脱走
私は、自分専属の使用人ジュリアの部屋に乗り込んだ。
理由は伝えず、要件を言う。
「ジュリア、あなたの洋服を貸しなさい」
一番年の近いので、何でも言いやすい。
ジュリアは赤髪をとかしていた櫛を落とした。
「カーナ様!? こんな夜更けにどうされたのですか?」
私は、ジュリアのタンスから服を物色する。
緑色の上等の服を見つけた。
「今月の給料は、多くするように言っておきますから、この服いただきますね」
「そんな、ちょっとカーナ様」
ついでに、ジュリアがつけている眼鏡の予備ももらうことにする。
視力はいいので、レンズは抜き取る。
眼鏡をかけて鏡で見てみる。
「うん。まあ、いいでしょう」
鏡に知的に見える女性が映っている。
最後に目立つ髪は丸めて、帽子をかぶる。
少し町娘にしては、美人すぎるが、王女だと思われることはないだろう。
「変装というのも楽しいものですね」
「変装? カーナ様いったい何をするつもりですか?」
私は、ジュリアの質問には答えず、自分の部屋から垂れ下がるロープを指さした。
「明け方前には戻ってくるつもりですが、ジュリアが何か言われたら、このロープをさも今見つけたように通報しなさい」
私の脱走に加担したとなれば、ジュリアが叱責を受けることになる。
いままで子供のころからお世話してくれたのだ。
さすがにそれは可哀想。
しらなかったことにすれば、怒られるのは私だけ。
目的を果たしてしまえば、お父様の小言など、どうということもない。
そもそもお父様が、私を勇者の嫁にするなどと国民に宣言したのが悪い。
「ちょっとお忍びで街にいってくるだけです。心配しないでくださいな」
「心配しますよ。どうしてこんな夜中に、街に行きたいなら昼間に護衛をつけていけばいいじゃないですか」
それはもちろん護衛に知られたくないことをするからに決まっている。
ジュリアが小言を言い続けるのを無視して私は、窓枠に足をかける。
「くれぐれも、ジュリアから私が脱走したなどと言ったりしないように、その時はクビですからね!」
頭を抱えているジュリアを無視して、私は暗がりの中へと身を躍らせた。
◇ ◇ ◇
青い月がのぼる空を、知性の低い翼竜が飛んでいく。
私はそれを見送りながら、思わず声をあげた。
「ああ、これが自由! なんて素晴らしいことでしょう!」
今まで、自由に街に出たことなんてない。
しかも、夜に出るのは初めてのこと。
この美貌を狙って悪漢が襲い掛かってくるかもしれない。
そう考えると、身震いを感じる。
そうだったとして、
「勇者に貞操をうばわれるのと、今日悪漢に襲われることに違いなんてありませんものね」
未来の不幸を思えば、もう怖いものなどない。
決意を胸に街中を進んでいく。
街中は、信じられないほど、にぎわっていた。
今日倒した魔物を自慢しながら飲んでいる冒険者。
客引きをしている露出の多い女性。
お金を求めている浮浪者。
いろいろな人がいた。
ただ、私が王女だとだれも気付くことはない。
「普段の城下町はこんな感じなのですね」
すぐ目と鼻の先だというのにまるで知らなかった。
「いけない。いけない。圧倒されている場合ではありません。まずは魔族と接点を持ちませんとね。えーと、情報屋を探しましょうか」
確かそういった怪しげなことを生業にしているものが、いると聞いたことがある。
怪しげなことを生業にしているのですから、きっと服装も怪しげだろう。
「怪しげな格好のものは……いた」
フードを目深にかぶった男が目の前を通りすぎた。
「まずは、あの人にしてみましょう」
当たって砕けろという気持ちで追いかける。
路地裏へと歩いていくのを必死についていく。
私が追い付いたとき、男は暗がりで、壁に背中を預けて休んでいた。
汗をぬぐうような動作をしたときに、フードがめくれた。
月明かりが、彼の輪郭を照らす。
オーロラのように光り輝く瞳。
溜息が出そうになるほど、整った顔立ち。
