第六章 絶路 chapter07
父と祖父が逮捕されてから3日間、彩花は取引先への謝罪と説明に追われる日々を過ごしていた。何十件にもおよぶメールと電話、時には直接訪問して「ご迷惑をおかけしております」「何かの間違いで、無実なんです」と、頭を下げ、言葉を尽くした。不信と疑惑の眼差しを向けられながらも、彼女は必死にもがき、気丈に振る舞った。その姿は、木賊の社員たちへのメッセージでもあった。
しかし夜になり、誰もいない木賊家に戻れば、その張り詰めた糸はぷつりと切れ、彼女はただの抜け殻になる。1人で過ごすには広すぎる、静かな家。面会も叶わないまま、もう4日。帰宅して少し目を閉じたと思ったら朝を迎えていた、そんな目まぐるしい数日だった。
その夜、自宅のインターホンが鳴る。
「こんばんは、第三東京弁護士会の西山と申します。当番弁護士として、木賊治さんと面会しました。そのことでお話があります」
家に上がった西山は、丁寧に名刺を差し出し、深く頭を下げた。
「木賊治さんと浩志さんは原宿署で取り調べを受けています。しかし裁判所から接見禁止命令が出ているため直接の面会はできません。治さんからのご伝言です。『自分も、じいちゃんも、大丈夫だ』と、お嬢さんに伝えてほしいと」
ソファに浅く座る彩花はその言葉を聞いて、膝の上でぎゅっと拳を握った。
——大丈夫なわけがない。そんなの嘘に決まっている。大丈夫じゃないから、そう言ったんだ。
西山は彩花の顔色を読み取るように、言葉を選びながら続けた。
「各弁護士会のウェブサイトで専門分野を絞って検索するか、南青山にある第三東京弁護士会館などを訪ね、弁護士紹介制度を使ってみると良いでしょう。民事専門の私より相応しい弁護士が見つかるはずです」
西山の言葉は、彩花に新たな重圧と、わずかな希望の光をもたらした。すぐにでも動かなければならない。玄関で深々と頭を下げ西山を見送った彩花は、スマホを手に取り、震える指で検索サイトを開こうとした、その時だった。
画面から、夥しい数の通知が溢れ出してきた。友人や同僚からの心配するメッセージに混じって、事件に関するニュース記事のヘッドラインが目に飛び込んでくる。そして、記事にぶら下がる、苛烈な罵詈雑言も。
『テロリスト』『国賊はさっさと牢にぶち込めよ』
放たれる悪意が、またしても彩花の心に突き刺さる。吐き気が込み上げ、指から力が抜ける。スマホは鈍い音を立てて床に落ちた。
どうしよう。気ばかり焦るのに、体は鉛のように重い。弁護士を探そうにも、どの情報が信頼できるのか、判断する余裕もない。それでも震える指を押さえつけながら、彩花は検索欄にゆっくりと文字を打った。
「第三東京弁護士会 刑事事件」
南青山——その住所だけをメモして、スマホをオフにした。もうこれ以上、画面を見ていられなかった。
でも、本当にここに行っていいのだろうか。街でいきなり詰め寄られたら。後ろ指を刺されたら。でも行かなきゃ。弁護士を探さなきゃ。
明朝、彼女の足はある場所へと向かっていた。今は墓の下で眠る、あの優しく強い母の元へ。
「お母さん。これから弁護士を探しに行くんだ。お父さんとじいちゃんが……。外にいる私が頑張らないといけないんだよ。でも怖いんだ……どうしたらいい? お母さんならどうする? 会いたいよう……」
すぐにでも南青山に行かなければ……そう思ってはいても、ついに彩花はしゃがみ込み、顔を覆って泣き崩れた。かろうじて、声だけを押し殺して。
「あの……どうかされましたか?」
ふと、後ろから声が掛かる。
「すみません、なんでもないです、平気です」
彩花は、両の手首を目に当て、声の主に背を向けたまま慌てて立ち上がった。
「これ、使ってください」
振り返った彩花は声の主を見た。小柄な女性が四つ折りのハンドタオルを差し出していた。その顔と声が微かに記憶を刺激する。一瞬の迷いに気づいた女性は、バツが悪そうに笑った。
「あ、見覚えありました? 私、藍原っていいます」
「いえ、あの。すみません……」
「弁護士さんと一緒にさんざんテレビで怒り散らしてたからなあ。恥ずかしい」
「……あ! ああ!」
藍原ひかる。何度かテレビで見かけた「老舗ホテルを1人で訴えた女性従業員」。思わず彩花は差し出されたフェイスタオルごと、ひかるの手を握り締めた。強く、握りしめた。そして唇を引き結び——再び俯いた。嗚咽が堪えきれなかった。3月14日、花待ちの頃。もう少ししのげば桜が咲く、そんな春の日のことだった——。




