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眾禍祓除 SHU-KA-FUTSU-JO  作者: タカノ
第四章
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第五十九話『忘蛾』

「うわっ!」


 大慌てでハンドルを切り、斬撃を回避。

 斬撃は地面に裂痕を刻む。


「敵!?」


 車を停め、涼が叫ぶ。

 周囲は夜の闇に染まり、静まり返っている。


「お前ら先に行け」


 喬示はそう言うと、ドアを開け車から降りる。


「ちょっと喬示!」


 シートベルトを外し、自身も降車しようとする涼たち。


「先行けって。ここでモタモタしてる余裕はねえだろ。始末してすぐ追う」


「一人で大丈夫?」


「誰に言ってんだ」


 怜也の言葉にそれだけ返し、喬示は車を離れる。

 怜也は涼から向けられた視線に、微笑みながら首を横に振る。

 涼は溜息を吐き、シートベルトを再び締める。

 そして車を走らせる。

 それに対し斬撃が飛んでくるようなことはなかった。


「やっぱり俺か怜也のどっちかを引き離すのが目的か」


 離れていく車を見ながら呟く喬示。

 すると、コツコツと足音が響く。


「それば分かっとって一人残ったつたい」


 ゆったりとした足取りで、一人の男が夜闇から這い出る。

 柄シャツを着た三十代前半の痩せぎすの男。

 百九十はありそうな長身で絵に描いたような猫背。

 なにより目を引くのは左手に握られた刀。

 黄褐色の柄と鞘に、蛾の意匠が施された日本刀だ。

 それが夜の闇にあって異様な存在感を放っている。


「蠱業物持ちか……。お前が虫籠のナンバー2だな」


「口のかるかつがおったな」


 ここまでの車中で喬示たちは晶から虫籠の構成員についての情報を得ていた。

 その情報の中にあった虫籠の副首領を務める男の特徴と、いま目の前にいる男の特徴は合致している。


 禎央さだひさ。よろしく」


 井は名乗りながら刀を鞘から抜く。


「もう一度聞くばってん、こっちの目的が分かっとって一人で残ったつや? 全員で叩けば速かったろて」


「よく言うぜ。こっちが全員でいる限り隠れてる気だったろ」


 喬示の言葉に井がニヤリと笑う。


「だったらお望み通り俺だけ残って、さっさとお前をブチのめして追えばいい。大して時間もかからねえよ」 


「ボスのよった通り、生意気か」


 喬示の挑発的な物言いに苦笑し、井は刀を水平に構える。


「"蝶翅蛾落てしがら"」


 蠱業物を発動。

 刀身から黄褐色の光が漏れる。

 そこから、


「蛾?」


 大量の蛾が現れた。


──晶は、こいつの蠱業物の能力までは知らなかった。俺も蝶翅蛾落てしがらなんて蠱業物は聞いたことがねえ。


「ま、どうでもいいか。"翳月"」


 喬示が憑霊術を発動。

 黒い靄が発生。


「消しちまえばいい話だ」


 靄を井に向けて放つ。

 夜の闇と同化し、殆ど視認できない。


「ん〜見えん。禍仕分手」


 井は刀を地面に突き刺し、両手を叩く。

 夜闇が消え、夕暮れに。

 漆黒の靄もハッキリと目に見える。


「よっと」


 井はそれを容易く回避。

 喬示は舌打ちして、駆け出す。

 拳を繰り出すが、鋭さに欠ける。


──なんだ? なんか違和感が……


 拳を簡単にかわされた喬示は小さな違和感を覚える。

 しかし井が刀を振るってきたことで思考を中断。

 振るわれる刃をかわしながら、漆黒の靄を放つ。

 普段より明らかに遅いそれは、やはり簡単にかわされる。


──やっぱりなんか変だな……


 明らかになにかがおかしい。

 そう思う喬示だが、それがなんなのか分からない。

 モヤモヤとした気持ちを抱えていると、井の攻撃への反応が遅れた。


「いっつ!?」


 左腕で防ぐが、刃が肌に沈み込み痛みが走る。

 咄嗟に腕を引き、斬り落とされるのは避けたが、学ランの袖が切れ、血が流れる。


──靄纏うの忘れてた。……いや必要ねえか(・・・・・)


