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踏みつけられもしなかった者


「――ハハハ! おい見ろよ、こんなところにスライムが一匹残ってるぞ!」

頭上から降ってきたのは、耳をつんざくような嘲笑だった。

瓦礫と化した魔王城の謁見の間。かつて美しく眩い紫の絨毯が敷かれていた場所は、いまや黒く焦げ付き、無数の魔族たちの遺骸と血の匂いに満ちていた。

その凄惨な現場の中心に、黄金の髪をなびかせた男――【勇者】が立っていた。

「討伐しますか、勇者様?」

「よせよせ、時間の無駄だ。スライムなんか踏みつける価値すらない。剣が汚れる」

勇者一行はドッと下品な笑い声を上げると、倒れた魔王の首を掲げ、一顧だにせず去っていった。

ザッ、ザッ、と遠ざかっていく靴音。

静寂が戻った壊滅的な城の中で、僕はぽつんと一人、残された。

(……踏みつける価値も、ない)

ぷに、と自分の青く透き通った体を収縮させる。

僕はスラリス。魔王軍で最も地位の低い、ただの下級スライムだ。

仕事といえば、回廊の掃除や廊下の雑用。戦闘なんて一度もしたことがない。

だけど――。

(みんな、優しかったんだ……!)

ご飯を分けてくれたオークの料理長。

「お前も立派な魔王軍の一員だ」と頭を撫でてくれた吸血鬼の女幹部。

そして、いつだって圧倒的な強さと威厳で僕たちを護ってくれた、魔王軍最強の将軍――【首なし騎士(デュラハン)】様。

みんないなくなってしまった。

僕が弱くて、小さくて、ただのスライムだったから。勇者に「相手にする価値すらない」と見逃されるほど、惨めで情けない存在だったから。

悔しさと、悲しさと、溢れ出す涙(目はないけれど)で体がプルプルと震える。

ふと、視界の隅に「それ」が映った。

瓦礫の中に転がっていたのは、漆黒の金属で鋳造された巨大な全身鎧。

魔王軍最強の象徴、デュラハン様が身に着けていた魔導鎧だった。

主を失ったその鎧は、首元から上がすっぽりと抜け落ち、空洞のまま冷たく横たわっている。

(デュラハン様……)

僕は吸い寄せられるように、ズルズルと鎧の首元へと這い寄った。

そして――意を決して、鎧の内部へと潜り込んだ。

ひんやりとした金属の感触。

僕は自分の体をうーんと伸ばし、鎧の腕、足、胴体の空洞へ向かって、薄く、広く、液状の体を押し広げていく。

(……動け、動け……!)

スライムの体は、ただの流体じゃない。

魔力を通せば、接触している物質を「内側から動かす」ことができる。巨大な鎧の関節部分に粘液を絡め、滑車のように滑らせる。

ガシャリ。

漆黒の鉄甲が、重厚な音を立てて動いた。

ガシャ――ン!!

僕はゆっくりと、両足で立ち上がった。

視線が高くなる。普段の地面スレスレの視界とは違う、2メートルを超える巨人の世界。

首の切り口(本来なら頭部がある場所)に、僕は自分のコア(核)を配置した。

そして、転がっていた漆黒の兜を拾い上げ、左腕でしっかりと抱え込む。

兜のバイザーの隙間から見つめる、滅びた魔王城。

「勇者……」

僕は鎧の内部にある空洞に空気を送り込み、壁面を微振動させた。

スライム独特の「キュピキュピ」という高い音ではなく、鎧の金属響と共鳴した――地鳴りのような重厚な低音ボイスが周囲に響き渡る。

『……許さないぞ、勇者……!』

すごい。本当にデュラハン様みたいな声が出た!

(……ひぇ、自分でもちょっとビビるくらい怖い声出たよ!?)

心の中では大パニックだったが、外見は完璧だ。

黒銀の装飾が施された恐ろしい巨大鎧。抱えられた兜の奥で、ぼんやりと光るスライム核の青い残光。どこからどう見ても、地獄から蘇った「首なし騎士」そのものだった。

「見ていてください、魔王様、デュラハン様……」

僕はズシリ、と重い一歩を踏み出した。

「僕が……僕たちを愚かに踏みにじった奴らに、復讐してみせます。この『最強のハリボテ』で……!」

――こうして。

世界を恐怖に陥れる「魔王軍最強のデュラハン(中身:雑用スライム)」の伝説が、人知れず開幕したのだった。

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