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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

殴られ屋ビリー

作者: ピルパンダ

『殴られ屋ビリー』



 その男の名前はビリーと言います。

齢は60を超えたくらいでしょうか。

正確には解りません。

ビリー本人にさえ本当の年齢は解りません。

誕生日も、生まれた場所も、自分の本当の名前さえ。

ビリーと言うのは自分で付けた名前でした。

「・・・・・・どうぞ」

「へへ・・・」

毎日変わらず、ボコボコに殴られます。

その日は5、6人の少年らに囲まれて殴られました。

殴る蹴る殴る蹴る・・・バットで殴る、パイプで殴る、蹴る蹴る蹴る・・・

「どうも・・・」

ズタボロの雑巾のように横たわる老人。

それがビリーです。

少年たちは満足そうに帰って行きます。

ビリーはその後ろ姿を見送った後、静かに立ち上がります。

「・・・・・・・・・」

ビリーには二つだけ家財が有りました。

一つは薄汚れた、タオルケット。

初めの色は忘れてしまいましたが、今のように汚れていなかった事だけは確かでしょう。

今では、ビリーと同じようにただのぼろ雑巾に成り果てた、大事なタオルケットです。

そしてもう一つは、大事な人に貰った小さなコップです。

縁が欠けてしまっていますが、それで水を汲んだり、たまに人からお金を貰ったりしておりました。

その大事なコップに、今日は痰が吐かれていました。

「・・・・・・」

ビリーは何も言わずに、そのコップの中の痰を拭き上げます。

大事なタオルケットを使って。

その日の仕事は、その後何人かの人間に殴られて終わりました。

稼ぎは、少年たちの痰と、壁の小便と、タバコの吸い殻でした。

「・・・・・・」

そんな日もあるさ、なんてビリーは思いもしません。

そもそも、ビリーはお金や物が欲しくて殴られている訳ではありません。

ビリーは住処の近くに在るゴミ箱を、ゴソゴソと探り、その日の食事を取ります。

その日は幸運にも、喉を通る物が幾つかありました。

無い時は、新聞でも布切れでも食べましたから。



これは、そんなビリーと言う人間の物語。

救いようの無い悪党が、救われない物語です。



 街の悪童、ビリーの名前が広まったのは、彼が一三の時の話です。

物心ついた頃から、盗みを行っていたビリー。

それは初めは生きる為に必要な事だったのですが、いつからか、生きる事よりも満たす事を目的として彼は盗みや強奪を繰り返しました。

そんな彼が十三の時の事です。

ビリーはその日、初めて人を殺しました。

別に殺したくて殺した訳ではありません。

ただ、ものの弾みで致し方なく、と言った状況でした。

その日ビリーは、初めて恐怖を覚えました。

今まで幾度となく生命の危機を乗り越えてきたビリーです。

生半可な状況ではびくともしない強い精神を持った人間に成っていたのですが、その初めて人を殺した日は、怖くて夜も眠れませんでした。

しかし、次の日の朝、小便をして他人の家の水道で顔を洗って、お腹が空いたな、と感じる頃にはすっかりその恐怖は消えておりました。

また、誰かの何かを奪いに行きます。

食糧や、金品、そして。

人の命を奪って怖かったのは、その最初の一回目だけでした。

それ以降は、特に何も感じません。

それからビリーと言う少年は、瞬く間に街一番の不良となり、やくざな世界へと足を踏み入れて行くのです。


ビリーはとても身体の大きな少年でした。

その体格は青年に成っても変わらず成長を続け、成人を迎える頃には街では一番の巨漢と成っていたのです。

とても力が強く、また残忍でした。

初めは生活の為の盗みから始まり、次第に盗みから奪う事へ変遷して行き、最後には平然と人も殺せるようになったのです。

時には、頼まれて人を殺す事もしばしば。

それでお金を受け取ったりもしていました。

そんなビリーの名は、街では口に出す事も憚られる、まさに恐るべき存在へと成長していったのです。

・・・では警察は、一体何をしていたのでしょうか?

