表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/46

3-1 ミカ、ロンドンに行く(下)

Dedicated to Daylo-sama.

 ミカは通りの端に立ち、手にした紙に目を落とした。K夫人が書いてくれた地図だ。

(えーーっと。今いるのがコーンヒルで、この先がチープサイドで……)


「どうしたの?」


 少年が横から紙をのぞきこんでいる。くりくりとした瞳が印象的で、かわいい面立ちだった。行き先を告げると、指を伸ばして教えてくれた。「ジョニー! 早く来いよ、先生に怒られっぞ!」遠くで男の子が手を上げている。少年はにっと笑って、勢いよく駆けていった。

(かわいいなあ。小学生かな?)




 歩いているうちに、周囲の景色が変わっていく。チョッキから金鎖がのぞく紳士たち。淑女を乗せた二頭立ての馬車。大通りには四つ又のガス灯が立ち、ココアや不動産会社の看板が目についた。通りの角に、豪奢な建物があった。灰白色の四階建てで、正面玄関の上部に『グリーンウッド・シアター』と書かれている。劇場なんだ。壁にはカラフルな看板が掲示されていた。


(……メイド少女ヴィオラ。涙の物語?)


 すごい。こんな立派な劇場で、メイドが主役の劇を演るんだ。うわあ。どんなお話なんだろ。涙の物語だから悲劇なのかも。メイドに親近感が湧いちゃうなんて、あたしもすっかりメイドみたい。観たいなあ。高いのかな。高いよね、きっと。看板を見つめていたら、壁に陰ができていた。


「どうかしましたか」


 振り向けば、背の高い紳士が立っている。髪に白いものが交じった、中年から初老ぐらいの。公爵みたいな服装だから、貴族かも。どことなく気品があって、渋くて恰好いい。


「あ……この劇観てみたいなって」

「それはどうも。明日が初日ですよ」

「そうなんですね。失業中なんで、仕事が決まったら観にきます」

「仕事? なにを?」

「メイドです。以前も……っても三週間少しですけど。メイドをしてたんで」

「ほう」

「メイドが主役ってすごいですね。どんな物語なんだろなって……すごい興味があって。演劇自体、小学校の課外授業で観たきりですし」


 へへ、と笑うミカを見て、紳士は口元に手をあてた。


「観たいか?」

「はい! すっごく!」

「観るか?」

「へ?」

「これから通し稽古が始まる。時間があるなら、観て行けばいい」

「えっ? いいんですか?」

「メイドと言ったね。名前は?」

「ミカです」

「ミカ…………旧約聖書の預言者の名だな」

「へっ?」

「いいよ。来なさい」


 扉に向かう紳士を、ミカはそろそろと追いかけた。てか誰この人。あたしが観るのを許可するって劇場の関係者だよね。経営者とかスポンサーかな。ミカは黒いコートの背中を見つめた。でも公爵と同じで。ダンディーなおじさま(おじいさま?)って感じでいやな雰囲気はしないから……せっかくだし、行ってみよっと。



 座席は三階まであった。朱色の壁がランプに灯され、金色にかがやいている。左右にはボックス席が設けられ、彫刻が施された柱で区切られている。天井には優雅な模様があしらわれ、中央にシャンデリアが吊るされている。連なった座席の一階、舞台がよく見える真ん中に腰かけた。


 口を開いたままのミカに、紳士が笑みをこぼした。


「ここ数年で、新しい劇場が増えたり建替えられたりしたものでね。うちも最近新しくしたんだ。傾斜も座り心地も、以前より良くなっているはずだが」

「ほんとに……」


 舞台はよく見渡せるし、椅子は豪華な天鵞絨張りだった。照明が落とされ、ベルが鳴る。すごい。ほんとの上演みたい。ミカは息をのんだ。オーケストラが音色を響かせ、幕が上がる。薄闇のなかに白く舞台が浮かびあがった。



 アリトのハンカチがびしょ濡れになっちゃった。紳士が目を点にして、こっちを見つめている。


「そんなに泣けるか?」

「はい……」


 紳士が手にしたハンカチを、ミカはありがたく受け取った。隅にRと刺繡が入っている。洗ってお返ししますと言ったら、差し上げると言われてしまった。


 戯曲はこんな内容だった。


 貴族のお屋敷で働くメイドの少女・ヴィオラ。彼女は貴族の息子・レオと親しくなる。身分違いの恋に二人は別れを選び、レオは貴族の令嬢・アイヴィーと政略結婚する。結婚しても、ヴィオラを忘れられないレオ。偶然再会した二人は、新大陸行きの船に乗ってかけおちする。ところが船が嵐に遭い、レオを助けるためにヴィオラは海に沈んでいく。彼女は病気で、自分の命がもう長くないと知っていたのだ。英国に帰ったレオは、アイヴィーにすべてを打ち明ける。アイヴィーはレオを許し、最後は、二人でヴィオラの墓を訪ねる場面で終わった。


