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3-10 それぞれの未来(上)

 耳にあてたスマホから、馴染みのある低い声が聞こえた。

「……ただいま、ミカ」

「……ただいま、アリト」




 教室が少しだけ、ざわめいた。同級生の何人かがミカを見て、おーっと声を上げている。彼らに軽く笑って、ミカは席についた。窓際の、後ろから二番目。白いカーテンがはためいて、一月の冷たい風が栗色の髪をゆらした。ミカは窓を閉めて、ブラシで髪をとかした。プラスチックのピンクの鏡に、友人の姿が映っている。


「ミカ! お葬式おつかれ。お母さんも大丈夫だった? あんたは?」

「ありがと。へーき! ちゃんといろいろ……見送れたし」

「そっか…………ところでさ、あんた。どーしたのそれカラコン? 髪も染めた?」

「ははっ、や、これね、実は元から。今までがカツラで、黒のカラコンも入れてたんだ」

「まじか! へえ、ミカってハーフのひと?」

「ううん。ハーフじゃないけど、母方の家系に英国人のひとがいるんだ」

「うわ、すご! なんか格好いいね」


 ふたりの席に友人たちが集まってきて、お葬式大変だったねとか、お祖母ちゃんと仲良かったのとか、声をかけられた。ひととおりミカが話し終えたら、明後日の日曜、合コンの話題になった。


「ね、ミカも行かない? もし賑やかなほうが気が晴れそうなら、どう?」

「ありがと。でもうん、あたしはいいや」

「まだそんな気分じゃないか。ごめん」

「ううん、お祖母ちゃんのことは、もう一ヶ月半経って……あ、気持ち的にね! だから落ち着いて……でもなんていうか、そのう……好きな人がいるんで。いっかなって」


 目の前の友人が、目をギラリと光らせた(気がした)。ちなみにこの子の名前は、のんちゃん。ミカが学校で一番よく喋ってる女の子。


「うっそ! まじか! そっか……そっかあ。いやあ……あんた恋とか苦手だしよく分かんないとか言ってたのにさあ……そっかそっか‼ よかったねえ‼」

「うん、ありがと」


 うちの男子? ううん、別の高校。へえ、同じ年、それとも先輩? 同学年だよ。ええ、どこで出会ったの? えーーーっと、バイト先……かな。コンビニかあ! もう告った? うーーーん……うん一応。えええーーーなんて⁈ たぶん……両思い……だと思う。


 友人たちに質問攻めにされながら、ミカは気恥ずかしくなった。両思い? 両思い……でいいのかな。頬が熱くて両手をあてたら、のんちゃんがにっこりと笑った。


「ミカ……なんか変わった? 今まで自分が話題になるの嫌そうだったじゃん? うちらに合わせてくれてるっていうか……でも今日はなんか違うね。嬉しい」

「……へへ。お祖母ちゃんが死んで……いろいろ思うことあって」

「そっか。その見た目も? お祖母ちゃん……や、それとも彼氏の?」

「これは……はは。うんまあそんな感じ。てか彼氏じゃないよ、まだ!」

「そうなの? 両思いなんじゃん?」

「うん……まあね」


 ミカは曖昧に笑った。昨日の夜、アリトの電話はすぐに切れた。今から電車乗るしおまえも母親とゆっくり話してーだろ? と。夜中にメッセージが来るんじゃないのとか、朝になったら……とか思ってたけど、スマホは一度も鳴らなかった。


(……だよね。アリトは一年ぶりの学校だもん。準備とかあるだろし。ご両親には……会いたくなくても、友だちにはやっぱ会いたいだろーし)


 わずかな胸の疼きは、気づかない振りをした。こうしてお互い無事に帰ってこれただけで十分なのに……もっと、だなんて欲張りすぎる。ミカはブレザーのポケットから、スマホを取りだした。着信、なし。メッセージ、なし。小さなため息を吐いて、元に戻した。

 みんなでお昼を食べて、午後の授業が終わったら、あっという間に夕方だった。四階の廊下の窓が赤く染まって、夕陽が街に溶けている。遠くに東京タワーが見えた。いつもの日常。いつもの、見慣れた景色。昨日まで19世紀の英国にいたなんて……うそみたい。