警察は、何度もビリーを捕まえようとしましたが、その都度、多くの警察官が彼に殺されてしまいました。

ビリーは銃など怖くありません。

撃たれて死のうがどうでも良いのです。

そんな巨漢が、自分達に向かって突貫してくるのです。

多くの警察官が、そのビリーの凶暴さに恐れを抱きました。

十何人目かの警官が殉職し、それで警察は彼を追う事を辞めました。

最早、軍隊か暗殺をするしか、彼を殺せなかったからです。


そんなビリーが、ある日、とある女性と出会います。


ビリーは当時、生まれついた路地裏などでは無く、街の外れにある廃墟を自身の住処としておりましたが、その近くで何やら騒ぎが起きていたのです。

時刻は深夜の零時を過ぎた頃、真っ暗やみの中から、耳障りな女の悲鳴が響きました。

「・・・五月蠅いな」

当時のビリーはとても短気で、何かにつけて人や物を傷付けていました。

そんな彼が、眠りかけた所を邪魔されたのです。

静かに、彼の中の殺意に火が点きました。

ビリーはのそりとベッドから起き、外の様子を伺います。

「・・・・・・」

どうやら追い剥ぎか強姦のようです。

複数人の声が聞こえますが、悲鳴は女性のものだけでした。

ビリーには、正義感など微塵もありません。

女性が惨たらしく強姦され、その上で殺されようが知った事ではありません。

ただ、眠りを邪魔された事と、自分の知る範囲で好き勝手されるのが我慢ならなかっただけです。

ビリーは玄関のドアを開けます。

丸腰のまま、月明かりの照らす家の前に歩み出ます。

どうやら、騒ぎは家の前に在る林の中で起きているようです。

「あっあぁ・・・あ、いぁ・・・ぁぁ」

やはり強姦でした。

女性の諦めと悔しさの滲み出た喘ぎが聞こえます。

暗い中で目を凝らしましたが、ビリーには良く見えませんでしたが。

「・・・・・・」

恐らく、三、四人は居る男達に囲まれて、女性が強姦されております。

男達はそれに夢中で、直前まで近づくビリーに気付きません。

ビリーは別に隠れる気もありませんでしたが、背後に立っていてもまだ、男達は気付きませんでした。

ビリーは何の躊躇いも無く、男の一人を後ろから殴りつけました。

がしゃん・・・ッ

およそ人体が鳴らす音とは思えないような、そんな音が鳴り響きます。

一人の男性が、その瞬間命を落としました。

月明かりの届かない林の中では見えなかったでしょうが、死んだ男の頭部が彼の胸の辺りまで沈み込んでいたのです。

頭蓋が割れ、顎の骨が耳を突き破り、脊髄が臀部から飛び出し地面に突き刺さっていたのです。

それ程の衝撃、まさに即死でした。

「え・・・」

「ぅあ」

「・・・」

他の男達は、あまりに一瞬の出来事で、何が起きたか解りません。

身ぐるみを剥がされ凌辱を受けていた女性も、一瞬で素面に戻ります。

ビリーは構わず、一人、また一人と殺害しました。

彼の力の強さは、その体格由来のモノで、二メートル三十センチを超える身長と一八〇キロを超える巨漢です。

それが、脂肪では無く、殆ど全てが筋肉なのですから。

そこから生まれる力も、想像を絶します。

軽く殴るだけで、人間の体が壊れてしまうのです。

一人は顔面ごと近くの木に叩きつけました。

びしゃんと彼の頭の中の内容物が周囲に飛び散ります。

ズルズルと崩れ落ちるその体には、首から上の方が皮の切れ端しかありません。

もう一人は腹を殴りました。

内臓が破裂し、口から血を噴き出す男。

一撃では絶命し無かったので、首の骨を折ります。

ごきりと。

最後は、女性に覆いかぶさったまま動けないでいる半裸の男。

「・・・ぃ、ぃ、ぃ・・・ひぃ」

ひょいと持ち上げ、地面に叩きつけます。

ばちん。

そしてビリーは、その男が生きているか死んでいるかなど関係無く、その日一番の鬱憤をその男で晴らしたのです。

叩きつけて伸びているその男の腹を、思いっきり踏み抜きます。

どすどす・・・

気が済むまで。

どすどす・・・

気が晴れるまで。

どすどす・・・

すっきりとした気分になるまで。

どすどす・・・

何度も。

どすどす・・・

何度もです。

どすど・・・

「やめなさいっ」

と、そこで声が上がります。

当然、踏みつけた男は絶命しております。

腰と胸が千切れんばかりに踏みしだかれていたのです。

そんなビリーの腰に、細い腕が巻きついているのです。

「やめなさい・・・もぅ・・・」

それは、強姦されていた女性の声でした。

「・・・なんだ」

ビリーは低い声で女性に問いかけます。

「人を殺しては、なりません・・・ッ」

先程まで男どもに嬲られ、悔し喘ぎを上げていた女性が、そう言ったのです。

