2-1 ミカ、ワガシを作る(下)
「ふあ……」
ミカはあくびを噛みころした。朝の5時、外は真っ暗。昨日ホワイトリーに相談したら、仕事に差し支えないという条件つきで許可をもらった。というわけで、朝の掃除が始まる前にアンソニーのおはぎを作ることにした。青暗い早朝の道を、ミカは早足で駆けていく。
キッチンでは、レンジの前に屈んでパメラが煤を払っていた。ミカも腕まくりして一緒に手伝う。黒鉛でピカピカになるまで磨き上げたら、木片と新聞紙のうえに石炭を重ねる。パメラがランプの火を移して点火させた。コンロにやかんと大鍋がのせられる。
「で、米を炊くって? ライスプティングを作りたいの?」
「ううん、あんなドロドロじゃなくて、もっと固くしたいんだ。水加減、どれぐらいかな?」
ふたりで鍋をのぞきこんだ。片手鍋のなかに米と水が入っている。
「ミルクは入れないの?」
「うん、入れない」
鍋を火にかけて、その間にグリーンピースを潰していく。調理台にグリーンピースの缶詰を置いて、ボールに移して砂糖を加えた。
「茹でたての方がいいだろうけど、温室栽培で冬は貴重なんだ。晩餐用に取っとかないといけないから」
「ううん、助かるよ。上手く潰れたらいいんだけど」
ペースト状になったグリーンピースを、ひと口つまんでみる。うーん、なんか足りない。パメラに味見してもらう。
「塩を入れてみたら?」
「塩?」
「うん」
塩を軽くふってみた。
「あ、いいかも。なんか味が濃くなった」
「ほんとだ。へえ、グリーンピースってこんな使い方できるんだね」
コンロの上で、鍋が湯気をたてている。ちょっと緩いけど、まあ大丈夫そう。鍋から移して砂糖を入れて、米粒が半分消えるぐらいまで潰していく。手のひらで丸めて、ボールのなかで転がして緑の餡をまぶした。お皿に丸い緑の塊をのせていく。
「かわいい」
下ごしらえの手を止めて、パメラがお皿をのぞきこんだ。
「一緒に食べない? 試食用に作ったから」
調理台のすみに椅子を並べて、ふたりでスプーンを動かした。
「美味しい」
「ね、思ったより上手くできたよ。ありがと、パメラ」
「……別になんにもしてないけど」
パメラはスプーンをくわえて、照れたように目をそらした。
◆
使用人ホールで、白の間のベルが鳴る。
今朝だけホワイトリーに頼んで、ミカが朝のお茶を準備した。
三階に上がって、扉を開ける。
白の間は、真っ白な壁紙に、淡い金色の模様が浮かんでいた。部屋の奥のベッドは四本の柱で支えられ、クリーム色のカーテンが垂れている。同色の羽毛布団のなかで、アンソニーが上体を起こしていた。
「なんでミカがここにいるんだ……」
金色の髪をかき上げて、アンソニーがぼやいている。
髪はあちこちに飛びはねて、おまけに胸元は半分ぐらいはだけていた。
この前よりひどいな。
「そんな恰好で風邪ひきません?」
「布団が暖ったかいから、いいんだよ」
アンソニーは首元まで布団をひっぱった。
「未婚の男の部屋にメイドが朝のお茶を持ってくるって……ホワイトリーも無防備だな」
「なんかしたらミスター・ホワイトリーに筒抜けですよ?」
「分かってるよ。だからあいつも許可したんだろ」
ふてくされた顔の前に、トレーを置いた。
「なにこれ」
「和菓子です」
「ワガシ?」
「軟膏、ありがとうございました。一ソブリンは払えませんけど、気持ちだけでもお返ししたくて。ラチェットさんと代わってもらったんです。お口に合うといいんですけど」
「……気にしなくていいのに。ワガシ……ってなに?」
「えーっと、日本のお菓子です。お米とグリーンピースで作りました」
「…………日本の?」
視線が白い皿からミカに移る。すみれ色の双眸が、問うようにミカを見つめていた。いつもの泰然とした様子はなく、子どものような表情がうかんでいる。
「…………なんで日本のお菓子なんて知ってるんだ」
「わかりません。たまたま思い出したんで」
「なんだよそれ」
眉根を寄せて、じろりとにらまれる。
ミカはにっこりと笑顔をつくった。
アンソニーは諦めたように視線を戻し、スプーンを手に持った。
緑の餡がくずされ、口元に運ばれた。
ひと口。ふた口。