「みんな……悪いわけじゃないのに。ヴィオラもレオも、アイヴィーも。みんな想う気持ちがあって。もし未来だったら、もっとお互い話して、みんな救われる道があるんじゃないかなって……だけどこの時代って……階級とか男とか女とか色々あるみたいだから……思うことも言えなかったり……なんかそういうの……悲しいなって」

「悲しいか?」

「悲しいです。だから涙の物語なんですね……すごく感動して……でも三人とも幸せになってほしかったな」

「ふむ……」


 こっちに男性が近づいてきて、紳士に頭を下げた。


「本日はご足労いただき光栄でございます」

「ああ。久しぶりの上演だからな。看板も初演の物を使ってくれたのか。いい劇だった。少なくとも、この少女はこのとおりだ」


 男性はミカにもお辞儀した。ミカは目尻をこすり、立ち上がって礼をした。

 紳士も席を立ち、ふたりで並んで通路を歩いた。紳士は何気ない調子で話をむけ、ミカは問われるままに答えていった。


「ではきみが勤めていた屋敷には、ローズとマーガレットというメイドがいたのか」

「はい。二人ともすごい仲良くて、以前はロンドンで働いてたそうで」

「そうか。一体きみはどこの屋敷で……」

 ミカが口を噤むと、紳士は微笑みをかえした。

「いや、聞かずにおこう」


 紳士が扉を開けた。午後の日差しが、目にまぶしい。

 看板を眺め、紳士はまぶしそうな顔をした。


「……幸せになっている」

「え?」

「三人は……幸せになっているかもしれない」

 ミカは睫毛をゆらし、紳士を見つめた。

「え……でもこの話、フィクション……え、もしかしてノンフィクション?」


 紳士はなにも答えず、ただ笑っている。


「作者はサイモン・アランデール……男の人なんですね。すごい。あんなにヴィオラやアイヴィーの気持ちが分かるなんて……女の人かと思ってました」

「そう、女性なんだ」

「えっ?」

「ほんとうの作者は女性で、しかもメイドだ。当時は十歳だった」

「えええっ⁈」

「内緒にしてくれ」

 あっけに取られるミカを見て、紳士はふっと唇の端を上げた。

「冗談だ」

「えっ?」


 紳士と看板と、ミカは交互に顔をむけた。

 あれ。

 この人……。


「リチャード!」


 通りの先に馬車が停まり、女性が手を挙げていた。リチャードと呼ばれた紳士は、目を細め、軽く帽子を下げた。

「連れが来た。もう行かなければ」

「ありがとうございました」


 礼をして、顔を上げたら、紳士はまだ目の前にいた。


「昔……絶望を希望に変えてくれた少女を知っている。彼女もメイドだった。名前をルミという。綴りは違うが、ラテン語の光とも似ている……日本語だと言っていたが。なじんだ屋敷からロンドンに来て、辛いこともあるだろう。希望を持ちなさい。暗闇のなかを歩いていても、希望があれば光が灯る。ヴィオラやアイヴィーや……レオのように、そして彼女のように、きみにも神の祝福があらんことを」


 どう反応していいか分からず、ミカがぼんやり見上げると、紳士は懐かしそうに笑い、背を向けて馬車まで歩いていった。女性はミカと目が合うと、優しく微笑んでくれた。金髪で美しい中年の女性だった。


 二人を乗せた馬車を見送って、ミカは看板に目をむけた。


 この看板の男の人は、貴族の息子・レオ。さっきのリチャードさんと似てる気がするんだけど。ヴィオラもレオも、アイヴィーも幸せになってるって。この戯曲を書いたのは、十歳のメイドだって。もしかして……そのメイドの子って、ルミちゃん? どこまで冗談で、どこまで本当なんだろう。ミカは看板を見つめた。でも、あたしが19世紀のロンドンにいるのも、冗談みたいな本当だもん。もしかしたら……リチャードさんの話も、全部、本当なのかも。


 ミカは馬車と反対側に歩きだした。


 サラはあたしがいて良かったって。

 舞台は夢みたいに眩しくて。

 ルミちゃんは、絶望を希望に変えてくれたんだって。

 暗闇のなかにいる気がしても、

 光は見えないだけで、あちこちに灯ってて。

 きっと、アリトもアンソニーも、アリスも、みんな。

 あたしに光を灯してくれてたんだ。

 いつか、執事さんが言ってくれたっけ。

 あたしはお屋敷を正しい方向に導くかもしれないって。

 誰かの光に、あたしもなれる?