「・・・・・・」

ビリーにはその女性の言う言葉の意味が解りませんでしたが、何故か、もう良いかという気持ちになりました。

「・・・・・・」

ビリーはそのまま、女性に背を向け林から出ようとします。

「あ、あの・・・あなたっ」

その背中にくだんの女性が声を掛けます。

「・・・なに」

振り向かずビリーは歩みを止めました。

「助けてくれて、あ、ありがとう・・・」

女性はそう言って、ビリーに向かって頭を下げました。

ビリーは、

「・・・・・・」

何となく、その女性の顔を見てみたくなったのです。

林から一歩外に踏み出し、後ろを振り返ります。

「本当に、ありがとう・・・」

涙声でそう言う女性の顔が、薄い月明かりの下に出てきます。

「・・・・・・いや」

ビリーは視線を落とし、女性から顔を背けました。

女性は恐らく三、四十代くらいの妙齢の女性でした。

体つきも特別若くも無く、顔も特別美人と言う訳でも無い、至って普通の女性です。

そんな女性が、全裸で泣きながら感謝を述べているのです。

ビリーは悪人でしたので、感謝など受けた事が有りません。

だから、どういう反応をすればいいのか分からなかったのです。

ビリーは、その時生まれて初めて、人に施しを与えました。

「・・・ほら」

そう言ってビリーは自身の着ていた上着を女性に渡しました。

しかしビリー本人には、施しとか優しさとか、憐みの気持ちはありません。

ただ、何と言うか、女性が裸のままでいるのは何となく気まずかったのです。

彼には母親の記憶が有りませんし、人生で関わりを持った女性もまた、一人も居ませんでしたから。

「え、あの・・・」

女性は困惑しながらも、素直にその上着を受け取りました。

「本当に、ありがとう」

そう言って、ギュッと胸にビリーの上着を抱きしめました。

ビリーがその場を立ち去った後も、女性は彼の後姿に、ずっとありがとうを伝え続けていました。



 ビリーはそれからも悪さを重ねます。

盗み奪い傷付け、そして殺します。

ビリーには人に対する思い入れが無かったからです。

困った事があれば誰かを頼る、とかではなく、困り事そのものを無かった事にしようとする癖が有りました。

そんな悪さを続けている最中、ビリーに人生で最大のピンチが訪れます。


とある晩、彼が盗みに入った家で、彼は罠にかかります。

それは、ビリーに恨みを持った人間の復讐でした。

彼が家に入った途端、突如としてビリーは何者かに襲われました。

待ち伏せていた幾人かの男らにスタンガンと投薬により昏倒させられたビリー。


再び目を覚ました時には、死の直前でした。


気絶している間にこれでもかと言う程、殴打と拷問を受けていた模様で、意識の覚醒と同時に、全身の至る所から激痛が走ります。

しかしそれぐらいでは彼は死にません。

ではなぜ死の直前か、それは、彼の空き巣に入った家、そこが燃えているのです。

その家の中に、ビリーは居ました。

両手足をしっかりと縄で固定された上、首にはより太い縄が掛けられ、天井の柱に繋がっております。

「・・・・・・」

ビリーは考えました。

生き残るにはどうするべきかと。

今も、周囲の壁や床がぱちぱちと音を立てて燃えています。

轟々という不気味な音と共に、尋常な温度では無い空気が彼の顔をいやらしく撫でていきます。

耳元でチリチリと言う音が聞こえたのは、ビリーの髪の毛の焼け焦げる音でしょうか。

ビリーは必死で手足を動かしますが、無理な体勢で固定されているのか、いつもの怪力が満足に出せません。

それに身体を動かせば動かす程、戻った意識が薄らいでゆきます。

刻一刻と、死が近づいてきます。

もう数秒も耐えている事が出来ない。

そう、思った瞬間。

轟音と共に、何かが家に突っ込んできました。

朦朧とするビリーの意識では解らなかったでしょうが、燃え盛る家に突っ込んできたのは消防車でした。

「・・・・・・ッ?」

突っ込んできた消防車から次々と消防隊員たちが現れ、太いホースから水を噴射し周囲の鎮火作業にあたっております。

ビリーはその直ぐ後にまた意識を失いました。

しかしながら、彼は一命を取り留める事が出来たのです。

彼が目を覚ますのは、それから三日後の事でした。


 「・・・・・・・・・」

唐突に目が覚めたビリー。

辺りの見知らぬ風景に困惑します。

あまりにも自分の住処とはかけ離れた光景、整然とした雰囲気と、独特な匂いのする空間。

そこは街に一つだけある大病院の一室でした。

そこで目を覚ましたビリー。

目覚めると同時に、一暴れ・・・とする所でしたが、その時は、何故かそうしなかったのです。

それは何故か?