「……ミカ。あんたなんか、やたら掃除の手際よくなってね?」

「あーーーうん。ちょっとね」


 …………うそじゃなかった。なにしろ一ヶ月半、メイドだったからね。心のなかでつぶやいて、ミカはそっと唇の端を上げた。ブルルルルルル。胸元で振動音がした。ミカは慌ててスマホを引き抜いた。


『今日、放課後空いてる?』

『うん、空いてる』


 高速でタップして、ウサギのスタンプも一緒に送った。えーーーっと。返事は。返事……返事……。ミカは待った。十分ぐらい。返事は……ない。なんなんだ。いやでもあっちも掃除当番かもだし。それかまだ七限の授業中かも。うんそう、そうかも。頭のなかでぐるぐるしながら、ミカは勢いよくホウキを動かした。

「……やば。あんたそのホウキ捌きやば。伝説の家政婦とかなれそう」

 のんちゃんが若干ひき気味で、ぼそっと呟いていた。




 「放課後、なんか食べてかない?」鞄をつかんで教室の扉に小走りしたら、友人に肩を叩かれた。「ごめん」と笑って、ミカは廊下を駆けだした。なにも約束はしていなかった。放課後空いてる? って聞かれただけ。だけど…………気持ちが急いて、落ち着かなかった。


 下足箱でスニーカーに履き替えて、校門にむかった。何人かの生徒が見えたけど、会いたい人はいなかった。あたしがA学に行ったらいいのかな? それとも駅前のファーストフードで待ってみる? いやそもそも会おうって言われたわけじゃないし。歩きづらくて足元を見たら、スニーカーの紐がゆるんでいた。ミカはその場にしゃがんで、黒い紐を両手でつかんだ。後ろから、のんちゃんたちの声が聞こえた。ミカの背後で声が止み、ぱんっと背中をはたかれた。


「ね! ね! ミカ! 見て」

「うん?」

「イケメン! イケメンが見てる。めっちゃ見てる。やばい。誰か待ち?」

「え」

「ちょ! やば! こっちきた‼」

「…………」


 紐を握りしめたまま、ミカは視線を上げた。目の前にアリトがいた。ミカの前で屈みこみ、アリトは紐を取り上げた。自分の代わりに動く男の指を、ミカは声もだせずに見つめていた。


「できた。行く?」

「…………」

「……悪ぃ。なんか予定あった?」

 アリトは立ち上がると、のんちゃんたちに視線を投げた。

「あ、や……」


 ミカが答えるより早く、のんちゃんが「ないですーーーじゃあねーーーミカまた月曜‼」と叫んで、友人たちとニヤニヤしながら去っていった。すぐにスマホが震えて『月曜きかせてね』と、ハートマークつきでメッセージが送られてきた。


