1-5 ミカ、メイド服を脱ぐ(下)
長い指先が取っ手をつかみ、優雅に紅茶を飲んでいる。
カップが口元で傾き、また銀のトレーに戻される。
その動作を、ミカの目が追いかけていた。
「どうした? 冷めるぞ」
アリーが小首を傾げている。
ミカは息を吸った。
それから、吐いて、吸って、また吐きだして。
喉につまった声を絞りだす。
「な……な……な……………っ……なんでっ⁈」
「なにが?」
飄々と応じるアリーに、たまらずミカは立ち上がった。
「なんでっ…………いやほんとなんで⁈ いつ⁈ どうやって⁈ てかあたしのこといつから気づいてた⁈」
肩で息をするミカに、低い声がかけられる。
「落ち着けよ」
「おっ…………落ち着いてられるかあっっっ‼」
足を組み、肘置きに頬杖をついて、アリーは上目遣いになった。
「一年前だ。一年前の今頃、この屋敷にきた。目覚めたら棺の上だった。礼拝堂のそばの墓地にいた。父が俺を見つけてくれて、俺はあの人の養子になった。なんでやってきたのかは知らない。おまえのことは今日気づいた。だからここに呼んだんだ」
「一年て……そんな長く……そんで養子に? てか今日ってなんで……」
「おまえ日本語だっただろ?」
「あっ……あの昼間?」
「ああ。不思議だった。知らない言語のはずなのに当然のように理解できた。考えるまもなく日本語だとわかった。一度も学んだことのない日本語がなんで分かるのか……考えてるうちに、思い出した」
「思い出した?」
「俺は記憶喪失だったんだ」
「えっ⁈」
「おまえもだろう? でも思い出したんだな? おまえはどうやって思い出せたんだ?」
「……いやー」
「なんだよ?」
「あのう……あたしはですね。うそです……」
「は?」
「や、あの、ほら21世紀から来ましたなんて言えるわけないしさ。でもヘタなこと言っても怪しまれそーだし……いやもー怪しまれてるけど……だから……そのう……記憶喪失って言っとけと思って」
「はあ⁈」
端正なポーカーフェイスが初めて崩れた。
片手が顔をおおって、ぶつぶつと声が漏れ聞こえる。
「……同情したのに……なんだよ……うそかよ……」
「ごめん。やっぱ気遣ってくれてたんだよね。ありがと」
眉尻を下げるミカに、アリーがため息をついた。
「いーけど、別に。で、おまえはなんでこっちに来たんだ?」
「一週間前、お祖母ちゃんが亡くなったんだ。そんで、お葬式のあとアパートを片付けてたら、懐中時計があたし宛に遺されてたの。家に帰って鍵を巻いてみて……目が覚めたら芝生の上にいたんだ。寝た覚え全然なかったんだけど」
「懐中時計って、昼間にアリスが手渡してたやつか?」
「うん」
ミカはポケットから懐中時計を取りだした。テーブルにこつ、と時計を置いた。
「鍵巻き時計か……ずいぶん年季入ってるんだな。この時代の物か? メーカーは……なんだ、書かれてないのか」
「うん。いつの物かも分かんないけど……タイムトラベルとなんか関係あるんだと思う。これのおかげで英語もわかるし」
「時計で英語がわかる? なんだそれ」
「これ持ってたら、通訳? みたいなのしてくれるんだ。日本語と英語で喋ってても、意思の疎通ができるっていうか」
「は⁈ そんなんアリか⁈」
「え? アリーもなんか持ってんじゃないの? あれ……てかアリーって本名? え、実は外国人? 目、カラコン……なわけないか」
「持ってねーよ。アリーじゃない、アリトだ。日本人。目は……知らん。生まれつきだ。父方の家系に英国人がいるらしいから、そのせいかもな」
手のひらに時計をのせて、アリトが口を尖らせた。
