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2-4 ミカ、鍵を手にいれる(下)

 北の間は、部屋ごと眠っているかのようだった。屋敷の北棟、アリトの部屋の右隣に位置している。重たいカーテンを開けると、白金色の波が広がっていく。家具に掛けられた白い布がぼうっと氷山のようにそびえていた。


「……物置みたい」

「客間って聞いてたけど、ずっと使ってねーみたいだな」


 ミカはそっと隣をうかがった。ランプを手に、アリトが部屋を見まわしている。夜食を運んで鍵のことを話したら、じゃ行ってみよーぜってなって。今、ここにいる。正直この屋敷に親族なんているはずないし執事さんの話はあまりピンと来なかったんだけど。でも真剣に話してくれてるのは分かったし何か手がかりになるかもしれないし。そんなミカの意見にアリトも同意してくれた。


(……こうして、手がかりを一緒に探してくれてるんだもん)

 ミカは首を横にふった。昨日笑って見えたのは、気のせい。きっと気のせいだよね。


「どうした?」

「ううん、なんでもない」


 ぐるりと部屋を見まわした。白金色の月光に照らされた、白い布の塊たち。厳めしい暖炉は冷えきって、壁のはく製がミカたちをじろりと見つめていた。部屋の片隅に、大きなトランクがあった。頑丈そうな革製で、上部が緩やかにカーブしている。子ども一人ぐらい余裕で入りそうだった。


「これかな」

「ぽいな」


 ミカはトランクの革ベルトを外していった。隣でぼそりと呟く声が聞こえた。


「……ホワイトリーは父に忠実だと思ってた」

 手を止めて、ミカは左に振りむいた。

「え。まさか執事さん処罰したりしないよね?」

「……しねーよ。だからおまえと一緒にいるんだろーが。まあおまえは……あいつの命の恩人だもんな」

「いやそんな大したもんじゃ」

「あいつは……俺と父に賛同してたわけじゃねーんだな」

「え」

「別にいいけど。おまえから悪意が感じられねーのは事実だし。裏切られたってほどじゃねえし」

「なんか……落ちこんでる?」

「別に。ただ……ホワイトリーを使用人として見てただけで、なに考えてんのか気にしたことなかったな、ってな」

「……反省中?」

「ほっとけ」


 アリトはぷいと顔を背けた。子どもみたい。ミカは昼間のジョイを思い出して、こっそり笑みをうかべた。ベルトを全て外して、ポケットから鍵を取りだし、鍵穴に差しこんだ。カチ、と硬い音が鳴る。力をこめ、どっしりとした蓋を開けた。アリトが顔を寄せて覗きこんでくる。ミカは息をのんだ。


「え、これ……」

 アリトは銀製の写真立てに手を伸ばした。視線を上げ、ミカの顔をまじまじと見つめている。

「おまえ……」

「……なんで?」

 ミカは震える手で、板を包む布をほどいた。現れたのは、金色の額縁に入った肖像画だった。

「……あたし?」


 トランクのなかには、写真立てや額縁が何枚も詰められていた。ミカとアリトは一つ一つ手に取っていった。白い女の子のようなドレスを着た赤ちゃん。艶やかな栗色の髪の男の子。セーラー服と半ズボンの少年。紳士のような凛々しい青年。そのどれもが、髪型と服装をのぞけば、ミカと瓜二つだった。赤ちゃんの写真の余白には、筆記体で文字が書かれいる。ミカには、Michaelという単語だけが読みとれた。


「……愛する息子、マイケル」

 アリトがぼそりと口に出した。

「…………なんで?」

「おまえ……外国人の血は入ってねーって」

「ないよ。お祖母ちゃんに家系図みせて貰ったことあるもん。外国に行った人もいないし、外国人と結婚した人もいないよ」

「じゃあなんで……」

「百年以上前の公爵家の息子と、あたしがそっくりなんだって?」

「……ああ」

「……あたしのほうが聞きたいよ」


 目の前でたくさんのマイケルが、ミカを見つめていた。暗い革のなかに沈む、白黒や色鮮やかなマイケルたち。ひと際大きな額縁は青年の姿で、優しい微笑をたたえている。トランクのなかで、永遠の時間を生きているかのようだった。



 翌朝、いやな予感がした。思ったとおり。下着に赤い染みが付いている。

(……生理かあ。やだな。あたし重いんだよね)


