第七十一話『渾貪禍霊』
「共食い?」
「夏鳴太くん! 早くソレを祓って!」
「あん?」
「それは……」
純礼がなにかを言おうとする前に、その禍霊がある変化を起こす。
ぼこぼこと音を立てて身体が膨れ上がる。
太い腕と、それに見合った上半身。
しかし下半身は異様に細く、非常にアンバランスな体型。
頭部には二本の角が生え、顔は般若の面のよう。
尋常ではない威圧感を放つそれを見て、夏鳴太は息を呑む。
「渾貪禍霊……」
純礼が小さく呟く。
渾貪禍霊。
禍霊が大量の共食いをする事によって発生する特殊な禍霊。
通常、禍霊に共食いをする習性はない。
しかし、ある特定の状況下では起こり得る。
狂乱索餌というサメなどに見られる摂食行動がある。
血の匂いや騒音などに刺激され狂乱状態となり、手当たり次第に獲物に噛みつくというものだ。
禍霊にもこれとほとんど同じ事が起こり得る。
ただ禍霊が同じ場所に大量に集まるという事はほとんどない為、発生確率は極めて低い。
癲恐禍霊以上に遭遇する可能性は低い為、渾貪禍霊についての知識を持たない者も多い。
「■■■■■■■■──!」
渾貪禍霊が咆哮する。
大気が震え、周囲の建物の窓ガラスが割れる。
そのまま夏鳴太を殴りつける。
「がっ!?」
回避も防御もせずに殴り飛ばされる夏鳴太。
なにも彼は呆けていた訳では無い。
複数の禍霊の集合体である渾貪禍霊は個体ごとの固有の能力を持たない。
しかし渾貪禍霊という存在そのものが共通して持つ能力がある。
それは恐怖を奪うというもの。
恐怖とは生物が身を守る為の防御システムだ。
それが失われてしまえば、生物は危機というものに対して無頓着になる。
先ほど夏鳴太が回避も防御もしなかったのはその為だ。
蠱業物十三振の一つである"蝶翅蛾落"に似た力だが、あちらと違い、こちらは攻撃に関しては影響しない。
恐怖がなくても怒りや敵意があれば、攻撃という行動は取れる。
「こんのっ……!」
「■■■──!」
雷撃を放つ夏鳴太。
渾貪禍霊はうめき声をあげるが、大したダメージは見られない。
「■■■──!」
「ごぁぁぁっ!」
再び殴りつけられ、吹き飛ぶ夏鳴太。
そのままビルに叩きつけられ、瓦礫とともに落下する。
「おらぁ!」
その渾貪禍霊を丈一郎が蹴りつける。
渾貪禍霊はカウンターを放つが、既に丈一郎はそこにいない。
加速を止めると加速開始地点に戻るという能力が、恐怖を奪われた状態でも回避行動を可能にした。
「夏鳴太くん! 大丈夫?」
丈一郎が渾貪禍霊を引き付けている間に純礼は夏鳴太の元に。
「力いっぱい殴ってくれたわ……」
苦笑しながら純礼の肩を借りて立ち上がる夏鳴太。
全身から血を流しボロボロの状態だ。
「アレ、俺らで倒せるか?」
「どうかしら……唱石副隊長がいれば簡単でしょうけど」
再生能力を持つ達実は、そもそも回避も防御も必要としない。
渾貪禍霊には相性抜群だが、この場にはいない。
渾貪禍霊の強さを理解した状況であっても、恐怖を感じない精神では危機に対して適切な対処や判断が出来ない。
場を離脱して助っ人を呼びに行くという考えが出てこないのだ。
「ああああああん♡」
仁尋の大きな喘ぎ声が響き、純礼たちはそちらに目をやる。
殴りつけられた仁尋が身体をビクンビクンと痙攣させ悶えている。
しかし、身体に傷は一つもない。
「■■■■■■■■■■──!」
逆に渾貪禍霊の身体に裂傷が刻まれ、血を噴き出す。
「■■■──!」
激昂する渾貪禍霊だが、地面に倒れ込む仁尋は無視して丈一郎に迫る。
「ンだぁ? ソイツに攻撃すンのはヤベェって分かったのか? 冴えてンじゃあねえか。見た目の割によぉ〜!」
丈一郎が超加速で突っ込む。
ソニックブームが発生し、周囲に破壊を撒き散らす。
