんな事を考える必要もない。鞄に入っているのは勉強道具などではなく、先程最寄りのホームセンターで購入したアウトドア用の縄。これを首に掛けるだけ、たったそれだけなのだから。
場所はこの町を一望できる少しだけ高所にある公園に決めた。感慨にふけるなんてらしくないとは思ったが、死ぬ前くらいは許されるだろう。愛着などありはしないが、事の前に自分が生まれ育った町を見るくらいの感傷は許される筈だ。
公園に着いたのは丁度日が沈む夕刻。夕日が町と公園と自分とを照らし、背後に影ができる。
そして、僕以外に人影はなかった。平日のこんな場末の公園に来るような者は誰一人としていないだろう。錆びた遊具に崩れかけのベンチがそれを物語っている。
僕はそれらを一瞥した後、砂埃に塗れた柵に手をかけ、町を一望した。遠くから子供の声や鳥の鳴き声が聞こえてくる。
瞬間、様々な事を思い出した。良い事から悪い事まで。
酒に溺れ、堕ちる所まで堕ちた母が父の葬儀で流した涙。
自分に目をかけてくれた恩氏に友人。
幼かった頃の思い出。
父の大きい背中。
なぜかはわからなかったが、死期が訪れた人間にはよくある事なのだと考えた。これが走馬灯というやつなのだろう。
人生の回顧もそこそこにし、僕は鞄から縄を取り出して輪を作り、固く締めた。それが覚悟なのだと自分に言い聞かせるように、固く。
枝の太い木を見繕い、縄を枝に縛る。
準備は整った。
後は首を掛けて、力を抜くだけだ。本当にそれだけだった。あまりにも呆気がなさ過ぎる。
ふと思った。月並みな疑問だったが、人は死んだらどうなるのかと。
僕は独自の死生観など持ちあわせてはなく、ただ漠然と『あの世』をを思い浮かべた。閻魔がいるとか、神様がいるとか、天使がいるとか、悪魔がいるとか。
考えて、面倒くさいな、と思った。何も無ければ良い。何も無いに越した事はないのだから。
僕は何もいらなかった。ましてや、掴み取ろうとなんてしていなかった。それでも周りの人達は僕を責め立てる。あの人達は何も分かっていなかった。自分が見ているものが相手も同じ物を見ているのだと当然のように思っている。
……ともあれ、今となっては意味のない事。誰も聞いていないし、誰かが聞いていたとしても僕の独白に意味はなくなってしまうのだから。
枝に縛った紐の強度を引っ張って確認し、台替わりに太い根の上に乗る。耳の後ろまで紐を引っ掛けた。
――最期に思ったのは、大した事はなかったと言うこと。
今も、今までも、どこまでいってもそれは変わらなかったのだ。
そして僕は静かに、力を抜いた。
かくして僕の物語はここで終わりを迎える。
僕にとっても、誰かにとっても、何の意味もない物語が。