「・・・あ、目を覚ました」

そう言って、ビリーの顔を覗きこむ女性。

「・・・?」

ビリーはその女性に、何故か見覚えが有りました。

が、どこで見た女性なのかが判然としません。

「ドクターを呼んで下さい。患者が目を覚ましました」

女性はそう言って、別の看護師に指示を出し、自分はてきぱきとビリーの周りの機器のチェックを始めます。


ビリーは一通り覚醒後の診断を受け、経過を見つつ入院だ、と宣告されたにも拘らず、その日の内に、病室の窓から脱走しました。


しかし、そこで彼は見つかってしまします。

「あ、あなた・・・ッ!まだ外に出ては、いけません」

そう言ったのは、目が覚めた時に居たあの看護師でした。

病院の入口から小走りに走ってくるその姿を見て、やはり何処かで・・・と言う気持ちが湧いてきます。

時刻は深夜、月明かりの薄い、真っ暗闇の中。

その時ビリーは思い出します。

「あー・・・あんた、あの時の」

そうです。

その看護師は、あの夜、ビリーが助けた女性でした。

人生でただ一度きり、他人に施した件の女性です。

「えぇそうです。・・・あの時は、本当に助かりました」

実際、助かったのかどうかは微妙な所ですが。

ただ治安の悪い街でしたから、犯された後に命が有ると言うのは、ある意味助かったと言えるのかもしれませんが。

「だけどそれとこれとは、別の話です」

と女性は強く、きっぱりとそう言いました。

「早く部屋に戻りなさい」

そう言って、ビリーの太い腕を引っ張ります。

「・・・・・・」

ビリーはその時、少し考えました。

頭の悪いビリーでしたが、このまま病院で入院を続けるのは少々厄介な事に成る、と解っていたからです。

少なくとも、近い内に警察とご対面する事に成るでしょう。

別に、それ自体が困る事ではありませんが、厄介事は避けたい所でした。

しかしどうにも、この女性は意思が固そうだな、とも思ったのです。

「・・・・・・・・・」

そして一番不思議だったのが、ビリーはその女性に反抗しようとか危害を加えようとか、そう言った気持ちが全く湧かなかった事です。

これはビリーにとって初めての気持ちでした。

今まで、自分の好きに忠実に、勝手気ままに生きてきたのです。

気に食わない奴は、ぶっ飛ばしましたし、最近は問答無用で命を奪います。

そんなビリーが、その妙齢の女性に、何故か逆らえなかったのです。

しかし、

「・・・病院は出ていく」

彼は女性に背を向け、歩き出します。

それでも、ここに居続けるのはどうにも気が進まない。

そんな気分でした。

「あ、まって!ならせめてわたしの家に来なさい!」

立ち去ろうとするビリーに、女性がそう言い放ちました。

その言葉に、再度足を止めるビリー。

「せめて傷が治るまで安静にしなさい」

と最期は懇願するようにビリーに訴えかけて来ます。

ビリーは、少しだけ考え、

「わかった、あんたの家に行く」

そう答えました。

その時のビリーの気持ちは、実は本人にも良く解っていませんでした。

ただ、何となく、問答を続けていても女性は折れ無さそうだし、実際傷が痛くて何処かでゆっくりと休みたかったようですし。

そんな軽い気持ちで、その誘いに乗ったのでした。

それがビリーの人生の最大の岐路でした。

それからビリーはその女性の家の居候となり、約半年間、共に過ごす事となるのでした。





 女性には三人の子供が居ります。

長女のチェリー。

十七歳のお姉ちゃんで、兄妹一の甘え屋さん。

次女のベル。

十五歳のお転婆娘。甘えん坊の姉の代わりに弟セブンの世話を良くしてくれています。

末っ子長男の、セブン。

七歳の幼子で、未だに一人では眠れない弱虫小僧。

姉二人がとても大好きでした。

女性は、その三人の子供たちと生活をしておりました。

では、お父さんは・・・

「夫は、三年前、亡くなりました」

ビリーが女性の家に来てすぐ、不躾に聞いた彼の質問に、粛々と答えた言葉です。


その女性は・・・、とその前に。

ビリーは、その女性の名前を知りません。

勿論、女性もビリーに名乗っては居ませんでしたから。

ですが女性はビリーの事は、ちゃんとビリーだと知っておりました。

悪名だけは、人一倍ですから。

そんな中で、ビリーは女性に対して、

「レディ・・・あの」

レディと言う名で、彼女の事を呼びました。

「・・・レディ?」

女性は初め、そのレディと言う言葉を自分を呼んだ名前だとは思いませんでしたが、しきりにビリーがそう呼んだ為、次第にその名で定着したようでした。

ちなみにその女性・・・レディは、自身の名を彼に伝えようとは、何故かしなかったのでした。


「夫は、殺されました」


レディはそれだけ言って、静かに笑いました。

何故そこで笑ったのか、ビリーには解りません。

それ以降、ビリーもその事について、なるべく触れないようにしてきました。


レディとの生活は、初め、ビリーの傷が癒えるまでの約束でしたが、ビリーの傷が治った後もしばらく続きました。

生まれついた頃から人並の生活と言うモノを知らないビリーにとって、レディとの生活はまさに驚愕の連続です。

人の作った食べ物はこれまで何度も奪って食べて来ましたが、こうして自分の為に出される食事の味が、これほどまでに違うモノかとビリーは驚きます。

レディの家に招かれた最初の夜、出されたのは一杯の野菜スープとパンでした。

御世辞にも豪勢な食事とは言えないその夕食を、黙々と食べた事をビリーは良く思い出します。

特に感動して涙を流した、と言う訳でもありませんが、それでもビリーの心の中にはとても複雑な気持ちが浮かびました。

その日食べたスープの味を、恐らく一生、ビリーは忘れる事は無いでしょう。

三人の子供たちとの生活もまた、ビリーにとっては新鮮なモノでした。

当時ニ十を少し超えたくらいだったビリーにとって、年齢だけで言えば彼らは妹弟のような存在に成ります。

しかし、学も無ければ、文字も読めない書けない、そんなビリーです。

逆に年下の彼女らに教わる事の方が多かったのです。

そんな中、ある時末っ子のセブンに言われた言葉が、ビリーの胸に突き刺さります。

「どうして僕にはパパが居ないの?」

幼い少年の素朴な疑問。

その目には悲愴感や怒りなど無く、ただただ純粋に父親が居ない事に対する疑問だけでした。

その問いに、ビリーは押し黙る事しか出来ませんでした。

レディが言った、夫は殺された、その一言が心に重く圧し掛かります。

ビリーはその時初めて、自分が人を殺した人間だと言う事を自覚しました。

人を殺せてしまう人間だと言う事を。

このセブンと言う少年の父親の命を奪ったのは、そういった類の人間だという事を強く感じてしまったのです。


 ビリーはそれから、少しだけ温和な性格になりました。

いや、成ろうとしていただけかもしれません。

レディの家に住むようになってからは悪さもしませんでしたし、少しずつではあるものの、レディの手伝いや子供たちの遊び相手など、人並みの生活を送るようになってきたのです。

