1-6 鬼谷の谷主
翠雪と碧雲は、紅玉があの野良道士と共に当主の息子の容体を診に行っている間、この邸を調べていた。しかし勝手に見て回るのも怪しいと思われるため、あるモノたちを使って自分たちの代わりに動いてもらうことにした。
「谷主、谷主、みつけたよー」
「邸のあっちこっちにあったよー」
「まだあるかもしれないけど、短時間でしたのでお許し下さい」
客間に扉も開けずにすり抜けて入って来たのは、まったく同じ背丈をした五歳くらいの双子の幼子と、十五歳くらいの少年。
三人とも恐ろしい形相をした、狐鬼面で顔を覆っており、纏う衣は白だった。
その狐鬼面の奇妙な印象とは真逆の、呑気な口調の双子と、それよりは立場を弁えているだろう気だるそうな少年の口調に、碧雲は「相変わらずだな····」と心の中で呟く。
「三人とも、ご苦労さま。これはまた、珍妙な呪詛ですね」
狐鬼面の少年たちが両手に抱えて持って来た、長方形の木の箱を机の上に並べて、ひとつずつ蓋を開けていく。
本来、むやみやたらに触れない方が身のためだが、彼にとっては大したことでもなく、なんの躊躇いもなく中に入っていた物を取り出した。
「布で作られた人形?髪の毛に、血文字?首に針とか······よっぽど相手に恨まれているようだな」
「まるで素人の知識を詰め込んだような呪詛だけど、その"恨みの念"が強いせいか、こんなものでも立派な呪詛になってるようですよ、」
弄ぶように、呪いの人形を指でつんつんと突いて、翠雪は笑みを零す。
黒い靄がその翡翠の瞳には映って見えたが、躊躇いもなく触れている。横に立ったままの碧雲は、よくそんな気色の悪い物を触れるな、と引きつった表情をしていた。
「谷主~、ご褒美くださいなー」
「俺たち命令通り頑張ったよ!ご褒美ご褒美~」
わちゃわちゃと翠雪の横で飛び跳ねたり踊ったりしながら、双子たちはおねだりをしてくる。
「お前たち、図々しいぞ。その程度で褒美など貰えるわけがないだろう?これらを邸に隠した者を捜し出してからだ」
騒ぎ立てる双子たちをそれぞれ両腕に抱え、少年が呆れた様子で翠雪の代わりに答えた。
「飛星、飛月、ご褒美はちゃんとあります。今は半分だけね。陽の言う通り、呪詛をかけた主まで追ってくれたら、もう一枚おまけであげますよ」
やったー、と双子は陽に抱えられたまま、ぴんと短い両手を伸ばして万歳をした。
翠雪は袖から鬼界の通貨である紙銭を出すと、それぞれ一枚ずつその手に握らせる。
左右対称の模様のように、円の内側の四隅が切り抜かれた白い紙銭は、人界でいう銀と同じ価値があり、一枚でも十分な生活ができるのだ。
「俺は後で貰います。谷主、道士がいましたが、大丈夫なんですか?」
「ええ、問題ありませんよ。けれども、君たちは気を付けてくださいね、」
「道士嫌~い」
「道士こわ~い」
双子たちはけらけらと笑いながら、狐鬼面の奥でべぇと舌を出してふざけていた。
実際、道士は自分たちにとって敵でもあるので、陽は主を心配したつもりだったが、要らぬ気遣いだったようだ。
鬼界は広く、その入口は至る所に在る。水の中、山の中、市井の中。その中でも鬼谷と呼ばれる場所があった。
昔からそこは弱肉強食、下剋上は日常茶飯事、無法地帯といった、悪鬼の巣窟であった。弱い者は強い者に従う。それが鬼谷の唯一の掟である。
ある日、そこにひとりの道士が落ちてきた。道士は強い恨みをその胸に抱き、谷の底で死んだ、はずだった。
(今の谷主のおかげで、俺たちのような弱い鬼でも、こうして生きていけるようになった。まあ実際、肉体は死んでるけど)
鬼とは、人がこの世に強い未練を残して死んだ怨霊のような存在。
強い恨みを抱いている者、生前犯罪を犯した者、理不尽に殺された者、様々な者たちがいる。
その中でも、生きていた時のように人の皮を作れる者もいる。鬼界の中でも、規格外に強い力を持っている者だけがそれを可能とした。
(けど、谷主が勝負で負けたなんて、未だに信じられない)
谷底に落ちて死した後、鬼となったその道士は、鬼谷の猛者どもをすべて蹂躙し、谷主となった。元々、死体の山以外なにもなく、陰湿でおどろおどろしかった鬼の谷。
その後、谷主の住まう邸という名の書庫が建てられ、ほぼ同時に鬼たちで賑う数えきれないほどの屋台が軒を連ねた結果、たった数年で、鬼谷は見違えるように変貌を遂げた。
元々騒ぐのが好きな鬼たちは、勝てない相手と争うよりも娯楽に興味を持ち、元商人や元料理人、元職人だった者たちが各々店を立ち上げ、紙銭を通過とし、商売を始める。
谷主はとりあえずは彼らに好きにやらせ、なにか問題が起これば規則を作り、同じ問題が起こらないように手を打つという対策をした。
おかげで長い規則が作られたが、ある程度破っても大きなお咎めはなく、自ら出向いてあの笑顔で黙らせるという統治ぶり。もはや誰も、谷主には勝てないのだ。
「では、なにかわかり次第、報告しに来ます」
「期待して待っています」
にっこりと穏やかな笑みを浮かべているが、心の内は誰にも読めない。鬼谷の谷主でありながら、今は自分を負かした者の従者として、どういうわけか人界にいるのだ。
そんな非凡なひとの頭の中など、凡人にわかるはずもない。
「ああ、それともうひとつ。あの方の様子はどうですか?あれから体調など崩してません?」
「はい、あの方でしたら先日も鬼谷のおなごたちを集めて、色々と楽しそうにしてましたけど?本当に病なんですかって思うくらい」
「そうですか。それなら安心ですね。藍玉に伝えておきます。では、よろしく頼みますね、」
陽は翠雪に軽く頭を下げ、双子を抱えたまま扉の奥へと消えていった。
「さて、呪詛の件は彼らが結果を出してくれればそれで良し。残った問題は、うちの主があの道士に興味を持ってしまったこと、くらいですかね」
「興味?なんでそうなる」
単純に、あの野良道士の目的を知るために、主自ら動いただけだと思っていたので、碧雲は翠雪に間の抜けた顔で訊ねた。
「この後の展開が手に取るように想像できますよ。嫌な予感しかありません」
はあ、と黒く塗った爪を見つめながら、なにもわかっていない碧雲の問いに答える。
立っていた碧雲は、翠雪の頭を見下ろしたまま、ますます解らないという顔で肩を竦めた。
そんな中、客間の正面の扉が勢いよく開かれる。ふたりは何事かとそちらに同時に視線を向け、そこに立つ者の口から発せられた言葉に驚愕する。
「この事件が解決したら、僕、あのひとについて行こうと思う!」
ふたりはしばらく思考が止まっていたが、碧雲が眉間に皺を寄せて、わなわなと肩を震わせる。
「いったい何を考えてるんです!?駄目に決まってるでしょう!!この、馬鹿皇子――――っ!!!」
自分の頭の上でわんわんと怒鳴る碧雲に対して、両耳を指で塞いだ翠雪は、呆れた顔でやれやれと嘆息するのだった。