 翳月の靄の鎧。

 あらゆる攻撃を防ぐ絶対的な防御。

 それを纏うのを忘れ、腕を斬り落とされるというミスをしたにも関わらず、喬示はなお靄を纏おうとはしない。

 その必要性を感じていない。

 その様子を見ている井が笑みを浮かべる。

 これこそが、彼の握る刀の能力なのだ。


 蠱業物十三振の一つ──蝶翅蛾落てしがら

 その能力は精神干渉。

 相手を驕り高ぶらせることだ。

 発動条件は刀身から発生する蛾を視認させること。

 能力にかかった者は、自身の力を過剰に見積もるようになる。

 攻撃にしても防御や回避にしても、自身の力を本来よりも高く考えているため、必要な分の力を行使しない。 


 先ほどの喬示でいえば、蠱業物に斬りかかられたら翳月の靄を纏わねば防げない。

 しかし蝶翅蛾落の術中にある喬示は生身で防げると考え、靄を纏おうとはしない。

 例え腕を斬り落とされかけても考えは変わらない。

 喬示はそもそもが傲岸不遜な男で、蝶翅蛾落の力でそれに拍車がかかっている。

 違和感こそ抱えているが、精神そのものに干渉されている以上、自力で破るのは困難だ。


「さっきからなんか妙な感じだ。お前の力か?」 


「さあ? どうかね」


 喬示は舌打ちして距離を詰め、蹴りを放つ。  

 やはり普段のそれより威力もキレも劣る。

 刀の棟で簡単に受け止められてしまう。


「軽かね」


「ぐおっ!?」


 井が刀を振るう。

 喬示は後退してかわそうとするが、攻撃の速度に対して明らかに遅い。

 この程度でじゅうぶん回避出来るという過信が、本来よける為に必要な速度を出させない。

 胸元に浅い裂傷を負い、血が飛び散る。


「くそっ!」


──明らかになにかおかしい。こいつの刀の能力なのは間違いねえが、どういう能力だ?


 蝶翅蛾落の能力について考える喬示。

 しかし、その間も井は刀を振るう。

 喬示は相も変わらず靄は纏わず、回避に必要な速度も出さない。

 身体のあちこちに裂傷が刻まれる。


「嬲り殺しばいね」


 井が嘲笑う。

 自分の力を過信し、攻撃も防御も回避もままならならず、じわじわと痛めつけられる。

 これこそが蝶翅蛾落の力。

 術中に嵌った者は己を見失い、それに気づかない。

 己が蛾であることを忘れ、蝶になったかのように有頂天に舞い、無様な墜落を見せる──その瞬間まで。


「ぐっ……おっ……!」


 胸元に一筋の線が走る。

 先ほどよりも深い裂傷が胸に刻まれた。

 喬示は追撃を防ぐため、蹴りを繰り出す。


「おっと!」


──ん?


 そこで喬示はまた別の違和感を覚える。


──なんかキレが良くなったか? いや戻ったのか(・・・・・)


 喬示は少しずつ蝶翅蛾落の能力に気づき始めている。

 蝶翅蛾落はその性質上、相手が傷を負い、追い詰められていく程に効果が薄まる。

 どれだけ自身の力を過信していても、自分だけが一方的に傷をつけられ、不利な状況に追い込まれれば危機感というものが生まれるからだ。

 もちろん、その状況でも"自分ならこの状況をひっくり返せる"と思い込ませるのが、この刀の能力ではある。

 しかし、そうやって生まれた危機感が少しずつ引き出される力の上限を緩めていく。


 そもそも蝶翅蛾落の本来の使い方は、相手の防御能力や回避能力を最大限損なわせた状態で首を刎ねるか、心臓を突き刺すか。

 つまり、一撃で仕留めること。

 しかし井はそれをしない。

 一撃で仕留めるなんてつまらない。

 じわじわ痛めつけて嬲り殺すほうが楽しい。

 そうした井の嗜虐的な性格が、蝶翅蛾落の力にある意味で枷を掛けている。

 彼はこの刀を使いこなせていない。

 それでも大抵の相手には勝てる。

 今までそうだったように。

 しかし今、彼の目の前にいるのは後に当代最強と呼ばれる男。

 その男相手には致命的な戦術ミスだった。


──なんとなく分かってきたぜ。


 振るわれる刃に喬示は後退ではなく前進。


「ぐっ……!」


 胸にこれまでで一番深い裂傷が刻まれる。


「なんば……っ!」


 喬示の行動に戸惑う井を強烈な悪寒が襲う。

 反射的に飛び退き、喬示を凝視する。


「あくしゃうつ」


 刀を上段に構え、大技の発動態勢に入る。


「そりゃ悪手だろ」


 胸元に負った深手、今まさに放たれようとしている大技。

 それが喬示の危機感を引き上げた。

 両手でカメラのポーズを取り、井をフレームに収める。


「"朔"」


「なんっ──」


 井の身体の中心から漆黒の球体が発生。

 断末魔の叫びをあげる暇さえ与えず呑み込み、消し去った。

 

「……人間に使う技じゃねえなコレ」


 場に残った井の両手両足の先端・・を見て、喬示は自分がやったことにも関わらず引き気味に言う。

 

「とりあえず、こいつは回収させてもらうぜ」


 そう言って、いつの間にか鞘に納まっている蝶翅蛾落を拾う。

 

「……」


 喬示は試しに抜こうとするが、ぴくりとも動かない。

 

「けっ。生意気な刀だぜ」


 喬示は吐き捨てると、刀を脇に挟み、両手を叩いた。

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