それは、ビリーなりの贖罪の様な何かだったのかもしれません。

ビリーには、そういった人の気持ちが解らない上に、自分の気持ちすら理解していないのですから。

情操的な教育を受けていないビリーにとって、そのレディと三人の家族が過ごす光景は、何から何まで初めての事ばかりでした。

全ての出来ごとに衝撃や感動を覚え、日に日に人間としての心が育まれていく一方で、自分がこれまでやってきた事や犯した罪の重さを、理解する事となったのです。

だから、と言う訳ではありません。

ただ、それでも。

ビリーは、この四人の家族が幸せになれるよう、心の底から願ったのでした。

それに、ビリーには母親の記憶と言うモノも無かったので、レディに対しては何か特別な感情が有ったのかもしれません。

女性としてなのか、それとも母親としての彼女に対してなのか、それはビリーには最後まで解らなかった事ですが。

ともかく、ビリーは生活を重ねる内に、レディと言う女性の事が好きになってしまったのです。

勿論、彼女の子供たちの事も、好きになりました。

初めは突然家にやってきた無愛想で大柄な男に三人の子供たちは困惑しておりましたが、次第に馴染んできた様子で、三ヶ月も過ぎる頃には本当の兄弟のように接しておりました。

特に懐いたのが末っ子のセブンで、セブンはビリーの事を本当の兄のように慕っておりました。

歳が倍以上離れておりましたので、時には父親の様な、そんな関係でお互いの距離を縮めていったのです。

ビリーは結局、傷が治ってからも家を離れる事はありませんでした。

虫の良い話ですが、ビリーはその家の事が好きになっていたのです。

勿論、レディからも、そろそろ出ていけ、なんて事も言いません。

他の子供たちはどうかは解らないですが、レディは悪童ビリーの事は重々承知しておりましたから。

だから、家に匿った・・・と言う訳でも無いのですが。

警察にも届け出るつもりも無く、別に家で飼殺しにして街の平和に貢献しているつもりも無かったようです。

ただ、ビリーの事を心配していたのは本当でした。

自身の危険を救ってくれた事に対する感謝の気持ちもありました。

それ以上に、家族として溶け込んでしまったビリーに、レディは何処か安心感を抱いている様子でした。

そうしてしばらくの間、悪童ビリーとレディ、三人の子供たちで、ごくごくありふれた生活を営んだのでした。



そんなある日、レディが突然、病に伏してしまいます。


それはもう大騒ぎです。

末っ子のセブンは突然倒れた母親に泣きすがり、次女のベルもショックで顔面を蒼白とさせておりました。

ビリーもどうしていいか分からない状況です。

そんな中、長女のチェリーが涙を堪えながら、

「急患です!母が・・・倒れました!」

電話口に向かって叫んでおりました。


レディは直ぐに病院に運ばれ、治療を受けました。

病院は、レディの勤め先の大病院でした。

「お母さん!お母さんっ!」

長女のチェリーと次女のベルが手術室の前で泣き叫んでおります。

末っ子のセブンはあまりにも泣き疲れたのか、ビリーに抱っこされたまま眠ってしまいました。

その頬に幾筋もの涙の跡が浮かんでおります。

「・・・・・・・・・」

ビリーはまた、初めての感情を抱きました。

誰かを、何かを失うかもしれない、と言う底知れぬ不安です。

見れば、セブンを抱きかかえるその腕が、小さく震えていました。

・・・・・・・・・

どのくらい時間が経ったでしょうか。

三人の子供とビリーは、その時が来るまで、時間を気にする余裕も無かった事でしょう。

唐突に、手術室のドアが開きます。

そこから医師と看護師が神妙な面持ちで出て来ます。

「・・・・・・ぃぐ」

その医師の顔は、マスクとゴーグルによってほとんど表情が見えない筈でしたが、二人の娘たちはその雰囲気だけで泣き崩れてしまいました。

医師が言います。

「・・・大変申し上げにくいですが、今夜が最後になるかも知れません」

その瞬間、少女二人が今までで一番大きな声を上げました。

泣き崩れる二人。

ビリーも、何故か足が震え出します。

「お母さんは、まだ、生きています」

医師は続けて言います。

「最後に何か伝えてあげて下さい」

そう言って、四人を手術室に入れました。



レディは、実は生まれた時から心臓に病を患っていたのです。

それがいつ発作を起こすのか分からない状況で、今まで生きて来たのです。

これまでにも何度かそう言った発作が起こりはしたものの、何とか命を繋ぎ止めて来ました。

レディが大人になり、結婚し、子供を授かった頃からは、その発作や心臓に端を発する病気なども特に起こらなかったようです。

ですが、レディは心の何処かで、こういった日が来る事を予感しておりました。

夫を亡くし、子供をどうにか育て上げていかなければならない、そう思えば思う程、自分の病がレディの心に暗い影を落としてくるのです。

特に、この何ヶ月間かは子供たちの楽しそうな顔を見れて、本当に幸せだったのです。

だからこそ、何となく、そんな気がしてはいたのです。



 「お母さんっ!」

次女のベルが手術台の上の母親に抱きつきます。

手術台とはいえ、その母の姿は思いのほか綺麗な寝姿でした。

呼吸器越しに聞こえる微かな息が、まだ母が生きている事を実感させます。

ですが、それも残す所あと僅かだ、と言う事もまた、ひしひしと伝わってきます。

「・・・ぇる」

その時、レディがうっすらと瞼を動かしました。

「お母さん!」

