エピローグ ――箱根の火事件報告書より抜粋――
1962年5月1日、神奈川県箱根山中において、明け方と夕刻の二度にわたり大規模な山火事が発生した。
特に夕刻の火災は激しく大規模となり、火勢は周辺の森林へ拡大し、消防および自衛隊が長時間にわたり消火活動を実施した結果、翌朝になってようやく全域の鎮火が確認された。
夕刻に発生した山火事の中心部からは、炭化が著しい性別不明の遺体が1体発見された。遺留品の状況から、当該遺体は国立研究所・箱根分室所属の研究補助員・日下部暖人(24)と推定される。
また、火災現場には同心円状に拡散する高温反応痕が多数残されており、同研究所で研究対象となっていた火のレゾナント被験体 火06号(通称:火野りん) が、能力を極限まで行使した形跡が認められた。ただし、火野りん本人の遺体や痕跡はいずれも発見されていない。
二名の足取りから、明け方の火災についても火野りんが引き起こした可能性が高いとみられる。
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■事件発生の推定経緯
1.日下部暖人が何らかの理由により、火野りんとともに監視区画を脱走。
2.巡回中の警備員が火野りんの不在を確認。
3.他国工作員による強奪の可能性が高いと判断され、緊急配備を発令。捜索と、同行者がいる場合の射殺も辞さない強制排除命令が下る。
4.捜索中の自衛隊部隊が、逃走する二名を発見。日下部を狙った狙撃に失敗した直後、周辺から出火し大規模火災に発展。二名は再び逃走。
5.その後、麓の山道で二名を視認。狙撃手の発砲により日下部暖人が死亡。
6.直後、周囲一帯が炎上。火勢は異常な温度上昇と通常の火災とは異なる反応を示し、レゾナント能力の暴走によるものと判断される。
被験体・火野りんは、能力制御の喪失により自己崩壊(自焼)したものと推測される。
動機は不明だが、研究所内の複数証言により、日下部との接触を通じて感情面に変化が生じていた可能性が指摘されている。
現場周辺からは他国工作員の痕跡が一切確認されていない。また、日下部の身辺調査結果からも、日下部本人が他国の工作員である可能性は低いとされているため、脱走の遂行は日下部単独、あるいは日下部と火野りんの共謀である可能性が高い。
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本件は研究所員の証言も伴って瞬く間に報道され、レゾナント存在の露見と、極秘研究所での非人道的な実験実態を世間に知らしめる結果となった。
当初、世論では治安懸念を理由にレゾナント排除論が高まったが、やがて事件の詳細が明らかになる中で、日下部の死を受けて焼身自殺を図ったとみられる火野りんへの同情が拡大。レゾナント保護の必要性を求める意見が主流を占めていく。
こうした世論を背景に、政府はレゾナントと非レゾナント双方の安全を確保しつつ、国益としてレゾナントを適正に活用するための新法――
「レゾナント保護管理法(仮称)」の立案を決定する。
以降、レゾナントに関するすべての研究・観察・教育は、厳重な監視体制下に置かれることとなった。
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【付記】
火災跡地から発見された日下部暖人の遺留品の中に、部分的に焼損した紙片が一枚残されていた。
筆跡鑑定により日下部本人の手によるものと判明し、以下の文章が読み取れた。
『君は君の人生を、生きろ。
人は皆、自分だけの人生を生きて良いんだ。
人に奪われる人生なんて、あっていいはずがないのだから。』
この紙片は、国立図書館・特別書庫に保管され、非公開資料として扱われている。
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【箱根の火事件資料編集委員会・備考】
“箱根の火事件”は以後半世紀以上にわたり、政府内部におけるレゾナント管理制度の転換点として語り継がれることとなる。
一方、当時を知る関係者の一部は口をそろえてこう述べる。
「彼らはただ、人として正しく生きようとしただけだ」
彼女が最期に見たのは、燃えゆく世界ではなく、ただ一人の人間の顔だった。
それを“火の暴走”と呼ぶのか。
あるいは“祈り”と呼ぶのか。
その解釈は、読み手に委ねられている。




