異世界に転生したので『基礎』を極めて最強になりたいと思います!
『基礎』。
それは何事においても最も重要なことである。
例えば勉強。基礎がなければ応用問題を解くことは叶わない。
例えばスポーツ。基礎がなければ、どれほど高度な戦術や技術を学ぼうとも、土壇場で体を思うように動かすことはできない。
故に俺は決めた。そして今ここで決意表明として叫ぼう。
「俺は基礎を極めて最強になる!!」
異世界――『アーデンワルツ』の辺境の王国。そこでそびえ立つ山の一角で男は異世転生を果たし宣言をした。主人公――カイト・ワタリは魔力の基礎を極めて最強になるのだと。
―― ―― ――
「フフ!! ハハハッ!!! やっとだ、やっと極めたぞ!!」
苦節十年。長いこと山修行に励んできた甲斐があった。
カイトの手の上にぽつんと浮かぶのは、一粒の小さな『魔力弾』。
初級中の初級、魔力を覚え始めた子供でも扱えるような、魔法の『基礎中の基礎』だ。
しかし、その密度と純度は狂気すら孕んでいた。
一見すると消えてしまいそうな微かな光の粒。だがその内部には、十年間休むことなく魔力操作を洗練させ続けた結果生み出された、幾重にも圧縮された超高密度のエネルギーが凝縮されている。
「さて……十年間、山に籠もってひたすら基礎の底上げだけに費やしたが、そろそろ人里に下りて俺の『基礎』がどこまで通用するか試してみるとするか!」
カイトが握り拳を作ると、魔力弾は余韻すら残さず静かに消滅した。
しかし試してみるにしてもどうするのか。そう考えて見れば様々な問題が思い浮かぶ。
まず第一に、山を降りるまでの道のりだ。
「十年間、山籠もりしかしてないからな……まともな服もないし、人里までの地図すらないぞ」
着ている服は、十年の修行と生活ですっかりボロボロ。もはや布切れをまとっているような状態だ。これでは人里に下りた瞬間、怪しい不審者として捕まりかねない。
第二に、この世界の「通貨」や「常識」だ。
いくら魔力の基礎を極めたところで、ご飯を食べるにも宿に泊まるにも金がいる。異世界転生した直後に山に引きこもったため、カイトはこの世界の物価も、通貨の単位すら知らなかった。
「……まあ、考えていても始まらないか。とりあえず山を下りつつ、獲物でも狩って身なりを整えるか」
自分の手元を見つめ、カイトはフッと口元を緩めた。
「俺の十年の『基礎』があれば、野宿も魔物退治もどうにでもなるだろ」
そう思ってカイトは下山を開始した。
―― ―― ――
「…なんか腹減ってきたな。ここいらで肉でも調達するか」
そう呟いた直後、ガサリと近くの草むらが大きく揺れた。姿を現したのは、大きな角を生やした巨大な猪だ。
「お、ちょうどいい肉が向こうから走ってきたな」
カイトはこの猪をただの肉ぐらいにしか認識していないが、実際のところ『パースボア』と呼ばれる魔物で、上級冒険者でやっと討伐できる高位の魔物だ。
そんなことを知る由もないカイトは、焦る様子もなく、ゆっくりと右手の指先を向けた。
練り上げるのは、先ほど見せたあの『魔力弾』。
だが、山での実戦(?)経験から、彼はこの魔力をさらに応用する術を身につけていた。
「『魔力弾』――貫通」
強大な空気の破裂音が山霊に響き渡る。
指先から放たれたのは、針の穴ほどの大きさしかない極小の魔力光弾。しかし、極限まで圧縮されたエネルギーは音速を易々と超え、パースボアの眉間を何の上限もなくあっさりと撃ち抜いた。
「フゴッ……!?」
巨体がそのままの勢いで前のめりに倒れ込み、カイトの足元数十センチ手前でズシンと突っ伏して動きを止める。外傷は眉間に開いた小さな穴ひとつだけ。肉を傷つけず、血抜きも最小限に抑える完璧な一撃だった。
「よし、解体して肉を確保するか。……あ、火を起こすのも『魔力弾』の熱変換(基礎)でいけるな」
こうしてカイトは、極めた基礎魔法を盛大に無駄遣いしながら、最初のおいしいご飯を手に入れた。
「んー! うまい!!」
極限まで熱変換を調整した『魔力弾』の微小火炎で、表面はパリッと香ばしく、中はジューシーに焼き上げられたパースボアの肉。調味料こそないものの、高位魔物ならではの濃厚な脂と旨味が口いっぱいに広がり、カイトは笑みを溢こぼした。
「十年の山ごもり生活の甲斐があったな。火起こしも火加減の調整も、全部『魔力の微小振動による熱変換』で一瞬だ。やっぱり基礎は裏切らない」
上級冒険者パーティが死力を尽くして挑むはずの『パースボア』は、カイトにとって火加減の実験台兼おいしいランチとしてあっけなく胃袋に収まっていった。
手早く腹ごしらえを済ませたカイトは、残った肉を皮で包み、再び下山ルートへと歩みを進める。
「さて、腹も膨らんだし、あとは人間社会に辿り着くだけだが……」
山を下るにつれ、徐々に木々の密度が減り、人の手によって踏み固められた一本の舗装路が見えてきた。
「おお! 道だ! 街道ってやつか!?」
カイトのテンションが跳ね上がる。十年間、木々と岩と魔物しか見てこなかった男にとって、人間の文明の痕跡はあまりにも眩しかった。
だが、彼が感動に浸っていたその時――
「キャァァァァァッ!!」
街道の奥から、切り裂くような少女の悲鳴が木木を揺らした。
「……ん? 悲鳴?」
カイトは即座に思考を切り替える。
異世界転生ものの定番。道中での襲撃イベント。そして困っている人を助ける――これぞ冒険の第一歩ではないか。
「足裏への魔力瞬間放出による『瞬身』(地味に発展)!」
バンッ!!