「ごめん。よかった?」

「うん、大丈夫。てかさっき校門みたけど、あんたいないと思ってた」

「陰になってたんじゃね? 何人かまとまってたし」

「いつから待ってたの?」

「30分前ぐらい」

「メッセくれた頃じゃん」

「ああ」

「ん? てかあんた学校は? A学からうちまで30分はかかるじゃん」

「早退した」

「へっ⁈ なんで⁈」

「なんでって……」


 アリトは憮然とした顔で、ぽつりとつぶやいた。


 会いたかったし。



 アリトと地下鉄に乗って、外苑前駅で降りた。


 白い墓石の前に立ち、ふたりで手を合わせた。

「マイケル……もうあっちのお墓で眠ってるかな」

「どうだろ。キリスト教だと、墓じゃなくて天国にいるって考えんだろ?」

 アリトは空を見上げた。

「……天から、見守ってくれてんじゃね?」

 黄昏のなかの霊園を、ひと筋の風が通りすぎていった。



 駅前の大通りに戻ってくると、アリトはミカの顔をのぞきこんだ。


「おまえ、このあとうち来れる?」

「うん、大丈夫」

「明日授業は?」

「ないよ」

「泊まれる? うち親いねーけど」

「とっ……泊まっ……⁈」

「だめ? 母親、そーいうの厳しいひと?」

「やっ……だ……大丈夫……だと思うけど…………あ、じゃあのんちゃんちに泊まるって、話合わせてもらおっかな」

「嘘つかないとだめな感じ?」

「いや、大丈夫だけど……あんたんちに泊まるって言ったら、たぶん紹介してーっていろいろ聞かれるよ」

「俺も会いてーんだけど。今日いる? 家」

「へっ⁈ いや、夜勤だから……もうすぐ出勤だと思う」

「もし連絡取れんなら、泊まっていいか聞いてみて? むりならおまえん家まで送ってって、今日は帰る」


 真面目な面持ちで見つめられ、ミカはスマホを引っ張りだした。

 この時間なら、まだ家だからスマホも見てるはず。


『あのさ、今日彼氏んち泊ってもいい?』

『えええええええ‼ ミカ彼氏いたの⁈ やだお母さんも会いたい‼ 彼氏くんのおうちは大丈夫?』

『うん、大丈夫みたい』

『いーよ! 今度お母さんにも紹介してね‼』


 ハートのスタンプと一緒に、テンション高めの返事がかえってきた。ミカは隣を見上げてうなずいた。


「大丈夫。今度紹介してって……てかさ、あんたって……彼氏、なんだっけ?」

「はあっ⁈」


 サラリーマンがこっちを振りかえって、アリトは軽く頭を下げた。歩道の端にミカを引き寄せ、アリトが顔を近づけた。


「待て。彼氏じゃねーなら、なんなんだ⁈」

「へ…………な、なんだろね? 友だち?」

「……おまえは友だちに抱いてっつーのか?」

「は⁈ 言わないよ‼」

「……じゃあ俺はなに」

「……す……好きな人。てかだって……付き合うとか……まだ言ってないし……言われてもないし」

「…………おまえ、彼氏いたことねえんだっけ」

「うん」

「…………わかった」


 ビルの壁に背中が押しつけられた。金の瞳に見据えられ、ミカは息を呑んだ。車が走りぬける音も、行き交う人たちのざわめきも、消えて、アリトの声だけが耳に響いた。


「好き。付き合って?」

 耳たぶに吐息がふれる。心臓の音がアリトに聞こえそうだった。

「……返事は?」

「は……はい」

「ん」


 ミカの頬から顔をはなして、アリトはにやりと笑った。手を取られ、地下鉄の階段を並んで下りていった。つないだ手も、自分の頬も、真冬なのに熱くて燃えてるみたいだった。



 渋谷で東横線に乗り換えて、高校の最寄り駅で降りた。


「あんたんちって……うちの学校の近くなんだ」

「ああ。家は反対側だけどな。どうする? 晩めし、なんか食ってく? 買ってく?」

「んーーどうしよっか。駅でなんか食べてもいーけど……それか作ろっか?」

「いいの?」

「うん、カレーとかなら……や、でもよそんちで台所勝手に使うとか、ないか。あんたのお母さん、鍋にカレー入ってたらびっくりするでしょ」

「や、俺もたまに作ってるし。それにあの人、台所ぜんぜん使わねーから気にしねえと思う。いつも家政婦が掃除してくれてるし」

「……そっか。そっか! うん、なら作ろっかな! スーパーで材料買ってっていい?」


 ミカはわざと明るい声音をつくり、つないだ手を握りしめた。

(……そっか。お母さんの料理とか、食べたりもしないんだ)

 隣を見上げたら、アリトが嬉しそうに笑ってた。




 駅前のスーパーに寄って、ミカはカートを押して歩いた。


「冷蔵庫のは使わないほうがいいだろし。ぜんぶ買ってこか」

「や、使ってくれて構わねーけど、あんま入ってねえと思う。ルウはあったし。肉とか芋とか買う?」

「うん。肉なんにする? 鶏? 牛?」

「俺はいつも牛。おまえは?」

「あたしは鶏。じゃー奮発して牛肉にするか」

「どっちでも。おまえが好きなほうでいいよ」


 牛肉とジャガイモと玉ねぎと人参とトマトとマッシュルームと、あと炭酸水とかスナック菓子とかもカートに入れていった。なんか楽しい。林間学校とかの買い出しみたい。黄緑色のチョコの箱が、ぽんとカートに入れられた。


「あ、たけのこ。アリトも好きなんだ」

「いや、俺はどっちでも……おまえあっちで、アンソニーときのこたけのこで言い合ってただろ。なんか食いたくなって」

「いやあ、アンソニー、きのこって……やっぱたけのこでしょ」


 きのことたけのこを模したチョコの話を聞かせたら、アンソニーが「は。たけのこってなに? そんなよくわかんない野菜より、やっぱりきのこでしょう」とぼそりと言った。ミカが「へ? なに言ってんの。たけのこだよ?」と返すと…………泥沼化した19世紀のきのこたけのこ論争を、アリトと公爵は無言で見守っていた。