そして、闇夜よりも漆黒な髪から、曲がりくねった角が生えていた。
「魔族!?」
私は思わず声をあげていた。
「む?」
振り向いた彼が、かき消えるように見えなくなると私の後ろに回り込んでいた。
私が振り向こうとした瞬間、ナイフが引き抜かれる。
「いいんですか?」
私は思った以上に大きな声が出た。
ぴたりと首筋の近くでナイフが止まる。
「あなたが私を殺せば、今日は良いかもしれません。ただ私はこう見えて情報屋ですよ」
私は、そんなことを口走っていた。
「ほう? では、お前はどんな情報を持っているというのだ」
「勇者の情報を」
「なに!?それは本当か」
男は私の言葉に食いついた。
「ええ、もちろんです。こう見えて私は昼間、城で働いていますから」
嘘ではない。
王女なので、公務というものがある。
「ふむ。確かに、普通の娘にしてはいい服を着ているな。しかも露出が多いわけではなく上品だな」
ジュリアの服のなかで一番いいものを物色してきただけあった。
「情報欲しくはありませんか?」
ピンチはチャンス。
私は、初めから魔族と接触しようとしていた。
まさか、情報屋を経由することなく魔族に会えるとは思いませんでしたが、この好機逃すわけにはいかない。
「お前が、情報を売れば、この国の人々が死ぬかもしれないが?」
「私には、国より大切なことがあります」
私は、本心からそう言った。
勇者と結婚しなければならないというのであれば、こんな国など滅んでしまえばいい。
普通の情報屋であれば、国より大切なことというのは、金を指すのだろう。
男はうまく誤解してくれて、頷いて見せる。
「よし、では、なにか情報を話してみろ」
「では、まず勇者は、火属性魔法の使い手です。圧倒的火力を誇りますが、他の属性はさほどありません」
「ほう。確かにそれは、こちらの情報と一致しているな」
「勇者は今、西のガルラードを目指しています」
「目的はなんだ」
「回復師を仲間にする予定だと聞いています」
「なるほど、たしかに、あそこは僧侶の町だと聞いたことがある」
「ほかには……」
私は、自分が知っている限りの情報を話した。
ゆっくりと、周りの者が言っていたことを整理しながら話せば、魔族にとって有益な情報が次々と口から溢れてくる。
男は静かに聞いている。
「私が今知っている情報は以上です」
男は、私と目を合わせて言ってくる。
「こちらが知っている情報と一致しているものもあるな。だが、まだ信頼できるわけではない」
「それはそうでしょう。今日が初対面ですから、ですので今日は報酬はいりません」
「なに!?」
男は心底驚いたような顔をした。
こちらの目的は、情報を与えることなのだから、これで達成している。
ただ何もいらないというのは逆に怪しまれるかもしれない。
「ですので、次会うときに、お願いします。次はもっといい情報を仕入れておきます」
「なるほどな。今日は、信頼させるためということか。まだ本当は情報をもっているのだろうな」
そんなことはありませんが、勝手に買いかぶってくれた。
「気に入った。俺の名は、ロンダ。魔族のスパイだ。今後もお前から情報を買うことにしよう。名は何というのだ?」
偽名を使うこともない。
「私の名前は、カーナです」
「よし、カーナよ。報酬は、情報が本当だった場合、次の赤き月が満月の夜にここで支払うとしよう」
今日は、青い月が満月。
つまり、次の赤い月が満月になるのは15日後。
それまでには、新しい情報を仕入れておかなければいけない。
「ええ、では、また次の赤き月の満月の夜に会いましょう」
ロンダはものすごく悪い顔をしていた。
きっと私も同じような顔をしているに違いない。
楽しくて楽しくて仕方ない。
だって、今この瞬間は、自分のために生きているのですから。
「ではな」
ロンダはシュパっと風のように消えてしまった。
ロンダが消えた跡を見つめる。
私はぽつりとつぶやいた。
「やはり人生はこうでなくては」
初めて自分の人生の針が動き出した瞬間だった。