銀のスプーンが緑と白の粒をすくいとる。
「あの……お口に合いませんでしたか?」
「え?」
「泣いて……」
「誰が?」
「……あなたが」
雪原のような頬に雫がつたい落ちていた。
青紫の瞳が宝石のように潤んでいる。
アンソニーは手を動かし続けていた。
ひと口。ふた口。
点、点、と残る緑の餡まで掬いとられた。
ミカは絨毯に膝をつく。
流れるままの涙を袖口で拭いとった。
すみれ色の目にミカが映る。
「…………マイケル」
懐かしさのにじむ声が耳に残った。
◆
シーツを広げながら、ミカは白い波を眺めていた。あんな顔、初めて見た。涙の理由は聞けなかった。そしてまたマイケル。誰だよマイケル。今夜アリトに聞いてみようかな。ベッドメイキングを終えて、ミカは部屋を見渡した。ホワイトリーの部屋は、ミカたちよりも広い。机のうえは整理され、衣類は丁寧にたたまれていた。男の人の部屋ってもっと散らかったイメージだったけど、思ったよりも清潔できれい。掃除する側としてはありがたい。
窓から湿った風が吹きこんだ。水滴がぽつぽつとガラスに張りついていた。ミカは小走りで窓辺にむかう。カゴが足にあたり、ブラシが床を転がった。窓を閉め、床を目で追った。ブラシはベッドの下まで入ったみたい。絨毯に頬をふれ、じっと暗がりに目をこらした。うーんよく見えないな。腕をのばして振ってみる。痛っ。なんか硬い木の感触。なんだろ。引っ張りだしてみたら、簡素な木の箱だった。一緒にブラシも転がり出てきた。
箱のなかにはワインが詰められていた。全部で一ダース。見た目よりも軽いのは、中身が空っぽだから。瓶にはコルクだけが嵌められていた。
ベッドの下に置かれた空き瓶。
澄んだ水色や艶めいた緑の日本酒の瓶。
薄暗い台所。
流しのうえの橙色の電球。
テーブルに落ちたコップの影。
お祖母ちゃんの怒鳴り声。
お母さんの泣き声。
ミカは首をふった。まさかね。執事さんがお酒飲んでるとこなんて一度も見たことないもん。
廊下に硬い足音が響いた。ミカは急いで箱を戻した。開いた扉の先に、ホワイトリーが立っていた。濃い灰色の目が眇められる。
「……なにしてんの」
「ブラシ落としちゃいました。窓閉めてたら蹴っちゃって」
「なにやってんだ」
ぽんと肩をたたいて、ホワイトリーは窓辺に寄った。
透明な線がガラスを流れていく。
「……酷くなりそうだな」
ホワイトリーは窓を背に振りむいた。
「…………なんか見た?」
「……いえ。なにも」
「…………あっそ」
灰色の雲は流れが速く、遠くで雷鳴の音が響いていた。
◆
長テーブルに並ぶ食器を、ジョンが配膳台に戻している。ホワイトリーが使用人ホールを去る姿を見届けて、ミカは彼の隣に立った。
「おっ、ありがとな」
空の食器を重ねながら、小声で尋ねてみた。
「あのさ、部屋でお酒って飲んだりする?」
「や、飲まねーよ。飲むときは村のパブまで行くんだ。ビールが出る屋敷もあるみてーだけど、ここは代わりに紅茶だかんな。ラチェットさんもよく村まで行ってるみたいだぜ。俺はそんな行かねーけど。行って帰るだけで日が暮れちまう」
「みんなでワイン飲んだりは?」
「しねーなあ。飲むならビールとかジンとかな。まあ晩餐後に、半端もんの残りワインをちょっといただくことはあるけどよ。内緒な」
横顔にいたずらっぽい笑みがうかんだ。
「わかった。ワインの空き瓶ってどうなるの? 捨てる?」
「いや、ためてるよ。業者が回収にくるんだ。うちみたいな上等のワインは、瓶もコルクも金になるかんな」
「お金に?」
「ああ。ホテルのウェイターとかが買い取るんだよ……酔った客に安いワインを出すだろ……で、テーブルにお高いワインの瓶とコルクを置いとくんだ。どーせ客は酔っ払ってて、なにを飲んだか覚えちゃいねーかんな」
「うわあ……それってアリなんだ」
「んーナシ寄りのアリな」
「空き瓶ってさ。ミスター・ホワイトリーの部屋に置いてるの?」
「まさか。毎月50本とか100本だぜ? 北東の倉庫に置いてるよ。管理はミスター・ホワイトリーがしてるけどな。ワインは執事の管轄だから」
「二人とも、どうしたんだ?」
使用人ホールの入口に、ホワイトリーが立っていた。
「ああ、ワイン……」
