市場のおばあさんと~後編~
「姫様が市場に出入りしていなければ、今頃この辺りに住む平民達は……生きてはいなかったでしょう」
「……え?」
「ジャックが馬車にはねられて、あのまま死んでいたら……昨日の公開処刑の後に暴動が起きていたはずです。そうなれば……兵士に……皆……」
「……おばあさん」
「年寄りだけで集まって話し合ったのです」
「え……?」
「先々代の陛下にお世話になった者だけで集まり……暴動だけは避けられるようにと。そうなれば苦しむのは平民だけではなく、まだお若い陛下も……姫様も……坊っちゃん様も苦しまれるはずですから」
「おばあさん……」
「不思議ですね。少し前までは坊っちゃん様の事が大嫌いだったのに……」
「元々坊っちゃんは甘えん坊だからね」
「ふふ。はい。あんなに甘えられては、かわいがるしかありません」
「身分制度の壁は……すごく高いね」
「はい。ですが……意外に……小さな扉が近くにあるのかもしれません」
「……小さな扉?」
「はい。とても小さな扉が。ちょうど坊っちゃん様がギリギリ通れるくらいの……」
「坊っちゃんは高い壁を乗り越えずに、小さな扉を通って市場の皆に受け入れられた……?」
「意外に……そんなものなのかもしれませんよ? 先々代の陛下が突然フラッと平民の前に現れたように……」
「おばあさん……」
「まだお若い陛下を……平民を大量に殺した暴君にはしたくありませんでした。それに、姫様はわたし達が傷ついたと知れば無理をしてでも助けたはずです。また血を吐く姫様を見たくはなかった……」
「わたし達の為に……我慢してくれたの?」
涙が止まらないよ……
「姫様は……とても大切な……孫のようなお方ですから」
「おばあさんも……すごく大切なおばあちゃんだよ」
おばあさんに抱きしめられるとトマトのおいしそうな匂いがしてくる。
……あ。
お腹が鳴っちゃった……
考えてみれば昨日はまともに食べていなかったね。
「ふふ。姫様は赤ちゃんのようですね」
「赤ちゃん?」
「たくさん泣いて、たくさん笑って、お腹が空くとかわいらしいお腹の音が聞こえてきます」
「あ……恥ずかしいよ」
「ふふ。ずっと今のままの姫様でいてください」
「……おばあさん?」
「これから先……平民と貴族で戦のようになったとしても……これは我々が乗り越えなければいけない壁なのですから。この戦で姫様が傷つく必要はありません」
「……黙って……見ていないといけないの? 大切な皆が傷ついても?」
「戦を起こすのにはそれなりの理由があります。覚悟の上です」
「……嫌だよ」
「大丈夫ですよ? そうはなりません」
「おばあさん?」
「昨夜……陛下が」
「え? お兄様?」
「はい。平民の為に建てた家に現れて『必ず平和で幸せな国にしてみせる』と……あの眼差しは……先々代の陛下と同じでした」
「お兄様が……」
「普通でしたらそんな事はできませんよ? 荒ぶる平民を見た後ですし。ですが……姫様にばかり頼るふがいない兄のままではいられないと」
「ふがいない兄? お兄様は立派な王様だよ……」
「平民が姫様の為に暴動を起こさなかった事に気づかれたようでした」
「……そう」
「姫様……さあ、トマトで煮た魚を食べますか? 姫様の苦手なハーブは入っていませんよ」
「確かおばあさんもハーブが苦手なんだよね」
「「草の味がするから」」
声が重なると笑いが込み上げてくる。
「あはは。お腹空いたよ」
「ふふ。さあ、たくさんおかわりもありますよ」
平民と貴族との壁……か。
その壁にヒビが入り始めているのかな?
そのヒビが大きくなって壁が完全に崩れたら……
そこにあるのは幸せな未来なのかな?
それとも……血塗られた未来なのかな?




