第一章 chapter04
祭り当日の日曜、この日は気持ちのいい晴天だった。秋のはずが、午前中から気温は上がっていく。とはいえ主張の強い夏の太陽とも違い、いくぶんかは過ごしやすい天気だった。
「もう秋って季節はなくなったんですかねえ」
駐車場に立つ彩花が隣に立つ治に話しかける。
「俺が20代のころはまだここまで暑くなかったんだがなあ。相談役が若かりしころはクーラーもいらなかったっていうんだから、信じられんよ……どうぞ、こちらです!」
来場者たちの案内役をしながら話しているところに、優子がやってきた。
「今年も大盛況ですね。相談役の屋台、30人くらい行列ができてるんですよ」
駐車場に面する1階作業場のシャッターが開放され、開放的な「広場」が生まれている。家族連れ、それに墨田工業高校の学生三十人ほど。中学生らしきグループ。年齢も服装もバラバラな面々が、まるで学園祭のようにそれぞれの目的でブースを巡っている。普段は聞こえることのない子供たちの声が、彩花にはうれしい。
「ワンコがお風呂に入れてもらってる!」
「あの金属のやつ、なに? アイス用のチタンスプーンだって!」
「トートバッグの手染め体験って、並んでればいいですか!?」
駐車場と作業場を開放して始まった「第三回トクサ祭り」は、期待通りのにぎわいを見せていた。
「はい、焼きあがったよ!」
何度目かの「10人前の焼きそば」が出来上がった。交代することなくずっと鉄板の前で奮闘を続ける浩志。白いタオルをねじり鉢巻きにし、トングで麺を掴みながら「はい、次! お、麺多めだな!」と威勢よく声を上げる。
「相談役、焼きそば焼くの、年々うまくなってません?」
そう言ったのは、隣で手伝っている技術部の中堅社員・川村孝雄だ。浩志は眉ひとつ動かさず答えた。
「焼きそばもな、寸法通りに熱を入れるんだ。水気と油のバランス、それが公差ってもんだ」
技術屋らしい物言いに、屋台の中で小さな笑いの花が咲いた。
午後1時過ぎ、木賊側にとってのハイライトがやってきた。チタン加工部の一角に特設された展示ブースで、篠原祐希による「マイクロリアクター解説講座」が始まるのだ。参加者は、墨田工業高校の化学専攻の生徒たちのほか十数名。知識欲旺盛な大人や小学生も加わった。篠原と模型の前に置かれた丸椅子はほぼ埋まっている。
「皆さん、こんにちは。木賊工業の篠原です。今日は、僕たちが作っているマイクロリアクターっていう装置の説明をさせていただきます」
篠原は、手作りの透明なアクリル模型を手に説明を始める。それは名刺大ほどの大きさで、部品のようでもあり、樹脂の塊のようでもある。
「小さな部品に見えるでしょう。この小さなケースの中で、細かい細かい、それこそミクロレベルの化学反応を起こせるんです。皆さんの耳に馴染みのあるところでいうと、抗がん剤やワクチンを作る実験です」
「これを拡大して作ったのがこの模型です。この細いチューブを通って薬剤と薬剤が混ざります。実際のチューブの太さは、50μm。なんと髪の毛より細いんです。そしてこの真ん中のスペースで化学反応が一気にスタート。見た目はおもちゃみたいだけど、これが今、世界中で注目されている我が社のK-TOKUSAフローチップリアクター、TFCRです」
へええ、と声が上がる。
「化学反応は、ゆっくり起こした方がいい場合と、一気に完了させた方がいい場合があるんですよ。例えばお肉を焼く時。1、生から一気に焼き上げる方がいいか、2、じわじわ熱が通ってゆっくり加熱される方がいいか。美味しいのはどっちか分かる?」
「篠原先生」に当てられた高校生が照れくさそうに答える。
「炭火でじっくり焼く方が美味しいって聞いたので、2だと思います」
篠原先生はうれしそうだ。
「そう! お肉を焼くのも化学反応。この場合はゆっくり反応させましょう。でも薬品や実験によっては、ゆっくりさせちゃダメな場合もある。たとえば……恐ろしいけど毒ガスの実験とか。逆に早すぎると爆発が起こったりとか」
急に出てきたおどろおどろしい言葉に、静かなざわめきが起こる。
「で、ここからが大事な話。道具そのものには、善悪なんてありません。包丁だって便利な調理道具だけど、使い方ひとつで凶器になる。マイクロリアクターも同じ。悪意のある人が使えば、たとえば――危険な薬品や兵器だって作れてしまうかもしれない。だからこそ、大切なのは作る側と使う側の心なんです」
ピタリと、周囲のざわめきが止まった。
「TFCR、うちのリアクターの最大の利点は『安全性』です。チューブが細いということは、出来上がる化学物質も微量。危険物を発生させるリスクも極端に少ないということです。これが、墨田区から世界へ羽ばたく最先端技術なのです!」
生徒たちは目を輝かせて篠原の言葉に聞き入っていた。
「この仕事は、信頼に支えられています。僕らは誇りを持ってこの装置を作ってる。墨工の皆さん、中学生の皆さん、みんなで日本の中小企業を盛り立てていきましょう!」
言い終えた瞬間、教室ではないその空間に、自然と拍手が湧き起こった。
講座のあと、彩花はそっと篠原に声をかけた。
「かっこよかったですよ」
「おだてないでください。顔に出るタイプなんで」
そう言って照れ笑いを浮かべた篠原の目は、どこか誇らしげだった。
午後3時、来場者数はちょうど300名を超えた。最後のキッチンカーが片付けられ、屋台の鉄板が冷めていく中、浩志は静かに焼きそば用のトングを洗っていた。
今年も事故はゼロ。反応は上々。何よりも――「伝わった」手ごたえがあった。
優子がスマホをチェックしている。
「トクサ祭りのタグで検索したら、SNSにたくさん! マイクロリアクターで検索しても、トクサ祭りの様子が、ほら」
「やりましたね、篠原センセイ!」
彩花たちは達成感に包まれていた。
木賊は、技術屋集団であり、同時に人を想う企業……世間に、いや、欲張って言えば世界に伝わったのだった……少なくともこの日に限っては。