「ジョンの昼食当番を手伝ってましたっ‼」
ミカの大声に気圧されるように、ジョンは口をつぐんだ。
「ジョン、もうすぐご家族の昼食が始まるぞ」
「はい!」
「これあたしが戻しとくから。ジョンは朝食室に行きなよ」
「ありがとな、ミカ」
棚に置いた白い手袋をつかみ、ジョンは廊下に消えていった。
配膳台を手に、ホールの入口へ押していく。
ホワイトリーは身じろぎもせず、まだ立ったままだ。
「ミカ」
「はい」
「なにか聞きたいことはあるか?」
「……いえ、なにも」
首をまわしたら、レンズがミカを見据えていた。
廊下を歩いてる間ずっと、背中に視線を感じていた。
◆
ミカは扉を薄く開け、廊下に耳をすませていた。ここは北東の倉庫。隣はワインの保管室。ホワイトリーは毎晩、夕食後に在庫を確認しているそうだ(ってジョンに聞いた)。あの空き瓶は執事さんが自分で買って飲んでるやつだよね、きっと。そんで屋敷のぶんと一緒にまとめて回収に出すんだと思う。思うのに。胸がドクドク鳴ってる。絶対、あたしの気にしすぎ。そう言い聞かせても落ち着かなくて、こんな薄暗い倉庫まで来てしまった。
廊下に、かつかつと靴音が響いてくる。ランプの明かりが玉のように浮かんでいる。鍵が鳴る。続いて、扉の開く音。ミカはそろりと廊下に出て、扉の隙間に目をあてた。
ホワイトリーは紙片を手に、ワインを目で追っていた。ときおり、棚から引き出して、紙になにか書きつけていく。ミカはそっと息を吐いた。ほらね、やっぱり気のせい。ミカは扉から顔を離しかけた。ホワイトリーの手が棚に伸びた。瓶をつかんで、すっと上着のなかに消えた。何事もなかったかのように、また紙片を見つめている。ミカは身体をひいて廊下に戻った。
数メートル戻ってから、わざと足音を鳴らして廊下を歩く。トントン、と大げさに扉をたたいた。保管室の扉を開けた。ホワイトリーの表情は、いつもと同じに見えた。
「どうした? こんなとこに」
「すみません、ちょっと急ぎで確認したいことがあって」
「……なに?」
「パンの留め具が調子悪くて。ベッドに石炭がこぼれてたら、エリザベス怒りますよね?」
「……だからエリザベスじゃなくて、サザランド夫人な」
こん、と頭を軽くたたかれた。ホワイトリーは鍵をかけ、ミカと並んで廊下を歩いた。床にふたつの黒い影がのびる。ミカはぐらりと身体を傾け、ホワイトリーの上着にしがみついた。
「おい、大丈夫か?」
「へへ、ちょっと寝不足で」
「あんま夜ウロウロするなよ」
なんだ。こっそり散歩してたの、バレてたのか。
ミカは満面の笑みをかえした。
「なにその顔」
「なんでもないでーす」
上着に硬い瓶の感触はなかった。よかった。棚に戻したんだ。
ミカは横顔を見上げた。
メガネは橙色の光が反射して、その奥のまなざしは分からない。
高い鼻梁と、かき上げられた細い茶色の髪。
いつもと同じ執事さん。
大丈夫。大丈夫…………だよね?
中庭に続く扉を開けたら、雨脚が強くなっていた。
◆
三階、廊下の西に、ホワイトリーの姿があった。
硬いノックの音が響く。
応じる声を合図に、彼は公爵の居間に入った。
「どうした」
暖炉の前で、公爵とアリトが座っていた。深紅の天鵞絨張りの椅子から、アリトが腰をうかせた。ホワイトリーは会釈で制した。
「どうぞそのままで」
床に敷かれた絨毯は、先代公爵の妻が好んだアクスミンスター製の葡萄色。一歩、一歩と踏みしめて、ホワイトリーは暖炉の脇で靴をとめた。
「なにか問題が起こったのか?」
「いえ…………はい」
「なんだ?」
「辞職を願いたく存じます」
「誰だ? メイドか? フットマン? もしかして……あの少女かね?」
「いえ」
「では誰が……」
「わたしです」
「…………なんだと?」
公爵が椅子から立ち上がった。言葉を探しあぐねるように、目の前の執事を見つめている。ホワイトリーは顔を伏せ、絨毯に視線を落としていた。アリトは口を閉ざし、目の前に立つ男たちを見上げていた。
・グリーンピースのおはぎを作ってみました。味はほぼずんだ餅でした。
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