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第三章 chapter02

「なあ、南波ちゃんよ。ほんとにこの小さなプラスチックパーツ一つで神経ガスが作れるのかね」

「プラじゃなくPDMSって珍しい樹脂です。まあ非常に微量ですがね、理論的シミュレーション、専門家への非公式なヒアリングを通じて生成の可能性は否定できない、と。そもそも、この〝高効率反応〟っていうのは……」

南波が紙資料の一文を指差した時、野添がオフィスに入ってきた。虎ノ門一丁目のとあるビル、その13階。非公開の第七課オフィスだ。滅多に揃うことのない捜査員が15人、加えて外務省から出向中の国際安全保障課補佐官・三原沙耶香らが勢揃いしている。

早瀬と南波は私語を止め、座ったままで野添とホワイトボードに向き直った。

野添は無言で室内を一瞥すると、彼は捜査員たちの前に立った。公安部外事第七課──予備部署にすぎないこの課には、執務室の他に会議スペースらしい部屋すらない。机と椅子をずらし、即席のブリーフィングルームが作られている。

「……この1年、七課は〝成果なし〟のレッテルを貼られ続けてきた」

野添の声は抑制されていたが、語尾には鋼のような硬さがあった。

「他の課はドローン輸出事件、不正送金、技術流出と派手に摘発を決めてる。だがうちは? 視察と聞き取り、書類精査の山だ。……俺たちが公安にいる意味は、なんだ?」

誰も答えなかった。野添は続ける。

「昨日、霞が関で福田参事官から直接言われた。〝第七課の存在理由を証明してほしい〟と。経済安全保障は今、内閣の最優先課題だ。……ここで何も出せなければ、来年度、うちは統廃合対象になる」

沈黙が室内を包む。野添の右手がホワイトボードを叩いた。とにかく象徴的な成果が必要だ。野添は課員に対し、焦りを隠しきれなくなっていた。

「南波。木賊の件、報告してくれ」

先日、野添と早瀬を交えて雑談レベルで報告した機微技術の件。今より、木賊のマイクロリアクターは『重点観察対象』からついに『捜査対象』へと格上げされる。南波は1センチ以上も束ねられた資料類をめくりながら説明する。

「端的に言うと、木賊工業が輸出しているマイクロリアクター『TFCR』は軍事転用リスクを孕んでいると、判断できます」

ここで彼はスクリーンを指し示す。そこにはリアクターの構造の模式図が映されていた。

「こいつは、ごく少量の薬品で、通常なら危険を伴う化学反応を安全かつ効率的に行える。つまり、微量の神経ガスを生成できる可能性を否定できないのです」

会議室に、ざわめきが起こる。

「どこから出た情報でしょうか?」と捜査員の1人が声を上げた。

「経産省。MTS法に引っかかる事例を経産省のデータベースで当たってたんです。すると何年か前、MTS法の前身に当たる経産省の省令内容が出てきました。メンバーは木賊工業ほか数社の技術者」

「法律を見直して輸出の規制を厳しくしよう、ってやつだな」

と、早瀬。

「その中で当然、規制に引っかかる技術、引っかからない技術の線引きがなされたわけです。当時の省令では、木賊のリアクターはリーガルでした。しかし……」

「MTS法下ではアウトだった、と?」

「次に私が当たったのがNEDOに出された補助金の申請書です」

南波は手元の資料をめくった。捜査員たちもそれに倣う。そこには1枚の書類が綴じられていた。田中優子が作った、民間の技術開発や経営を支援する公的機関・NEDOに出された資金提供の申請書だった。

「旧省令時代ではリーガルだった木賊のリアクターですが……MTS法施行後に書かれた申請書に〝あらゆる薬剤反応の再現性〟〝反応時間と収率の劇的改善〟とあります。微量の薬品だけで効率的に化学物質を作れますよ、と」

質問した捜査員が再び聞いた。

「つまり、資金が少なくても神経ガスなどが作れる、木賊が軍事転用性を軽視していた、と解釈したのか」

「ええ。〝分かってて開発・輸出したんじゃないのか〟という筋立てです」

早瀬は視線を無意識にか左下に送り、小さく頷いた。経験則に照らして答え合わせをしているのだろうか。

「まさに貧者の核」

南波は短く続けた。

ナノグラムレベルとはいえ、捜査員たちにとってはにわかに信じがたい情報だった。しかし経産省のデータを当たって得た情報ということで、南波には自信があった。その自信は、徐々に七課のメンバーにも伝染していく。メンツを気にしているのは何も野添だけではない。課員はそれぞれに肩身の狭い思いをしていたのだ。

「早瀬、捜査の指揮を取れ。南波、技術的、化学的な考察で早瀬を補佐しろ。皆、いいか。官邸、関係各省庁が期待している案件だ。今はまだ捜査対象の名前も内容も口には出せない。本捜査が公にできるまで、作戦名を〝黎明〟とする。諸君の奮励努力に期待する」

第七課の栄光、その夜明けだ、と野添も早瀬も確信している。作戦として〝見える化〟してしまうと、人はどうにも止まらなくなるようだ。


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