 がんばろう。

 希望の光を自分の胸に灯して。

 いつか。

 希望の光を誰かの胸に灯せるように。

 悲しみを乗り越えた先の景色を、見たいから。



 西に向かって歩いていくと、ベイカー街にたどり着いた。K夫人が教えてくれた、使用人紹介所が目の前にある。豪華な玄関は、貴族の邸宅みたいだった。

(すご……入るの勇気いるな。てか今、何時だろ……劇観てたらお昼すぎちゃった)

 首元から鎖を引っぱりだした。それと同時に扉が開いて、がっくりと項垂れた若い男が出てきた。懐中時計を手にして、ミカはそっと男に横目をむけた。男が顔を上げた。目が合った。と、思ったら……男が一目散にこっちに突進してきた。まるでエサを見つけた猪みたいに。


「その懐中時計っ‼」

「ちょっと! なにするんですか⁈」


 とっさに時計を握りこみ、ミカは背中に隠した。男は悪気なさそうに、ぽりぽりと頭をかいている。


「ああいえ……失礼しました。驚かせるつもりはなくて。ぼくはこういう者です」

 男は名刺を差しだした。時計工房と書かれている。

「……職人さん?」

「はい。その時計、たぶんうちで作った物なんです」

「メーカーは書かれてなかったですけど」

「特注なんです。とある公爵夫人に依頼された物で」

「……それって」


 男は首を傾げ、しげしげとミカに顔を近づけた。


「お嬢さん。あなたは……公爵家に縁の方ですか?」

「いや。あの……譲って貰ったんです」

「時計を?」

「はい」

「よかったら、見せて貰えませんか?」


 気のよさそうな男で、ひとを騙す人間には見えなかった。ミカは言われたとおり、時計を渡した。鎖はがっちり握ったままで。

「ぼくは、そのう、別に盗ったりしませんが……」

「や、そーいうわけじゃなく個人的な理由なもんで」


 なに言ってるか分かんないからね。


「ああ、やっぱりあの時計だ。ほらここ。背面が分厚くなっているでしょう? 隠し蓋なんです。懐かしいなあ。あれ、でも鍵がないな……どこにいったんだろ」

「鍵って……これじゃなくて?」

「はい、鍵巻き用のじゃなくて。もっと小さな鍵なんだけど」

「あたしが貰ったときは、もう無かったですけど」

「じゃあ紛失してしまったのかな」

「鍵があったら開くんですか?」

「そうなんです。蓋を開けて、写真を入れたりできて……」

「それ……開けたりできますか?」

「できますよ」

「ほんとに⁈ ほんとですか⁈」

「はい。工房に設計図は残してあるから。二、三日あれば作れると思います」

「お願いしてもいいですか⁈ 費用はいくらぐらい……」


 男はミカに時計を返して、背後の建物を振りかえった。


「あなたも、使用人を探しにきたんですか?」

「いや、あたしが使用人で……仕事を探しにきたんです」

「こっちは雇用主用の玄関だけど……」


 あ、だからこんな豪華だったんだ。

 男がじーーーっとミカを眺めた。


「……うちで働く?」

「へっ?」

「もう一週間、燻製ニシンの缶詰しか食べてなくて。レンジの熾し方が分からないから」

「はあ」

「この寒いのに紅茶も飲めなくて」

「はあ」

「もううんざりなんだ」

 男は肩を落として、重いため息をついた。

「一週間待ったけど、中流階級の雑役メイドは人気がないから。手数料もかかるし。きみ、もう登録はすませた?」

「いや、まだですけど」


 男はぱあっと明るい顔になる。


「ちょうどいい! きみもぼくも、手数料が浮くじゃないか! ぼくは時計の鍵を作るから、きみはうちで働かない? あっ、レンジの火は熾せる? 調理はできる⁈」

「はい、できますけど……」

「採用だ! これで紅茶が飲める! トーストが食べれる! やったっっ‼」


 嬉しそうに跳ねる男を、ミカはぽかんと眺めていた。

 とりあえず……仕事が決まったみたい。

 それに。

 21世紀に帰る手がかりが、見つかったかも。


 男はラドゲート・ヒルに工房を構えていると言った。セントポール大聖堂の近くらしい。首元から銀の笛を取りだして、男が二回吹いた。目の前に馬車が停まる。そんなわけで、ミカは時計職人のメイドになった。

■戯曲について■

『メイド少女ヴィオラ -涙の物語‐』

(作者/サイモン・アランデール 初演/1846年)

<初演の看板>

挿絵(By みてみん)

この絵はcopyleftです。


■戯曲について・2■

前述の内容はすべてフィクションです。

この戯曲は、以下小説の作中劇となります。

『19世紀のロンドン、下層民の女の子として生まれる』

https://ncode.syosetu.com/n4060hi/

(戯曲の詳細は、3章の10話に登場します)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