「■■■■■■■■──!」
音速を超える速度で蹴り飛ばされた渾貪禍霊。
しかしすぐに体勢を整え──
「■■■──!」
「ぐおっ!?」
加速開始地点にワープした丈一郎に襲いかかる。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
上から殴られ、地面に叩きつけられる丈一郎。
「がっ……くそっ……! マズったぜ。そりゃあ俺の能力も理解してるわな……」
陥没した地面に倒れ込み、苦笑する丈一郎。
渾貪禍霊はトドメを刺すべく拳を振り上げる。
その頭部にレーザービームが放たれる。
「■■─!」
やったのは勿論、天平。
彼は先ほど殴り飛ばされた先から、渾貪禍霊を見つけレーザービームを放った。
そのまま渾貪禍霊に向けて駆ける。
「■■■■■■──!」
渾貪禍霊が吠える。
それとほぼ同じタイミングで天平が渾貪禍霊の能力の及ぶ範囲に入る。
その瞬間、天平から恐怖が奪われる。
渾貪禍霊が拳を放つ。
今の天平には回避も防御も出来ない。
いや、必要なかった。
今の天平にとって最大の恐怖は明星に意識を乗っ取られて暴走してしまうこと。
そうならないように、掛祀禍終の発動を控えていた。
その恐怖がなくなってしまった。
「"掛祀禍終"──"天織鈿梭明星"」
霊力の奔流が吹き荒れ、光り輝く巨大なオニヒトデが顕現する。
駅でやった擬神を顕現させない発動ではなく、全開の発動だ。
「消えろ」
オニヒトデの中心部の空洞にある宇宙空間から光線が放たれる。
それにより、渾貪禍霊は声を発する間もなく消し飛んだ。
「ぐっ……あああっ!」
掛祀禍終を解除した直後、天平を激しい動悸が襲う。
「おい……どうした?」
陥没した地面から上がってきた丈一郎が近づくと、強烈な光の柱が立ち昇る。
「なン!?」
咄嗟に目を閉じる丈一郎。
光が消え、目を開けると、そこには変わらず天平の姿。
「おい……帚木、おま……!」
近づきながらなにかを言おうとする丈一郎。
天平はその眼前に一瞬で迫り、腹を殴りつける。
丈一郎はそのまま何棟ものビルを貫通して吹き飛んでいった。
「天平くん! なにを……っ!?」
天平に視線を向けられ、純礼は息を呑んで押し黙る。
天平から尋常ならざる霊気とプレッシャーが放たれている。
先ほどまで失われていた恐怖が帰還を果たし、彼女を縛りつけている。
「アレが暴走状態ゆうやつか……?」
隣に立つ夏鳴太も本能的な恐怖を感じていた。
『んん?』
ふと天平は辺りを見回す。
先ほどまでの戦いの余波で吹き飛ばされていた禍霊たちが戻って来たのだ。
しかしその禍霊たちも天平に恐怖を感じているのか、身を竦ませている。
『ふん』
天平は鼻を鳴らし、手をかざす。
禍霊を一掃する為の攻撃を放とうとしたのだが、必要なかった。
「"恚燬"」
不意に男の声が響き、熱気が発生する。
天平がその方向へ目を向けると、黒のロングコートに身を包む一人の男。
拝揖院禍霊対策局第一部隊隊長、撰燈悟。
両手をポケットに入れたまま、炎を従えて立っている。
「"天麓燎原"」
燈悟が唱えた瞬間、彼から火柱が立ち昇る。
それは上空のある地点で止まり、そのまま燃え広がる。
「空が……燃えてる……」
呆然と見上げて呟く純礼。
彼女の言う通り、炎に包まれた空から無数の熱線が放たれる。
それは的確に禍霊たちに命中し、夥しい数の禍霊たちを一瞬にして焼き祓った。
「えっぐ……」
自分たちが数人がかりでも祓えきれなかった大量の禍霊を一瞬で祓った燈悟を見て、夏鳴太は感嘆する。
当の燈悟は天平から視線を離さない。
「一応、聞くが……」
天平の放つ異様な霊気を感じ取りながら、燈悟が口を開く。
「お前は誰だ?」
燈悟の問いに、天平はニイッと笑う。
『お前は強そうだ』




