第一章 chapter03
2階の奥、ガラスで区切られた小さな会議室に行くと、すでに若手技術系社員の篠原祐希が座っていた。篠原は30代半ばにしてマイクロリアクターほか木賊の先端技術部門で頭角を現している、貴重な若手技師だ。このトクサ祭りをことのほか楽しんでいて、自然と技術側担当のポジションに収まっていた。
……その横には、なぜか作業着の浩志がいる。
「お、来たか。来月のトクサ祭りの目玉を持ってきたぞ」
「じい…相談役、何してるんですか」
社内では敬語を使う彩花である。時々は失敗するが。
「相談役、先週から『いいものを思いついた。彩花をちょっと驚かせよう』って、あるものを作ってらしたのよ」
そう言いながら、優子は低く積まれているチラシを手に取って内容を確認している。
「見ろ、スプーンだ。軽くて丈夫なチタン製。チタンはイオン化しないからな、口の中に入れても金属の匂いを感じにくいんだ」
金属加工にこだわる祖父らしい発案だ。
「いいじゃん。販売する? レーザーでトクサって入れたりして」
「50本程度ならなんとかなるぞ」
「まあ、とりあえず木賊のお二人、座って座って。最終的な詰めを共有していきましょう」
笑顔の篠原が場を収めた。
彩花がトクサ祭りについて、改めて説明していく。壁に吊られたモニターに「第3回トクサ祭り」の文字が浮かぶ。続いて、昨年の模様が動画で流れ始めた。
「この辺りの地域は中小の町工場の地域で人があまり来ないエリアです。子供や若者に業界や技術について知ってもらうために、我が社では2年前からトクサ祭りを開くようになりました。今年は来月の最終日曜日、駐車場と1階作業スペースを開放して行います。弊社謹製のマイクロリアクター『TOKUSA フローチップリアクター(TFCR)』の簡単な紹介講座、これは篠原さんにお願いします。で、キッチンカーが3台。相談役の焼きそば屋台とは競合させないものをお願いしています」
「コミュニティ事業ということで事業再構築補助金が取れるかどうか、確認中ですが、大丈夫だと思います。LP、このイベントの特設サイトはいつものデザイナーさんに発注してあるので、来週には確認できるはずです」
「今年もお隣の大月化工さんが、テントで自社商品のペット入浴剤を実演販売してくださいます。というわけで今年の来場見込みは300人。墨田工業高校さんにも声を掛けています」
彩花と優子が慣れた様子で説明を続ける。手の中でチタンのスプーンを遊ばせていた浩志が口を開いた。
「理系離れが進んでるが、ものづくりというのはうちのような中小が支えている。進路の一つの選択肢として知っておいてほしいものだ。『技術力の高さは企業の規模に関係ない』とな」
彩花も、そこを世間にアピールしていきたいのだ。
「去年、中学生のうちの甥っ子が来たんですけどね、この工場すごいね、って驚いてましたよ。理系に進むといいんだけどなあ。ま、俺の血筋なんでね、入社したって大した戦力にはならんかもしれませんが」
篠原が笑った。去年、彼が用意したリアクターの模型はシンプルな作りながら非常に分かりやすく、中高生にも大好評だった。もちろん、文系の彩花にとっても。実際、営業として製品の魅力を語る際、頭の中にあるのは篠原の模型だった。今年も彼の講義で、マイクロリアクターについてしっかり勉強しようと思っている。
「でも、大事ですよ。そういうところから人材確保って始まってるんです。今は大手も採用に力を入れてて、専用サイトを作るのが当たり前ですから。私、トクサ祭りは地域還元以上に重要なイベントだと思っています」
そう続けたのは、優子だった。
「田中さんには世話になりっぱなしだが、本当にうちと繋がってくれてよかったよ。ターゲット市場の選定、販売チャネルの確立、競争戦略、全部本当によく整えてくれる」
「私個人の能力と知識には限界があります。私も周囲に恵まれているんです。いろんな知恵と情報をあちこちから集めて、企業価値を高める方法を考える。私はその戦略をお伝えするだけです」
「あの……それで、トクサ祭りでの…」
会長とコンサルタントが会話を止めて、彩花を見やる。
「いや、あの……はっぴ……。去年のものを使います…」
本来はこの話題が正しいのだが、あまりのギャップに、彩花は言い終わる前に吹き出していた。
「もう3週間後か、楽しみだ!」
篠原の元気な声で、打ち合わせは締めくくられた。