第三章 chapter01
第七課管理官・野添は自身の境遇を振り返る。デスクのモニターには、検索した過去のニュースが並ぶ。国の風向きが変わったのは、3年ほど前か。
新たな内閣が発足し、国家安全保障局の局長に初めて警察庁出身者が就任したというニュースは、省庁内に波紋を広げていた。それまでの〝防衛〟〝外務〟などに加えて近年台頭してきた〝経済安全保障〟という分野。そこに警察・公安の論理を持ち込む——というこの人事は象徴的だったのだ。
野添はモニターに書き出されたトピックを眺めている。
・周辺諸国との緊張感の高まりを受けて、内閣官房副長官、国家安全保障局長のポストが次々と警察OBに変わる。
・そうした風向きから機微技術管理法、通称MTS法ができ、軍事転用可能な製品や技術の輸出管理を厳格化。運用は経産省となる。
・国家安全保障局内に、経済安保を担当する「経済班」ができ、経産省、公安部も含めた警察との連携が強化される。
そして警視庁公安部は、特に周辺国への先端・精密技術(いわゆる機微技術)不正輸出取締を強化するため、予備枠ながら外事第七課を新設……。この時、野添は出世の道が開けた気がした。ところが今はどうだ。予算と人員は、増えるどころか縮小の噂が出てきた。春だというのに身辺に吹く風は冷たい。
年度が変わって1カ月と少し。野添は、明日顔を合わせることになる高級官僚の顔を思い浮かべた。
福田完吾警視正、定年を5年後に控える国家安全保障局・経済班の参事官。警視監=国家公務員の上級職での定年を目論んでいることだろう。キャリア組として最高の出世街道を進んでいる……のではなく、一段低いキャリアコース。したがって、野添ら部下への圧は少々強い。年末あたりから、言われることはずっと同じだ。
「野添くん。今、きみたちの動きは、内閣官房の目にも留まっている。国民は不正を憎む。特に、国家を売るような行為にはね。成果が出せれば、君の課は正式編成だ。……どうかな、チャンスと受け止めてほしい」
自分と同じ階級の公安部長に言わずに野添を呼び出す……こうした福田の性格が、野添は嫌いだった。あるいは、経済班の参事官という肩書にものを言わせて、公安部長や外事課長にはもうお達し済みなのだろうか。であれば、福田から受けた圧力よりも、もっと熱のこもった指令が降りてくることだろう。
ふん、分かっている。こちらも「警視正の座」が見えてきているのだ。このまま切り捨てられてたまるか。お前らキャリア組とは違い、現場で這いずり回ってきたのだ。最後の最後、上がりの時くらいは報われたっていいだろう……。
福田から想定問答集通りのお言葉を賜った野添は、翌日、部長と課長、両方に呼び出されることになる。
「野添管理官、きみに新しい『外事第七課』を任せて3年ほどだ。〝機微技術〟の対外流出を取り締まる専門課とは言いながら、なかなか組織としての成果は厳しく、霞ヶ関からの評価も定まっていない」
「上は待ってくれてるんだ。だがそろそろ時間切れが見えてくる。官房副長官、保障局長も警察のメンツにかけて、七課新設に動いてくださった。そろそろ成果が必要なのは分かるだろう。MTS法の運用対象で、なおかつ象徴的な摘発案件。どこかにないのか」
「実は……今、探りを入れている案件があります」
早まったか。しかし。野添は一瞬の迷いを振り切った。木賊の社名が〝当局〟に覚知されたのは、まさしくこの瞬間だった。七課に吹き込んでいた冷たい風は、この日を境に熱風へと変わっていく。