 ミカは戸棚から、ベルトと布ナプキンを取りだした。制服と一緒にエロル夫人から貰ったものだ。この時代に使い捨てのナプキンなんて、もちろんない。布ナプキンは綿製で、袋状になっている。片端が開いてて、そこから吸収材を詰めてつかう。入れるのは、古布でも新聞紙でも何でもいい。苔を入れる人もいるんだって。ミカは掃除で使い古した布を入れた。腰にベルトを巻いて、布ナプキンの前後をストラップで固定する。うわあ……下手に動いたらすぐ横漏れしそう。いつもより歩幅を小さくしてみた。うう、こわい。


 大階段を拭いてるうちに、だんだん痛みが強くなってきた。

(あーーやば。脂汗でてきた……)

 ご家族は朝食の時間だから、誰も通らないはず。ミカは手摺を握りしめて、息を整えた。ふいに背中に視線を感じた。見上げたら、階上にアンソニーの姿があった。


「どうした?」

「あーーいやなんでも……」

「真っ青じゃないか。具合が悪いの?」

「大丈夫で……」


 頭を下げたら、目の前が暗闇になった。倒れそうになるのを堪え、とっさにしゃがみ込む。そのまま目を閉じて、もとに戻るのを待った。待ったんだけど。


 突然、身体が軽くなった。

 ふわっとラベンダーの香りがして。

 背中と膝うらに、硬い腕の感触があって。

 全身がハンモックみたいに揺れてる。

 頭がクリアになって、目を開けてみた。

 すみれ色の瞳が近い。

 ものすごく、近い。

 えっと。

 これは。

 まさかの。

 …………お姫様だっこ。


「ア、アンソニー⁉ 大丈夫ですっ! 降ろしてください‼」

「医師を呼ぼう」

「ええっ⁈ いやいやほんとだいじょうーぶで! あのう……その……」

 あんま男の人に言いたくないんだけど。

「…………生理なんで」


 気恥ずかしくて目を逸らしても、なにも返事がない。そっと視線を上げてみたら、アンソニーは平然と廊下を歩いていた。白の間の扉を開けて、彼は羽毛のベッドにミカを降ろした。


「あの」

「寝てて」


 アンソニーは壁際のベルを鳴らした。まもなくノックが鳴り、扉のむこうで交わす声が聞こえた。しばらくして、また扉が開いた。アンソニーは小さな容器を抱え、布団をはいでミカの下腹部にのせた。


「……これ」

「湯たんぽ。温めたほうが楽だろう?」

「あ……ありがとうございます」

 ぽかぽかと熱が広がって、ひきつるような痛みが緩やかになっていく。

「あの、すみませんでした。自分の部屋で休みますんで」

「使用人部屋に暖炉はあるの?」

「あります」

「火は?」

「……熾してないです」

 起き上がりかけたミカは、両肩を押され、またベッドに寝かされた。

「だめだ。冷やしたら辛いだろう?」

「はい……まあ……」


 そうですけど。よく知ってますね。女慣れしてるから?

 ベッドが軋んで、

 お腹にふわりと重みを感じた。

 硬い手のひらの感触に、ミカは身体がぴくりと跳ねた。


「やっ! なっ、なにするんですか⁈」

「うん? さすると楽にならない?」

「まあ……なりますけど……」


 そんなとこ男の人に触られるの、初めてなんだけど。

 落ち着かない。

 ドレス越しだけど。

 落ち着かない。

 でも手はおへその周りをくるくると動くだけで。

 胸にも下腹部にも伸びなくて、ミカは全身の強ばりをゆるめた。


「あの……なんで」

「姉も重いんだ。頑固でねえ。ギリギリまで我慢するもんだから、いつも真っ青になって。休暇中は、僕が無理やりベッドに連れていってる。湯たんぽを入れて、こうして擦ってるうちに寝落ちするんだ」


 ベッドの端に腰かけたまま、アンソニーは組んだ足に頬杖をついた。


「お姉さんいるんですね」

「うん。僕より二つ年上なんだ。他にひとまわり離れた弟と妹もいる」

「仲良いんですね」

「だね。特に姉とはね、年が近いから。見た目も似てるって言われる」

「じゃあお姉さんも美人なんですね」

 アンソニーがにやりと笑った。

「そりゃどうも」


 いやそーいう意味で言ったわけじゃ。

 いやまあそーいう意味になるか。

 王子様みたいに甘い整った顔して。

 キスして。挑発して。軟膏くれて。泣いて。満月を見上げてて。

 ……マイケルは、この人の知り合いだったのかな。

 あたしが似てるから、構ってくるとか。

 聞いてみる?

