第三章 画策 chapter05
季節は秋になっていた。この大学に来るのも三度目か。最初は確か……「皐月祭」の看板があった。もう半年になるな……公安七課の城戸と片桐は言葉にすることなく振り返っていた。今回は、より明確に「兵器転用」の可能性に繋がる言葉を引き出すことが目的だった。
この半年間、七課が描いた絵は、こうだ。
「木賊工業のマイクロリアクターに兵器転用の可能性あり。彼らは意図的にMTS法の網を掻い潜り、同製品を輸出している。『継続使用に耐えない製品であり、劇物・毒物には使用できない』として規制を回避したのだ。しかし捜査の結果、木賊の製品は一定時間内であれば、神経ガス等の生成が可能ということが分かった……」
公安の解釈は「薬剤Aと薬剤Bを反応させ危険物Cが〝微量〟でも生成できるなら、継続使用に耐えたとみなす」というものだ。MTS法に「継続使用とは〝何分間以上〟か」という規定がないところを突いたのだ。
外務省・経済安全保障課から出向中の補佐官・三原沙耶香は後日、この解釈について「法の網を掻い潜ろうとしたのはどちらだ」とこぼしている。
「教授、このリアクターの素材となる樹脂が、神経ガス生成に必要な強酸性・強アルカリ性の試薬に晒されると溶解する、というお話ですが。……ごく短時間、ある程度の反応であれば……樹脂が溶けずに持ちこたえる、ということですね?」
城戸が尋ねた。高野教授は眉をひそめる。
「確かに短時間の反応であれば、完全に溶けきる前に生成が完了するでしょう。しかし、それは製造というより〝生成実験〟と言ったほうがいい。素材、反応時間、反応の濃度、反応時の温度、それらのデータを取る程度のものです」
片桐がすかさず食い下がった。
「では『この〝実験〟における生成量』は、どの程度の量になりますか? 我々が問題視しているのは、ナノグラム単位、つまりごく微量でも危険な物質が生成される可能性です」
教授は困惑した表情を浮かべた。
「ナノグラム単位であれば、確かに理論上は可能です。しかし、装置は一度きりの使い捨てになるでしょう。とても効率的とは言えません」
城戸と片桐は、教授の言葉の「生成実験に使える」「ナノグラム単位であれば可能」という部分をクローズアップした。彼らは報告書にこうまとめた。
「ナノグラム単位の神経ガス生成が可能であることが認められた。短時間であれば樹脂が溶けずに反応が完了することも示唆された」
教授が強調した「実用性がない」「効率的ではない」という部分は、排除された。こうして無彩色だった七課の絵には、少しずつ悪意の色彩が加えられていった。
その日の午後、早瀬と南波は再びアイビー工機社長・伊吹聡を訪ねた。初回はあくまで「情報提供のお願い」という体裁だったが、今回は明らかに踏み込んだものだった。
「伊吹社長、何度もすみません。いつもの話の続きですが、木賊工業のリアクターについて、もう少し詳しくお聞かせ願えませんか」
早瀬は切り出した。伊吹はやや緊張した面持ちで答えた。
「ええ。我々も国家の安全保障には最大限協力する所存です」
「御社のスマートファクトリー構想は素晴らしい。しかし、もし協業している企業の技術が軍事転用され、国際問題に発展した場合、構想は一旦立ち止まることになります」
早瀬は低い声で伊吹に迫った。
「もちろん、詳細を話してくれれば、御社の潔白は証明できます」
伊吹の顔色が変わった。彼が思い描いているのは、スマートファクトリー構想を成功させ、アイビー工機に次なる飛躍をもたらすことだ。そしてこの構想には、木賊工業の技術は欠かせない。ここで木賊工業に倒れられるわけにはいかないのだ。
「……具体的に、どのような情報が必要でしょうか?」
南波がすかさず応えた。
「NEDOの申請書にも記載されていますが、トクサのリアクターはごく少量の原料で、通常なら危険を伴う化学反応を安全かつ効率的に行える、という触れ込みですよね?」
「その通りです。それがTFCRの最大の利点であり、医療や食品分野での応用を目指しています」
「しかし、高効率、超微量反応という特性は、裏を返せば、危険物質を少量の原料で、追跡不能な形で短時間で生成できる、という可能性を示唆しているとは考えられませんか?」
南波は畳みかけるように問うた。伊吹は言葉に詰まった。彼は純粋に技術の効率性を語ったつもりだったが、南波の言葉はそれを「危険な可能性」へと巧妙にすり替えていく。
「……理論上は、ごく微量であれば、そうした応用も不可能ではない、と……」
伊吹はしどろもどろになった。早瀬は伊吹の動揺を見逃さない。
「伊吹社長、アイビーさんは木賊工業の経営体制にも助言されていると伺っています。特に、世代交代の遅れが、そうしたリスク管理の甘さに繋がっている、というご意見も?」
伊吹は、コンサルタント・田中優子の言葉を思い出した。木賊の経営体質が旧態依然としていること、彼らも改革の必要性を感じている、とのことだったか……。
「木賊さんの経営はやや保守的で、新しいリスクに対する意識が希薄な部分はあるかもしれません。しかしそれは中小企業にはよくあることです。そこまで問うのは、優秀な技術を持つ会社を否定することになります」
伊吹は木賊を庇ったが、早瀬にとっては「新しいリスクへの意識が希薄」の一言で十分だった。
午後3時、捜査員と入れ替わる形で優子がアイビー工機にやってきた。やれやれ、といった体で現れた伊吹に対し、優子が声を掛ける。
「お忙しいですか。いいことですよ」
「それが、また警察が来ましてね。守秘義務ってことで、田中さんにもある程度のことしか言えないですが」
「私もお聞きしたことは、守秘義務において、黙ってますよ」
とはいえ、雑談レベルの軽いやり取りのつもりなのか、優子はにこやかだ。
「協業しているある企業さんの技術が問題らしくて。輸出していいものか悪いものか、調べているってアレです」
「前にもチラっと伺いましたね。日本は技術的に優秀な企業が多いですから、MTS法以後は、いろいろデリケートな部分も多くて。法の理解は難しいものです」
どのレベルまで察しているのか、優子の言葉には示唆が多い。「そうですね」と、伊吹は柔らかい表情のまま、しかし思考は回転を始めている。
「技術一流、経営三流。大企業も陥りますよ。昔の経営を時代に合わせてブラッシュアップしないと。技術は高いのに企業の価値は低い……そうなるのは経営者のせいなんですよ。現場は悪くない」
「技術一流、経営三流……」
「現場は『経営者が変わればいいのに』『いっそどこかに吸収されたい』なんて言ってるものです。伊吹さんはそう言われないよう、頑張っていきましょう。さてと、そろそろ採用サイトの会議ですね」
そうですね、と笑って答えた伊吹だが、どこか思考は別のところに飛んでいるようだ。優子はそれに気づいていたが、話題の先へは踏み込まなかった。