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   〆




「ただいま、ゴース」

「ああ。……なんだ、グレースとはそのままは別れたのか」


 小麦色に焼けた肌に、隆々とした肉体の男性。着ているシャツからもその体躯が浮き出ている程。歳を聞いた事はないが、おそらく三十歳中程”だった”のだろう。

 ほりの深い顔に少し細めの眼は初対面の人を威圧する。僕も初めて彼を見た時は熊のような印象を抱いた。無論、彼にそんなつもりはない。


「連れて来た方が良かった?」

「いや、今度で良い。それよりアイ、少し手伝ってくれ」


 僕の居候先であるゴーズは靴屋を営んでいて、自宅に工房を構えている。僕が実際に作業に携わる事はないが、世話になっている手前、様々な雑用を買って出ている。


「ちょっとそこを支えてくれ」


 彼の作る靴は評判が良い。全てオーダーメイドで履く人の寸法は勿論、意見も交えながら制作に取り組むのだ。僕が直接作る訳じゃないのに、それが少しだけ誇らしかった。

 周りには工具と納品前の靴が所狭しと並んでいる。以前、彼は「靴の種類は人の種類だ」と言ってたけど、本当にそうなんだと思える程色んな種類があった。

 形、色、大きさ、模様。 

 ああ、確かに。考えてみれば人みたいだ、なんて思う。


「ねえ、ゴース」

「なんだ」

「ゴースはいつから“ここ”にいるの?」


 ちょっとした世間話のつもり、だった。何の気なしの僕の言葉に彼は作業を止め、こちらをじっと見てきた。

 ほりの深い顔立ちに埋もれるようにある瞳は、こちらを見定めるように視線を向ける。


「……いきなりどうした。何かあったのか」

「いや、そういう訳じゃないんだけど……」


 ただ、なんとなく、特に何か思う所があった訳でもない。


「……もう随分長い。君が考える以上には」


 彼はそれだけ言って作業に戻った。これ以上は聞くなと、暗に言われているような気がして、追及するのは憚られたのだ。

 それきり、彼は何も言おうとはせず、黙々と作業にのめり込んでいた。


「……」


 思えば、僕は彼と彼女に関して知る事は少ない 

僕が“ここ”来た当初から既にいた彼らには随分世話になっているが、その事について取り立てて聞こうとは思っていなかった。

それはきっと、満足していたからだ。

ここでの生活と、彼らに対して。

何か不満がある訳でもない。これでいいんだ。まして、彼が聞かれたくないのであれば無理に聞く必要もないのだ。



 ――そう、そんな事に意味はない。

 もう終わってしまった後の物語に、注釈など無粋でしかないのだから。





 島の広さは約四キロ四方。周囲は真っ白なビーチと海岸線に覆われ、島の中心にある礼拝堂から波紋が広がるように栄えている。若干の高低差があり、礼拝堂の頂上からは街の全貌が見渡せるようになっているのだ。

ちなみに昨日の催しはその礼拝堂から見て西側にある場所――普段は街道として機能しているが――で行われていた。僕とゴースが暮らしている家は南側にあり、ここと北側は碁盤目状の住宅街になっている。“ここ”での生活様式は基本的に欧州を踏襲したものなので、“むこう”とのギャップはあるけど今となっては慣れたものだ。

 では東側はというと、


「そらよ、いつものだ」

「ええ、ありがとうございます。いつも助かってます」

「そりゃこっちの科白だ。ゴースさんには俺も随分世話になってるしな。あの人にはよろしく言っておいてくれ」

「わかりました」

「次の祭りの時は俺も出るからよ。暇だったら見に来てくれや」

「必ず行きますね。ゴースも連れていきますから」

「おう、頼むぞ」


 靴の材料の買い出し。贔屓にしている人がゴースと知り合いという事でいつもここを利用していた。かなり格安で譲ってもらっているのだが、彼がゴースに面倒を見てもらった時期があるとのこと。彼の専門は革製品という事で僕の個人的な持ち物の鞄や服も彼が造ったものが多い。

 ここ、東側にはこういった生活雑貨、食料品などの店が多くある。これが祭りの時には一斉に西側に移動するという訳だ。

僕は彼にお礼を言った後、南側にある自宅へと足を向けた。時間は夕暮れ時だから人はまだまだ多い。


「そう言えば、太陽が西側にあるのは同じなんだな……」


 水平線へと沈んでいく太陽を見ながら、ふと思った。

 太陽が西から昇ろうと、そんな事で意味も不都合もないからだろう。それは元々そうなっていたから、そうなっているだけなのであって、僕らにとってどちらでも良かったのだ。


「――」


 嫌な事を思い出した。

 かつての、今となっては無関係だが女々しく引き摺っている、あの時。

 でも大丈夫だ。僕らは過去を恐れる必要などないし、未来に希望を抱く必要もない。ただただ、漠然と今を過ごせば良いのだけなのだから。

 手で陽を遮りながら、沈んでいく太陽を見据える。橙色の目玉は僕を叱咤するように見えた。

 家に帰るとゴースがいつものように黙々と作業台へ向かっていた。おそらく僕が声をかけなければ永遠に作業しているのではないかと思う程、彼の集中は凄まじい。

 今は型紙を切っている段階だった。ここは靴全体の基礎となる、手を抜けない場所だ。


「ゴース」


 呼びかけ、材料を所定の棚へと置いていく。


「ガイさんの所に行ってきたよ。ゴースによろしくだって」

「ああ。……そうだ、アイ」

「うん?」

「これからグレースの所か?」

「いや、今日は特に約束してないけど……」

「なら行ってやれ。ついでにこれを渡しておいてくれ」


 そう言ってゴースが僕に手渡したのは、靴。真っ黒な革靴だった。装飾もほとんどない。


「これは、グレースの?」

「そうだ」


 サイズこそ丁度良さそうだが、彼女にこの色が似合うとは思えない。グレース自身が希望したものにしては違和感があった。

 しかしどうあれ、僕が口出しをする必要はない。ゴースにわかった、とだけ伝えて再び家を出た。彼女の家はここからは反対の北側だ。もうすぐで暗くなるし、それから行くのは失礼だろうと思い少しだけ早歩きで向かった。


「今日は忙しいな」


 いつもなら午前中に少しだけ家事とゴースの手伝いをして、その後は趣味の読書に費やす時間だったり、グレースと出かけたりする訳だけど。しかしまあ、このくらいの方が丁度良いのかもしれない。“ここ”は自分から何かをやろうとしなければ何もせずに済んでしまう。

 迂回すると時間がかかるので礼拝堂を突っ切るように向かう事にした。太陽はほとんど沈み、徐々に暗闇が広がっているのを見て少しだけ安堵した。




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