 ミカは横顔を目でなぞる。

 なに考えてるか、よく分かんない王子様。

 お腹の手のひらは心地いいけど。

 …………まだそこまで信用できないな。


「なに? そんな見つめて」

「えっと……休暇って。あなたは学生なんですか? 社会人?」

「学生だ。オクスフォードの三年生」

「お姉さんは?」

「家にいる。婚約はしてるけど、まだ結婚してない」

「もうすぐされるんですか?」

「……さあねえ」


 アンソニーの手が、迷うようにゆっくりと動く。


「相手の母親に反対されてるんだ。婚約して、もう五年になるけど」

「なんで……」

「子どもが産めないんだよね」

「…………」

「相手は準男爵家の当主でね。別に親族から養子をとれば、問題ないのに」

「じゃあなんで」

「単に気に入らないんじゃない? 違う縁談を考えてたみたいでね。その母親は、伯爵家の令嬢と結婚させたかったらしい。うちは爵位もないからね。まあ問題はそこじゃなくて……彼が姉を愛してるのを、気に入らないだけだと思うけど」

「そんなの……本人たちの気持ちが大事なのに」

「だよねえ」


 アンソニーは、ぽんぽんとリズミカルに手を動かした。


「噂を広められたんだ。不妊だって。社交界中に」

「社交界中って……」

「ああ……なんていうか、僕たちの階級のほぼ全員が知ってるんだ」

「……酷い」

「……酷いよねえ。心底憎らしいと思った」


 吐きだすような声音に、ミカは寒気を感じた。手のひらは温かなままで、でもすみれ色の双眸は細く狭められていた。


「犯人は……母親ですか」

「いや。伯爵家の令嬢だった。まあ……彼の母親も、察しながら黙認したのかもしれないけどね。でも友人の母親……ああ、姉の婚約者は僕の友人なんだ……その友人の母親にまでは復讐できなかった」

「復讐……したんですか。その令嬢には」

「したよ」


 アンソニーは唇の両端を上げた。目の前の笑顔は、これまでのどんな彼よりも禍々しく見えた。


「犯人だと知らない振りをして、彼女に近づいた。最初は警戒してたけど、甘い言葉を囁かれ続けて僕が本気で愛していると思ったらしい。あとは簡単だったよ。その気にさせて、彼女の初めても全部奪って……ああ、妊娠はさせないようにしたけど……それから捨てた」

「…………」

「軽蔑した?」


 お腹の上で手が止まる。

 ミカは首を横にふった。


「なんでだ? 酷い男だと思うだろう?」

「いえ……はい……酷いとは思います……でも……」

「……でも?」

「辛そうです」


 禍々しく見えた笑顔は、言葉を重ねるうちに、だんだんと苦悶に歪んでいった。アンソニーは絞るように声を出した。


「僕の正体に気づいた彼女の顔……ざまあみろって思った。姉と同じ苦痛を味わわせてやりたかった。計画して実行して……僕は復讐できた。僕は……それまで……別にいい人間だと思ってたわけじゃないけどねえ……でも悪い人間だとも思わなかった。でも……僕は彼女を破滅させることができた。結局、僕も……彼女と同じ穴の貉だった」

「……彼女は、今どうして」

「あれから米国に渡ったらしい。あとは知らない」

「……後悔してますか」

「後悔ねえ……」


 アンソニーの手が動きだす。赤子を撫でるような柔らかな仕草だった。


「してない……してる。どっちだろうね。心底憎いと思ったからねえ……何度戻っても、僕は同じことをするだろう。でもすっきりしたのは一瞬で……その後はずっと苦しくて、いやな気持ちが消えない……これが自己嫌悪っていうのかな」

「……今でも?」


 ミカを見下ろす顔が、あいまいに微笑んだ。

 ベッドが軋み、お腹がふっと軽くなる。

 アンソニーはひらりと手を振り、背中をむけた。


「適当に休んでって。エロル夫人には伝えてあるから」

「へ、いやお客さんのベッドで自分だけ残って寝るのは」

 すみれ色の瞳が、ミカを振りかえった。

「きみといたら、少しはましな自分に戻れる気がする」

「え」

「きみが欲しい。このまま部屋にいたら抱くよ」

「は⁈」

「いい?」

「やっ……せいり……いや‥…ない。ないです。だめです! いくないですっ‼」

「ははっ。部屋の主を追いだすなんて、悪いメイドだなあ」


 優しい笑みを残して、扉がパタンと閉まった。

アンソニーの姉の婚約話を、以下の短編集に載せています。

『ヴィクトリアン万華鏡』(1.ハリエットとジェームス・全3話)

https://ncode.syosetu.com/n3280gz/1/

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