「あぁっ・・・」

二人の娘が同時に母親の手を握りました。

「ぁ・・・あなたも、・・・・・・居たのね・・・」

レディは薄く開いた瞼の奥で、チラリとビリーの顔を一瞥しました。

「・・・・・・」

その表情に、ビリーは言葉を失います。

何と言ったらいいのか分からない、とても、今まで見てきたレディの表情では無かったのです。

その薄い瞳に見抜かれた後、ビリーは静かに手術室を出ました。

セブンはまだ寝たままだったので、母親の隣にそっと寝かせてあげました。

気を・・・遣ったのかすら、ビリーには解りませんでした。

ただ、三人の子供たちはこれから、母親と最後の時を過ごすのだと言う事は解りました。

そこに、自分が居てはいけないような、そんな気がしたのです。

それに・・・

「・・・・・・・・・」

何となくですが、レディに拒絶されたような気がしたのです。

あの薄い瞳の奥に、何か、ビリーに対する思いが宿っていたような・・・

そんな気がしてならなかったのです。

そう思って、ビリーはその空間から自分と言う存在を排除したのでした。

手術室の前に立ち、扉越しに先程見た手術台に横たわるレディと、その子供たちの光景を思い返していました。

時折、泣き声が大きくなったり、色々な声や言葉が聞こえてきました。

その都度、ビリーの拙い心に大きな波が押し寄せます。

嗚呼、これが悲しいという気持ちなのか。

ビリーは初めて、その状況、その時の自分の気持ち、自分を取り巻く空気の重たさ、その全てが、悲しい、と言う事なのだと気付きました。

「ああ・・・」

ビリーが涙を零しかけたその時、手術室の扉が開きました。

中から、顔をぐしゃぐしゃにした長女のチェリーとその腕にしがみつくベルが出てきます。

「お母さんが・・・あなたと、二人で話したい事が有るって・・・」

泣き声交じりの声で、そう言いました。


 手術室に入ると、その空気が先程までのモノと違っているのを、ビリーは肌で感じました。

見れば、先程まで横になり極限まで衰弱していたレディが、スッと背筋を正し身体を起こしています。

「ビリーさん、こちらに」

手術室に入ってきたビリーを一瞥すると、努めて平静にレディは言います。

その様子に、ビリーはただならぬ緊張感を覚えました。

何か・・・何かが次の瞬間にでも、変わってしまうような、そんな決定的な何かが、レディの口から零れてくるような空気を感じます。

ビリーは覚悟を決め、レディの寝台の横にそろりと近寄りました。

レディの傍らに立つビリー。

しかし、そのレディの真っ直ぐな視線は、ビリーの方向には向いておりません。

静かな沈黙が流れます。

部屋に聞こえるのは、レディの呼吸器越しの微かな呼吸音と、部屋に設置してある医療機器の機械音のみ。

ビリーは、自身の心音をこれほど大きく感じた事はありませんでした。

どれ程、時間が経過したでしょうか。

恐らくそれ程の時間ではありません。

たかだかニ、三分です。

ですが、それはとても永く、重たく、ビリーの体に圧し掛かりました。

沈黙は、その後すぐに破られました。


「私は・・・夫を殺されました」

そうレディは切り出しました。

その言葉を聞いて、ビリーは以前、レディの家に来たばかりの事を思い出しました。

あの時も、こうやって何処か無感情な声で告白していたのを憶えています。

ですが、今回は違います。

その続きが有る、という確信がビリーにはありました。

嫌な、本当に嫌な予感が彼の足下から這い上がってくるのを感じます。



「夫は・・・あなたに殺されました」



「・・・・・・」

ビリーはその言葉を、そう言ったレディの横顔を今後一生忘れる事は無いでしょう。

ビリーの反応など気にも留めずに、レディは続けます。

「あなたは昔、沢山の人の命を奪いましたね・・・その中に、私の夫が居ました。それが誰だか、あなたには分からないでしょうね」

「レ、レディ・・・」

恐れていた事でした。

そうなのかもしれないと、思う事もありました。

でも、そんな筈は無いとも、思っていました。

だって、あんなに優しくしてくれた、レディだったのですから。

ビリーが、初めて好きになった女性でしたから。

「私の名前はレディなんかではありません」

きっぱりと、彼女はそう言い放ちます。

「私の名前は・・・あなたが殺したエドワードの妻、リールです」

「・・・・・・・・・」

彼女の横顔は、最早ビリーの知るレディの顔ではありませんでした。

それは知らない女性の・・・ああ本当はリールと言う名でしたか・・・、悲しみと怒りが滲んだ横顔でした。

それから、ビリーは彼女の最期の言葉を聞く事になります。



「・・・私の夫はあなたに殺されました。あなたは過去に幾人もの罪の無い命を奪いましたね。その幾人の中に、私の一番大好きな人が居ました」



そうだったのか。



「・・・あなたに知っておいて欲しい事があります。例え、これから先あなたがどんなに善行を重ねようと、どんなに人の為に尽くそうと、どんなに惨い余生を送ろうと、あなたがこれまで重ねてきた過ちが消える事は決してありません」



そうだ。



「私も、あなたを許す事は決してありません」



その通りだ。



「私は後数分で死ぬのでしょう。本当はこんな嫌がらせするつもりも無かった。あなたと出会わなければ、静かに余生を過ごすつもりだったのに・・・あなたとあんな風に出会ってしまって、その顔を見た瞬間、昔燃え尽きたと思った憎しみの火がまた点いたのです」



