第六十五話『指先の秘め事』
歌舞伎座。
東京都は中央区・銀座にある日本唯一の歌舞伎専用の劇場だ。
新学期が始まって早くも一週間が経過した今日、天平たち青鶯高校の一年生たちは校外学習として歌舞伎の観劇にやって来た。
「俺、歌舞伎見るのなんて初めてだよ」
「俺は何回かあるわ。大阪の松竹座ゆうとこでな」
「へぇ。純礼ちゃんはある?」
「一度だけあるわ。まだ父が生きてた頃」
「……ごめん」
「別に謝る必要はないわ」
気まずそうにする天平を夏鳴太が呆れ顔で見る。
「お前ほんまアレやな」
「は? アレってなんだよ?」
「アレはアレや。ほら行くで」
「おい待てって! アレってなんだよ!?」
☆
二階席に座る天平たちクラス一同。
担任が点呼を取り終えて去っていくと、にわかに生徒たちがザワザワしだす。
自身の席を離れ、腰を低くしながら移動しだす。
席順は出席番号順であるため、仲の良い者同士で隣り合おうとしているのだ。
隣り合いたいのは、友達だけではない。
「おい帚木」
「ん?」
後方から菅原が囁くように声をかけてくる。
「こっち来いよ。早蕨さんの隣の子が代わってくれるって」
「ええ?」
天平が視線を移すと、純礼の隣の席の女子と目が合う。
「なんで?」
「なんでって、普通、彼女の隣に座りたいだろ。俺も紗季のとなり代わってもらったし」
そう言う菅原の隣には確かに彼の彼女である相川紗季が座っている。
周囲をチラッと見渡すと、他にもコソコソと席を移動している生徒が多くいる。
「そういうもんか……」
「屈んで来いよ」
天平は言われた通りに身を屈めて移動。
席を代わってくれた女子に礼を良い、純礼の隣の席に座る。
「あまり褒められた行為じゃないわね」
「はは……」
冷ややかな純礼の態度に乾いた笑いを浮かべる。
──菅原め。余計な気を利かせやがって。
心を中で菅原に悪態をつく天平。
二人が本当のカップルではないことなど知らない菅原からすれば純粋な親切心なため、天平も口に出しては言えなかった。
そうこうしている間に開演前のアナウンスが響き、しばらくして舞台が始まる。
演目は菅原伝授手習鑑。
菅原道真が太宰府に左遷された昌泰の変を題材とした演目だ。
一七四六年の初演以来、幾度も上演されている代表的な演目。
しかし、高校生にウケの良いものではない。
既に居眠りを始めている生徒もちらほら。
──夏鳴太、アイツもう寝始めてる……
天平は斜め前の席に座る夏鳴太を見る。
腕を組み、顔は俯いており、明らかに寝ている。
天平は知らないが、彼は以前に一度、この演目の上演を見たことがある。
その為、「ほなええか」と睡眠を選択したのだ。
そんな夏鳴太から舞台に視線を移す。
舞台には既に役者が上がっているが、そこに異様に首の長い女がいた。
「んん?」
思わず声を出す天平。
まるで、ろくろ首のような女は舞台を自由に歩き回っている。
「純礼ちゃん。あれ……」
「禍霊ね」
囁くように声をかけてくる天平に、純礼も同じように応える。
「禍仕分手発動する?」
天平はそう言って両手を構えるが、純礼は小さく首を振る。
「この状態から間世に転移したら流石に目立つわ」
周囲に目配せしながら言う純礼。
彼女の言う通り、二人の後ろの席にも多くの生徒がおり、間世への転移で二人の姿が消えれば気づく者もいるだろう。
「この状態で祓うわ。"臈闌花"」
小さな声で忌名を呼ぶ。
ふわりと数枚の花びらが宙を舞う。
それはスピードに乗って舞台へと飛んでいき、長首の禍霊へ襲いかかる。
「アッ!?」
伸びた首元に裂傷を負い、悲鳴をあげる禍霊。
首を鞭のようにしならせ花びらを払う。
純礼はさらに花びらを出現させ、けしかける。
それと平行して、役者たちに被害が行かないように花びらの防護壁を作る。
禍霊と役者たちの動きすべてに対応しながら花びらを操作しなければならないため、かなりの技量が必要になる。
純礼は充分にその技量を持っているが、禍霊を祓いきるまでには至らない。
「俺も手伝うよ。"明星"」
それを見ていた天平も憑霊術を発動。
球体を一つだけ禍霊に向けて飛ばす。
「アアッ!」
球体が禍霊の頭部に命中。
衝撃と熱さに禍霊は悲鳴をあげる。
さらに、よろけた先には花びらの壁。
花びら状の刃で構築された壁に打ち付けられた禍霊はまるでヤスリにでもかけられたように皮膚を削られる。
「私が花びらで壁を作るから、明星でそこに叩きつけてくれる?」
「分かった」
純礼の指示を受け、天平は壁のある方向に禍霊を球体で打ち付ける。
しかし、これが中々難しい。
壁が固定されているならともかく、舞台上の役者たちに合わせて流動的に動くのだ。
それに合わせて球体を操作するのは、暴走への恐怖からスランプ気味になっている今の天平には難しかった。
「こうしましょう」
それを見ていた純礼がある行動に出る。
自身の右手を天平の左手に乗せ、指を絡めた。
「!?」
目を見開き驚く天平。
ドギマギしながら、純礼の右手と恋人繋ぎのようになっている自身の左手を凝視する。
「私が人差し指を動かしたら右方向、中指を動かしたら左方向、薬指を動かしたら上方向、小指を動かしたら下方向に壁を作るわ。それに合わせて球体を禍霊に打ち付けて」
天平の気持ちなどつゆ知らず、純礼は涼しい顔で指示を送る。
「聞いてる?」
「あっ、うん」
平静を装いながら返事をして、視線を舞台に戻す。
純礼の指示通り、彼女の指の動きに従って球体を動かす。
それにより、先ほどまでとは段違いの息のあったコンビネーションで禍霊を打ち据える。
天平はチラッと視線を手元にやる。
純礼の白魚のような指が絡まり、うねるように動く。
どこか官能的な雰囲気を帯びたそれを見て、天平は一人で勝手に気まずさを感じた。
視線を再び舞台に移し、禍霊への攻撃に集中する。
禍霊を祓いきるまで実に十分ほど。
その間、天平と純礼は大勢の同級生たちに囲まれた中で、密かに指を絡ませ合い続けた。
☆
「ん〜よう寝たわ」
伸びをしながら夏鳴太が言う。
彼は結局、上演の最後まで眠っていた。
「ん? なんか顔赤ないか?」
「へっ? そう?」
妙に赤らんだ顔をした天平を見て、不思議そうに言う夏鳴太。
天平は曖昧に答えて足早に歩く。
歌舞伎座の外では生徒たちがたむろしている。
現地解散のため、ここから先は自由。
このまま遊びに行く生徒も多く、その打ち合わせをしている状況だ。
「やべーぞヤンキーだ!」
不意にそんな声が響き、周囲がざわつく。
生徒たちの視線がある一点に向けられる。
「なんだ?」
天平たちもそちらに視線をやる。
そこにいたのは、長身の男。
リーゼントに黒の特攻服という出で立ち。
そんな男がこちらに背を向けて立っている。
特攻服の背には"怨敵一切全殺し"という物騒かつ頭の悪そうな言葉が金色で刺繍されている。
「ヤンキーゆうか暴走族やろ、アレは」
引き気味に言う夏鳴太。
「アレは……」
純礼はその男に見覚えがあるようで、前に進み出て、
「道葉さん?」
そう声をかけた。