「じゃあ言葉は? どうしてんの?」
「喋ってんだよ、英語」
「うわ……すご。さすが進学校」
「おまえだってそんな見た目だから……てっきり帰国子女かなんかかと……」
「あたしは日本人だよ。明治の、曾曾曾祖母ちゃんぐらいまで遡っても日本人。ハーフでもクォーターでもないよ」
「染めてんのか?」
「染めてないよ」
アリトの瞳にミカが映る。
口を開きかけて、また噤んで、アリトは別の話題をふった。
「この一年間で、なんか変わったニュースとかあったか?」
「えーーーっとね」
ミカが話して聞かせるうちに、アリトの顔が険しくなった。
「……おまえ、いつこっちに来た?」
「五日前だよ」
「いや、むこうの日付だよ。現代の」
ミカの答えに、アリトが息をのんだ。
「同じだ」
「え?」
「俺がこっちに来た日付と……同じだ」
「え、でも一年前って……」
アリトは手のなかに視線を落とした。崖のように鋭利な横顔に光がゆれ、陰を濃くしている。ミカは椅子に座り直した。暖炉の熱が気まぐれに肌をなでていく。
「時間は?」
「夜だよ」
「鍵を巻いただけか?」
「うん」
「……俺とおまえは同時にタイムトラベルしたんだな」
「一年前と、今に?」
「ああ。なんか知らんが、そういうことだろ」
「アリー……アリトはなんかなかったの? きっかけとか」
「ねーよ。親父の代わりに墓参りしてただけ」
「夜に?」
「塾の帰りだったんだよ」
「塾…………」
「は? おまえ……なに泣いてんだ」
「え? 泣いてないし」
「いや泣いてるし」
ミカは頬にふれた。ぽろぽろと涙がこぼれていた。
「や……なんか塾って……ほんとにアリト21世紀のヒトなんだなって……」
「だから言ってんだろ」
アリトはポケットを探り、テーブルに四角い包みを置いた。
「使えよ」
手のひらサイズの、透明なビニールに包まれた長方形の袋。
「ぽっ……ぽっ……ポケットティッシューーーーーーー⁈」
「叫ぶなよ」
「こ……こんなの勿体なくて使えないよ……大事に飾っときたい……っ‼」
「……こんなんもあるけど」
反対側のポケットから、薄い板が取り出される。黒く光沢のある表面は、周囲をマットな黒いプラスチックに覆われていた。
「すっ……すっ……スマホーーーーーーー⁈」
「使えねーけどな」
アリトは困ったように微笑した。
両手にポケットティッシュとスマホを抱え、ミカはしゃくり上げた。
アリトは椅子をはなれ、窓辺にむかった。間を置かず、またミカの側に戻ってきた。
「それ使わねーなら、これで拭いとけ」
なめらかな絹のハンカチが差しだされる。「ありがと」と言ってミカは顔をこすった。じゃらりと金属の音が鳴った。テーブルの上に、金の鎖が載っている。
「俺の時計の鎖、とりあえず使っとけよ。大事な時計なんだろ? 鎖が切れて落ちたのか?」
真新しい鎖の先は、ミカの懐中時計に繋がっていた。
「…………ありがと。ぶっちゃけ最初は冷たい奴だって思ったけど……優しいね、アリト。タイムトラベルなんて誰にも信じてもらえないだろーし……あたし一人だと思ってた…………アリトがいてくれてよかった」
「ここんとこ神経遣う場面が多くてな。気が立ってたんだ。おまえは挑むように声かけてくるし……含みがあるんじゃねーかって。でも記憶は戻ったし、おまえへの心配もなくなったし……」
アリトは背もたれに肘をのせ、じっとミカを眺めた。
「おまえが部屋に入ったときから、日本語で喋ってたの気づいてたか?」
「そうなの? ぜんぜん」
「時計に触れてなくても、分かるだろ?」
「ほんとだ。わかる」