何という。



「夫を失った後、母として毅然と生きて行くつもりでした。例え寂しくとも、悲しい顔は決してしないと心に誓ったのです。ですが、私の中の女の部分が、あなたを許さなかった。あなたを死ぬほど、苦しめたくなりました。それが、私の本当の気持ちです」



嗚呼、何ということだ。



「ビリー、あなたとあの時出会ったのは、本当に偶然です。私が辱められていた所を助けてくれましたね。それについては、本当に嬉しかった。ただ、月明かりの下、あの忘れもしない残忍な顔を見てしまった瞬間、感謝の気持ちと一緒に、どうしようも無いほどの、殺意を憶えました。あの後、病院で再会した時には本当に運命を感じました。もうここしかないと思いました」



こんなことなら。



「あなたを家に入れたのも、この日の為。私は、私の体がもう長くない事を知っていましたから。最期のこの瞬間しか、あなたに呪いを残す事が出来ないと思ったから。だから、あなたと出来る限り幸せな環境を過ごしてきました。それくらいしか、あなたに対して私の憎しみをぶつける術が思いつきませんでした」



ごめんなさいね。

と、リールと言う女性は小さく呟いた。



「それでは、さようなら。もう思い残す事はありません。あなたが今どんな気持かなど、最早どうでも良いです。できたら、少しは絶望して欲しいですが」



そう言って、彼女は・・・ビリーにとってのレディは息を引き取りました。


その後の事を、ビリーはあまり良く憶えていません。

バタバタと人が入り乱れる光景が薄ぼんやりと頭の隅に在るのですが、その後どうなったかまでは憶えていません。

気付いたら、またあの場所に居ました。

ビリーの生まれた場所に。

あの、薄暗い路地裏のごみ箱の横に。

無駄に大きな身体を押し込めるように、膝を抱えて座っていました。


それから、幾日か経ちます。


ビリーはその日もじっと座ったままピクリとも動こうとしません。

あの日から何も食べていないのでしょう、その唇はかさかさで、顔色も蒼白としております。

ただじーっと地面の一点を見つめ、見詰めて、見詰め続けます。

その頭の中では、レディの最期の言葉が延々と繰り返されていました。

果たして、リールと言う悲運の女性の悲願は成就されたのです。

その彼女の言葉は、まさしく呪いとして、ビリーの体と心を蝕んで行きます。

それから一週間ほど過ぎた頃でしょうか、ビリーの元にとある人物が訪れます。

「・・・・・・・・・」

ビリーはその日も下を向いたままでしたので、誰かが来た事にも気付きません。

その人物はビリーに声を掛ける事も無く、ある物をビリーの目の前に置くと直ぐに、その場を立ち去りました。

「・・・・・・」

流石に、目の前に物を置かれたら、憔悴仕切ったビリーでも気付きます。

そこには、見覚えのあるコップと、これまた見覚えのあるタオルケットが置いてありました。

その二つを目にした瞬間、ビリーの大きな瞳から大粒の涙が零れ落ちました。

それは、ビリーが、レディと呼んだ女性から貰った、家族の証だったのです。

彼女は言いました。

一緒に住むのだから、ビリー専用のカップが必要よね、と。

笑顔で。

彼女は言いました。

ビリーみたいに大きな人には、おっきな布団が必要よね、と。

勿論笑顔で、タオルケットをプレゼントしてくれました。

それが、どれ程嬉しかった事か。

人に、他人に、自分の存在を家族の一員として受け入れて貰えた事が、どれ程嬉しかった事か。

どれ程幸せだったのか。

ビリーはその二つの家財を彼の大きな腕で包み込み、地面に頭を擦りつけながら、咽び泣いておりました。


ビリーは短い間でしたが、レディの家で過ごした時間で、人として失っていた感情や人を思いやる気持ち、人を好きになる気持ちを知る事が出来たのです。

だからこそ、レディの最期の言葉が呪いのようにビリーの精神を壊したのです。

ビリーは改めて、後悔と言う気持ちを知る事に成りました。

普通なら最期にそんな裏切りの様な事をしたレディに対して恨みやつらみが有っても良さそうなモノですが、ビリーにはそんな気持ちなど微塵もありません。

むしろその逆で、彼女に対して、彼女の夫に対して、残された子供たちに対して、深い罪悪感を覚えたのです。

謝りたい。

あんなに幸せな気持ちをくれた、あの人達に、心の底から謝りたい。

その幸せが、ビリーに対する憎しみから来ていたとしても、たとえ偽りであったとしても、彼にとってはそれが唯一の家族の記憶だったのです。

そんな人達の、大事な人の命を自分が奪ってしまったのだと。

本当に、なんて事をしてしまったのだろうかと。

深く後悔したのです。

その事実を知ってしまった以上、最早ビリーには為す術が有りません。

自身の気持ちを、感情を、身体を、前に動かす事ができません。

初めて。


死にたい。


と、そう思うようになりました。

悪党として名を馳せ、数え切れない程の罪を重ねた悪童ビリー。

その手で奪った命の数も、最早憶えてすらいません。

その一つ一つの命に、それぞれの大切なモノが有ったのだと。

何処かの誰かの大切な人の命を、自分が奪ってしまったのだと。

それは最早、取り返しがつかない、などと言う陳腐な言葉では済まされないことだとビリーは思いました。

そんな人達に、幾ら謝ろうとも、どんなに償おうとも、その人達は自分の事を許してはくれないだろうと。