踏み込んだ地面がクレーター状に爆発し、カイトの身体は弾丸と化して風を切った。ただの移動魔法ではない。
魔力を身体の足裏という極小の点に集中させ、反動を利用して跳躍するだけである。しかしその速度は、音速の壁を軽々と置き去りにしていた。
街道上では、一台の立派な馬車が立ち往生していた。
車輪は壊れ、護衛と思われる甲冑を着た男たちが、血を流して地面に倒れ伏している。
その馬車を囲んでいるのは、泥と返り血に汚れた武装集団――盗賊たちだ。
「ヒヒハハ! 諦めな、お嬢ちゃん! この『黒い蜥蜴』賊の縄張りに入ったのが運の尽きよ!」
盗賊の頭目らしき巨漢が、下品な笑みを浮かべながら馬車の中に手を伸ばす。そこには、恐怖で身を震わせる一人の少女がいた。プラチナブロンドの髪に、気品ある美しいドレス。一目で貴族の令嬢だとわかる身なりだ。
「来ないで……! 誰か……誰か助けて……!」
「助けだと? こんな辺境の街道に誰が来るってんだ! おい野郎ども、身ぐるみ剥がして奴隷商に売っ払うぞ!」
盗賊たちが下卑た歓声を上げた、その瞬間。
ドォンッ!!
何かが超音速で飛来し、頭目の真横の地面に突刺さった。
あまりの風圧に、周囲の盗賊たちが吹き飛ばされる。
「な、なんだぁ!? 敵襲か!?」
煙が晴れると、そこに立っていたのは――ボロ布のような服を纏い、背中に巨大な肉の包みを背負った一人の青年だった。
「ふう、間に合ったか。……おい、そこの不審者集団。人様の旅を邪魔するのは感心しないな」
カイト・ワタリ、堂々の登場である。
しかし、立ち向かうカイトの姿を見た盗賊たちは、一瞬の静寂の後、爆笑の渦に包まれた。
「ハハハハハ! なんだこの乞食は!?」
「不審者はお前だろ! 服はボロボロ、体に巻き付けてんのは……肉か!? ハハハ、腹が痛ぇ!」
頭目の男も斧を担ぎ直し、嘲笑を浮かべる。
「おいおい乞食のニーちゃん、ヒーロー気取りか? 命が惜しかったらその肉置いて失せな!」
馬車の中の少女も、一瞬希望を抱いたものの、カイトのあまりに怪しすぎる風貌を見て顔を蒼白にさせた。
(あ、あの人……助けに来てくれたの? でも、どう見ても野生の不審者……ううん、でも逃げて! あいつらは凶悪な盗賊なんです!)
「逃げてください! その人たちは――」
少女の叫びを遮るように、盗賊の一人がナイフを構えてカイトに襲いかかった。
「死ねや、乞食ぃ!」
カイトは溜息をついた。
「はぁ……言葉で言っても分からないタイプか。仕方ない」
カイトは襲いかかる盗賊に対し、武器すら構えない。ただ、すっと右手の掌を前に突き出した。
「応用技なんて要らない。物理攻撃に対する『魔力膜)』の展開――純度100」
キンッ!!
刃がカイトの手に触れる直前、目に見えない透明な壁に弾かれ、高価そうなナイフが微塵切りみたいに粉々に砕け散った。
「な……ッ!? 俺のナイフが……!?」
「そして、反撃は……『魔力押し出し』(基礎)」
カイトが掌をほんの数センチ、前方にぽんと押し出した。
ただそれだけだった。
魔力で相手をちょっと押し返すという、最初に習うようなお遊び魔法。
しかし、カイトの放った『魔力押し出し』は、分子レベルで極限まで凝縮された不可視の質量兵器と化していた。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!!