「じゃあ…………ミカ。~~~~~~~~~~~、~~~~。…………分かったか?」
「わ……わかんない」
「…………もっと勉強しろっつったんだよ」
「う……英語なんて一生使う機会ないと思ってたんだよ」
目尻をぬぐうミカの前で、アリトが優しく笑っていた。
「おまえはなんかないの? 持ってきたの」
「ないよ……家に帰ったあとだったもん」
「それ喪服か?」
「そう。寒いからお母さんのワンピ借りたんだ」
「制服じゃねーから迷った。デニムとかプリント生地とかでもねーし。一瞬、俺の勘違いかと思った」
「あ、でもびみょーに違うよ? ほら後ろとかファスナーだし」
上体をひねって見せたら、背中を硬い指先がなぞった。
「ああ。これ見たし、やっぱそーかなって」
背筋がぞくりと跳ねあがる。アリトの指がはなれた。
「なんだ? 寒いのか?」
「や……大丈夫。なんでもない」
向き直ったら、金色の双眸に光が瞬いていた。
暖炉とランプの炎を映して、きらきらと。
まるで満ちた月みたいに。
「満月!」
「は?」
「あの夜、すごいきれいな満月じゃなかった?」
「あーーだな。墓地も明るかったし。スマホのライト要らねーって思った」
「ね! あたしも。電気消してカーテン開けて、月明りのなかで懐中時計ながめてて……満月かも! 満月に巻いたら帰れるかも‼」
「鍵か?」
「うん。こっちに来て毎晩巻いても帰れなくてなんでって思って……まだ満月じゃなかったからかも」
「ああ……まあ可能性はあるかもな」
「じゃあ次の満月になったら帰れるかな⁈ いまが半月だからあと……」
「一週間てとこか」
「やったね、アリト‼ やっと帰れるね‼」
「いや、俺は帰らねーけど」
「……へ?」
「俺はこっちに残る」
「…………へ? なんで?」
「別に帰りたくねーし」
「いや……いや……だっているでしょ? 会いたい人とか……心配してる人とかさ」
「いねーし」
「家族とか……友だちとか……あっ、ほら彼女とか!」
「今は彼女いねーし。ダチも帰ってまで会いてー奴はいねえし。家族もそんな別に」
「や、一年も行方不明とか……絶対心配してると思うよ?」
「してねーんじゃね。うち崩壊してっから。親ふたりとも愛人いるし。俺がいなくなったら離婚できて清々するんじゃねーの」
ミカは唇を噛んだ。しまった。踏みこみすぎた。
「ごめん」
「あやまるなよ」
気にしてない、とでも言うように、アリトは目を細めた。
「ま、そーいうことだ。おまえは帰る。俺は残る。な?」
「ずっと19世紀で暮らすの?」
「ああ」
「一生、貴族として?」
「ああ…………ああ、そうだ。俺の父親はクリブデン公爵だけだ。俺はあの人の息子として、この時代に生きてここで死んでいく。この屋敷は俺が父から継いでいく。俺が…………いや。私が、クリブデン公爵家の跡取りになる」
ミカは目をこすった。
鷹揚に笑う彼に、男子高校生の面影はどこにもない。
冷たい炎を両眼に燃やし、貴族の青年が唇の弧を深くした。
■おまけ■
「じゃあ…………ミカ。俺もおまえがいてくれて、よかった。…………分かったか?」
■読者の方へ■
今回で第一章が終わります。いつもご覧いただきありがとうございます。Web小説は船のようだと思っています。ブクマは乗客の方、PVは岸辺で航海を見守ってくださる方、感想や評価は燃料や食料を差し入れてくださる方……読者の方々にいつも励まされています。次週より第二章が始まります(本作は全三章の予定です)。少しでも楽しい航路に、そしてラストの港まで辿り着けるよう執筆してまいります。春を待ちながら、皆さまの冬がよい時間になりますように。