 レジでミカが財布を出したら、横から黒いクレカが出された。


「待って待ってあたし払うし」

「いい。作って貰うのこっちだし」

「や、ならせめて割り勘」


 店員のお兄さんにカードを押しつけ、会計をすませて、アリトは手際よく袋につめていった。両手に袋をもち、すたすたと先を歩かれる。ミカは小走りで追いついて、袋をつかんだ。渡されたのは、肉とかマッシュルームとかスナック菓子とかの軽いほうで。アリトは車道側の手に袋を持っていて、空いた手がミカの右手にふれた。ミカは袋を左手に持ちかえた。陽が沈む道を、ふたりで手を繋いで歩いた。



 目の前で、勢いよくカレーを食べられて、ミカは思わず吹きだした。


「なに」

「時計工房でカレー作ったの思い出して。あんときもアーサーさんばくばく食べてくれたなあって。二杯おかわりしてくれたんだ」

「美味いよ」

「……ありがと」


 なんだか照れてしまって、ミカは黙ってスプーンを運んだ。アリトの家は、なんていうか…………リッチだった。家政婦さんとかクレカとか、そんな気はしてたけど。駅から徒歩十分ぐらい、外観はコンクリート打ちっぱなしの二階建て。リビングは吹きぬけで、おおきな白い壁にいくつも窓が並んでいる。システムキッチンは(家政婦さんの手で)ぴかぴかに磨き上げられていて、使うのをためらうぐらいだった。テーブルから見える庭は、地面が外灯に照らされて、薄闇に木々がうかんでいた。


「どうかした」

「あー、うん。あんたんち大っきいなーって」

「先祖に商売上手な奴がいたっていうし……秀人がいろいろ手広くやって儲けたんじゃね? 親父はふつーの会社員だしな。おまえだって町田が東大退学しなかったら、今頃、官僚かなんかの家だったんじゃねーの」

「うーんどうだろ。でもいーや。今のお母さんとの暮らしでしあわせだし」

「……だな。もしもとか、ねえな」


 アリトは優しく微笑んで、二杯目のカレーを盛りにいった。



 皿は洗っとくから、と言われて、ミカは浴室にむかった。


 白いバスタブに淡水色の湯が張られている。ふわふわと湯気が立ち上がるなか、ミカはからだを沈めて伸びをした。温かくて、かすかに潮の香りがして気持ちがいい。海塩のバスソルトかも。ジェットバスの気泡を浴びながら、ミカは天井を見上げていた。なんか…………今さら緊張してきたんだけど。泊まるって。まさか朝まで映画観て終わり……とかじゃないよね? やっぱこれあれだよね? もうそういう流れだよね? ミカは湯に顔を浸けて、ブクブクと息をはきだした。いやだって二週間前、自分から言ったんじゃん。抱いてって……抱いてって……だってあのときはもう二度と会えないと思ってたし。まさかこうして、一緒に21世紀に帰ってこれるなんて思わなかったし。どうしよう。どうしよう? どうしよう⁈ やばい、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど‼


 息が苦しくなって、ミカは水面から顔を上げた。だめだのぼせそう。バスタブを出て、浴室をあとにした。


 脱衣所でまわるドラム洗濯機を、ミカは呆然と見つめていた。

(あーーーーー‼ お風呂入る前に、下着もぜんぶ突っこんじゃった……‼)


 アリトは棚の上に、灰色のスウェットを用意しておいてくれた。トレーナーとズボン。わりと厚地。冬だしね……これなら……まあ……なんとか。あああああああ……コンビニに寄って貰えばよかったなあ。てかなんで洗濯機に放りこんだあたし。ぶかぶかのスウェットを着て、ミカは両手に顔をうずめた。