「ごはぁっ!?」
空気を派手に歪ませながら放たれた衝撃波は、襲いかかってきた盗賊を吹き飛ばすにとどまらず、後ろに控えていた盗賊十数人を巻き込み、街道の脇にある広大な森林を直線状に数百メートルにわたってなぎ倒した。
突如として訪れた山津波のような破壊音。
倒木が巻き上げる土煙と、凄まじい暴風が街道を吹き抜ける。
「…………え?」
馬車の少女は、目を見開いたまま固まった。
頭目の巨漢は、担いでいた斧をポロリと手から落とした。
数十人いたはずの部下が、一瞬で地平線の彼方まで吹き飛んで消えたのだ。森林には、まるで巨人が大砲をぶっ放したかのような綺麗な「道」が一直線に出来上がっている。
「……あ、やべ。ちょっと力入ったかな」
カイトは自分の手を見つめて苦笑いした。
「ま、いっか。『押し出す』という動作の基礎を突き詰めただけだしな。で、そっちの頭目さん? まだやる?」
「ヒぃ……ヒぃぃぃぃぃっ! 怪物だぁぁぁぁぁっ!!」
頭目の巨漢は腰を抜かし、股間を濡らしながら、解き放たれた脱兎のごとき勢いで逃げ出していった。
「ふむ、逃げたか。まあ追うほどのこともないな」
カイトは満足そうに頷くと、パンパンと服の塵というかボロ布を払い、馬車の方へと歩み寄った。
「大丈夫ですか、お嬢さん? 怪我はありませんか?」
爽やかな笑顔で手を差し伸べるカイト。
しかし、少女から見れば、それは「森を崩壊させる絶大な破壊力を『基礎魔法』と言い張る、ボロ布を着た正体不明の超常的存在」でしかなかった。
「あ……あう……」
「ん? どうしました?」
「た……助けていただき、ありがとうございます……! わ、私は王立魔法学園の特待生、エルザ・ヴァルハイトと申します……! あ、あの、あなたは一体……どんな大賢者様なのですか……!?」
エルザは震える声で、必死に深々と頭を下げた。
カイトは不思議そうに首をかしげる。
「大賢者? ハハハ、違いますよ。俺はただの駆け出しです。ちょっと山で十年間、魔法の『基礎』を練練練練りまくってただけの人間ですよ」
「き、基礎……!? 今の領域展開みたいな衝撃波が……基礎……!?」
エルザの常識が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。
王立魔法学園に通う彼女ですら、今カイトが放った魔法に満たない魔力による技を理解できなかった。あれは高位の『超極大衝撃波』などではない。構造自体は確かに、誰もが知る『魔力押し出し』なのだ。
ただ――その密度と、練度と、出力が、人間の域を遥かに超越しているだけで。
(この人……自分の異常さに全く気づいていない……!?)
エルザは冷や汗を流しながら、この常識外れの救世主を凝視した。
「ところでエルザさん。失礼ですが……ここから一番近い街ってどっちですかね? あと、この肉って街で売れたりします?」
カイトが背中の『パースボアの肉』をどさりと地面に置くと、エルザは再び目を見開いた。
「こ、これは……高位危険外来種の『パースボア』!? しかも、解体の仕方が完璧すぎて傷一つない……!? これを一人で狩ったのですか!?」
「ええ、まあ。『魔力弾』でちょっと突いただけで簡単に取れましたよ。良いタンパク質です」
「『魔力弾』でパースボアを……!? あれは子供が遊びで使うような技ですよ!!」
ツッコミどころが多すぎて頭が痛くなってきたエルザだったが、命の恩人であることには変わりない。それに、この恐ろしい力を持った無自覚な規格外を野放しにして人里に行かせるのは、いろんな意味で危険すぎる気がした。
「あ、あの! もしよろしければ、私の馬車の車輪を直して……一緒に街まで行きませんか!? 私が街をご案内します! お礼もさせてください!」
「本当ですか!? いやぁ助かります! あ、車輪ですね。ちょっと待ってください」
カイトは壊れた馬車の車輪に近づくと、手をかざした。
「えっと……木材『魔力結合』(基礎)補強して……戻す!」
淡い光が包むと、バラバラに砕けていた木製の車輪が、まるで時間を巻き戻したかのように元通りにくっつき、さらに金属以上の強度を秘めた輝きを放ち始めた。
「よし、修理完了です!」
「……もう何も言いません。行きましょう……」
エルザは悟りを開いたような目で空を仰ぎ、馬車へと乗り込んだ。
こうして、十年の山ごもりで基礎を極めすぎた無自覚最強男カイト・ワタリは、常識改変の第一歩として、王国最大の城下町へと向かうのだった――。