それこそが、レディの思い描いた、復讐だったのです。

ビリーはその日、日が暮れて朝が来て、また日が暮れるまで、ずっと蹲ったまま泣いておりました。


ふと、ビリーは気付きます。


腕の中に在るモノから、懐かしい匂いがすると。

薄暗い視界の中、見ればコップの中には何かが入っていました。

それが何なのか、確かめる前に、ビリーの体が勝手に動いておりました。

そのコップの中のモノを一気に飲み干します。

それは、あの日、初めてレディの家に行った夜に、出てきたスープと同じ味がしました。

そのスープを飲んだ瞬間、またビリーの目からは涙が零れました。

嗚呼、美味しい、と。

素直に、そう思いました。

それはもう、一週間も何も食べていなければ当然のことなのですが。

純粋に、彼の体が久しぶりに入る栄養に喜んだだけなのですが。

それでも、ビリーはそのスープを飲んで、少しだけ感情が生き還りました。

その時、彼は思います。

死ぬのは簡単だが、それでは贖罪に成らない。

しかし、自分がどんな事をしても、誰の為にも成る事は無い。

なれば、どうすれば良いのか。

「・・・・・・・・・」

ビリーには最早これしか思いつきませんでした。



死ぬまで、苦しもうと。



生きながら、死に続けようと。

死にながら、生き続けようと。

最期の、その瞬間が訪れるまで、苦しみ続けようと。

勿論、それで自分の犯した罪が消える事は無いと分かっていました。

ビリーが奪った多くの人達の、その残された大切な人達の気持ちが、そんな事で贖える筈が無いと。

重々承知の上です。

それが、ビリー自身の自己満足である事もまた、理解した上での事でした。

自分に出来る事は、何も無い。

それでも、何かをしなければ、ただ座して死を待つだけだと。

だからこそ、絶望して欲しい、と言ったのだろうと。

最期に彼女が残した言葉は、そういう意味なのだと。

それを、最愛の人から教えてもらったから。

その最愛の人の最愛を、自分が奪ったのだという事実が、尚更重くビリーに圧し掛かりました。

彼女に謝りたい。

殺してしまった彼女の大切な人に謝りたい。

今まで傷付けてきた全ての人に謝りたい。

そう、強く思いました。

だけど、とビリーは思います。


ビリーの謝罪や贖罪をその人達は望んではいない。


彼らが望む事はただの一つ。


奪った命を返して欲しい。

奪った幸せを返して欲しい。


ただ、それだけなのだと。

それ以外は、意味の無い事だから。

どんな事をしても、無くなったモノは取り返せないのだ。

だから出来る限り、奪った相手に苦しんで貰う事しか望めないのだ。

絶望して欲しいのだ、後悔して欲しいのだ、不幸せに成って欲しいのだ。

そう言うモノだと、ビリーは深く後悔しました。



ビリーが殴られ屋を始めたのはその直ぐ後でした。

彼が選んだ道は、他人に自身の生殺与奪を委ねる事。

しかし、それで生き永らえたのであれば、それを死ぬまで続けようと、心に決めたのでした。



それから、四十年。



長い月日が流れました。

あれから幾度となく、他人に暴力を振われ、他人の好き勝手に身体を蹂躙され、侮蔑され、嘲笑され、およそ考えうる限りの非道を尽くされてきました。

しかし、ビリーは死ぬ事はありませんでした。

何故なら、彼は生まれつきの恵まれた肉体を持っていたからです。

それも、この長い年月で、かなり小さくなりはしましたが。

齢はもう六十を超える頃でしょうか。

その風貌も、以前の悪党っぷりは影も無く、年相応の、少し大柄な老人の体を成すばかりです。

来る日も来る日も、人に殴られます。

いつか自分を殺す人が来るのか、それとも老いに命が燃え尽きるのが先か。

そんな事をぼんやりと考える毎日です。





ビリーと言う老人が命を落としたのは、それから直ぐ後の事でした。

その報せは、別に街を賑わす事も無く、小さな風のように街の隅で流れただけです。

誰もその事を気にしません。

彼がどういう人物で、どうやってその命を落としたのかなど。

誰も。

大雑把に説明すると、ビリーと言う悪人が、たまたまそこを通りかかった女性に目を奪われ、ついつい声を掛けてしまい、不審に思ったその女性の恋人に殴り殺された・・・という、何ともつまらないオチです。

たまたま通りがかかったその女性が、彼の人生で最も心動かされたとある女性に似ていた事など、特に物語に何の関係もありません。

その女性は本当に、ビリーの大好きだったレディとは何の関係も無い赤の他人でしたので。

むしろ関係が有ったのはビリーを殴り殺した男の方で、その男はセブンと言う街一番の悪党だったそうです。




                                              おしまい

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― 新着の感想 ―
[良い点] ビリーやレディの感情が予想外のものが多く見ていて飽きません。ここまで凝った復讐の話は初めてです。 [気になる点] 三点リーダーが·····じゃなく・・・なので少し気になりました [一言] …
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