 リビングに戻ると、アリトがコーヒーを淹れていた。


「おまえは? 紅茶? コーヒー」

「ありがと。あたしもコーヒーで」

「なんか入れる?」

「ミルクと砂糖いい?」

「わかった。二階に持ってって飲む?」

「うん」

「先上がってて。突きあたり右の部屋」


 スナック菓子とペットボトルを持って、階段を上がっていった。一応、軽くノックして扉を開ける。部屋は8畳ほどの広さで、すっきりと整頓されていた。

 白を基調とした室内は、壁一面に黒い棚が設えられて、スピーカーや本が並んでいた。ベッドには灰色の掛け布団がのっている。窓ぎわには黒い机、フローリングの床には、木製のローテーブルが置かれていた。


(うわ……なんかアリトの部屋ってかんじ)


 ミカはベッドにもたれ、毛足の長いマットに座った。扉が開いて、アリトがトレーを手にあらわれた。


「はい。どーぞ」

「ありがと」

 ミカはくすりと笑った。

「なに」

「あっちと逆だなって。いつも夜食運んでたから」

「ああ……だな。サンキュ」

 アリトは笑いながら、ミカの隣に腰をおろした。

 コーヒーは甘くて、少しだけほろ苦かった。

「美味しい」

「そ」


 アリトはカップを置いて、じっとミカを見つめた。ミカは視線に耐えかねて、もじもじと身じろぎした。


「あの……あのさ、なんか観る? 映画とか。ネットの」

「……観てーの?」

「いや……いいです」


 部屋がしんと静まりかえった。ミカは指先をせわしなく動かした。


「あの……ごめんね。あたし、下着も洗濯しちゃって……なんならこのスウェット持って帰って、なんか新しいの買って返す……」

 低いため息が部屋に響いた。ミカはびくりと肩を震わせた。自分の両膝に顔をうずめ、アリトが声をもらした。

「…………まじか。ごめん。忘れてた。コンビニ寄ればよかったな」

「いや! あたしうっかりキャミと一緒に洗濯機放りこんじゃって……朝には乾くからいっかなって…………ちょっと……あのう……すいません。こんな格好で」

「……いや……おまえ……」


 ミカの胸元をちらっと見て、またため息を吐いて、アリトは頭をがしがし掻いた。


「……あのさ」

「うん」

「……いい?」

「……え」

「……おまえはいい? このまま……しても」

「…………」

「嫌ならしねーし。おまえが嫌なこともしねえ」


 金の瞳から視線をそらし、ミカは天井を見上げた。LEDの照明は、夜の室内を真昼のように照らしている。オイルランプもロウソクもない、21世紀のアリトの部屋。窓のそとには、芝生も池も森も丘もなくて、かわりに、アスファルトの道路と車と電柱と街の灯りがひろがっている。


「なんかさ」

「ああ」

「へんな感じじゃない? 昨日の夜はお屋敷にいて、アリスもエロル夫人も、アンソニーも公爵もみんないたのに…………今こうして、あんたと二人でいるなんて」

「……だな」

「夢じゃないよね」


 アリトの指が、ミカの鎖骨の痕をなでた。


「夢じゃねえだろ。消えんのか、これ」

「……消えないんじゃないかな」

「……まじか。あいつ」

 アリトは苦々しげに痕を見て、ふっと相好をくずした。

「じゃあ俺も一生、あいつを忘れらんねえな」

「え?」

「この痕、見るたびに思い出すから」


 まっすぐに見つめられ、ミカは泣きそうな顔で笑った。手をのばして、半乾きの黒髪をなでつける。ネコがすり寄るように、アリトの上体がもたれかかった。硬いからだから、温かな熱が伝わってくる。


「……おかえり、アリト」

「……おかえり、ミカ」


 ミカは隣をむいて、アリトの耳元にささやいた。

 いいよ。

 長い、長い、ふたりの夜が始まった。

■次話で最終回です■


■初夜編(続き)■

ここまで書いたので折角なら…と、ふたりの初夜も執筆しました。おとなの読者様でR18にご抵抗がなければ、ムーンで以下タイトルをご検索ください。

(初めから終わりまでベッドの上です。がっつりR18です。苦手な方はご注意ください)


『高校生カップルの初夜』(全4話) ※別名義作品です

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― 新着の感想 ―
[良い点] おかえりなさい、ミカ おかえりなさい、アリト アリト推しの私、この展開は本当に望んでいました。 けれど!アンソニーも好きなので色々別れのあたりは切なかったです! アリスも本当にいい子!
2022/06/10 23:30 退会済み
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