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小さな時から、僕はお母さんの苦労を見て来た。
サッカークラブに入って、ボールとシューズを買う時も、一番安いのを選んだ。シューズも出来るだけ長く使える様に、丁寧に扱った。
「大河って、まだそんなシューズ履いてんの。ちょっと、ダサくね?」
言い始めたのは、僕とフォワードの座を争っていた健吾だった。僕の方が背が高くて、走るのも早かった。同じクラスで、成績も僕の方が良かった。
でも健吾のお母さんは、サッカークラブの中心人物だった。仕事でなかなか応援に来れない僕のお母さんの悪口を、他のお母さんたちに言いふらしていた。
サッカークラブは、お父さんコーチとお母さんたちの応援で成り立っていた。低学年の時はただボールを追いかけているだけだったのに、高学年になると明らかに力の差が生まれ、試合に多く出られるメンバーと、ベンチに座っていることの多いメンバーに分かれて行った。
健吾と彼の仲間たちが僕の悪口を言い、一緒になって笑った。試合では、僕にボールが回って来なくなった。試合が終わると、鞄の中に砂が入れられ、タオルが無くなったりした。それが段々と大きくなり、同じクラスのメンバーから、学校にも持ち込まれた。
みんなにとっては、単なる気まぐれなのかも知れなかった。でも僕にとっては、サッカークラブと学校が、人生の全てだった。
お母さんに相談は出来ない。お母さんの迷惑にはならない事、それが僕にとっての一番大事な使命だった。楽しかったテレビが、面白くなくなった。ゲームも手に付かないし、大好きな本も、一行も頭に入らなかった。人と会う事が、出来なくなった。
宿題すら手に付かず、それが次のイジメのターゲットにされた。先生は、みんなと同じ目で僕を見た。みんなに逆らう事が怖いのか、単純に面倒なのかも知れなかった。
学校から帰ると、電気も点けずに暗闇の中にうずくまっていた。夏休みが来るのを待っていたのに、サッカークラブの夏合宿の話が出た。それが、僕の限界点だった。
一人の部屋でジッとしながら、お母さんの事を思った。何が、お母さんを楽にさせるのかを考えた。僕がいなければ、こんな苦労しなくてもいいのかも、と思った。
イジメてる側の一人ひとりの事も考えた。同じ思いをさせてやりたかった。でも、誰かを傷つければ、それはきっとお母さんに戻ってくる。それだけは、絶対に嫌だった。
死ぬという事が、一番楽な様に思えた。
僕の苦しみも消える。あの卑怯な先生も、学校から消えてくれたらいいなと思った。
でも、優しいお母さんが、あんな卑怯な奴らに勝てるのだろうか? もし負ければ、僕の死は無駄になる様な気がした。そんな考えが、頭の中で堂々巡りをする。
「あらー、大河くんね。大きくなったねー」
宮崎の家で、曾おばあちゃんが僕を待っていてた。久しぶりに見た曾おばあちゃんは、頬がコケて小さくなっていた。僕の心の中のどこかが痛くなった。何かをしてあげたかった。でも、こんな僕に何が出来るのだろう。
「おばあちゃん、嬉しいーよ。会いたかったとよー。長いこと来んかったもんねー」
僕の手を握って、僕の頭を何度も擦った。少し恥ずかしかった。そして、こんな僕にどうしてこんなに優しくしてくれるのかと思った。僕はただの弱虫で、お母さんの努力を踏みにじる事しか出来なかったのに。
「大河は、曾じいちゃんの部屋を使えば良いっちゃねーかー」
おじいちゃんが、玄関の横の部屋に僕を連れて行った。机とベッドが有って、それ以外には歩くだけのスペースがあるだけだった。
「もともとは物置じゃったけんねー、ちょっと狭いかも知れんけど、我慢してつこーちょってくれんか」
はい。
僕は嬉しかった。ここでなら、大好きな本も読める様な気がした。